#020 筆は刀よりも強し
今回もよろしくお願い致します。
クリスチャンでもないのに祈りを捧げてしまったが、小田原にも一向宗門徒がいると聞かされて冷静ではいられなかった。例えるなら、リビングで外国の紛争を報じるニュースを見て他人事だと思っていたら、あなたの庭にも地雷が埋まっていますと告げられたような気分だ。顔に出ていたのか、百ちゃんも心配そうにこちらを見る。
「もしや姫様、加賀の国一揆をご存知で?」
何それ?顔に露骨にクエスチョンマークを浮かべていると、百ちゃんが補足してくれた。よく何でもかんでもスラスラ出てくるな。
今からおよそ百年前、京で起こった応仁の乱は全国に飛び火し、加賀――今の石川県南部か――でも泥沼の争いが始まった。侍同士の埒の明かない戦にうんざりした一向宗門徒達は一揆、つまり同盟を結んで、なんと侍達を加賀から追い出してしまったという。それ以来加賀は一向宗門徒が治める国になりましたとさ、めでたしめでたし。
…いや。いやいやいやいや。めでたくない。ひとっつもめでたくないじゃん。加賀の殿様、追い出されちゃってるじゃん。武装蜂起した宗教団体に、一国乗っ取られてるじゃん。
顔から血の気が引いていくのを感じる。庭に埋まった地雷が不発弾にグレードアップした。
「百、よもやとは思いますが、北条の領国でも同じようなことは…。」
「あり得ませぬ。」
食い気味に否定された。どうしてそんなに自信たっぷりに言えるんだろう?
「大殿は当主となられてよりこの方、日々領民の暮らしに心を砕いておられます。一向宗が一揆を企てる道理がございません。」
えぇ、あの父上が?見るからに「年貢が足りねぇぞゴラァ四の五の言わず出しやがれ」とか言ってお百姓さん達をどついて回ってそうなのに。
「また北条家は初代早雲様より、領国諸方で検地を行い、村々の有り様を把握しておられます。それを基にご家中が年貢の割当を勘定し、領内余さず公平に納めるようお触れを出しておられます。日の本広しと言えども、かように優れた治世はございません。」
南蛮人の話やお寺の話が頭から吹っ飛ぶかと思った。百ちゃんが私に噓をついてまで父上におべっかを使うとはとても思えない。つまり本当の話だ。
父上は私の前で政治や軍事の話をほとんどしないから、全然知らなかった。戦国武将と言えば合戦でよその土地を奪うことしか考えていないイメージだったけど、父上は、いや北条家は、領民のこともちゃんと考えているんだ。
同時に、私はこの世界がパラレル戦国時代であるとの確信を強めた。だって検地と言えば豊臣秀吉の太閤検地だ。それを初代から始めるのみならず、公平に税を課すなんて、北条家がチート過ぎる。未来を先取りし過ぎでしょ。
「色々教えてくれてありがとう、百。今まで知らなかったことをたくさん知ることができました。」
「もったいないお言葉にございます。」
再び百ちゃんが頭を下げる。長旅から帰ってきたばかりだ。お梅にも話はつけてあるし、今日くらいは仕事抜きでゆっくり休んでもらおう。
「長旅、まことにご苦労様でした。今宵はゆっくり体を休めてください。」
「お心遣い、かたじけのうございます。されど、姫様にご挨拶を済ませた後、御前に参るようにと大殿よりお達しがございまして…。」
噂をすれば、か。いやまぁ百ちゃんは事前に知らされていたわけで、初耳なのは私だけだけど。
「そうですか。父上の命とあれば是非もありませんね。では、結が父上のご政道の見事さに感じ入っていたと伝えてください。」
半分お世辞、半分本音で私はそう言った。
お読みいただきありがとうございました。




