#033 お別れも言えぬ内に
今回もよろしくお願い致します。
天文21年(西暦1552年)4月 小田原城 広間
なんで。
「結。結ったら。」
どうして。
「早く頭を下げなさい、でないと――」
「頭が高ぇぞ、結。」
決して大きくはない、しかしよく通る父上の声に、私は反射的に平伏した。
なんで…頭を下げてるんだっけ。そうだ、さっきまで大広間でお葬式があって…親戚一同だけ、こうして別室に移動したんだ。
お葬式?誰の?
「皆、面を上げな。忙しい中馳せ参じてくれた事、礼を言う。」
父上の言葉に顔を上げ、周囲を見渡す。
白、白、白。広間に集まった人という人が、全員白い喪服を着ている。私も、隣の凛姉様もだ。
こんなに人が集まったのは去年末の――新九郎兄者の元服の時以来だ。人の配置も前回とほぼ同じ。
でも、前回より人数が少ない気がする。
遠縁の親戚だけじゃない。孫九郎綱成殿もいない。それに――どうして新九郎兄者が座っていた席に、父上が座っているんだろう。
「孫九郎達には俺がいない間、上野の経略を任せてあるが…こうして大勢に参列してもらえて、息子は仕合せもんだ。閻魔様も、ちったぁ仕置に手心を加えてくれるだろうよ。」
なにそれ。
まるで兄上が、死んじゃったみたいに――
「皆も気になってるだろうから、はっきりさせておく。次に新九郎の仮名を継ぐのは、次男の松千代丸だ。」
…は?
「松千代丸、前に出な。」
「ははっ。」
私の向かいに座っていた松千代丸兄者が進み出ると、父上に向かって腰を下ろし、居ずまいを正す。
「お前も十四だ。来年には元服の儀を執り行う。」
「ははっ。」
ちょっと待って。
「それと、あいつが死んで武田との縁談がご破算になった。松千代丸、お前を相手に改めて縁談を組み直す。元服の後の事になるだろうから、そのつもりでいろ。」
ちょっと待ってよ。
「縁談と言えば今川への輿入れだが――」
「お待ちください‼」
気付いた時には、立ち上がって、叫んでいた。
四方八方から視線が集まるのを感じる。
「…まだ話は終わってねぇぞ。黙って聞きやがれ。」
特に圧を感じるのはやっぱり父上からだ。いつもなら大人しく引っ込む所だが今日はそうは行かない。
「葬儀が終わって間も無いというのに、左様に先々の事を仰せになるのはいかがなものにございましょう。今しばらく、兄上のために時を用いるべきでは…。」
「今日集まった連中もヒマじゃねぇ。大事はこうして顔を合わせてる内に伝えておかねぇと、無用の心配を招く。」
「っ、父上も、兄上に目をかけておられたではございませんか!」
「だからどうした。俺が嘆いた所であいつは戻って来ねぇ。…天命だ。仕方ねぇ。」
足元の床が崩れ落ちていくような感覚。
もう、何を言っても無駄だ。
私は父上に背を向け、障子を開け放って廊下に飛び出した。
「結!」
「ほっとけ‼」
後ろで凛姉様の悲鳴と、父上の怒鳴り声が聞こえる。
明日には打首かも知れない。それでも構わない。
そう思うくらいには私は捨て鉢だった。
「姫様⁉」
廊下で待機していた百ちゃんが追いかけて来る足音が聞こえる。
それさえ鬱陶しくて、足を早めた結果、自分の喪服の裾を踏み、私は前のめりにずっこけた。受け身が間に合わず、したたかに顔をぶつける。
顔全体にヒリヒリとした痛みを感じながら起き上がる。
「ひぐっ、う、う、わああああぁ~…」
私は泣いた。
泣きながら自室に向かって走った。
顔の痛みより胸の奥の痛みの方がずっとずっと辛かった。
どうして?兄上。
どうして死んでしまったの?
聡明で、礼儀正しくて、でも謙虚で、自分を高めることに余念が無くて。
日本有数、関東最大の大大名の長男に産まれたのに。
ついこの間、元服したばかりだったのに。
どうして死ななければならなかったの?
教えてよ、「神様」。
お読みいただきありがとうございました。




