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#037 ベビーベッドにさよならを

今回もよろしくお願い致します。

天文21年(西暦1552年)夏 小田原城 大手門内側


「それでは父上、行って参ります。」


 ちょっと近所にお出かけするかのような口調の太助丸兄者に、感心すべきか、心配すべきか、私は内心複雑な感情を抱えていた。

 兄者の背後には一人乗りの輿(こし)が置かれ、周囲を大勢の家臣達が取り囲んでいる。

 私達――父上に母上、兄弟姉妹勢揃いで、太助丸兄者を見送る。

 兄者はこれから独りで駿河(するが)に向かう。

 今川家当主の正室と言うには余りにも幼い私に代わり、同盟の前払い金同然に今川の保護下に入るのだ。




 新九郎兄者の葬儀が終わった翌朝、朝食を終えた私は早速行動に移った。

 お付きの侍女達に集まってもらい、これまで支えてくれた事へのお礼を言う。その上で、今川家に嫁ぐに相応しい女子(おなご)になれるよう、力を貸して欲しいと頼んだ。

 みんなの反応は予想以上に好意的だった。侍女頭のお梅と、リーダー格の百ちゃんが音頭(おんど)を取って、私の花嫁修業をサポートする計画を立ててくれると、約束してくれた。

 続いて取り掛かったのは――みんなに大見得(おおみえ)を切った直後で若干気恥ずかしかったが――父上に面会出来るよう、母上に取り次ぎを頼むことだった。

 母上は父上に私の心変わりを報告してくれているとは思うが、やはり親戚一同の真ん前で当主に食って掛かった挙句、許可なく部屋を飛び出した無礼は謝っておいた方が良いだろう。

 ただ、父上も多忙だし、面会は早くて数日後、最悪出陣して一か月くらい先になるかもしれない。なったらいいな――と思っていたら、何と自室に戻ってすぐ父上から呼び出しがかかった。

 今度という今度は二度目の人生もここでお終いかもしれない。折角覚悟を決めた矢先に、と泣きそうになりながら父上のもとに向かうと、意外な事に父上は怒っていなかった。


「嫁入り前の娘が、でけぇ声出したり、バタバタ走り回ったりするもんじゃねぇ。罰として今日より三十日の間、俺の許し無く城外へ出る事を禁ずる。」


 そもそも現在我が家は喪中のため外出禁止中だ。父上や家臣達のように、仕事上の理由で出入りしなければならない人達を除いて、城の外に出る事など出来ない。実質お咎め無しだ。

 安堵した私の次の仕事は、去年の夏の一件以来、何を気に入ったのか、毎月欠かさず例の練り菓子を一箱送ってくれる外郎(ういろう)屋へのお礼状作成だった。

 いくら先方の善意によるものだからといって、私付きの侍女達のモチベーション維持に貢献してもらっているのに、これまで何のお礼もしなかったのはよく考えれば不義理だ。

 北条家御用達(ほうじょうけごようたし)として新九郎兄者の葬儀にも貢献してくれたらしいし、ここは私に出来る精一杯のお礼をしよう。

 そう考えた私は、お礼状に私の手持ちの中で「最良」の(かんざし)を添えて、お城を出入り出来る百ちゃんに託し、外郎屋に届けてもらった。

 二日後、外郎屋から来たお返事には、私が贈った簪と同レベルの簪が二本添えられていた。

 どういう事かと戸惑いながら凛姉様に相談した所、凛姉様は頭痛をこらえるように額に手を当てた。


「そういう事はまず私に相談しなさいな。半年以上何ら音沙汰の無かった相手から突然そんな書状が届いたら、何か特別な意味があると思われるに決まっているでしょう。」


 決まっているでしょう、と言われても。前世は主に家族のせいで、今世は主に身分のせいで、交友関係が著しく狭い私には難題だ。

 とりあえず、それなりに関係が深い相手には、お正月やお盆といった節目節目に欠かさず連絡を取る事。それから、今回もらった簪を来年のお礼状に添えるような無礼なマネは絶対にしない事。二つのアドバイスを凛姉様からもらう事が出来た。

