#057 いざ、早雲寺
今回もよろしくお願い致します。
若干生理現象に関する記述がありますのでご注意ください。
念のため。
天文23年(西暦1554年)4月上旬 小田原
私は今輿に乗り、小田原城を出て西へと向かう、長い長い行列の中にいる。
今川に嫁ぐため――ではない。今は亡き兄上――天用院殿にお別れの挨拶をするためだ。
年明け以降、輿入れの準備は本格化しつつあった。
身辺整理や駿河まで着いて来てくれる侍女の最終確認など、やる事は色々あったが、中でも印象に残ったのは、外郎屋との書状のやり取りだった。
これまで外郎屋には散々お世話になったが、さすがに駿河に嫁いだらいつものお菓子を月一でもらう事は出来なくなる。そこでこれまでの件についてお礼を述べつつ、それに見合ったお返しが出来ていない事を謝る内容の書状を送ったのだが、外郎屋からの返事には、お返しは十分いただいている、私が輿入れしてからも日持ちする甘味を贈るので、何か入り用の際は外郎屋を頼ってほしい、といった内容の事が書かれていた。
超高級和菓子に見合ったお返しをした覚えが無かった私が、書状を出す前と貰った後に毎回内容をチェックしてもらっている凛姉様に相談した所、
「結、知らなかったの?あなたが外郎屋の練り菓子を、南蛮菓子の『かすていら』より美味だと評したという風聞、関東はおろか東海道にまで知れ渡っているそうよ。お陰で外郎屋の評判は高まる一方。店子の間では結姫様様だと持て囃されていると専らの噂だわ。」
とんでもない情報が飛び込んできた。
なにそれこわい。父上に何となく言った事が、巡り巡ってお店の売上まで左右しちゃうの?今度からもっと慎重に発言しなきゃ。
「それに外郎屋としても、こたびの祝言は駿河の商いに食い込む好機だもの。向こうでは今川お抱えの友野屋が幅を利かせているそうだから、これを機に東海道にも手を広げたいのではないかしら。上手くいけば、あなたに贈った練り菓子とは比べ物にならない程の銭が転がり込むのだから、外郎屋にとっても悪い取引ではないという事ね。」
外郎屋の深謀遠慮にも驚かされたが、それを見抜く凛姉様にも度肝を抜かれた。
あのー、凛姉様。あなた私の一歳上ですよね?もしかして転生者?前世は敏腕経営者だったりします?
「駿府に行ってからも、なるべく書状を出してあげなさいな。なんでも、とはいかないでしょうけれど、駿府で手に入らないものが欲しくなった折には重宝すると思うわよ。」
凛姉様のそんなアドバイスで、取り敢えずこの一件は落ち着いたのだった。
次に大きな動きがあったのは三月の初め、父上に呼び出しを受けた時の事だった。
「天用院殿の三回忌法要を、早雲寺で?」
「ああ、手の離せねえ連中を除いて、親族一同で執り行う。俺と新九郎は小田原城を離れられねえが、警護の兵を十分付ける。しっかり挨拶して来い。…これが最後になるかもしれねえからな。」
そうか、駿河に嫁いだらお墓参りも気軽には出来なくなるんだ。
当たり前の事に気付いて気持ちが沈んだ私に構わず、「それから」と父上は続けた。
「俺からの餞別だ、受け取りな。…直に渡してえ、こっちに寄れ。」
おっかなびっくり、上座ににじり寄り、頭を下げながら両手を差し出すと、何やら重くて長い物が乗せられた。
何となく見当を付けながら元の位置に戻り、頭を上げながら両手を下げると、そこにあったのは案の定、凝った装飾が施された短刀だった。
「これは…刀身を拝見してもよろしゅうございますか?」
「おう、分かってんじゃねえか。うっかり斬らねえよう気い付けろよ。」
父上の許しを得て抜き放ち、刀身を検分する。刃こぼれ一つ無い、綺麗な刀身。刃文が波打っているから、乱刃にカテゴライズされるはずだ。
逆に言うと私に分かるのはそれくらいで、こないだの宴会で刀の自慢話をしていた親戚のおじさんみたいに、拵がどうだ、鍔がどうだ、みたいな事は分からない。
しかし、父上の恐ろしい意図を察する事は出来た。まさか斎藤道三と濃姫のエピソードを、身をもって体験する事になろうとは…。
「委細承知致しました。父上。」
短刀を鞘に納めながら、私は緊張を押し殺して言った。
「今川の嫡男殿がうつけであれば、これで刺せ――そう、仰せなのですね。」
「おめえは一体何を言ってやがんだ。」
あれ?
