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#034 天岩戸(あまのいわと)を開くのは

今回もよろしくお願い致します。

キリのいい所まで書こうとしたらいつもの倍くらいになりました。

 自室に駆け込んだ私は四方の襖や障子を閉め切ると、着いて来た百ちゃんに誰も入室させないよう言いつけ、寝床の掛け布団を引っ被った。

 服や髪がぐちゃぐちゃになる事も、今はどうでも良かった。

 案の定、後から姉様達や兄者達が部屋の前まで来て、私を外に出そうと話しかけて来たが、全て突っぱねた。

 激情のままに、布団の中で泣きわめいた。

 多分最後はキレた父上が百ちゃんを押しのけて、私を外に放り出すんだろう。

 頭の中の冷静な部分が、そんな未来予想を見せてくれた。




 気が付くと、私は泣き疲れて暗闇の中で眠っていた。

 私を起こしたのは、くしゅん、くしゅんとくしゃみを押し殺すような、連続する小さな声だった。

 のそのそと布団から頭を出すと、外の明かりが若干オレンジがかっているのが分かった。もう夕方か。


「百?大事ありませんか?」


 まだ冷えるこの時期に、百ちゃんを外に出したまま放置した事を、今更ながら悔やみつつ、呼びかけた。あー、泣きすぎて声がガラガラになってる。


「姫様?いえ、わたくしは何とも。ただ、その…先ほどから御前様(ごぜんさま)がわたくしの前でお待ちにございます。」


 百ちゃんの言葉を理解するのに時間がかかった。

 母上が待ってる?この寒空の下で?


「はっ、ケホッ、母上、そこで何をしておいでで?」

「あら結。体は大丈夫?高熱が出て、くしゃみのたびに毒霧が噴き出して、全身緑色になって触るとかぶれる難病にかかったと聞いたからお見舞いに来たのだけれど。」


 障子の向こうから母上ののんびりした声が返って来た。

 姉様達や兄者達を追っ払おうと適当な病状を並べ立てた覚えはあるけど、改めて聞くととんでもないことになってる。もはやパニックホラー映画の領域だろう。しかもそれを聞いた上でお見舞いに来るとか、どんだけ肝が座ってるんだ。

 とにかく、このまま母上を冷たい風に晒しておく訳にはいかない。

 もし母上まで新九郎兄者と同じように風邪をこじらせてしまったら――


「…結は無事にございます。なにとぞお入りくださいませ。」


 私の言葉に、障子に映る影が動く。しばらくの間を置いて、障子が開き、相変わらずの微笑みをたたえて、白い喪服姿の母上が入って来た。


「ありがとう。あらあら、すっかり良くなったのねえ。喉がまだ良くないみたいだけれど。ひと安心だわ。」


 そう言って私の前に腰を下ろす。


「…お許しください。小娘の虚言(そらごと)にございます。百、あなたも中に。…無理を言って、ごめんなさい。」

「畏れ多い事にございます。そのお言葉だけで十分、温まりましてございます。どうぞ、御前様とごゆるりと…。」


 二人に謝り、室内に招き入れようとしたものの、百ちゃんは固辞し、障子を閉めてしまった。

 当人が言うならしょうがない。母上の用事を手早く済ませて、帰ってもらおう。


「不作法を重々承知の上でお伺いします。ご用向きは何でございましょう。」

「さっき言った通り、結のお見舞いよ。」

「ですから、病は虚言だと。」

「いいえ、心中(しんちゅう)の病がまだ癒えていないわ。」


 頭がスッと冷える感覚がする。やっぱり。私を心配してくれる嬉しさよりも妬ましさが先に立った。

 だって母上は――直接見聞きした事は無いが――父上とラブラブだ。

 でなきゃ男子四人、女子二人も産める訳が無い。

 自分は愛されている。その自信があるから、私にも気を取り直すように説得しに来たのだろう。

 でも、もう駄目だ。

 新九郎兄者への仕打ちを見れば、父上が子供の事を替えの効く部品みたいに思ってる事は明白だ。

 どうせ私の事だって…。


「母上はよろしゅうございますね。葬儀の席で、父上にお嘆きいただけると、固く信じておられるのでしょう?」


 特別扱いはあなただけだ。そんな皮肉を込めて言うと、母上は困ったように眉根を寄せた。


「う~ん、どうかしら。私がいなくなって真っ先に殿が考える事は、奥の間の差配を誰に任せるか、ではないかしら。」


 は?


