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#046 裏切りの報酬

今回もよろしくお願い致します。

天文21年(西暦1552年)冬 駿府(すんぷ)館 謁見の間


源五(げんご)。もっと堂々としとれ。」


 尾張(おわり)鳴海(なるみ)城の主、山口教継(やまぐちのりつぐ)は、背後でせわしなく体を揺する息子、源五郎(げんごろう)教吉(のりよし)をたしなめた。


「も、申し訳ございませぬ、父上。駿河(するが)太守(たいしゅ)様の威勢、相当なものと聞き及んでおりましたが、これほどまでとは思いもよらず…。」

「ふっふっふっ、そうであろう。いち早く馳せ参じたわしの見極めに、間違いは無かったという事じゃ。」


 教継は今年の春、かつての主がこの世を去ってから、今日に至るまでの道のりを思い返し、唇をゆがめた。

 教継は元々、織田(おだ)備後守(びんごのかみ)信秀(のぶひで)の重臣だった。三河(みかわ)との境に築かれた鳴海城に居を構え、今川との戦では常に先鋒を務めて来た。

 だが信秀が流行病(はやりやまい)に倒れた時、教継は風向きが変わった事を確信した。

 ケチのつき始めは5年前の稲葉山攻めだ。守護代に追われて尾張に逃げ込んで来た美濃の守護を担ぎ上げ、大軍を率いて美濃に攻め込んだは良いが、結果は散々だった。挙句尾張国内の親戚に見限られ、かつての勢いは見る影も無い。

 信秀がこの世を去った以上、織田家への義理立ては最早不要――そう踏んだからこそ、古い伝手を頼って駿府に密書を送り、今川勢を引き入れたのだ。

 万一信秀の息子、信長が、鳴海城を落とす程の器量の持ち主であれば、土を舐めてでも許しを請い、再度傘下に入るのもやぶさかでは無かった。だが信長が動員できた兵数は自身の城を落とすには余りにも少なく、激しい乱戦にはなったものの、どちらか一方が明白な勝利を収めた訳では無かった。

