#060 暴れん坊大将
今回もよろしくお願い致します。
諸事情により連続投稿です。
この人、百ちゃんより弱い。刺客の斬撃を幾度かさばいた時、私の頭に浮かんだのはそんな感想だった。
百ちゃんにみっちり稽古をつけてもらって、本当に良かった。あれが無かったら、最初の一撃で私は死んでいただろう。
「こんのっ!」
はい左。
予想通りの軌道を通って迫る太刀筋に、そっと短刀を割り込ませて弾く。
父上にもらった短刀はやや柄が太いけれど、材質が良いのか滑りにくく、持ちやすい。刀身は若干短いけれど、その分肉厚になっているお陰で、刺客の斬撃で折られるという最悪の事態を避ける事が出来ている。
「どうなってんだ、クソッ!」
はい上。
これはまともに受けず、勢いを横に受け流すように。鍔迫り合いになると、筋力で勝る相手の方が有利だからだ。
「ハァ、ハァ、この、ガキ…!」
肩で息をする刺客の一挙手一投足に注意を払う。
思えば百ちゃんの木刀をさばいた後は、決まって手が痺れたものだったけれど、今はそれも無い。どっかの漫画であった、剣の重みとかいうやつだろうか。
さらに言えば、百ちゃんは連日私達十人近くの相手をしても、息一つ乱さなかった。この刺客が大した腕前ではないか、さもなければ百ちゃんが規格外という事だろう。
「お、お頭ぁ!助けてくれぇ!」
助けを求める声に刺客が一瞬視線を外にやった瞬間、私は迷った。この隙を突いて、刺客を刺せばこの状況を打開出来るのではないか、と。
出来なかった理由は主に二つ。
百ちゃんに、人を刺したり斬りつけたりする方法を教えてもらっていなかったから。
そして、現代日本人のメンタルを持ったままの私が、人殺しをためらったからだ。
それが私の命取りになった。
「こなくそがぁ‼」
腹を蹴られたのだと理解したのは、一瞬飛んでいた意識が戻り、自分が襖にめり込んでいる事に気付いてからだった。込み上がる衝動のままに、咳き込む。
幸い短刀を手放してはいない。けどヤバい。足に力が入らない。
「へ、へへへ…安心しな、今ラクにしてやっからよぉ…。」
刺客が振り上げた刀に、何とか短刀を持ち上げようとした、その時。
「おうド三一が。てめえの相手はこの俺だ。」
私は、ここにいるはずがない人の声を聞いた、気がした。
鳶七は、背後からかけられた声に、思わず振り向いた。
月夜を背に立っていたのは、先ほど飛び出して来た三人の侍の一人。夜だというのに笠を被り、顔を包帯で隠していた男だった。
「ド三一だあ…?ヘボ侍がでかい口叩くんじゃねえ!俺は渇魂党の頭領、鳶七だぞ!」
「そうかい、名乗りを上げるってんならこっちも応じねえと礼を失するってもんだな。」
包帯の侍――東条源九郎はそう言うと、笠を脱ぎ捨て、右手に握っていた打刀を包帯の隙間に差し込んで振り抜いた。
一瞬で包帯が千切れ、源九郎の素顔が露わになる。
「な…おま、嘘だろ…いや、その額の傷…まさか本当に…。」
「嫁入り前の娘に好き放題してくれたじゃねえか。小田原に連れ帰ってじっくりと詮議してやる。刀を捨てな。」
外では、鳶七に着いて来た手下が全員縄で手足を縛られていた。
進退窮まった鳶七が選択したのは降伏でも逃走でもなく――。
「おま、おま、お前のせいで俺達は、何が禄寿応穏だくたばれごらぁぁぁぁぁ‼」
鳶七が全身の力を込めて振り下ろした次の瞬間、刀は両手から消えていた。
「あぇ?」
ふと見上げれば、天井に突き刺さった己の愛刀。
「逆恨みも結構だが、もっと手立てを選んで来やがれってんだ、ド三一。」
目の前の男に弾き飛ばされたのだと理解する前に、首筋に打ち込まれた峰打ちの重みが、鳶七の意識を刈り取った。
同時刻、早雲寺の通用門近くにて。
「トンズラこくぞ。」
