#019 百ちゃん旅行記
今回もよろしくお願い致します。
今日の「お勉強」を昼前に切り上げ、お梅と侍女達のシフト調整を相談。午後には百ちゃんと会う時間を確保することができた。当初今日の自由時間に付き合ってくれる予定だったのは、朝方外郎屋のお菓子をおねだりしてきたお栗だったのだが、あっさり辞退してくれた。お梅から聞いたところによれば、百ちゃんが旅先から持ち帰ったお土産に遠方の甘味が含まれていたため、そちらを優先したらしい。お栗の食欲に呆れるべきか、百ちゃんのソツの無さに感心すべきか、迷うところだ。
ともかく、三か月振りに百ちゃんと再会だ。今、私の前に本物の百ちゃんが座り頭を下げている。
「姫様、お久しゅうございます。只今戻りましてございます。」
「頭を上げてください、百。長旅、ご苦労様です。道中危険はありませんでしたか?」
久し振りに耳にする百ちゃんの声に、思わず泣きそうになる。正直百ちゃんが旅立ってしばらくは、百ちゃんが惨たらしく死ぬ悪夢を見ることが時々あって、夜中に飛び起きて寝所番の侍女に迷惑をかけたことも一度や二度じゃない。我ながら図太いと言うか、最近はそんなこともなくなったけど。なにせ百ちゃんは諜報のプロだが戦闘には向いてない。どこかの足軽に追いかけられでもしたら、ひとたまりも無いだろう。
「姫様のご配慮、かたじけのうございます。この通り、百は無事にございます。」
百ちゃんはニコニコしながら、おどけて両手を広げて見せた。確かに目立った傷は無い。でももしかしたら見えないところに傷があるかも。
「真ですか?隠している所はないでしょうね?」
私が問い詰めると、にわかに百ちゃんの顔が曇った。
「…お許し下さいませ姫様。幼少の頃より修練に明け暮れた身にございますれば、いささかの古傷が…。」
「いらぬことを聞きました。」
慌てて百ちゃんの言葉を遮る。バカか私は。戦災孤児、奴隷、忍者と裏世界を歩んできた百ちゃんに傷が無い筈がない。体にも、心にもだ。話題を変えよう。
「ともあれ、こうして無事に戻ったこと、誠に嬉しく思います。どこまで足を運んだか、話してくれますか?」
私の意図を汲み取ってか、百ちゃんはまた笑顔を返してくれた。
百ちゃんの「旅の思い出」は予想以上にスケールが大きかった。東は東北、西は九州まで行ってきたらしい。三か月でそこまで歩き回れるって、もしかして物凄い体力の持ち主なんじゃなかろうか。
各地の変わった風景やお祭りの話がほとんどだったが、私の印象に残ったのは主に二つ。南蛮人とお寺の話だった。
西日本の有力大名や大商人が、大きな港で外国と貿易をしているとのことだ。「南蛮人」は総じて背が高く、髪の毛や目の色が変わっている、とくれば、十中八九ヨーロッパから来た人達だろう。なんで西から来てるのに「南蛮人」なのかいまいち分からないけど。
小田原を――戦国時代という前提の上で――田舎だと思ったことはないけれど、ちょっと西日本の人達が羨ましくなった。きっと最新の食べ物とか、便利な道具とかが手に入るんだろうなぁ。
お寺の何が気になったかというと、百ちゃんの話に頻繫に登場するからだ。どうも現代日本のコンビニエンスストアと同じくらいの分布でそこらじゅうに存在するみたい。しかも一部のお寺は敷地内にでっかい商店街を抱え込んだり、莫大な財産を所有して独自の軍事力を組織したりしているらしい。
お寺が政治や金儲けとは程遠いイメージがある現代日本出身者としては、宗教団体がお金や軍隊を持っているという状況は非常に危うい印象を受けるのだが…。
「中でも最も勢いがあるのは、一向宗にございましょう。摂津国大坂に総本山を構え、門徒のいない国は無いと言っても過言ではございません。」
百ちゃんの話によれば教義は単純で、難しい勉強や厳しい修行は不要、とにかく南無阿弥陀仏と唱えれば死後極楽往生できる、らしい。確かにそれだけで天国に行けるなら楽ちんだけど、それだけでめちゃくちゃ儲かってるってのがやっぱり怪しい。
まぁどの道今の私には関係ない話だ。君子危うきに近寄らず。
一人でうんうん頷いている私を不思議に思ったのか、百ちゃんが聞いてきた。
「それほど気にされるのであれば、城下の門徒をお召しになりますか?」
「城下の門徒?」
え、どういうこと?
「はい。北条の領国には一向宗の寺も数多ございますゆえ、城下にも門徒が大勢いるかと。」
おー、まい、ごっど。
お読みいただきありがとうございました。