 より正確に言えば、信長は鳴海城を取り返せなかった。つまり負けたのである。

 時は乱世、頼りがいの無い主に忠節を尽くす義理は無し――織田と今川を天秤に掛け、より強い方に着いた自身の選択に、教継は絶対の自信を持っていた。


「太守様のおなーりーっ。」


 待ち望んだ呼び声に、教継は素早く平伏した。教吉も続く。

 軽い足音が複数、謁見の間に入り、上座で止まる。


「双方、(おもて)を上げよ。」


 公家(くげ)めいた甲高い声に、教継は小さく喉を鳴らした。

 今川の当主は先先代当主の庶子、しかも一度出家した坊主上がりだと聞いている。戦慣れした我らの気迫に腰を抜かさねば良いが――。

 そんな思い上がりは、顔を上げた瞬間に消し飛んだ。

 上座の中央に腰掛けていたのは、あごひげの薄い、いかにも公家風の面立ちでありながら、武家の当主に相応しい堂々とした体格の持ち主だった。

 まるで上方から来た公家と、坂東から来た武士(もののふ)が一体となったような、そんな奇妙な印象を、教継は受けた。


山口(やまぐち)長門守(ながとのかみ)、その子源五郎に相違無いな?」


 今川家当主にして三か国を治める大大名、今川(いまがわ)治部大輔(じぶたいふ)義元(よしもと)の問い掛けに、教継は我に返った。

 よく見れば、義元の横には太刀持や近習のみならず、三人の若武者が腰掛けている。服装から見て、義元の実子か親類衆の子供だろうか。

 とっさに値踏みしつつ、教継は再び頭を下げた。


「ははーっ。太守様におかれましてはご機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じます。」

「なんの、まあ楽にせよ。かように遅くなった事、許せ。」

「もったいないお言葉。」


 やはりあの「うつけ」――信長とは格が違う。教継は織田の没落と今川の発展を確信した。


「さて、こたびのその方らの働きについて、沙汰を申し渡す。」


 ついに来た。内心の興奮を押し殺して、教継は義元の言葉を待った。

 最低でも本領安堵は確実だろう。尾張攻めの先手に任じられれば、今川の先鋒として尾張に攻め込み、新しく領地を得る事も夢ではない。

 それどころか、事と次第によっては親類衆と息子が縁組となる可能性も――。


「その方らに、切腹を申し付ける。」

「はっ?」


 思わず顔を上げると、義元は相変わらずの穏やかな表情で、こちらを見つめていた。


「は、ははは、太守様はご冗談がお上手にございまするな。」

「戯言にあらず。」


 背筋を冷たいものが伝う。

 気付けば、同席者達の目線が、汚物を見るような冷たさを帯びていた。


「な、なんとご無体な!我らは太守様に忠節を尽くさんと思えばこそ!」

「ならばなにゆえ、小豆坂(あずきざか)の折、織田に加勢したのか。」


 教継は言葉に詰まった。十年も前の事を蒸し返されるとは思ってもみなかったからだ。


「かの折には我らに加勢せず、今になって我が方に加勢しようとは、卑怯千万。もし今川が衰えれば、次は別の主に鞍替えする心積もりであろう。さような者を家中に迎える事は出来ぬ。」

「おま、おま、お待ちくだされ――。」

「問答無用。武士の面目あらば、堂々と腹を切れ。…日時と場所は追って伝える。下がるが良い。」


 明るい予想で満ちていた未来が一瞬で閉ざされた絶望に、教継は呆然とする他無かった。




「恐れながら父上、切腹は余りにも惨い仕打ちではございませぬか。」


 山口親子が覚束ない足取りで謁見の間を辞してしばらく後、義元の横に座っていた若武者の一人――嫡男の竜王丸(たつおうまる)が言った。


「切腹が惨いと申すか。されば領地召し上げ、と言う事になろうかのう。されど竜王丸よ。生きて恥を晒す事は、武士にとって死ぬより惨い事とは思わぬか。」


 義元の言葉に、竜王丸は何も答えられない。

 代わって、隣の少年――三河の国衆の(せがれ)松平(まつだいら)竹千代(たけちよ)が口を開いた。


「義を愛し、卑怯を憎む太守様の御心、感服致しましてございます。されど、太守様のご威光にすがって来た方々を切り捨てられては、今後太守様に帰服する者が現れなくなってしまうのではないでしょうか?」

「ほう、竹千代はこたびの仕置に利が無いと申すか。いや、気に障ってはおらぬぞ。むしろ愉快、まっこと愉快じゃ。」


 義元はからかうように言うと、扇子で口元を隠して少し笑った。


()く兵を用いる者は、人の兵を屈するも戦うに(あら)ざるなり…。孫子の兵法にもある通りじゃ。じゃがそれは敵兵が心の底から屈した場合の事じゃ。隙あらば主の寝首を搔こうとしている者を、安心して使う事は出来ぬ。」


 駿府館きっての本の虫として知られる竹千代は、義元の言葉を反芻するように考え込んだ。


「お主はどう見る?太助丸よ。」


 最後に義元が目を向けたのは、自身の甥に当たる少年――今年の夏に北条からやって来た、太助丸だった。

 太助丸は、山口親子が退出して行った方をじっと見ながら、ぽつりと言った。


「鳥は風が吹かねば飛べませぬ。されど、乗る風を間違えれば逆さまに飛ばされ、落ちるのみ。かの鳥も、今少し待てば良い風に乗れたのではないでしょうか。」


 一見この場とは無関係な言葉の羅列に、義元は太助丸の思慮深さを感じ取った。

 太助丸はこう言いたいのだ――山口親子の寝返りが今川の調略を受けた後だったら、どう対処していたのか、と。

 当然その場合、山口親子は切腹どころか、今川勢の先鋒として用いられた事だろう。寝返りをそそのかしておいて用が済んだら切腹では、家中はおろか日の本中の信を失う事は間違いない。

 しかし彼らは選択を誤った。今川が誘いをかけるより早く、自分から寝返りを持ち掛けて来たのだ。これをやすやすと受け入れては、家中への示しがつかない。

 それゆえ今回は、帰参した城主を切腹させるという、ある意味禁じ手を使わざるを得なかったのだ。


「竜王丸よ。竹千代と太助丸はいずれそなたを支えてくれよう。二人からしか得られぬ知見もあるゆえ、今日の事をよくよく話し合うのじゃぞ。」

「かしこまりました。父上。」


 元服、そして北条の姫との婚姻を控えた一人息子を残して、義元は謁見の間を後にした。

 雲一つない、それでいて寒々しい青空の下での一幕だった。

お読みいただきありがとうございました。

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