「そ、それは余りにも、余りにも無情にございます!仮の話とは言え、妻を(うしな)って悲しまぬなど、夫として余りにも――。」

「そうかもしれないわねぇ。」


 そうかもしれないわねぇ、じゃなくて!


「けれどね、結。私も今考えている事は新九郎殿の事ではないの。主を喪った近習や侍女を、いかに取り計らうべきか。それを考えているのよ。」

「そんな…母上はもっと兄上の死に心を痛めておられるとばかり。」

「出来ればそうしたいけれど、私は『(みな)の母』としての務めを果たさなければならないから。」


 皆の母、ってどういうこと?


「この奥の間には殿の側室が大勢いるわ。その方々(かたがた)はただ殿の子を産むために奥に入ったのではないの。北条とご実家を繋ぎとめるためにいらっしゃったのよ。裏を返せば、ここでの(いさか)いが家同士の争いを招く事だって有り得るの。」


 母上の説明は、私の想像を遥かに上回るものだった。

 正室に側室、その子供達が居住するカオス空間としか思っていなかった奥の間が、そんなに重要な場所だとは思ってもみなかった。


「だから、私の役目はまず殿の子を産む事。それから、側室やその子供達、『皆の母』になって、奥の間を平らかに保つ事。そうして、殿が心置きなく『皆の父』となれるよう、お支えする事だと思っているの。」

「『皆の父』…?」


 おうむ返しに呟いた私に、母上は頷いた。


「殿はあなた達の父であると同時に、領国に住まう全ての人々の父でもあるの。何千、何万という人々の生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握っているのよ。その『父』が、たった一人の子供が死んだからといっていつまでも嘆いていては、家中も領民も不安がるわ。」

「たった一人…実の息子ではないですか‼」

「殿にとっては、そうね。けれど、直接会った事も無い領民や、他国の大名家にとっては、どうという事も無いわ。…私が北条に嫁いでから起きた、河東(かとう)を巡る今川との戦については、もう知っているかしら?」


 突然の話題転換に戸惑いながら、私は頷いた。


「当時今川家の当主だった兄上が亡くなって…本来は彦五郎兄上が跡を継ぐはずだった。けれど彦五郎兄上もすぐ後を追ってしまい…駿河は内紛に陥ったのよ。」


 母上の言いたい事がうっすら分かって来た。

 当人の意思はともかく、「スペア」の彦五郎殿が健在であれば、今川家の内紛は起こらなかったんだ。


「やっと今川家の当主争いが決着したと思ったら、今度は北条と今川が手切れ…今川に返されるかも知れないと怯える私に、殿は仰ったわ。必ずまた駿河と小田原を行き来出来るようにする、と。そうこうしているうちに先代様が亡くなり、殿が北条の当主になられて…。」

「すぐさま今川と和睦した、と。」


 なんだ、カッコいいじゃないか、父上。


「いいえ、それから4年ほどかかったわ。」


 ダメじゃん!そうだった、確かにそうだったけど、今の流れでそれはダメじゃん!

 私の心の叫びが聞こえたかのように、母上は口元を隠し、クスクスと笑った。


「言ったでしょう?殿は『皆の父』なの。何もかも殿の一存では決められないわ。それに、先代様が亡くなったからといって弟殿は…今川家の現当主殿は、戦に手心を加えたりはしなかった。あなたの父上は先代様の死を悼む間も無く、戦や(まつりごと)に向き合わなければならなかった…。」


 戦国の非情さを頭の中で反芻していると、母上がにじり寄り、私の手を包み込むように取った。


「新九郎殿の(いみな)氏親(うじちか)とするよう、お願いしたのは私なの。」

「え…?」

「今川氏親殿は――私のお父様は、初代早雲様の甥として今川と北条を繋いだ。新九郎殿にはその諱を継いで、再び今川との架け橋になってもらいたかったの。」


 母上がうつむく直前、その目に光るものが見えた、気がした。


「母上…。」

「ねぇ、結。母の我儘(わがまま)を聞いてもらえないかしら。」


 再び顔を上げ、私を見つめる目に、涙は見当たらなかった。


「さっき言った通り、婚姻は家同士の友誼(ゆうぎ)を確約するものではないわ。それでも、盟を同じくする以上、目に見える形での繋がりが必要なの。つまりね、」


 転生以来、初めて見る真剣な表情で、母上は言った。


「結に、今川の嫡男殿のもとへ、お嫁に行ってもらいたいの。」

お読みいただきありがとうございました。

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