#048 塩対応
今回もよろしくお願い致します。
「姫様。どこか体の具合でも悪うございますか?」
「え?い、いいえ。そんな事は無いわ…。」
不安気な百ちゃんの声に、我に返った私は、疲労を隠し切れていない事を自覚しながら、そう返した。
ここは奥の間の庭、私達が護身術の稽古に使っているスペースだ。
珠算の授業が終わった後、私は一旦奥の間に戻り、日課の城内一周ウォーキングに出発した。距離的にはとっくに慣れた道のりだったが、道中しきりにため息をついてしまったため、心配されてしまったようだ。
「…本日は短刀の稽古はお休みください。」
「え…でも。」
「お心の定まらぬまま、短刀を振るうはあまりに危のうございます。…お梅様。」
少し離れた所で、侍女達に交じって両袖をたくし上げ、髪を後ろで結び、薙刀の稽古に備えていた中年侍女――お梅が、百ちゃんの呼びかけに気付いて私達の方へやって来た。
「いかがしました?百。」
「姫様のお心が優れぬご様子。本日の稽古はお休みいただいた方がよろしいかと…。」
「…分かりました。姫様の話し相手はわたくしが務めます。あなたは皆の稽古を見ておあげなさい。」
「かしこまりました。」
百ちゃんの進言はあっさり受け入れられ、今日の私は見学という事になった。
先生に噓をついて体育の授業をズル休みしたような気分だったが、普段から武器の扱いにうるさい百ちゃんが言うのであれば、仕方ないとも思えた。
「姫様、こちらへ。」
稽古姿を解きながら入室を促すお梅に従って、私は縁石を登った。
本格的な夏にはほど遠いが、温かい日差しの下から薄暗い部屋に入ると、少し肌寒く感じる。城内一周ウォーキングを終えた後だから尚更だ。
私が上座に腰掛けて稽古の支度を解いている間に、お梅は座る間も無く一旦部屋を出て、湯吞が二つ乗ったお盆を持って戻って来た。
「白湯をお召し上がりください。何か気掛かりにございますれば、この梅に何なりとお申し付けくださいませ。微力ながらお力添え致します。」
お梅はそう言いながら、湯吞の一方を私の前に置いた。早速湯吞を手に取ると、程良い温度の白湯で喉を潤す。
「…今日の珠算の講義の終り頃に、勘定方のお方に言ってしまったの。北条の優れた手立てを取り入れれば、今川もより栄えるのではないかしら、と。」
「それは…。」
「諫められてしまったわ。家には家の、それぞれのやり方というものがある。ご実家のやり方を殊更に言い立てては、嫁ぎ先の機嫌を損ねる事になる、と…。」
ちょっと考えれば分かる事だ。嫁に「実家ではこうだった」だの、「未だにそんな事してるなんて遅れてますね」だの言われたら、大抵の人は不愉快に思うだろう。それが合理的であろうがなかろうが、同じ事だ。
久々に転生者っぽい事が出来て浮かれた結果、言わなくても良い事を言ってしまった。調子に乗っていただけに、冷水を浴びせかけられたショックも大きかった、そういう事だ。
「…憚りながら、お梅の昔語りをお聞きいただきとうございます。」
庭から聞こえて来る素振りの音と掛け声をBGMに黙りこくっていると、どこか覚悟を決めたような表情でお梅が口を開いた。
「もう十五年も前になりましょうか。わたくしは御前様が今川より嫁いで来られた折、側付きの末席に加わりました。御前様はかの時分より気品がおありで、心穏やかなお方と、そうお見受け致しました。」
やっぱり母上は昔から凄かったんだ。
「されど、どうにも気掛かりな事が。しきりにお水を所望され、厠に立つ事、日に幾度も…。何やら病をお抱えではないかと疑ったわたくしは、ある時御前様にお伺いを立てたのでございます。何かお悩みの仕儀はございませんか、と。」
初めて聞く母上のエピソードに、私は若干緊張しながら続きを待った。
もしかして、母上の不調にお梅だけが気付いて命を救ったとか、そういう話だろうか。
「御前様は仰いました。家中の皆様の心配りのお陰で、何一つ不自由する事は無い。ただ朝餉と夕餉の塩気が強く、甚だ喉が乾く――と。」
んん?つまりあれか?今川で食べてた料理より北条の料理がしょっぱいって事?
事態の深刻さをつかみ損ねた私に、お梅が補足説明をしてくれた。
今川は公方様との縁も深く、京のお公家様方と膳を同じくする機会も多い。必然的に日々の食事も、味噌や醬油を極力使わないものになる。
一方北条は初代早雲様以来坂東の食文化にどっぷりだった。さすがに京から下って来たお公家様に味噌たっぷりの料理を出したりはしないが、普段の献立は自然と塩分が多くなる。
そのギャップが母上を苦しめていたのだ。
「お梅はその事を父上に?」
「いいえ、わたくしは側付きの中でも末席にございましたし、何より御前様に固く口止めされておりましたから。」
「母上が?」
「御前様が嫁がれて間も無く、今川では家督争いが起こり、終わったと思えば次は河東を巡り北条と戦に…。我儘を言える身の上では無いと、ご自身を厳しく律しておられたのでございましょう。」
どんな苦労もへっちゃら、と言わんばかりのあの微笑の陰に、そんなエピソードがあったとは。私は母上の知られざる一面に驚嘆すると同時に、ある事に思い至った。
「では、母上は今も塩気の強さに耐えながら日々を送っているという事?それはあまりに酷だわ。何とかお助けする術は…。」
「いえ姫様、ご心配には及びません。」
慌てて立ち上がろうとする私を制して、お梅が言った。
「今は亡き新九郎様を身籠られた時分からでございましょうか、御前様は塩気の強いものを進んで召し上がるようになられまして…今では日々の膳に何らご不満は無いものとお見受け致します。」
んっだよもぉぉーーーーー!!
心配して損した!
「わたくしが申し上げたき儀とは、つまり、その…。」
私が苛立ち半分、安心半分でクソデカため息をつくと、お梅は自分の考えを整理するように言いよどんだ。
「いかに北条と今川の血縁浅からぬと言えども、所詮は他家同士。姫様も輿入れの後、何かと不便にお思いになる事もございましょう。されど、わたくし共も駿府へお供致しますゆえ、お困りの際は何なりとお申し付けを。側付きとして誠心誠意お仕え申し上げます。」
「…そこまで言ってもらえるなんて、私は果報者ね。それでは早速だけど、白湯のお代わりを持って来てもらえるかしら。」
「かしこまりました。」
お梅は軽く頭を下げると、お盆に二つの湯吞を乗せて立ち上がり、部屋を出て行った。
彼女に言った事はお世辞でも何でもない、心からの本音だ。
輿入れすればゴールインだと頭のどこかで思い込んでいたけれど、よく考えれば結婚した後も、当然人生は続く。今川に嫁いだ後で、カルチャーショックに出くわさない保障はどこにもない。
けれど、お梅に百ちゃん、それにお栗。きっとみんなが手を貸してくれる。
十にもならない小娘に…。
私は上座から庭の薙刀稽古の様子を眺めながら、不意に沸き上がった嫁ぎ先への不安と、こんな私に忠節を誓ってくれる侍女達のありがたさを、交互に味わっていた。
お読みいただきありがとうございました。




