#030 ウグイスの鳴く頃に
今回もよろしくお願い致します。
父上の差配にケチを付けたら、逆に褒められた。
何を言ってるか分からないと思うが私にも分からない。
当事者の新九郎兄者も戸惑っている。
「一つ聞いちゃくれねぇか。親父の昔話をよ。」
父上の言葉に、兄者は姿勢を正して向き直った。
「俺が家督を継いだのはちょうど十年前の夏だ。先代が体調を崩してそのまま、な。俺は先代から引き継いだ家中への本領安堵や、所領の検地に取り掛かった。その矢先だ。扇谷殿が攻め入って来たのはな。」
扇谷殿がどこのどなたかは存じ上げないが、とりあえず黙って聞こう。
「あれ程忙しかった事は後にも先にも無ぇ。頼りになるか、ならねぇかもあやふやな連中に声を掛けて、あちこち駆けずり回った。だが扇谷殿を卑怯と言うつもりは無ぇ。相手の弱みに付け込むのは戦の常だからな。」
兄者は何かを察したように唇を噛んだ。
「人様にお膳立てされた戦なんざ真っ平御免、新九郎の名に相応しい心意気だ。だがな、こいつは差し向かいの稽古とは違う。何千何万の将兵の命を賭ける、戦だ。兵を挙げる前に勝てる算段を付けるのが上策って事は飲み込んでもらいてぇ。」
もう一つ、と前置きをしてから、父上は続けた。
「戦場ってのは化け物だ。何が起こるか分からねぇ。元服し立ての若武者だからって、飛んで来た矢は避けちゃくれねぇ。何よりあの気配は、とても口で言い表せるもんじゃねぇ。せめて初陣くれぇは親父に面倒見させてもらえねぇか…『新九郎殿』。」
父上が最後に付け加えた一言に、兄者の目が潤んだのを私は見逃さなかった。
「…若輩の浅はかさ、なにとぞお許しくださいませ、父上。こたびの初陣、嫡男として立派に務め上げまする。」
兄者は一度だけ深々と頭を下げると、すっくと立ち上がり、親戚一同に向かって口を開いた。
「この新九郎、改めて誓う!益々北条を盛り立てん事を!一同、今後もよろしく頼む!」
兄者の宣言に、皆が一斉に、ははっ、と平伏する。私も今度は遅れない。
孫九郎殿が再び感極まったのか、叫び声を嚙み殺すような変な声を上げると、顔を上げ、満面の笑顔を見せた。
「さぁ皆様、これより酒と膳が参りまする!嫡男殿の新たな門出をお祝い申し上げましょうぞ!」
天文21年(西暦1552年)2月 小田原城 物見櫓
天候は晴れ。ほぼ無風。しかしチクチクと肌を刺すような寒さの中、いつ途切れるとも知れない人の列が、続々と東へ向かって行く。
「蘭姉様、あれが新九郎殿ではないかしら。」
「…えぇ、きっとそうね。あんなに大勢の兵を引き連れて…壮観だわ。」
凛姉様が指差す方に、私は目を凝らした。現代日本と違ってテレビやパソコンの画面に接していない分、視力は良い方だと自負しているが、それでも人の見分けは難しい。
出陣する武士は女性の体に触れてはいけない、と言うジンクスがあるらしく、私達は出陣間近の父上や兄者から遠ざけられているのだ。あちこちに頼み込んで、こうして物見櫓に上がらせてもらった事で、ようやく遠目ながら軍勢が大手門をくぐって東に向かう様子を見ることが出来る。
しかし遠目にも気になる点が二つ、いや三つほどある。
一つ目は、誰も――少なくとも馬に乗っている人は誰一人――甲冑を身に着けていない事だ。時代劇とかだと、全身に鎧をまとってズンズン歩いているのに。しかし百ちゃん曰く、
「鎧、具足は大層重うございます。馬上(指揮官クラス)の方々は中間の者どもに運ばせ、戦場近くにて身に着けられます。」
とのことだった。
二つ目は、やたらと長い槍だ。長い行列のあちこちに、先端がチカチカ光る細長い棒が密集して立っており、よく見ると雑兵達が自身の三倍、あるいは四倍はあろうかという長い槍を抱えている事が分かる。あんなのを振り回したら、仲間に当たっちゃうんじゃなかろうか。百ちゃんに疑問をぶつけると、
「雑兵の長槍はめいめいが一人で振り回すものではございません。十人、百人で一塊となり、息を合わせて敵勢を叩いたり、斜めに穂先を揃えて槍衾を構えたりして戦うものにございます。」
という答えが返って来た。
三つ目は、馬の体格だ。以前兄者達が乗っていた馬と同様の小さな馬ばかりで、スラッとした体格の馬はどこにも見当たらない。北条の領国には良い馬がいないんだろうか。これも明快な答えを期待して百ちゃんに聞いてみたところ、
「…?いえ、わたくしの見聞きした所では、日の本のいずこにおかれましても、馬の体格はかくの如きものにございますが…。」
と、不思議そうな顔をされてしまった。あれが標準ということか。
総じて筋が通っている部分と納得いかない部分があるが、多分このパラレル戦国時代を創造した人?神?の意向に沿っているのだろう、多分。
だが、一つだけ確かな事がある。これから兄者――新九郎殿は人生初の戦に向かうのだ。
私は前世でも今世でも実戦に遭遇した事は無い。でも、戦が大勢の人の殺し合いだということはなんとなく想像がつく。父上が心配している通り、兄者が戦死する可能性だってゼロじゃないのだ。その不安は、二人の周りを固める大軍勢を目の当たりにしても消えない。
父上、兄者、そして家臣、雑兵。出来るだけ多くの人が無事に帰って来ますように。
もしかすると、他人のために祈るのは前世を含めて初めてかも知れない。
そんな事を頭の片隅で考えながら、私はいつまでも北条軍の行列を見つめていた。
お読みいただきありがとうございました。