本堂の様子が慌ただしくなる中、木陰に身を潜めていた渇魂党の副長、権左が漏らした言葉に、手下は目をむいた。
「お頭と蛇之目を置いて、ですかい?」
「待てど暮らせど火の手が上がりゃしねえ。おまけに、さっきから侍どもが向かってんのは厨の方じゃねえ、離れの方だ。あれだけ集まられちまったら、鳶七の兄貴と言えど無事じゃ済まねえ。ひょっとすると、もう…。」
権左は通用門に目を凝らした。さっきまで門の左右を警護していた侍は、騒ぎを聞きつけて持ち場を離れている。外にも一人か二人いるかもしれないが、なりふり構わず逃げれば振り切れるだろう。
素早く算段を立てた権左は、手下の返事を待たずに木陰を離れ、通用門に手をかけた。慌てて走り寄る手下に目配せをし、息を合わせて押し開ける。案の定、ぎぎいいい、と軋む音が響いた事に、権左は舌打ちした。
「むっ?いかがした。」
門の向こうから北条の侍の顔が覗いた瞬間、権左は全力で走り出した。
「あ、待て!何者か!」
誰何の声に構わず、森を目指して走り続ける。ある程度奥に逃げ込んだ所で振り返ると、手下は逃げ切れず、警護の侍に拘束されていた。
「悪く思うなよ、お前ら。それにお頭。渇魂党の名は俺が引き継ぐからよ。」
逃げ切れた事に安堵しながら、これからの算段を立てる。
仕事は十中八九しくじったが、それを雇い主に馬鹿正直に伝える義理は無い。標的の体の、ぱっと見では分からない部分に傷を付けたが、北条は体面を守るためにそれを隠蔽した。そう報告すれば、約束の報酬の一部はもらえるだろう。
それを元手に食い詰め者を集め、渇魂党を再建する。当然自分が頭領となって――。
甘美な未来予想図を描いていた権左は、不意に走ったチクリとした痛みに眉根を寄せた。首筋に手をやると、小さな針が刺さっている。
「なんら、ほれは。」
呂律が回らなくなるが早いか、体の自由がきかなくなり、地面に倒れ伏す。
薄れゆく意識の中、最後に見たのは、夜闇の中でうごめく幾つかの人影だった。
薄暗い視界に映ったのは、早雲寺の離れの間の天井。体はふかふかの布団にくるまれ、枕元には父上から頂戴した短刀が置かれている。
まさか、全部夢?
ぼんやりした頭のまま寝返りを打つと、穴だらけでガタガタの障子が目に入ると同時に、お腹に鈍い痛みが走った。
やっぱり、夢じゃなかったんだ…。
「姫様、お加減はいかがにございますか。」
反対側から聞こえた声にもう一度寝返りを打つと、百ちゃんが心配そうに私を見ていた。
「まだ少し痛むけれど…辛抱出来ない程ではないわ。曲者はどうなったの?」
「一人残らず捕らえましてございます。法要は一刻ほど遅れて執り行う運びとなりましたゆえ、安心してお休みくださいませ。夜明けまで、この百が側でお守り致します。」
「そう…ありがとう。」
仰向けになって目を閉じる――が、なかなか寝付けない。ふと思い立って、枕元の短刀を手繰り寄せる。
これを握っていると、何だか安心して眠れそうな気がする…。
「ねぇ百、聞いてくれる?」
「何でございましょう。」
「さっきね、私が賊に斬られそうになった時…父上がいらっしゃったような気がしたの。」
「…。」
「そんなはず、無いのにね。だって、父上は今、小田原に…。」
「気の迷いではございません。姫様。」
すやすやと寝息を立てる主を見下ろしながら、百は独り言ちた。
「やはりあの方は知勇兼備、篤実なお方にございます。姫様がお生まれの頃より、ずっと変わらず…。坂東の主に相応しい器量の持ち主にございます。」
ボロボロになった障子の向こうで、夜明けの光が差し込みつつあった。
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