#003 姪っ子に甘い叔父さんは多分万国共通
今回もよろしくお願い致します。
「ごちそうさん。さっきも言ったが、結にはそのうち説明する。使いをやるからあちこち出歩くんじゃねぇぞ。」
自分の分を平らげた父上はそう言い残して席を立ち、ドスドスと重い足音を立てながら座敷を出て行った。私の向かいに並んで座っていた兄上達もそれに倣う。
「あにうえ!西堂丸どの!」
自分の予想が根底から覆ったショックを押し殺しながら、私は走って――膳を蹴飛ばしたりまたいだりしないよう父上が座っていた方とは反対側に回り込んで――西堂丸兄上を呼び止めた。数えで15歳、ちょんまげを載せている点を除けば年相応の少年が、こちらを振り返り、微笑む。
「いかがした、結。」
声はやや高いが喋り方はまるで大人だ。それもそのはず、後継ぎ第一候補として私や他の兄弟とは段違いの教育を受けている。普段は寝起きから食事まで全くの別スケジュールで生活しているのだ。
「先ほどはありがとうございました。知らぬこととは言え、軽はずみなことを申した私をかばってくださり、面目ございません。」
ほぼ45度になるように腰を折る。表面上はにこやかでも、心中では父親に無礼を働いた愚妹に苛立っている可能性は十分ある。ここは早めに謝罪して心証をよくしなければ。
「結は知らなかったのだろう?気に病むことはない。父上も後日お教えくださると仰っていた。この機にしっかり学ぶと良い。」
兄上はにこやかな表情のまま背中を押してくれたが、私としては全く安心できない。“あの”父上と差し向かいで話すことになったりしたら、気絶するか或いは漏らすか、最悪キレた父上に手討ちにされる可能性だってある。
せめてご先祖様の出自について、兄上が知っていることを引き出せれば…。
「あにうえはご存知なのですか?ご先祖様について――」
「若君。」
兄上の後ろから声をかけたのは、兄上の供回り――身の回りの世話や護衛を務める家臣だった。
「分かっておる。しばし待て。」
兄上は少し低い声でそう返すと、今度は私に苦笑を向けた。
「すまぬな、これよりまた勉学に励まねばならぬ。結も寝床には用心せよ。まだ夜は冷える。」
「…あい、わかりました。」
やはり無理か。落胆する私を残して兄上は今度こそ座敷を後に――する間際、愉快そうに言った。
「父上の目をじっと見て離さぬとは、女子ながら見上げた根性よのう。」
…目を逸らせなかっただけだったんだけど。
もしかしなくても私、墓穴掘った?
夕食での一件から2日目の朝、予告通り父上の使者が奥の間――つまり母や私達家族が暮らすエリア――にやってきた。私あての伝言で、昼頃に謁見の間に来るように、とのことだった。
今さらだがこの時代の日本には正確な時計がない。カレンダーもない。厳密に言えばあるにはあるが閏年、閏月といった例外が複雑極まりない法則でしょっちゅう組み込まれていて、今が何年何月何日なのか、正確に答えられるのは城内でもごく少数だ。恐らく日本中どこでも同様だろう。
そんな時間感覚で「昼頃」と指定された場合、どう行動するのが正解か?もちろん5分前――いや50分前行動である。あの父上に付け入る隙を与えないためにはそれしかない。
そうと決まればやることは一つ。今日の手習い――要するに国語、習字の授業だ――を手早く切り上げ、文句の付けようがないくらい早めに謁見の間に入るのだ。
「…こいつは驚いた。俺より先に来るとは殊勝な心掛けじゃねぇか。」
背後から聞こえた声に、私は第一関門を突破したことを確信した。当然そんな気持ちはおくびにも出さず、平伏して父上の入室を待つ。
ここは謁見の間。襖やら屛風やら城内でもトップクラスの豪華な装飾に彩られている。廊下から見て奥の方に一段高く畳と座布団が敷かれた上座があり、父上はそこに座って来客や家臣の応対をするのだそうだ。当然私は低い方、下座に正座である。
と、ここで私はおかしな点に気付いた。足音だ。5人いる。
まず父上、それから太刀持――父上クラスになると重い刀は普段自分で携行せず、近習に持たせるものらしい――が私の背後から上座の方へ向かう。後をついてきた護衛二人は無駄のない所作で入口の左右へ。問題はあと一人。
体重が軽いのか足音がほとんどしない。しかし規則的だ。誰だろう?
その足音は私のはす向かいで止まった。上座と下座以外にもう一つ、座布団が敷いてあった場所だ。
「頭を上げて楽にしな。」
父上の許可が出たことに内心安堵しながら顔を上げ、正座を解いて片膝を立てる姿勢をとる。楽にするとは正座しなくていいということであって、思い切り足を伸ばしてもいいということではないのだ。「頭が高ぇ」とか言われてもっと頭を下げる羽目にならなくて良かった。
「ほっほっほっ、相変わらず可愛いのう、結」
なるほど、地獄に仏とはこういうことか。私は諺を体感した。
目の前でからからと笑う老人こそ北条幻庵――父上の叔父であり、私にとっては大叔父にあたる人物である。
お読みいただきありがとうございました。