 さて、お梅と百ちゃんが中心になって組んでくれた花嫁修業強化コースだが、春の内は特別な事は何も無い。ただ「お勉強」が終わった後、出来るだけ大勢で城内を歩き回るだけだ。

 シンプルだがこれが結構足に来る。不慮の事故を避けるため、馬がいる厩舎(きゅうしゃ)や一般兵が詰めているエリア等への立ち入りは厳禁だが、それを抜きにしてもとにかく広いのだ、小田原城は。

 おまけに城内に高低差が結構ある。奥の間への帰り道、歩けなくなって侍女の背中を借りた事も一度や二度じゃない。

 ともあれ、こうして基礎体力を身に着けた私達は、次のステップに進もうとしていた――その矢先、太助丸兄者が駿河へ向かうと聞かされたのだ。




「太助丸よ、くれぐれも左京大夫殿の子として恥ずかしくない振る舞いをするのだぞ。」

達者(たっしゃ)で過ごせ!それがしも勉学に努めるゆえな!」


 次期当主になった松千代丸兄者と、それを支える立場になった藤菊丸兄者が、別れの言葉を太助丸兄者に贈る。

 松千代丸兄者は以前から優秀で、新しく次期当主になっても難儀しているという話は聞いた事が無いが、三男だからと学問をサボり気味だった藤菊丸兄者は、座学で少々苦労しているという噂だ。


「あにうえ、ごぶうんをおいのりもうしあげます!」


 たどたどしく、ちょっとずれた激励の言葉を贈ったのは、私より2つ年下の腹違いの弟、乙千代丸だ。

 現代日本で言えばまだ小学生にも達していないが、側室の子という出自を引け目に思ってか、背伸びをする傾向が特に強い。


「太助丸殿、駿河でもお元気で。」

「我ら一同、無病息災(むびょうそくさい)をお祈り申し上げます。」

「ええと…私も同じく、ですわ。」


 菜々姉様、蘭姉様、凛姉様も順に(こうべ)を垂れる。と、私の番だ。

 しかし困った。正直太助丸兄者の印象はあまり良くない。

 女子の私が見ても、武芸も学問も及第点で無能には程遠いのだが、暇さえあれば高い所に登って相模(さがみ)湾を眺めるという妙な癖ばかり目に付く。

 しかし仮にも私のために今川の「人質」になってくれるのに、当事者の私が何も言わないのは不義理が過ぎるだろう。

 うーん、よし、こんな感じで行こう。


「駿河の海は相模に劣らず豊かと聞きました。私が嫁いだ折には、なにとぞお連れくださいませ。」


 太助丸兄者は私の言葉を無言で聞いていたが、その目が一瞬キラッと光ったような気がした。やっぱり筋金入りの海好きなのかもしれない。


「太助丸殿、今川にはあなたのお祖母様がいらっしゃいます。困った折は、頼りになさいませ。」

「たまには(ふみ)を寄越せよ。…とにかく、達者でな。」


 母上と父上の言葉にきっちりお辞儀を返して、太助丸兄者は輿に乗り込んだ。


出立(しゅったつ)‼」


 今回の護送任務を任された重臣が一声かけると、周囲の侍達も一斉に立ち上がる。

 大手門が開き、輿を中心とした行列が整然とした足取りで城外へと向かう。

 私達は行列の最後尾が大手門をくぐり、見えなくなるまで、その場に立って見送った。


「…俺は評定(ひょうじょう)に戻る。お前らもご苦労だった。」


 父上の言葉を合図に、見送りの列は三々五々、解散していった。私も自室に足を向ける。

 新九郎兄者はこの世を去り、松千代丸兄者が新しく次期当主になった。藤菊丸兄者も以前のように武芸一辺倒とは行かず、太助丸兄者は私に先立って駿河に発つ。

 みんなが同じ部屋で夕餉(ゆうげ)を囲んだ一年前が、やけに昔の事のように思えた。

お読みいただきありがとうございました。

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