#041 侍女が三人集まれば
今回もよろしくお願い致します。
「百~。昨日姫様にしてた按摩、私にもやってくれない?」
「お断りします、小春さん。」
こちらに背を向けて床に腹ばいになり、足をさする同僚の依頼を、百はすげなく断った。
「もぐもぐ、百はさっきからむぐむぐ、何をしとるだ?」
主を同じくする大柄な侍女、お栗が、二人から少し離れた所であぐらをかき、間食をほおばりながら言った。
「昨日鍛錬に用いた短刀と薙刀の手入れです。」
「ほー、まめだなや。だども、今日はしっかり休めっちゅう姫様の仰せじゃなかっただか?」
ここは奥の間の一室、侍女達が寝食を共にする詰所の一つである。広さこそ彼女達の主、結の個室よりも若干あるが、高価な調度品などは存在しない。
今詰めているのは、輪番表に従って休みをもらっているお栗と小春、そしてここ最近、休日返上で奔走していた事を結に心配され、半強制的に休まされた百の三人だけだ。
天気は曇り。潮の香りが混ざった湿気が、詰所の中を漂っている。
「いえ、明日から鍛錬を再開するに当たり、姫様に万一の事があってはなりませんから。」」
「あたしの足にも万一の事があったら困るでしょー。してよー、按摩。」
「どこのツボを押せば手足の疲れが取れるか、お教えしたではないですか。」
「全然違うんだってば。自分でやるのとあんたにやってもらうのとじゃ。」
三人の年齢にさほど大きな差がある訳ではない。お栗と小春が目上のように振る舞っているのは、一年と少し前に結の側付きになった百より、数か月ではあるが長く勤めているからだ。百もそれを尊重して敬語を用いてはいるが、絶対服従にはほど遠い。
「そう言えば聞いた?お菊の事。もうすぐ一人目が産まれそうだってさ。早いよねぇ。」
小春が取り上げたのは、昨年奥の間で不祥事を起こして任を解かれた後、懸想していた若武者に嫁入りした元同僚の話題だった。
「そうですか。」
「あんたを嵌めようとした女の話だよ?気にならない?」
「もう過ぎた話にございますから。」
「…あっそ。」
まかり間違えば城を追われる寸前だった、その原因を作った女にまるで関心を示さない百に、小春は唇を尖らせた。恨みを再燃させて愚痴られるより百倍良いが、反応が無さすぎるのもそれはそれで面白く無い。
「お菊もおっ母になるんだなぁ。姫様も今川に嫁いで、元気なお子をお産みになりゃあええなぁ。」
ようやく間食に一息入れて、お栗がしみじみと言った。
「あたしは姫様にご一緒させてもらおうと思ってるけど、あんた達はどうするの?」
「無論、ご一緒致します。姫様のいらっしゃる所、鎮西であろうと、唐土であろうと、天竺であろうとお供する覚悟です。」
「わっちも駿府にお供させてもらおうと思ってるだ。小田原に身寄りはねえし、姫様の側付きは、何つうかその、とにかくええ事だぁ。」
(まぁ、そうだよね。)
小春は頬杖を突きながら、二人の返事に内心大きく頷いた。
結も最初から完全無欠だった訳では無い。だが「あの」一件以来、彼女は自分達侍女の働きや暮らしに強く心を寄せるようになった。
そしてそれは口先だけの偽善では無かった。それまで侍女頭のお梅の采配に従い、休みが有ったり無かったりの気の抜けない日々を送っていたのが、輪番表が出来たお陰で勤めに出る日と出ない日が明確になり、以前よりメリハリを付けて勤めに励めるようになった。
結は休みに強くこだわり、「副長」を一人決めて、侍女頭のお梅も休めるように取り計らう徹底ぶりだった。現に、母君との面談にお梅が同行している今、結の部屋の掃除を差配しているのは副長――側付きの中で二番目に年長のお銀――だ。
また結は、些細な事に気付き、褒めてくれるようにもなった。詰所でよく話題になるのは、今日姫様にこんな事を褒めてもらった、姫様とこんな話をした、という自慢話だ。当初こそそれが元で口論になる事もあったが、最近はじゃれあいの域を出ていない。彼女が全員に等しく接しようとしてくれている事が、皆に伝わっているからだ。
極め付きは外郎屋の練り菓子だ。
小田原の城下に北条家御用達の大店があり、特別な客には極上の甘味が振舞われる。そんな噂を聞いてはいたものの、しょせん一介の侍女が口にする機会が訪れる事は一生無いものと諦めていた。それを姫様は、どんな手管を用いてか、毎月一人一切れずつ、必ず食べられるように手配してくれたのだ。
もし公方様のお屋敷勤めに招かれても、今の自分は固辞するだろう。そう思う程度には、結に入れ込んでいる自覚があった。
入れ込んでいる、などという言い方が生やさしく聞こえるとすれば、それは――
「あんたは良いの?姫様が今川の若君に抱かれても。」
内心緊張しながら、努めて何でもないような口ぶりで、百に問いかける。
これでもいくらか男と付き合った経験があり、他人の惚れた腫れたを幾つも目にして来た。それ故に、百が結に主従を超えた情を抱いているのではないかと疑ったのだが…。
「何の障りがございましょう?姫様のお子は私の子も同然。身命を賭してお守り致します。」
一切の迷いなく返された言葉に、小春は思わず苦笑した。
どうやら百の忠義は惚れた腫れたの域に収まらないらしい。
「やり方、教えてよ。」
上半身を起こした小春の言葉に、百は目を瞬いた。
「あたしも自分の得物を自分で手入れ出来る様になりたいから。その代わり、終わったら私にも按摩、してよね。」
「ん、むぐっ、わっちも、わっちもやりてぇだ!」
「ちょっと、食べながら大声出さないでよ。きったないわねえ…。」
お栗を注意する小春の姿を見て、百はほんの少し笑った。
「分かりました。ではまず、薙刀から刃を取り外す手順からお教えします。」
いつしか外では雨が降り出し、ささやかな涼風が詰所に吹き込んでいた。
お読みいただきありがとうございました。




