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#055 ロイヤルファミリー七転八倒

今回もよろしくお願い致します。

通常より若干長めです。

 今川義元――幼名、方菊丸。彼は北条早雲の甥にして駿河(するが)の国主、今川氏親(いまがわうじちか)の四男坊として生を受けた。

 だがこの時、彼が今川の家督を継ぐ事を予見出来た者はいなかった。なぜなら、氏親と正室、寿桂(じゅけい)との間に、すでに二人の男子が産まれていたからだ。長兄の竜王丸――後の氏輝(うじてる)と、その弟、彦五郎である。

 氏親は今川の血筋を守るため、庶流の方菊丸を早々に出家させ、栴岳承芳(せんがくしょうほう)の法名を名乗らせた。

 何事も無ければ、栴岳承芳は父に招かれた名僧、太原雪斎(たいげんせっさい)の指南の下で修行に励み、仏門で一生を終えるはずだった。

 何事も無ければ。

 天文5年、春。

 亡き父に代わって家督を継いだ氏輝と、その弟彦五郎が相次いでこの世を去った。後継者候補としてにわかに注目を集めたのが、栴岳承芳と、同様に出家していた兄、玄広恵探(げんこうえたん)だった。

 氏輝に代わって次期当主の擁立を主導した寿桂は、栴岳承芳の還俗(げんぞく)――出家から元の身分に戻る事――と今川の家督相続に動いたが、玄広恵探とその母方の実家、福島(くしま)一門が反発し、挙兵。駿河一帯を巻き込む内乱に発展した。

 今川家中随一の勢力を誇る福島らの威勢に、栴岳承芳の一派は苦戦したものの、先代北条家当主、氏綱(うじつな)が加勢した事で形勢は逆転。玄広恵探の自害と福島一門の壊滅をもって、内乱は終結した。晴れて栴岳承芳は還俗、公方様から偏諱(へんき)を賜り、新当主今川五郎義元となる。

 家督相続に尽力した北条との関係も良好――と思われた矢先、両家の間に亀裂が走る。長年に渡って今川、北条と敵対して来た武田家から、義元が正室を迎えたのだ。

 これを裏切りと捉えた氏綱は駿河国東部、河東(かとう)を占領。今川と北条はこの地を巡り、長年に渡る抗争を続けるに至る。

 しかし、結局北条は河東の返還を条件に今川と和睦した。扇谷(おうぎがやつ)上杉と山内(やまのうち)上杉が率いる軍勢により、武蔵国(むさしのくに)の要衝、河越城が落城寸前に追い込まれていたからだ。

 かくして義元は駿河一国の平定を達成する。

 統治を確立した遠江(とおとうみ)に加えて、三河(みかわ)への経略を本格化させた義元が次なる問題に直面したのは、今から数年前。武田から迎えた正室の死去に伴う、後継者問題だった。義元は側室を持っておらず、正室の間に産まれた男子は一人しかいなかったのだ。

 それが当代の竜王丸。同盟の証として北条から正室を迎える、今川家唯一の後継候補である。




「寿桂様はなにゆえ、治部大輔殿をお立てになられたのでしょう。」


 父上の長い昔語りがひと段落すると、考え込んでいた新九郎兄者がポツリと言った。


「恵探殿を(ないがし)ろにすれば、福島一門を敵に回す事は目に見えていたはず。なにゆえ年長の恵探殿を立て、争いを避けようとなさらなかったのでしょうか。」

「一理あるな。だが、まだ読みが足りねえ。」


 兄者の疑問に、父上はニヒルな笑顔で応えた。


「治部大輔殿の母君はやんごとなき血筋のお方だって話だが、武威は福島に遠く及ばねえ。確かに恵探殿を立てりゃ、争いは避けられただろうよ。当面は、な。」

「当面は…?」

「恵探殿が家督を継ぎゃあ、駿河で福島一門に刃向かえる奴はいなくなる。見方によっちゃあ、名門今川が福島に乗っ取られる、と言えねえ事もねえ。」


 下克上(げこくじょう)――その三文字が私の脳裏をよぎった。


「事と次第によりゃあ、公方様が恵探殿をお認めにならず、追討令をお出しになるかもしれねえ。そうなりゃ、北条や武田が駿河に攻め入る事になってたかもな。」


 結局、義元の家督継承が最も妥当な選択肢だった――暗にそう言われて、兄者は憮然とした表情で引き下がった。

 次に口を開いたのは藤菊丸兄者だった。


「お祖父(じい)様…先代様が恵探殿ではなく治部大輔殿に加勢したのは、母上を…つまり、寿桂様の姫君をお迎えしていたがゆえの事にございましょうか。」


 ん、ん?

 言ってる事に間違いは無いはずなのに、こんがらがって来たぞ?