視線を短刀から父上に向けると、呆れた顔がこっちを向いていた。
「おめえは妙に大人びてると思やあ、時々突拍子もねえ事を言いやがるな。嫁入りの餞別だっつってんだろうが。普段稽古で使ってる短刀の見た目がちいっと野暮ったかったんでな、腕利きの刀鍛冶に作らせた。取り敢えず、早雲寺に行く時持って行け。」
またやらかした…。
顔が火照るのを隠そうと無駄な足搔きをしていると、部屋の外から「殿。」と声がかけられた。
「ご歓談中の所、ご無礼仕ります。風魔小太郎殿がお目通りを願っておいでです。」
「分かった。結、他に聞きてえ事はねえな?」
一刻も早く部屋に戻りたかった私は、短刀を握りしめて深々と頭を下げた。
「それならいい。…早雲寺までの道は輿入れの折にも通る。今の内に慣れとけよ。」
下がって良し。
父上の言葉を合図に私は立ち上がり、後からやって来た人とすれ違うように部屋を後にしたのだった。
あれから一か月。
天候はやや曇り。
母上と私達兄弟姉妹を中心とした行列は、小田原城から見て西の箱根に建てられた北条の菩提寺、早雲寺に向かう――途中で休憩を取っている。
いや、これで何度目?
朝食を取ってから母上や私達姉妹、それに乙千代丸殿は輿に、藤菊丸兄者は馬に乗り、侍女や近習、護衛と共に小田原城の大手門をくぐって、城下町の外れ辺りに来た――所で、母上が疲れを訴えたため、休憩。しばらく休憩した後、出発。
と思いきや、左手に川――早川というらしい――が流れる田んぼのど真ん中でまたも休憩。またしばらく休憩した後、出発。
今度は箱根路の入り口にそびえ立つ笠懸山の麓に差し掛かった辺りでまた休憩。
正直、母上の体調が心配になってくるレベルだけど、輿を降りて遠目で見る限り、特に体調が悪いようには見えない。
思い切って侍女頭のお梅に聞いてみた所、辺りを見回してから、小声で教えてくれた。
「恐れながら、御前様の格別のお心配りとお見受けします。」
「母上のお心配り?」
「こたびの行列、なにぶん小荷駄も多く、輿に歩調を合わせねばなりませぬゆえ、ご兄弟の皆様が小用を足したくなる折もございましょう。されど、さような事を自ずから言い出されるは、難しいかと存じます。」
そうか、それでちょくちょく休みを取って、私達がトイレ休憩を取りやすくしてくれていたのか。
かく言う私も、二回目の時はちょうど尿道が怪しかったタイミングだったので助かった。
「さらに申し上げれば、輿の担ぎ手も、わたくし共側付きや近習も徒歩にてございます。疲れた、などとは申しませぬが、俄か事のありし時には走ってご一同をお守りせねばなりませぬ。そのような折に備えて、小刻みに休みを取っておられるものと推察致します。」
一月前の父上とのやり取りに続いて、私は顔から火が出そうな感覚を覚えた。
輿に担がれて運ばれるのが当たり前だと思っていて、トイレの事とか、運んでくれている人達の疲労の事とか、全然考えていなかった。母上は私達や家臣達の事も考えて行動していたんだ。
感心してばかりもいられない。今川に嫁いだら、今度は私も周囲の人の言動に配慮して動けるようにならないといけないんだ。
私の心中を見透かしたように、お梅が続けた。
「姫様、さように気負われる事はございません。御前様も、大殿(氏康)の母君の薫陶を受けてお育ちになられました。姫様も輿入れなさってから、今川の作法を身に着けられればよろしいかと存じます。」
「…そうね。ありがとう、お梅。危うく母上のご高配を見誤る所だったわ。」
「もったいないお言葉にございます。」
しばらくして、行列は再び出発し、今度はノンストップで箱根路を進んだ。
目的地である早雲寺に着いたのは――あれだけ休憩を挟んだにもかかわらず――お昼を少し過ぎた頃だった。
私が母上の差配にますます感心した事は言うまでも無い。
お読みいただきありがとうございました。




