#059 渇魂党、早雲寺に討ち入るの事
今回もよろしくお願い致します。
諸事情により連続投稿です。
「集まったのはこんだけか。」
早雲寺にほど近い、夕陽が差し込む森の中で、ぼさぼさの髪とひげをたくわえた中年の男が、忌々し気に吐き捨てた。
男の前には十人の男達。誰もが腰に刀を差し、剣吞な雰囲気を漂わせている。
「なあ鳶七の兄貴、やっぱりこの仕事、降りた方が良いんじゃねえか?」
「何情けねえ事言い出してんだ、権左。それでも渇魂党の副長か、ええ?」
鳶七――渇魂党の頭領に睨まれた権左は、あっさり口を噤んだ。
彼らは無頼の万屋、渇魂党を名乗る一味だ。東は常陸、西は武蔵、北は上野から南は安房まで、金さえもらえば誰の依頼でも受ける。
だが、彼らは関東中の武士や町人、百姓農民から忌み嫌われていた。何故なら、一度雇い主と交わした約定を反故にするようなマネを、何度も繰り返していたからだ。
ある時は、金品を運ぶ商家の護送を請け負っておきながら、人里離れた山中で店子や人夫を皆殺しにし、荷物を奪って逃げた。
またある時は、一方の大将に雇われておきながら、戦況が不利とみるや大将の首を取り、敵方に持ち込んで金品をせしめた。
こうした振る舞いはあっという間に関東一帯に伝えられ、銭と引き換えに戦場に身を投じる足軽達からさえ軽蔑の目で見られるようになった。
だが頭領――鳶七が恥じ入る事は微塵も無かった。
時は乱世。日の本中の侍が、謀略の限りを尽くして土地を奪い合っている。真面目に生きている者が損をするのは、大名も庶民も同じ。ならば自分達が汚い手を使って私腹を肥やした所で、責められるいわれは無い、と。
事実、悪評を聞きつけた大名や国衆の中には、その手際を見込んで新たに依頼を出す者も多くいた。
乱世が続く限り、渇魂党は関東で暴れ回る事が出来る。鳶七はそう確信していた。
「…あんのクソ忌々しい三つ鱗が…。」
先ほどから視界に入って来る北条家の家紋に、鳶七は毒づいた。
渇魂党の勢いに陰りが出て来たのは、およそ五年前。北条が河越城を巡る戦で大勝し、関東一の大大名にのし上がった頃からだ。
自力で十分な兵を揃えられる北条は渇魂党を必要としなかったし、北条と敵対する勢力も渇魂党を当てにしなくなった。旗色が悪くなれば寝返るような連中を、誰も信用しなかったからだ。
結果、渇魂党に舞い込んで来るのは、報酬も満足に支払えない程窮乏した国衆からの依頼や、渇魂党を使い潰す事が見え見えの危険な任務ばかりになってしまった。
「だが今回の雇い主の言う通り、北条と今川の婚姻をぶち壊せば、また俺達にもツキが巡って来るに違えねえ。」
北条の本拠地、小田原に潜入し、隙を見て当主の四女を暗殺する。危険極まりない任務を鳶七が受けたのには、これを機に関東情勢を再び北条一強の時代以前に戻したいという狙いがあった。
そしてひと月前、ねぐらに北条の手入れが入る直前に、彼らはそれを成すチャンスを見出したのだ。
「お頭、蛇之目が戻りやしたぜ。」
「おう、どうだった。」
音もなく駆け寄って来た手下――乱破くずれの蛇之目に、鳶七は問い質した。
「ばっちりでさあ。嫁入り前で男を近付けたくねえからって、離れに側付きの女どもと一緒にいるそうです。あの坊主、証文をちらつかせたら、ペラペラ喋ってくれやしたよ。」
きっかけは場末の酒場で飲んだくれている坊主頭を見付けた事だった。
酒をおごって聞き出したのは、この坊主が北条の菩提寺、早雲寺の下っ端で、こっそり金を持ち出して博打に注ぎ込み、すってしまったという情報だった。
「来月には天用院殿の三回忌法要があるというのに…。」
坊主が呂律の回らない口でそう言った時、鳶七は神か仏が自身に味方したと確信した。その場で坊主になけなしの銭を握らせると同時に証文を書かせ、数日後、早雲寺を訪れて坊主を脅した。使い込みを住職にばらされたくなければ、言う事を聞け、と。
かくして渇魂党の手先となった坊主は、見事標的の居場所と、その警備態勢の甘さを密告してくれたと言う訳だ。
「聞いたな、侍女が何人いようが俺達の敵じゃねえ。姫さんには兄貴の後を追ってもらおうじゃねえか。打ち合わせ通り、例の大木から塀を越えて中に入る。蛇之目、てめえは三人連れて厨に行って火を点けろ。万一姫さんを仕留め損なっても、北条の面子を潰せる。誰かいたら面倒だ、すぐに口封じしろ。」
