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#061 東条源九郎

今回もよろしくお願い致します。

 いつもより遅い時間帯にパッチリ目覚めた私は、法要に間に合うよう、着替えと朝食を同時並行で進めながら、今回の暗殺未遂事件の顛末を、百ちゃんから聞いた。

 まず、昨夜の戦闘における死者はゼロ名。これは侍女や警護の兵には、という意味ではなく、襲撃して来た賊――渇魂党(かっこんとう)にも死者がいない、という意味だ。

 もっとも、これは博愛精神によるものではなく、天用院殿の三回忌法要を目前に、境内(けいだい)での殺生を極力避けるよう、父上からお達しが出ていたからだそうだ。

 では法要が終わった後、渇魂党にどんなお裁きが下されるのか、聞いてみた所、百ちゃんは声を潜めた。


「恐れながら、姫様のお耳に入れるにはあまりにも…。」


 どうやらとんでもなく(むご)たらしい目に遭わされるらしい。

 まあ、自分の命を狙って来た連中の助命嘆願をするほど、私も心が広くない。具体的な内容を聞きながら平常心で朝食を続ける自信が無かった私は、それ以上の深入りを避けた。

 渇魂党一味はすでに小田原城に向けて連行され、その護送メンバーの中には馬蔵さんをはじめとした不寝番の三人も含まれているらしい。起きてすぐお礼を言おうと思っていたので、少し残念だ。

 表向き、昨夜の騒動は、警護のために臨時で雇った足軽が酔って境内に侵入し、離れの間で暴れ回って器物損壊に及んだ、という事になっている。早雲寺がこれを黙って受け入れたのは、なんとお坊さんの中に渇魂党に内通していた人がいたからだそうだ。

 昨日、渡り廊下の向こうで百ちゃんに怒鳴られていた若いお坊さん。彼はお寺のお金を持ち出して博打(ばくち)でスってしまい、そこを渇魂党につけ込まれて脅迫され、私の寝所や警備態勢をチクっていたらしい。すでに謹慎中で、近日住職が処分を決定するとの事だ。

 後日、北条が離れの間の建て替えを全額負担するとの事だが、これには早雲寺への口止め料の意味もあるらしい。




 当初の予定より一刻(二時間)遅れで始まった、天用院殿の三回忌法要はつつがなく終わった。法要が始まる直前、姉上達の隣に座った時、何か言われるかと思ったが、チラチラ目線を向けられるだけで特に何も無かった。

 特別な事と言えば、母上に、


「昨晩はご苦労様でしたね。城に戻ったら、ゆっくり体を休めるのですよ。」


 と、いつもの笑顔で言われた位だ。

 やっぱり武家の娘はこれくらいの事で動じないものなのかと、感心しきりだった。

 かくして、昨夜の騒動の影響は最小限に留まり、私は長い長い読経(どきょう)の時間を使って、心の中で天用院殿にお別れの挨拶を告げる事が出来たのだった。




 昼過ぎに法要が終わると、慌ただしく帰り支度をして輿に乗り込み、母上や姉上、兄弟達と共に小田原城への帰路に就いた。昨日と同様に、三回の休憩を挟んで箱根路を東に進む。

 お梅に教えてもらった事を思い出して、警護の兵や輿の担ぎ手の疲労度合いを見ると、もう一回くらい休憩が要りそうだったが、これ以上休憩を増やすと日が暮れる前に帰城出来ない、と母上は踏んだのだろう。実際、私達の行列が小田原城の大手門をくぐった頃には、太陽がかなり西に傾いていた。


「少し話したい事があるの。菜々、蘭、凛、結、着いて来て頂戴。」


 奥の間に着いて早々、母上に言われた通り、後を着いて行く。

 もう夕飯時だからと父上への報告を免除してもらえたのはありがたいが、疲労感もぶり返して来た。折角早雲寺で温泉に入れたのに、深夜に傍迷惑(はためいわく)な連中が押し入って来たせいで汗をかいてしまったのが良くなかったのだろう。早く風呂(サウナ)入ってご飯食べて寝たい。

