#054 プリンス・オブ・イマガワ
今回もよろしくお願い致します。
兄上の諱問題が一件落着した所で、父上はようやく本題に入った。
「さっき申し付けた通り、結の輿入れは来年の夏、七月と決まった。支度に手抜かりのねえよう、用心しろ。」
「かしこまりました。」
いよいよ具体的な日取りが決まって来た事に緊張を覚えながら、言葉少なに頭を下げる。前世ではついに出来なかった結婚だ。
残念ながら恋愛というステップを踏む事は出来なかったが、転生先がパラレル戦国時代ならやむをえまい。よくよく思い出してみれば、前世で目にした悪役令嬢ものでも、親に決められた婚約を破棄して庶民の娘に乗り換えた王子様が酷い目にあって後悔する、みたいな展開が主流になってた気がするし。
…でもやっぱり気になるな。私の旦那様になる人はどんな方なんだろう?
「恐れながら父上、お伺いしてもよろしゅうございますか。」
「何だ。」
「この期に及んで輿入れに異議を申し立てる積もりは毛頭ございません。されど、今川の若君がいかなる御仁か、せめて父上の口からお聞かせ願えませんでしょうか。」
慎重に言葉を選びながらお願いすると、父上は片手であごひげを撫でつつ、もう片方の手に持った扇子で膝を叩きながら――考え込んでいる時の父上の癖だ――おもむろに口を開いた。
「俺も直に会った事は無え。駿府から来た今川の家中やお公家さん、それに外郎屋からの又聞きだ。それでも構わねえってんなら聞かせてやる。」
「かたじけのうございます。」
思いのほか要求がすんなり通った事に拍子抜けしていると、父上は引き続きあごひげを撫でながら、記憶を探るように視線を虚空に向けた。
「…年の頃は十六。元服してりゃあ『五郎』の仮名を継いでるはずだ。小鳥や犬猫を愛でる心優しい若君だってのがまず一つ。それと、兵法書を読めば一度で大略を解し、新当流剣術を学べば三日で修める、文武に秀でた麒麟児だとよ。」
何そのウルトラハイパー高スペック男子。強く、優しく、賢いの三拍子揃った、超優良物件じゃん。
後は顔が良ければ言う事無し――。
「まあ鵜吞みには出来ねえがな。」
内心大いに盛り上がっていた私に、父上は容赦なく冷水をぶっかけた。
「…と、申されますと?父上。」
「今川は武家の名門だぜ?殺生を生業にしてる家の跡継ぎが、虫も殺せねえようじゃ話にならねえ。」
うっ、確かにその通りだ。
私が野良犬や暴漢に襲われた時に、「みんなみんな生きているんだ」とか言って助けてくれないタイプだったら目も当てられない。
「一度読んだだけで兵法書の大略を解するというのも、得心が行きませぬな。」
それまで黙っていた新九郎兄者が、どこか苛立った様子で話に参加して来た。
「孫子、呉子、六韜三略…唐土の兵法書はいずれも戦の真髄に通じておりますが、なにぶん古に編まれたものゆえ、当世の戦には適さぬ箇所もございます。それをたった一度で、などと…。」
うーん、確かに新九郎兄者の言う通りだ。
「五郎殿」の経歴が盛られている前提で考えると、武芸の達人という評価も怪しい。私は女だし、まだ十歳にもなっていないから単純に比較は出来ないけど、百ちゃんの指導を受けて短刀をそこそこ扱えるようになるまで随分かかった。なのに、その…新当流?剣術をたった三日でマスターできちゃうものなんだろうか?
「まあ、治部大輔(義元)殿が目こぼししててもおかしくはねえ。何せたった一人の嫡男だからな。厳しく躾けられなかったとしても、不思議じゃねえ。」
「たった一人?今川の若君に、ご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
ウチは腹違いを含めて、こーんなに大勢兄弟姉妹がいるのに。
そんな意味を込めた私の発言に、返事は返って来なかった。父上や兄上の沈黙で、広間の喧騒がやけに大きく聞こえる。菜々姉様は相変わらずニコニコしているがやはり唇を閉じたまま。蘭姉様と凛姉様は、私を見たり父上を見たりと落ち着かない。
これはもしかして、久し振りにアレが来ちゃった感じだろうか。
私、また何かやっちゃいましたか――が!もちろんダメな方向で!
「…孫九郎。藤菊丸と乙千代丸を呼べ。」
長い沈黙を経て、父上が孫九郎殿に指示を飛ばした。
孫九郎殿の呼び出しに応えて、二人が――乙千代丸殿は私の二つ下なので侍女同伴で――やって来る。
菜々姉様以下、私達姉妹は座ったまま少し横にずれ、右端から乙千代丸殿、藤菊丸兄者、菜々姉様、蘭姉様、凛姉様、私の順で、新九郎兄者の前に座り直す。
「いい機会だからお前らに話しておく。治部大輔殿が抱えた因縁についてな。これから先、本人やご使者と面談する機会が無えとも限らねえ。今川の面目を潰す事の無えよう、心して聞きやがれ。」
新九郎兄者以下、私達が手早く居住まいを正すと、父上は語り始めた。
今川義元がどうあがいても克服出来ない、その出自について。
そして、今川が名門であるがゆえに抱え込んでいる、強烈なジレンマについて。
お読みいただきありがとうございました。