#038 百ちゃんのスペシャルキャンプ
今回もよろしくお願い致します。
天文21年(西暦1552年)夏 小田原城 奥の間
「一!二!三!四!構え!」
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ~…。」
「姫様、腕が低うございます!もっと高く!」
「ひ、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ~…。」
おかしい。絶対におかしい。
私は北条のお姫様、イコール働かずして三食風呂付きの生活を送れる身分のはずだ。それがどうして炎天下、髪を結い上げ裾と袖をたくし上げて百ちゃんに短刀の素振りを指導されなきゃならないんだ。
短刀ってちっちゃな刀みたいな物だから軽いと思ってたら結構重い。
誰だ今川家に嫁ぐに相応しい女子になりたいとかほざいたアホは。私ですよ、知ってますよコノヤロー。
素振りをしているのは私だけじゃない。少し離れた後方で、数人の侍女達が薙刀を振っている。安全のため先端の刃を取り外し、同等の重りを括り付けた練習用だ。
ぶおん、ぶおんと重い音がするたびに、ちょっと風が来て気持ち良い。
「良し、本日はここまで!皆様、得物をお納めください。」
百ちゃんの言葉にへたり込みたくなるのを必死にこらえながら、プルプル震える腕で慎重に短刀を鞘に納める。
一度刀身を晒した状態でフラフラ歩いていたら物凄い注意を食らった。
「では姫様、行水の支度を致しますゆえ、しばしお休みくださいませ。」
先ほどまでの鬼軍曹モードとは打って変わって、静かな口調で、百ちゃんが言う。よく見ると汗一つかいていない。
私は息も絶え絶えに、頷く事しか出来なかった。
百ちゃんの短刀及び薙刀指導が始まったのは、太助丸兄者が小田原城を発った、翌日の事だった。
曰く、嫁ぎ先及び輿入れの道中で曲者に襲われないとも限らない。最低限の護身術は身に着けておいた方が良い――という事で始まったのが、この素振り練習という訳だ。
しかも午前中の「お勉強」が終わった後、一度城内を歩いて一周して、奥の間に戻って来てからのコレである。
始まってまだ一週間経つか経たないかだが、全身疲労でここ最近は毎日泥のように眠っている。
それでも何とか続けていられるのは、百ちゃんを始めとした侍女達のサポートのお陰だ。
「姫様、痛みがございましたら遠慮なくお申し付けを。」
「っふぅ~…。いいえ、心地良いわ。そのまま続けて頂戴。」
「かしこまりました。」
思わず中年みたいな声が漏れそうになるのをこらえながら、足元に跪く百ちゃんに続きを促す。
今は行水で汗を流し終え、縁側で体を拭いてもらいつつ着替え、更に手足のマッサージをしてもらっている所だ。当然私一人に百ちゃんを含め4人が付いてくれている。
さっきまで一緒に薙刀を振っていたメンバーは、侍女用の共有スペースで一緒に行水を済ませて来るとの事だ。
しかし百ちゃんのマッサージは本当に気持ちが良い。どこでこんな技術を身に着けたのか聞いてみた所、
「乱破のお役目の都合上、按摩の技を求められる事もございましたゆえ…本職の者に教えを請いました。」
と、言葉少なに教えてくれた。
本職に師事してマスター出来る百ちゃんも大概だな。
ついでに気になっていたので、どうして毎回マッサージの前に両手を複雑な形に組んで小声で何やらモニョモニョ言っているのか、聞いてみた所、
「…按摩の効き目が良くなるようにとの、呪いにございます。」
という答えが返って来た。
…見間違いでなければ一瞬目を逸らしていたけど、何だろう?