「合点承知。」
「権左、一人連れて通用門に行け。小せえ門だ、警固の兵もそれほどいねえだろう。厨で火の手が上がりゃあ、手薄になるに違えねえ。残った奴を始末して、門を開け。」
「わかりやした。」
「五人は俺と一緒に離れとやらに向かうぞ。側付きの連中が薙刀を持ってるかもしれねえが、まさか鍛えた訳もあるめえ。蹴散らして部屋に乗り込み、姫さんの命を頂戴する。蛇之目、権左と通用門で落ち合ってトンズラだ、良いな?」
「へい。」
活力を取り戻した手下の様子に、鳶七は満足気に頷いた。
この仕事が終わったらどこかで一晩中飲み明かすのも良いかもしれない。そんな胸算用を重ねながら。
夜。
流れる雲が時折月明かりを遮る中、早雲寺の境内に侵入し、木陰に身を潜めていた鳶七は、一向に火の手が上がらない現状に舌を打った。
「蛇之目の野郎、まさかしくじったのか。あいつより夜目の効く奴がこの世にいるとも思えねえが…。」
「ど、どうしやす、お頭。」
想定外の事態にオロオロするばかりの手下に苛立ちながら、鳶七は急いで計画を修正した。
「このまま離れに踏み込んで、姫さんをぶった切る。そのまま通用門の権左に加勢して、警固の連中を蹴散らしてずらかるぞ。おら、立て。」
やがて離れの間に近付くと、鳶七はまたも舌打ちした。離れの間はいずれも障子が閉め切られていて、どれが姫君の寝室か分からない。
おまけに回廊を薙刀を携えた侍女が巡回しており、周囲の見晴らしも良い。これ以上接近すれば間違いなく発見されるだろう。
だが、厨の火付けが失敗したのであれば、本命に時間をかけてはいられない。一か八か、だ。
「てめえら、刀を抜きな。声を出さずに近寄るぞ。見つかったらその時はその時だ。誰も飛び出してこねえ所に、姫さんがいると見てかち込め。」
手下達が無言で抜刀したのを確認して、自分も腰の打刀を引き抜く。ちょうど分厚い雲で月が隠れたのを幸い、姿勢を低くして離れの間ににじり寄って行く。
あと少しで縁の下に飛び込める――そう踏んだ瞬間。雲が通り過ぎ、月明かりが境内を照らした。
「―――――ッ曲者!出会え出会え!」
鳶七達の姿を見咎めた侍女が、薙刀の切っ先を向けながら叫んだ。
鳶七は歯ぎしりしながら、離れの間の様子をじっと観察した。手前右と、左手の奥から、薙刀を携えた侍女が新たに複数飛び出して来る。つまり、動きがない左手前の部屋が――。
そこまで考えた鳶七の目に、右手奥から飛び出して来た三つの人影――明らかに成人男性のそれ――が入った瞬間、彼は暗殺の成功率が大幅に低下した事を悟った。
「あんのクソ坊主がっ!お前ら、侍の相手をしろ!一対一に持ち込め!残りは俺に続けぇ!」
三人を侍に向かわせ、自身は二人を連れて侍女達に斬りかかる。大声を上げ、刀を振り回せば怯むという予想は外れ、侍女達はこちらを見据えながら薙刀の切っ先を突き出して来る。完全に手詰まりだ。
「お頭ぁ、どうすりゃいいんです⁉このままじゃあ…!」
手下の悲壮な声色に苛立った鳶七は、その襟をひっつかむと、侍女達に向かって力任せに投げた。
「うぎゃあああああ⁉」
「きゃあああああ!」
鳶七の行動を読み切れなかった侍女達が、陣形を崩す。
その隙を見逃す事なく、鳶七は縁側を駆け上がり、目当ての部屋の障子を蹴破った。
「女どもを足止めしとけ。」
唯一残った手下に言い残して、部屋に踏み込むと、年端も行かない少女が寝間着姿で短刀を握りしめ、こちらを窺っていた。
「てこずらせてくれたなあ、姫さんよぉ。まあ、運が悪かったと思って死んでくれや。」
怒りに震える手で刀を振り上げると、少女は短刀の切っ先をこちらに向けた。
気に入らない。何もかもが。鳶七は一層強く奥歯を嚙み締めた。
渇魂党は言うなれば落伍者の集まりだ。欠落した農民、軍規を犯した足軽、里から逃げ出した乱破。
北条はそんな自分達の居場所を奪った。
目の前の少女はその北条の娘に産まれたというだけで、食にも寝床にも事欠かない暮らしを保証されている。
何より気に食わないのは――自身に生命の危機が迫っているこの期に及んでなお、こちらをにらんで離さない、その目だ。
「…クソが。クソクソクソクソクソッ!泣け!喚けよ!箱入りのボンボンがよォ~~~~~ッ‼」
振り下ろした刀が短刀に弾かれる、鈍い音が響き渡った。
お読みいただきありがとうございました。