 姻戚関係が入り組んでてややこしいが、氏綱(お祖父様)が義元側に肩入れしたのは、寿桂様の娘(母上)が氏康(父上)に嫁いでいたから――という事で良いはずだ。

 多分。


「…ああ、そうなるな。逆に言やあ、恵探殿に肩入れする名分はさして無かったってこった。」

「されど、そこまで力を尽くした北条を蔑ろにして武田と縁を結ぶとは。今川はなにゆえ…。」

「恵探殿との内輪揉めで駿河はガタガタだったからな。武田に攻め入られねえよう、早い内から縁組を進めてたんじゃねえか?北条に断りが無かったのは…未だに俺も得心が行ってねえが。」


 藤菊丸兄者が一応納得した、という顔付きで何度も頷く。残る問題は…。


「さて、ようやく本題だ。なにゆえ治部大輔殿には側室が無く、次期当主殿に兄弟がいねえのか、だったな。武田から嫁いで来た奥方が亡くなるまで、十年あまりの年月(としつき)があったってのに、だ。」


 父上の視線に、私はコクコクとせわしなく頷いた。


「詰まる所、深謀遠慮が裏目に出たってこった。」


 あまりにも要点をまとめすぎた説明に内心ズッコケていると、父上はもう少し噛み砕いて説明してくれた。

 義元と恵探が争う羽目になったのは、二人がともに庶流、しかも腹違いの兄弟だったからだ。自身の後継を巡って同様の争いが起きる事を恐れた義元は、正室以外の女性と子を成す事を徹底して避けた。

 正室も義元の意を汲んではいたのだが、巡り合わせが悪かったのか、二人の間に産まれた子は男子一人と妹二人。しかも長女は母親に先立ってこの世を去ってしまい、次女は昨年武田の御曹司(おんぞうし)に輿入れした。

 つまり現状、義元に何かあった際に今川家を引き継げるのは、元服したばかりの嫡男、竜王丸殿しかいないのだ。

 今川というブランドを守りつつ、跡目争いの芽をあらかじめ摘んでおくという深謀遠慮が、かえって後継者不足という事態を招くという、皮肉な結末をもたらした。

 父上が言いたいのはそういう事だ。


「駿河に行った太助丸も、随分目をかけてもらってるって話だ。存外、いずれは一門衆並みの扱いで、若君の支えにしてやりてえって親心かもしれねえな。」


 太助丸兄者が、今川の有力家臣に?

 思わず息を呑んだのは、私だけじゃなかった。


「よろしいのですか父上!太助丸が今川の家中に取り込まれるなど――。」

「ギャアギャア騒ぐな。嫡男ならどっしり構えてろ。…太助丸が北条に戻るにしろ、今川に留まるにしろ、まだ先のこった。」


 当人の心中も確かめねえとな。

 私には、父上がそう付け加えたように思えた。


「他に聞きてえ事はねえか?…ご苦労、席に戻りな。」


 父上の許しを得て、三々五々、自分の席に戻って行く。

 私が席に戻ると、隣の凛姉様に肩を叩かれた。


「今川の若君が頼りがいの無い方かもしれないだなんて…真であれば、結はどうするの?わたくしの嫁ぎ先がそんな有り様だったら、いっそ乗っ取って北条の領国にしてしまおうかしら。その方が(たみ)も喜ぶに違いないわ。」


 目立ちたがりというか、野心的な凛姉様の発言に苦笑していると、さらに向こう――蘭姉様も割って入って来た。


「何を不埒(ふらち)な事を。一度嫁げば嫁ぎ先の妻、母として振る舞うのが当然でしょう。頼りがいがあろうとなかろうと、一心不乱に盛り立てるべきだわ。」


 ああ、また始まった。小声で口論を始めた二人からさり気なく距離を取る。

 でも、あと半年ちょっとでこのノリともお別れなんだなあ…。

 二人への返しに困るやら、お馴染みの展開にさみしさを覚えるやらで私が黙っていると、さすがに二人とも学習したのか、菜々姉様に裁きを委ねた。


「菜々姉様、いかが思われますか。」

「嫁ぎ先でも北条の姫として振る舞うべきかしら。それとも嫁ぎ先に尽くすべきかしら。」


 菜々姉様を見やると、ちょうど湯吞に口を付けた所だった。のんびりと白湯をすすり、ほうっと息をつく。


「菜々姉様?」

「残念だけれど、私には何とも言えないわ。私に出来る事は、これと定められた殿方を信じてついていく事だけだもの。」


 相変わらずの微笑からにじみ出る覚悟の重さに圧倒される。

 断言出来る、ローティーンが出していい気迫じゃない。


「一つ言える事があるとすれば…皆、どこに行っても、この小田原で過ごした日々を忘れないで。それさえ出来れば、どんな困難もきっと乗り越えられるはずだから。」


 菜々姉様の言葉を反芻するように、私達は黙って食事を再開した。

 (えん)もたけなわ。広間の中央では、酔いが回った親戚の宴会芸が始まろうとしていた。

お読みいただきありがとうございました。

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