ともあれ、こうした周りのサポートのお陰で、筋肉痛を翌日に持ち越す事も無く――逆に言えばサボる口実も出来ない――ウォーキングと素振りをこなす日々を送っている。
後は練習終わりにスポーツドリンクとアイスでもあれば言う事無しだが、どっこいここは戦国時代。用意してもらえるのは白湯と梅干しだ。悔しい事にこれが結構美味しい。運動した後だから尚更、という事だろう。
「百に手ずから短刀の扱いを学べるのは有り難い事だけれど、短刀の鍛錬だけで良いのかしら。」
「太刀や薙刀の稽古をお望みにございますか?」
顔を上げた百ちゃんに、ためらいがちに頷く。
兵法に疎い私でも、短刀より刀、刀より槍、槍より弓の方が有効距離が長い事くらい分かる。だから短刀よりそうした武器の訓練をした方が良いんじゃないかと思ったんだけど…。
「恐れながら、姫様が長物をお使いになるには三つの害があるものと存じます。」
視線を私の足に戻し、マッサージを続けながら百ちゃんが言った。
あっあっそこそこ、気持ち良い~。
「一つ、姫様はまだ幼うございます。十分な背丈が整わぬ内に長物を扱うのは難しいかと。」
百ちゃんの言葉に、太刀や薙刀を構える自分を改めて想像してみる。
うーん、太刀はそもそも抜刀出来そうに無いし、薙刀は持った途端に重さに引っ張られて転びそうだ。
「二つ、長物は使わぬ時も置き場に難儀致します。短刀であれば常に腰帯に差しておけるかと。」
言われてみればそうだ。もし太刀や薙刀が使えるようになっても、部屋や輿の中で置き場所に困ったりどこかにぶつけたりしたら面倒だ。
「三つ、これはわたくしに幾度となく覚えがございますゆえ、申し上げますが…世の男は総じて筋張った女子より肌触りの良い女子に心惹かれるものにございます。武芸に打ち込むあまり、手肉刺を拵えては、殿方の不興を買うかと。」
私は思わず遠い目になった。
そうなんだよなぁ。現代日本でも学校では男女平等、女性の社会進出、とか言ってたけど、実際に社会に出てみたら全然違ったし。
戦う女性がウケるのはフィクションの中だけで、実際にモテるのはオトコに尽くすタイプなんだよなぁ。
「それゆえ、今はまず短刀の扱いを確と体に覚え込ませていただきとうございます。」
ぐうの音も出ない完全なロジックで私の希望は却下された。
まあ今のスケジュールで一杯一杯なのに、この上太刀や薙刀の訓練なんか始めた日には朝起き上がれなくなるだろう。
若干の未練を感じつつ梅干しを噛み締めていると、こちらに近付く足音が聞こえて来た。
足音の方に視線を向けると、やや年配の侍女が一人近寄って来て、少し離れた所で私に向かい膝を着いた。確か母上付きの人だ。
慌てて口の中の梅干しを――種だけ吐き出して――飲み込む。
「ご無礼仕ります。御前様よりお言付けを授かって参りました。」
「こちらこそこんな格好で御免なさい…百?」
「…はい、終わりましてございます。」
百ちゃんが微妙な間を置いて私の足から手を離すのを確認し、母上付きの侍女に向かって姿勢を正す。
「明日の手習いが終わり次第、御前様のお部屋にお越しいただきとうございます。」
「承知致しました。母上にもそのように…。」
「くれぐれも、手習い怠りなきようにと。昼より十二分にお待ちくださるとの仰せにございますゆえ。」
パパッと「お勉強」を終わらせて母上の部屋に行こうと思っていた矢先の伝言に、母上はもしかしてエスパーなのでは?などと邪推してしまった。
ともあれ、特訓に付き合ってくれているみんなには悪いけど、明日は一休み出来そうだ。母上の呼び出しという大義名分も出来た事だし、一日くらい休ませてもらおう。
この時、私はまだ知らなかった。
翌日、やっぱりウォーキングと短刀の素振りの方が良い、と思うような相手が、母上の部屋で待ち構えている事を…。
お読みいただきありがとうございました。




