#042 食べる事は生きる事
今回もよろしくお願い致します。
自信満々にプレゼンした「桶狭間の戦い」を父上の真っ当な疑問でボロクソにされた私は、一晩落ち込んだものの、翌日からこれまで同様、午前は「お勉強」、午後は護身術の稽古に打ち込む日々を送っていた。
季節が秋に入る頃には、城内を自分の足で一周出来る体力が付き、短刀を長時間握っても腕が震える事はなくなった。
そこで百ちゃんに提案されたのが、実戦での立ち回りを学ぶための模擬戦だった。百ちゃんが演じる曲者に、薙刀や短刀で立ち向かう術を学ぶ段階に入ったという訳だ。
と言っても、鍛錬を始めて半年行くか行かないかの私達に、刀で武装した青年男性を倒す技量を要求するほど、百ちゃんは鬼では無かった。
求められるのはあくまでも「護身」。身を守る方法だからだ。
例えば私の場合は、屋外を歩いていて突然斬りかかられた、という想定で始まる。
そこで私が取るべき行動は、まず曲者をじっと睨み付けながら、腰帯に差した短刀を抜き、柄を両手で握って、剣先を相手に突き付ける。
そして大声で助けを呼ぶ。
間違っても目を逸らしたり、自力で倒そうと考えてはいけない、と強く念を押された。
警護の兵が駆けつける前に曲者が取る行動は二つに一つ。諦めて逃亡するか、僅かなチャンスに賭けて再び私に斬りかかって来るかだ。
前者なら曲者が視界から消えるまで、剣先を向けたまま目を離さなければ良い。
問題は後者の場合だ。曲者が斬りかかって来た場合、警護の兵が来るまで自力で凌がなくてはならない。ここからはもう半分運任せだ。
相手の腕の振り方から刀の軌道を予測し、その軌道と自分の体の間に割り込ませるように短刀を構える。予測が正しければ刀は短刀に弾かれる。もちろん間違っていればお陀仏だ。
正解だったとしても百ちゃんが振るう木刀の威力は相当なもので、数回防御しただけで手が痺れるほどだった。予測が外れても百ちゃんは寸止めで済ませてくれたが。百ちゃんの戦闘能力はからっきしだと思い込んでいたが、評価を改めた方が良さそうだ。
毎回稽古が終わると、百ちゃんは決まって私にマッサージをしながら、練習とは言え斬りかかった事を謝った。でも、それが万一の事態に備えての厳しさだと分かっていた私には、百ちゃんを責める事なんて出来なかった。
侍女達の薙刀の稽古も、同時並行で進められた。
そもそも侍女達が薙刀を携行している状態とは、私達がいる場所――居城や宿泊先が直接的な脅威に晒されている状態がほとんどだ。よって想定される事態は、主に夜、私の寝所を警護していた侍女が、侵入者を発見した、という場面から始まる。
この場合も発見者は曲者を単独で倒そうとはせず、薙刀の切っ先を相手に突き付け、大声で周囲に知らせる事になる。薙刀のリーチの長さを活かし、相手の間合いに入らないよう気を付ける。同じく薙刀を構えた侍女達が駆け付けたら、半包囲の陣形を組み、壁際に追いやる。後は駆け付けた警護の兵に引き渡してお終いだ。
みんなが難儀していたのは、私もそうだったが足元のつまづきだった。場所によっては段差があったりして、相手ばかり見ていると転倒の恐れがある。しかしいつ相手が斬りかかって来るか分からない状態で、足元をチラチラ見ている余裕は無い。
結論としては、出来れば普段から周囲の段差に目を配る事と、立ち回り中は頭の中で自分の立ち位置を思い浮かべる事が肝心、といった感じで落ち着いた。
正直恥ずかしかったのは、一連の模擬戦は全て事前に父上に許可をもらい、大勢の家臣や女官から見える所でやったという点にあった。
何しろ数十分置きに「曲者!出会え出会え!」と叫ぶものだから、人目の少ない所でやると本当に警護の兵が駆け付ける恐れがある。あくまでも稽古である事を周知するためにはこれしか無かった。
生暖かい視線に晒されながら、私達はほぼ毎日、秋空の下で叫び続けた。
天文21年(西暦1552年)冬 小田原城 奥の間
「ほいじゃあ姫様、有難く頂戴致しますだ。」
「ええ、どうぞ。私もいただくわ。」
隅っこで火鉢が燃える部屋の中、いつになく神妙な顔付きでお辞儀をするお栗に倣って、私も頭を下げた。
私達の前にはそれぞれ一枚の皿と白湯が入った湯吞が置かれており、皿の上には正方形の紙が敷かれ、外郎屋の練り菓子が乗っている。
