#047 過ぎたるは猶及ばざるが如し
今回もよろしくお願い致します。
天文22年(西暦1553年)春 小田原城 御殿
「お見逸れ致しました。姫様の才覚、到底我らの及ぶ所ではございません。」
私より二回りは年上の武士が、深々と腰を折り、綺麗に整えた月代を私に見せつけた。
最上級の称賛を受けた私は、高笑いしそうになる心を抑えて、微笑みの仮面を維持する事に腐心していた。
新九郎兄者がこの世を去って、一年が経った。
正月の宴席で、去年まで新九郎兄者が座っていた席に松千代丸兄者がいる事に喪失感を覚えたり、一方でそれを当然のように受け入れつつある自分に驚いたりしていたのも束の間。松千代丸兄者の元服が近付く事は武田家からの輿入れも近付く事に他ならず、私の「お勉強」は質、量ともに変化していった。
今年から新しく加わったカリキュラムの一つは珠算、つまり算盤を使った計算の授業だった。どうして花嫁修業に数学の技能が必要になるかというと、武家の妻も少なからず領地の経営に参加する必要があるから、なのだそうだ。
嫁ぎ先の家が私の生活費の基盤となる土地を融通してくれる予定だが、担当者を立てるにせよ自分で管理するにせよ、年貢が土地の出来高相応に納められたのか、家臣に分配する量は適切か、諸々の経費を差し引いて残った分に過不足は無いか、最低限それくらいは自力で判断出来なければならないとの事だ。前世、親戚にもらったお年玉や国から支給されたお金を毒親の遊興費に流用された私にとっては、思い当たる節があり過ぎた。
珠算の教室は御殿の一室、奥の間を出るという事で部屋の周りを侍女や警護の侍が固め、持ち回りで講師を務めるのは父上の下で勘定方を務める文系の家臣達だった。文系と言っても仕事がデスクワークというだけで、大抵はガッチリした体格の侍だったが。仕事の合間を縫って私の指導に来てくれる事に感謝しながら、私は久々に「お勉強」に本腰を入れて取り組んだ。
その結果、私に少なくとも一つのチートが備わっていた事が判明した。算数である。
私の数学スキルは義務教育に毛が生えたレベルだったのだが、それが珠算の授業でとんでもない威力を発揮した。お米やお金の計算と言っても、二次関数やら因数分解やらのレベルではない。足す、引く、かける、割るの四つを抑えていれば大体済む。
ネックがあるとすれば、数字の書き方と道具だ。
数字だが、使えるのはいわゆるアラビア数字ではなく、漢数字だ。つまり「せんごひゃくはちじゅうに」をアラビア数字で表記すれば「1582」で済むが、漢数字だと「壱千五百八拾弐」になってしまう。非常に手間だが、他に使える文字が無い以上、これを使う他無い。
次に道具だ。ここは戦国時代。よって鉛筆や消しゴム、電卓などといったものは存在せず、筆と算盤を使うしか無い。つまり書いている途中で間違えたら、紙一枚丸ごと無駄になってしまうのだ。
こうした事態を避けるために、私は必死で算盤の扱いを学んだ。二か月かけて習熟した結果、相当早いペースで計算が出来るようになったのだ。
「姫様の算術にいささかの狂いも無き事、感服致します。この分では、お持ちした台帳も早晩使い切ってしまわれるでしょう。」
今日の講師役の武士が、文机の向こうで頭を上げながら言った。
台帳というのは、小田原城の書庫に保管されていた領国に関する台帳だ。何年も前に作成されたもので、所有者が変わったり、田畑の線引きが変わったりして現状に即していない部分を、父上の許可を得て使わせてもらっている。
どこそこ村の石高はこれだけある、納められる年貢を求めよ。ただしこの村は先だって軍役を負担したため、年貢を一部減免するものとする――こんな感じだ。
「いいえ、家中の皆様が営々と積み重ねて来られた、そのお陰です。」
照れ隠しとお世辞を込めつつ、半分以上本音で私は言った。
「太閤検地」ほど正確では無さそうだが、領国内のどこにどれだけの田畑があるか、家中の誰がどれだけの土地を所有しているのか、台帳を見ればかなり正確に把握出来るように思えた。
やはりパラレル戦国時代。豊臣秀吉を差し置いて、こんなに先進的な取り組みをしている大名が存在する訳が無い。私が嫁ぐ今川だって同様のはずだ。
久々の褒め言葉に浮き立つ気持ちに任せて、私は言った。
「北条の優れた手立てを取り入れれば、今川もより栄えるのではないかしら。」
「姫様。」
鋭い口調に講師役の武士を見ると、さっきまでのにこやかな表情を引っ込めて私をにらんでいた。
「恐れながら、さような事を軽々しく口になさらぬ方がよろしいかと存じます。」
どうやらチート転生者のお約束の一つ、「オレ、またなんかやっちゃいましたか?」を発動してしまったらしい。
厳しいお言葉を覚悟した私は、そっと居住まいを正し、衝撃に備えるのだった。
お読みいただきありがとうございました。