 そんな事を考えていると、母上の部屋に着いた。無言のまま入室する母上に続くと、私達姉妹も入った所で背後の障子が閉じられる。


「母上、ご用件は一体――。」


 思わず怪訝な声を上げると、いい匂いが私を包み込んだ。

 突然振り返った母上が跪き、私を抱きしめている――そう気づくまでに数秒を要した。


「ははうえ…?」

「御免なさい。御免なさいね、結。本当はもっと早くこうしてあげたかった。けれど、昨夜の事を(おおやけ)に出来ないから…。」


 母上の涙声にもかかわらず、私は両手を母上の胸に押し当て、脱出を(はか)った。

 このままだと火傷(やけど)する、直感的にそう思ったからだ。


「は、母上が謝られる事など…武家の娘として、当然の…。」

「いいえ。」


 私を抱きしめる腕に力を込めながら、母上は断固とした口調で否定した。


「武家も百姓もない。あなたはまだ(ここの)つでしょう。わたくしだって、そんな目に遭った事は無いわ。よく無事で…無事で、本当に良かった。」


 母上の言葉を理解出来ず、棒立ちになっている所に、誰かが背中から抱き着いた。


「生きていてくれてありがとう、結。曲者が押し入ったと聞いて、不安でたまらなかったのよ。蘭も、凛も、勿論わたくしも。」


 耳元で囁いたのは菜々姉様だった。


「わたくし達、なんと声をかければ良いか分からなかったの。何事も無かったかのように、あなたが振る舞うものだから。」

「わたくしも、でございます。」


 左右から凛姉様と蘭姉様に抱きしめられる。気が付くと、私の手足はガクガクと震え、喉からは嗚咽が漏れ出していた。

 そうか。

 昨夜は興奮して気付かなかったけれど、私、本来は怖かったんだ。


「ここならもう人目は無いわ。思う存分、泣いて良いのよ。」


 ただただ無事を喜んでくれる家族の抱擁(ほうよう)に、私は部屋が暗くなるまで泣きじゃくっていた。




 翌朝、ひとまず立ち直って朝食を取っていた私の元に、母上からの使いがやって来た。

 早雲寺での法要についてみんなで父上に報告に行くが、私は襲撃に遭って疲れているだろうから遅れてやって来るように。また、先月父上から下賜(かし)された短刀を持って来るように、との事だった。

 正直、まだ疲れを感じていたため、母上の心遣いをありがたく思いつつ、頃合いを見計らって所定の場所に向かうと、何やら言い争うような声が聞こえて来た。音源は父上が待っているはずの部屋で、その証拠に入り口の左右を警護の侍が固めている。

 何かトラブルでもあったんだろうか?そう思いながら部屋に近付くと、私に気付いた警護の侍が室内に向かって声を張り上げた。


「殿。結姫様がお越しにございます。」


 室内の話し声が一瞬止み、二言三言(ふたことみこと)、交わされたかと思うと、


「おう、よく来たな。まあ入れ。」


 父上の許可が降りた事に、私は内心安堵した。話が立て込んでいれば、廊下で何十分も待たされる可能性もあったからだ。


「あら、結。御免なさい、父上と少し『お話』する事があったものだから。」

「曲者の凶刃を(しの)いだとのよし、天晴(あっぱ)れである。ゆめゆめ稽古を怠るでないぞ。」


 部屋に入ろうとして出くわしたのは、母上と新九郎兄者という、ちょっと珍しい取り合わせだった。逆に言えば、部屋にはあと父上と近習しかいない。

 他のみんなはもう自室に戻ったんだろうか?

 軽く会釈をして二人とすれ違い、入室すると、上座の父上は珍しく片手で頭を押さえていた。下座で正座をして、平伏する。


「結、ただいまこれに。恐れながら父上、何かお悩みで?」

「ああいや、おめえの気にするこっちゃねえ。(おもて)を上げてラクにしな。それよりも、だ。」


 父上は居住まいを正すと、咳払いをして続けた。


「…今回の事は悪かったと思ってる。百の奴から聞いたかも知れねえが、あちこちから親戚一同集めといて、法要を取り止めにする訳にも行かなかったんでな。」


 私はそれまで思考の埒外(らちがい)にあった、ここ一か月間の父上の動向に思いを巡らせた。

 百ちゃんの話では、私の暗殺を目論(もくろ)む渇魂党の大半が検挙されたのが一か月前。当然父上にも報告されただろうが、私を含めて参列者一同に日程が周知されていたから、今更中止にも出来なかったんだろう。そこで次善の策として、私の側付きに薙刀を携行させたり、腕利きの侍を不寝番に加えたりして襲撃に備えてくれた、という訳だ。

 しかも殺生禁断(せっしょうきんだん)境内(けいだい)で、向こうは平気で斬りかかって来るのに、こっちは向こうを極力傷つけられない、というハンデがあった。そんな中で敵味方死者ゼロ名を達成した側付きのみんなと、不寝番の三人に、私は感嘆しきりだった。


「父上のお心遣い、重々承知しております。」

「そう言うな。ついては、詫びをかねて褒美をやりてえ。何か欲しいもんがありゃあ、言ってみな。」


 不思議と高揚感はなく、気付けば私の口は勝手に動いていた。


「わたくしはただ賊一人の打ち込みに耐えていただけの事。賊を捕らえた側付き一同と、不寝番のお三方にこそ、褒美を下されますよう。」


 父上は例によって、片手であごひげを撫でつつ、もう片方の手に持った扇子で膝を数回叩いた。


「相変わらず可愛げがねえっつうか、ソツがねえっつうか。まあ良い、側付き一同、蔵から(くし)でも(かんざし)でも、一人一つ持ってけ。子細はお梅と相談しな。」

「かしこまりました。」

「しかし不寝番の連中はなぁ…とうに褒美をやっちまった。」


 父上が両手でつまみ上げた紙には、二人の名前が書かれていた。


不破(ふわ)馬蔵(うまぞう)康隆(やすたか)

