#004 歴史の専門用語は難しい
今回もよろしくお願い致します。
幻庵おじさんはつるっと綺麗な頭、白くて長いヒゲを伸ばしてよく「ほっほっほっ」と笑う、サンタクロースや仙人、或いは村の長老を思わせる好好爺だ。私達兄弟に甘い上、叔父という立場から父上も一定の配慮をせざるを得ない、この上なくありがたい存在である。
肩書は箱根権現別当だが、ちょくちょく軍勢を率いて合戦のヘルプに出たり、新しい城主が決まるまでのピンチヒッターをこなしたりしているらしい。才能がマルチすぎやしないだろうか。あとそもそも神職が戦闘に参加していいのか?
私の疑問をよそに、幻庵おじさんは懐から折り畳まれた紙と巻物を取り出し、私の前に広げ始めた。紙は日本地図――現代の精密なものには到底及ばない、地名と大体の位置関係が分かるレベルだ――で、巻物は人名がいくつも線で繋がっている。どうやら家系図のようだ。
「わざわざ叔父御が直に聞かせてくれるってんだ、耳かっぽじってよぉく聞きやがれ。」
「ほっほっほっ、心配せずとも結は聡い子じゃ、気になることは何でも聞けばよい。何でも答えられるとは約束できんがの。」
早速ですが父上とおじさんの温度差で風邪をひきそうです。どうすればいいですか?
聞けるわけがない。私は強張った笑顔で頷くしかなかった。
「ではまず鎌倉の執権殿が滅亡あそばされた頃から語り起こそうかの。」
おじさんは地図上の「鎌倉」と書かれた箇所を指差して言った。今私達がいる小田原と同じく相模国にあり、地図の上では目と鼻の先だ。
「時の帝に従って鎌倉殿を見限り、やがて帝とも手切れとなった足利殿は、京の室町に本陣を構え公方様となられた。」
足利…室町…室町幕府か。初代は確か足利尊氏。あと前から気になってたけど、どうもこの時代、「将軍」が「幕府」を率いるという言い方はしないようだ。
「じゃが武家の都はやはり鎌倉。この坂東を鎮護する役目として、公方様は自身のお子を据えられ、その寄騎に上杉殿を宛がわれた。いつしか鎌倉にあって関東を代々お守りする役目を鎌倉公方、お支えする役目を関東管領と呼ぶようになった。」
知らなかった。鎌倉幕府が滅亡した後、江戸時代まで関東は無法地帯みたいなイメージだったけど、「室町幕府関東支社」的な組織があったんだ。ところで…
「よりき…?」
私の呟きに幻庵おじさんは「うむ」と頷き解説してくれた。「寄騎」とは同じ主君に仕える家臣の内一方が、もう一方の指揮下に入ることを指すのだそうだ。普段は上司の指示に従うけど、土地をくれた主君じゃないから完全な家臣には当たらないって大丈夫かそれ?
「さて、鎌倉公方様も足利のご一門。都で公方様が身罷られるや、しばしば上洛の意を示して管領殿のお諌めを受けた。」
ほらやっぱりー。「オレにも将軍になる権利がある!」「お待ちくだされ、お待ちくだされ」って感じだったんでしょ?
「享徳3年、時の鎌倉公方様はついに管領殿を誅殺し、鎌倉を捨てて下総の古河に本陣を移された。」
思ったより深刻だった。仮にも部下をぶっ殺して武士の都を放り出すとか正気?
「世にいう享徳の大乱…関東は千々(ちぢ)に乱れた。都の公方様も応仁の大乱で大いに面目を失い、関東どころではなくなる。」
やっぱり無法地帯じゃないか。ここからどうやったら北条が関東に覇を唱えられるのか見当も付かない。
「長々と退屈な前置きをしてすまんのう。じゃが覚えておいてもらわぬと、本題が分かりにくうなるでな。」
申し訳なさそうに言う幻庵おじさんに、私は慌てて首を横に振った。幸いおじさんの話の端折りかたが上手いのと、ツッコミどころが多すぎるお陰で退屈はしていない。
だから父上。無言で私をにらむのは勘弁してください。居眠りとかしませんから。
…多分。
「さて、ようやく初代様のご登場じゃ。系図を見るがよい。」
おじさんに促されて家系図を覗き込む。達筆すぎる字で書かれた漢字はやっぱり解読に苦労する。しかし書き出しの部分にひときわ大きく書かれている名前が誰を示しているのかは私にも分かった。北条…早雲?
「わしの父にして当代殿の祖父、伊勢新九郎様じゃ。」
これはおじさんのボケなの?それとも戦国ならではの読み方?どっち?
お読みいただきありがとうございました。