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#062 いざ、早雲寺(裏)

今回もよろしくお願い致します。

#057の舞台裏です。

天文23年(西暦1554年)3月初頭 小田原城


「…ったくあいつは、どうすりゃあんな口上が飛び出すってんだ。」


 障子の向こうに消える末娘の背中を見送りながら、北条氏康は眉間を揉んだ。


「風魔小太郎、参上仕りましてございます。…殿、お体の具合でも?」


 結と入れ替わりに入室した男――風魔党頭領、風魔小太郎が、礼もそこそこに下座に腰を据えて言った。

 年の頃は四十から五十の間。山吹色(やまぶきいろ)の衣装をまとった、町人風の男だ。


「大したこっちゃねえ。それより、昨日の大捕物(おおとりもの)はご苦労だった。約束の銭を持ってけ。」


 氏康が合図すると、背後に控えていた二人の近習が、黒塗りの箱をそれぞれ一つ抱えて立ち上がり、小太郎の前に置いた。

 箱の中から、じゃりりん、と、金属が触れ合う音が響く。


「これはこれは…中を(あらた)めてもよろしゅうございますか。」

「無論だ。目録も入ってる。手落ちがあったら言え。」


 喜色満面で二つの箱を開いた小太郎は、それぞれに詰められていた銭の束と、その上に

乗っていた目録(リスト)にざっと目を通すと、小首を傾げた。


銭十貫(ぜにじっかん)は頭目を捕らえた者への褒美では?なにゆえ風魔党あての箱にお加えで?」

「手付金だ。もう一仕事頼みてえ。」


 小太郎は笑みを引っ込めると、丁重に箱に蓋をした。


「天用院殿の三回忌法要にあたり、早雲寺の警固に加勢せよと仰せにございますか。」

「さすが、話が早えな。」


 風魔党から急報がもたらされたのは数日前。

 怪しげな風体の男が小田原城の搦手(からめて)付近をうろついていたため、拘束し、問い詰めた所、渇魂党(かっこんとう)なる集団の一味である事を白状したのだ。

 しかもこの渇魂党が氏康の四女、結の暗殺を目論んでいると判明したため、氏康は急遽風魔党と小田原市中警固役に命を下し、拠点としていた宿を調べさせた。

 結果、二十人あまりを捕縛したものの、肝心の頭領を含む十人強を取り逃がしてしまったのだ。


「市中警固役からも注進があった。連中は結が早雲寺にいる隙を狙ってやがる。一度散らばった連中を見付けるのは手間だ。早雲寺でカタを付けてえ。」

「されど、我ら乱破(らっぱ)が警固の列に加わる事は…。」

「分かってる。おめえらには早雲寺の外回りを固めてもらいてえ。境内(けいだい)は北条の兵で守る。」


 そこまで言うと、氏康は横に置かれた文机を引き寄せ、墨をたたえた(すずり)に筆を漬けると、紙に幾筋かの文章を書き付けた。


「期日は法要前日の朝から次の日の日暮れまで。馳せ参じた人数に応じて銭を支払う。賊を捕らえた場合の銭は引き続き一人一貫、頭領は十貫だ。ただし、くれぐれも寺の境内には入るな。経緯(いきさつ)を知らねえ連中に気取られて騒ぎにしたくねえ。…人数は幾人出せる?」