門脇(かどわき)牛吉(うしきち)康興(やすおき)


 馬蔵さんと牛吉さんのフルネームに、私は息を吞んだ。名前に「康」が入っているという事は、ある意味土地や金銀財宝よりも重い褒美である「偏諱(へんき)」を賜った事を意味するからだ。

 確かにこれ以上のご褒美はなさそうだ。そう考えていた私に、父上は紙を置いてニヤリと笑いかけた。


「おめえが知行(ちぎょう)をやって、直臣(じきしん)にするってのはどうだ?」


 …は?


「お、恐れながら父上、わたくしは家中のお方に分け与えるだけの所領など…!」

「慌てんな、丸っきり酔狂で言ってる訳じゃねえ。それなりに考えてのこった。」


 父上曰く、私の護衛として駿河へ随行するメンバーの選定に、ちょうど頭を悩ませていた所だった。しかし今回の一件で、馬蔵さんと牛吉さんの武芸と気配りの良さが証明された。加えて、私の日課である小田原城内一周ウォーキングの途中でしょっちゅう顔を合わせているため、全くの見ず知らずよりも抵抗が少ないだろう、という訳だ。


「牛吉も馬蔵も独り身、おまけに足軽上がりでな、小田原にゆかりがねえ。おめえと駿河に行って、向こうで嫁をもらやあちょうど良いだろう。勿論輿入れまでは俺が面倒を見る。駿河に行ってからの知行割(ちぎょうわり)はおめえに任せた。」


 とんとん拍子に決まって行く人事異動に目を白黒させながら、私は駿府の新居と、その正門の両脇を固める馬蔵さんと牛吉さんをイメージした。

 …うん、意外と悪くないかもしれない。


「それでは、東条源九郎殿も…。」


 さっき偏諱を賜ったメンバーの中に彼の名前が無かった事をいぶかしみながら、もう一人の不寝番の名前を挙げると、父上の表情が急に険しくなった。


「…あいつはもう小田原にはいねえ。声がどうにも悩みの種らしくてな、越中(えっちゅう)だか近江(おうみ)だかの薬師(くすし)に診てもらいてえってんで、路銀をたんまり受け取って今朝方出立した。」


 ええ…そんなに気にしてたんだ。

 父上から偏諱を賜るという栄誉を蹴ってまで声質の改善にこだわる東条源九郎の執念におののいていると、父上が私のお腹辺り――短刀に視線を向けた。


「…短刀(そいつ)が早速役に立ったみてえで何よりだ。だが、刃こぼれも相当のもんだろう。今から新しく打たせても構わねえが…。」

「いいえ、父上。刃こぼれは()げばようございます。この短刀は使い心地も良く、わたくしの身を守ってくれた逸品にございますれば、このまま駿河へも携えて参りとうございます。」


 言い切ってから私は気付いた。例の刀剣大好きおじさんは、刀を名前で呼んでいた。私もこの短刀に名前を付ければ、もっと愛着を持って扱えるようになるかもしれない。

 そう、例えば…。


「恐れながら父上、やはりわたくしも褒美を頂戴してもよろしゅうございますか?」

「ん?…おう、何だ、言ってみな。」


 心なしか身を乗り出す父上に、私は一度深呼吸をしてから言った。


「この短刀に名を付ける事をお許しいただきとうございます。東条源九郎…と。」


 絶体絶命の瞬間、私を助けに来てくれた東条源九郎。

 最後まで顔は分からず仕舞いだったけれど、彼の名前を忘れたくない、その一心で私は言った。


「…そんなに気に入ったか、その短刀と、東条源九郎が。」

「はい、いずれも、わたくしの命の恩人にございますれば。」


 私の言葉に、父上は何かをこらえるようなしかめっ面になって、しばし黙り込んだ。


「…分かった。例の刀鍛冶に頼んで、研ぎついでに銘を打たせる。一旦こっちに寄越しな。」

「はい。」


 短刀を腰帯から引き抜いて捧げ持ち、父上ににじり寄って差し出す。短刀の重みが離れた事を確認して元の位置に戻る。

 ひと月前とは真逆の順番だ。


「源九郎の野郎、主の娘に(はべ)るたあ、過分の褒美だぜ。まあ、そこまで言うなら存分に使い倒してやんな。」

「かしこまりましてございます。」

「今川の家に入ったら、向こうが側付きを増やすかも知れねえ。その辺を勘案して知行割を考えとけよ。…下がって良し。」


 父上の許しを得て退出した私は、これから城内を一周するに当たって確実に顔を合わせるであろう牛吉さんと馬蔵さんに、何と声を掛けたものだろうか、と考え始めていた。

お読みいただきありがとうございました。

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