#017 生きてこそ浮かぶ瀬もあれ
今回もよろしくお願い致します。
天文20年(西暦1551年)夏 尾張国某所
枝葉の隙間から日差しが降り注ぎ蝉時雨が響き渡る森の中を、一塊となって走る男達がいた。小汚く整えられた髷、腰に下げた太刀と脇差。城下見回りの足軽達だ。
「散れ!草の根分けても探し出せ!見付けたら大声で知らせるんだ!」
号令一下、組頭と副長を残して十人余りが一斉に森の奥へ分け入っていく。
「お頭、間違いねぇのかい?あの女が乱破とは…。」
「間違いねぇ。おとつい大手の門前でうろついてた尼さんと、さっきすれ違った旅芸人の顔が瓜二つだ。しかも俺が止まれと言ったら逃げ出しやがった。今川か斎藤の犬に違いねぇ。縛り上げてお館様に差し出せば褒美が出らぁ。」
組頭は下卑た笑いを浮かべて言った。乱破と言えどしょせんは女、多勢で押し包めばたやすく捕らえられるだろう。お館様に献上する前に「味見」するのも悪くない――。
「しっかし遅いですねぇ。逃げられちまったんじゃあ…。」
「バカ言え、ここいら一帯は俺達の庭だ。…まさかあいつら俺を差し置いておっぱじめやがったか?」
組頭は自分の発言に後押しされるように、部下の後を追って森の奥へ踏み込んでいく。そこで目にしたのは。
「…なんの冗談だこりゃあ。」
点々と転がる足軽達の死体だった。
「どいつもこいつも、一太刀で…なぁお頭、まさかこいつら内輪揉めを起こしやがったんじゃあ…。」
「たぁけっ、こいつらが喧嘩する声なんざ聞こえなかったろうが。あのアマがやったんだ。」
手ぶらの女が、帯刀した男を返り討ちにした?悲鳴を上げる暇も与えることなく?自身の理性が下した結論を信じられないまま血痕を辿ると、開けた場所に出た。
「お頭っ、あそこ!」
副長の指差した方を見ると、二つの死体が目に入った。刀を握ったままうつ伏せに倒れる足軽と、その前で仰向けに倒れる旅芸人だ。旅芸人の顔は笠の陰にかかって見えない。
「やっと仕留めたか。お前は倒れてる奴の手当てをしろ。俺はこのクソアマのツラを拝んでやる。」
「死んでても『お楽しみ』はできますもんねぇ。」
「安心しろ、『二度目』はお前に譲ってやるよ。」
殺伐とした軽口を叩きながら、旅芸人の死体に近付く。女にしては大柄だと思ったが案の定だ。生かして捕らえられなかったのは残念だが「穴」が付いていれば多少は「楽しめる」だろう――。
笠をどけると、長屋で飽きるほど見た髭面が虚ろな目でこちらを見ていた。
「は?」
ドサリ。背後で副長が倒れる気配がした。反射的に振り返る。
最期に見たのは、部下の衣服をまとい、副長の脇差を振り上げる瘦せぎすの大女だった。
瘦せぎすの大女――北条の乱破は、足軽組頭の体から力が抜けた事を確認すると、その腹からべっとりと血の付いた脇差を引き抜き、口を塞いでいた手を離した。
追いかけてきた人数と周囲に転がる死体の数が一致することを確認し、死体から奪った服と死体に着せていた旅芸人の衣装を再び交換する。
約束の期日まで十日足らず。関所や川を避け、昼夜を問わず山道を歩けば間に合うだろう。
「今しばらくお待ちください、姫様…。」
そう呟いて、北条の乱破は東に向かって歩き始めた。
城下見回りの任に就いていた足軽の一隊が、山中で仲間割れを起こし、全滅した――そんな風聞が一時尾張を騒がせ、やがて忘れ去られていった。足軽達の素性も、名前も、事件の真相も。知る者は誰一人として存在しない。
やがてこの地を起点として始まる英雄譚が、些末な出来事を人々の記憶から拭い去っていく…。
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