 小太郎は氏康の下問にしばし考え込んだ。


「早雲寺であれば二十人が手頃かと。」

「よし、分かった。」


 氏康は二つ返事で了承すると、書状の左下に、正当性を保証する花押(かおう)を書き添えた。


「こいつでどうだ?」

「拝見します。」


 近習の手を介して受け取った書状(けいやくしょ)に目を通し、小太郎は深々と頷いた。


「確かに承りました。…しかし我らのごとき者どもを重用(ちょうよう)されるとは、殿も器量が大きゅうございますな。」

「よせやい、乱破、透破(すっぱ)の類はどこの大名も使ってら。大体、褒美が田畑か、銭かの違いだろうが。」

「世のお武家様方が皆、殿のようなお方とは限りませぬゆえ。我らも殿の(ふところ)(ぬく)うございますゆえ、忠節を尽くしておりますが…。」


 小太郎の言葉に、氏康の背後に控えていた近習達は身を強張(こわば)らせた。聞きようによっては、金払いが悪くなれば北条を見限る、とも取れたからだ。

 しかし氏康は、


「おう、銭の切れ目が縁の切れ目だ。」


 そう、あっけらかんと言ってのけた。


「これからも銭が続く限り、北条を頼んだぜ。…下がって良し。早雲寺の警固、抜かりなくな。」


 小太郎が二つの箱を抱えて退出すると、近習達は氏康に詰め寄った。


「殿、なにゆえかような者を重用なさいますか。」

「銭次第で主を選ぶような輩、信ずるに値しませぬ。」

「黙れ、青二才ども。」


 氏康の気迫に、近習達は怯んだ。


「古今東西、主から知行(ちぎょう)を賜って以降、いっぺんも主を変えた事のねえ家が幾つある?言ってみな。」


 近習達は答えられない。自分達の父、あるいは祖父も、かつての主君を見限って北条に乗り換えた口だったから尚更だ。銭より所領が忠誠を担保する証など、ないも同然だった。


「ああそれと、風魔党の務めは誰にでも務まるもんじゃねえ。十人がかりで取り組んで、九人が戻らねえなんて話も珍しくねえしな。そのくせ武士の誉れには程遠い。おめえらが一族郎党討ち死にして、その上末代まで汚名を引っ被る覚悟があるってんなら、喜んで連中と手を切るが、どうだ。」


 だんまりを決め込む近習達を尻目に、氏康はあごひげを撫でながら、閉じた扇子で膝を軽く叩いた。


「さて、境内の警固をどう差配すっかな…。」




 半月ほど後、同じ部屋にて。


「では、大殿自ら姫様の警固を指図されると?」


 百とお銀を従えた、結の側付き侍女頭、お梅が、上座の氏康に向かって小さく驚きの声を上げた。


「早雲寺に着いてからな。実地で見ねえと分からねえ事もある。つっても向こうの離れを借りて、一晩だけだ。他は元々の警固役に任せてある。」

「では、わたくし共は長持(ながもち)薙刀(なぎなた)を積んで寺までお持ち致します。ただ、他の者に何と伝えれば良いか…。」

「輿入れ前に、城外で結を警固する稽古の仕上げをする、とでも言っときゃ良いんじゃねえか?得心の行かねえ奴や、所詮稽古と侮る奴もいるだろうから、寺に着いた頃合いで(あいつ)を狙う企みがある事を伝えりゃ良い。」

「成程…仰せの通りに。」

「それと百。多分おめえには別の務めを任せる事になる。」


 氏康の指名に、許しを得る事なく、百は顔を跳ね上げた。


「わたくしに、姫様のお側を離れろとの仰せにございますか。」

「百、無礼ですよ。」

「いや、構わねえ。」


 百をたしなめるお銀の声に、氏康は閉じたままの扇子をひらひらと振った。


「おめえの心配ももっともだがな、こいつはおめえにしか頼めねえ。逃げ延びた渇魂党の一味には、どこぞの乱破くずれがいるって話だ。どんな手を使って来るか見当もつかねえ。」

「…。」

「百、殿の仰る通りに。」

「姫様はわたくし達がお守りします。あなたに仕込まれた薙刀にて。」


 お梅とお銀の説得に、百は渋々首を縦に振った。


「姫様にもお伝えすべきでは?」

「余計な心配をさせたくはねえが…あいつの事だ、てめえだけ母姉妹(おやきょうだい)と引き離されりゃ、いやでも勘付くだろう。そん時ゃ、俺が警固に加勢してる事以外は話して構わねえ。後は法要当日までいつも通りに…。」