しかし決定的に異なる点がある。私の前の皿に置かれた練り菓子は一切れ、対するお栗の皿には二切れが並んでいる。
お栗の取り分が私より多くなった理由には、今日の護身術の稽古が関係していた。
小田原に木枯らしが吹き始めた頃から、稽古の舞台は屋内に移った。寒空の下での運動で体調を崩す事を予防すると同時に、これまでとは違った想定を試す目的もあった。
戦う環境が室内に移る事で、短刀や薙刀の取り回しには注意が必要になる。柱や鴨居、障子を傷つけないように、というより、柱に刃が食い込んで抜けなくなるという事態を避けるためだ。
そんな中、月に一度のお楽しみがやって来た。言わずと知れた、外郎屋の練り菓子だ。
ところが側付きの一人が不運にも体調を崩してしまい、稽古にもおやつにも参加出来なくなってしまった。
外郎屋は毎月と同等の大きさのお菓子を贈ってくれたため、いつもと同じように切り分けると一つ余ってしまう。しかし彼女が回復するまで取っておく事は出来ない。
体調を崩した侍女を見舞った後、頭を悩ませていた私に、お栗が鼻息荒く迫り、進言した。今日の稽古で最も動きが良かった者に、二切れを与えるというのはどうだろうか、と。お栗の言葉に、侍女達は色めき立った。
そこで私と侍女頭のお梅、指南役の百ちゃんで話し合った結果、私と百ちゃんを除く全員にチャンスがあるものとし、百ちゃんと一対一で打ち合って、最も長く続いた者が二切れもらえる事になった。
結果、やはりと言うか何と言うか、権利を勝ち取ったのは言い出しっぺのお栗だった。百ちゃんに呼ばれたのは最後だったが、自分の番が来るまで部屋の隅で正座して瞑想する様子は、まるで歴戦の剣豪のようだった。百ちゃんが打ち込む木刀をことごとく受け止め、いなし、何十合目かで薙刀が真っ二つに折れるまで耐え抜いたお栗には、同席していた全員から歓声が上がった。
こうして、今日の稽古が終わった後のお供でもあったお栗は、私の部屋で練り菓子を堪能しているという訳だ。
「それにしてもお栗は強いわね。どこかで武芸の稽古を付けてもらった事でもあるの?」
「うんにゃあ、お恥ずかしいこって。食いもん探して野山で犬やら猪やらと喧嘩しとったで、腕っぷしにはちいっと自信がありますだよ。」
「へ、へぇ。」
金太郎みたいな幼少期を送っていたという新事実に軽く引きながら、私は相槌を打った。
そう言えばお栗は百ちゃんより長く私に仕えてくれてるけど、プロフィールには知らない事が多い。この機に聞いてみようか。
お栗が心底幸せそうな表情で一切れ目を飲み込んだタイミングを見計らって、水を向けてみる。
「そう、野山に。お栗の生まれは相模の山の方なの?」
「いんや、わっちは相模の生まれではねえです。」
えっ、そうなの。そう言えばやけに他の侍女と口調が違うと思っていたけど、他国の出身だから訛ってたのか。
「わっちは尾張と美濃の境にある村の生まれです。小田原には遠縁を頼って来ましただ。」
尾張、美濃って…愛知県と岐阜県って事で、良いわよね?
「随分遠くから来たのね。何か不幸でもあったの?聞いても良いかしら。」
「珍しくもねえこってす。織田と稲葉山のお殿様の戦で、村が乱暴狼藉にあっちまいまして。そんで小田原の遠縁を頼ろうって、おっ父が言い出したもんで、」
「ちょっと待って。」
私は思わずお栗の言葉を遮った。
聞き間違いでなければ、今お栗の回想に「織田」というワードが混ざっていた。これはもしかすると、この世界の織田信長について情報を得る好機かも知れない。
「なんか気にかかる所でもありましただか?」
「…いいえ、良いのよ。その、織田と稲葉山のお殿様の戦、というのが気になったものだから。お栗が知っている事をもう少し詳しく教えてもらえないかしら。」
「お安いご用ですだ。だども…。」
お栗は不安そうに自分の皿の上の練り菓子を見つめた。
「先にいただいてもよろしゅうございますか?」
「ええ、もちろんよ。ゆっくり味わって頂戴。」
私は逸る心を抑えながら、急いで自分の皿に残っていた練り菓子を口に放り込んだ。白湯をすすり、お栗が食べ終えるのを待つ。
お栗も私の様子を察してか、さほど時間をかける事無く二切れ目を飲み込んだ。
「ありゃあ確か、5年ほど前の事だったと思いますだ。」
障子の隙間から聞こえる風音をBGMに、お栗はぽつぽつと語り始めた。
お読みいただきありがとうございました。