「お、大殿。ご無礼仕ります。」


 お梅と氏康の段取りに割って入ったのは、先ほどからお梅達の横で平伏していた馬蔵だった。さらに隣では、牛吉が同様の体勢で目を白黒させている。


「なんだおめえら、聞こえなかったのか。ラクにしな。」

「ははっ、有難き仕合せ。されど、大殿。なにゆえ我らがこの場に…。」


 城内で門を守っているだけの自分達が、何故これほど重要な打ち合わせに参加しているのか。困惑しきりだった馬蔵は氏康の返事に耳を疑った。


「おめえらは俺と一緒に早雲寺の離れで不寝番だ。俺の警固も兼ねてっから、よろしく頼むぞ。」

「は…?い、いやいやいや、我らのごとき小身が大殿の警固など、あまりにも恐れ多い…。」

「気にすんな。表向きは同輩の東条源九郎と共に、結の不寝番に当たる事になる。」

「と、東条源九郎?」


 聞き覚えの無い名前に馬蔵が戸惑っていると、氏康は懐から取り出した包帯を顔に巻き、背後に置いてあった笠を被った。


「早雲寺に向かう行列には、この格好で加わる。その間、俺の事は東条源九郎と呼べ。」

「な、なにゆえそのような…。」

「俺が法要にも出ず直々に警固の指図をしてりゃあ、参列した連中にも妙に思われるだろうが。」

「拙者と牛吉をお呼び立てされた訳は…。」

「いくら襖を隔ててるとは言え、見ず知らずの男どもと同じ屋根の下ってのは、結も心持ちが良くねえだろう。聞く所によると、(あいつ)とは顔見知りだそうじゃねえか。」

「そ、それは…。」


 馬蔵が言葉に詰まると、氏康は笠を脱ぎ、包帯をほどいて、にやりと笑った。


「おめえらは戦場慣れしてるし、よく気が利く。足軽から侍になった経緯、忘れちゃいねえぜ。頼りにしてっからよ。」




「えらい事になったな…。」


 詰所への帰り道、馬蔵は思わず呟いた。

 後に続いていた牛吉も重々しく口を開く。


「んだ。だども馬蔵、もしかして大殿は自ら刀を振るいたくてこんな…。」

「しっ。言うな。…俺もそう思ってた所だ。」


 降って湧いた大役に戸惑いながら、二人は当日に必要になるであろう諸々を、無意識の内に思い浮かべていた。




天文23年(西暦1554年)4月上旬 小田原


 小田原城から早雲寺に向かう途上、御前様の訴えで小休止を取っていた馬蔵は、何度も冷や汗を拭う羽目に陥った。


「そこなるお方。ええ、顔に包帯を巻かれた貴方(あなた)ですよ。どうも初めて会った気がしなくて…。」

「ご、御前様。これなるは東条源九郎と申しまして、その、城内警固役の…。」

「あら、馬蔵殿。いつも結が世話になって。このお方は東条源九郎殿と仰るのねぇ。教えてくれてありがとう。けれど、私はこのお方に聞きたいの。なにゆえここにいるのか…。」

「お、恐れながら、無論、ご一同を警固するため…。」

「う、ま、ぞ、う、ど、の?わたくしは、東条源九郎殿に聞いているのですよ?ああ…でも、わたくしの勘違いに決まっていますわよね。だって殿は今、城で新九郎殿の指南に当たっておられるはずですもの。まさかお忍びで城を出られるような軽はずみな真似を、あの左京大夫殿がなさるはずがありませんものねぇ…?」


 黙して語らない『東条源九郎』に代わって、御前様の下問に答え続ける。

 胃に穴が開くような苦行(くぎょう)を、馬蔵は早雲寺に到着するまで、三回も繰り返したのだった。




 後日、氏康の正室より馬蔵に、外郎(ういろう)屋の秘薬、透頂香(とうちんこう)一袋が下賜されているが、その理由は今もって不明である。

お読みいただきありがとうございました。

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