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#164 第二次国府台合戦(後編)

冒頭から申し訳ございませんが、体調を崩してしまいました。

文章は一通り完成していたのですが、推敲等不完全な所があるかと思います。


「御屋形様、今ならまだ間に合いまする!何卒…!」

「くどい。わしはここから動かぬ。振り向くな、前だけを見よ。」


 太日川(ふといがわ)の屈曲部に追い詰められた北条軍の本陣。

 何度目かになる供回りの進言をはねのけると、氏政は床几(しょうぎ)に腰掛けたまま前線方面に目を凝らした。


「源三(氏照)の采配、見事なり。里見の兵もそろそろ草臥(くたび)れて来たであろう。」


 自身が窮地にあるとは微塵も思っていないかのような平坦な口調に、同席していた側近達は目を見合わせた。

 状況は極めて悪い。

 先手が壊滅した時点で氏政、氏照の手勢は渡河を終えてしまっており、勢いに乗った里見の追撃をもろに食らってしまった。

 氏政の側近達は、主君とその弟の身の安全を確保するため、矢切の渡しを再度渡って西岸に戻るよう進言したのだが、氏政の下知は想定の埒外にあった。


「再び太日川を渡るは、里見に勝ってからと心に決めておる。まずは北に向かい、里見の攻め手をかわすのじゃ。」


 成程、無防備な背中を滅多打ちにされる事態は避けられた。

 だが、意気上がる里見勢に屈曲部へと押し込められては、防戦一方で突破も退却もままならない。


(矢切の渡しを用いずとも、太日川を渡る事は出来るのだが…。)


 側近は一瞬だけ太日川を盗み見た。

 川面は冷たいきらめきを放っているが、時節柄水深は浅い。

 馬に乗っていれば難無く渡りきる事が出来るだろう。

 しかし肝心の氏政が、将兵に対して太日川を断崖絶壁のごとく騒ぎ立てて後退を許さない。

 氏照の軍勢が里見勢と真っ向から組み合い、崩れかけた箇所を氏政の旗本が(つくろ)うという連携で均衡を保っているが、いつまで持つか…。


「…さすがは左京大夫殿、遣いを出すまでもない。」


 氏政の呟きが理解出来ず、訊き返そうとした側近の耳に届いたのは、無数の矢が空気を裂いて飛来する音だった。


「があああああ⁉」

「なん、な…何事じゃ⁉」


 東の空から飛来した矢の雨が突き刺さったのは里見勢の横腹。

 氏政と氏照の手勢にかかりきりで、全くの無警戒になっていた所への奇襲。

 それを成したのは――いつの間にか西岸に現れた、北条氏康の本隊。

 思わぬ援軍に喜ぶより先に、戸惑う側近達に構わず、氏政は床几から立ち上がって声を張り上げた。


「者ども!御本城様(ごほんじょうさま)のお出ましである!功名を立てるは今ぞ!」




「さすが御本城様、これ程の好機を得られるとは…。」


 北条氏康隊の中にあって、(よわい)三十と少々を数える侍が、愛馬の手綱を握って感嘆の息を吐いた。


「まだまだ読みが浅いのう、藤四郎。御屋形様があえて窮地に身を置き、里見勢を引きつければこそ、御本城様が横腹を突けたのであろうが。」


 直後、(くつわ)を並べていた老将に笑われて、藤四郎――かつて小田原城本丸、奥の間の警固を任されていた大林藤四郎は、顔を赤らめた。




 藤四郎は十数年前、懇意にしていた侍女のお菊にせがまれて、新米侍女を(おとし)めようと画策したものの、(よわい)十にもならない姫君に矛盾点を指摘されて企みを暴かれてしまい、お菊共々小城に追いやられてしまった。

 しかしお菊を愛おしく思う気持ちが変わる事は無く、改めて夫婦となり、仲睦まじく暮らす内に数人の子宝にも恵まれた。

 これも天命かと淡々と務めをこなしていた所、越後勢の小田原攻囲に始まる情勢の大変動は勤め先にも及び…結局小田原城に戻る事になったのだ。

 それ以降、氏康に従って従軍を繰り返し、それなりに場数を踏んで来た藤四郎にとって、今回の出陣は異例ずくめだった。

 昨年末、氏康率いる北条軍は、上野国(群馬県)まで進出したものの、上杉輝虎率いる越後勢との間合いを図っている内に里見勢が攻勢に出たため、小田原に戻って仕切り直す事になったのだ。

 ようやく妻子と正月を祝えると思った直後、またも出陣の下知が出た。

 それも「小荷駄は連れて行かない、三日分の腰兵糧(携帯食)のみ用意するように」という、明らかに速戦即決を意識したものだった。

 息つく間も無く江戸城に着陣したのが七日、小休憩を挟んでさらに東進し、八日の朝を太日川西方の陣城(じんじろ)で迎えた氏康隊に飛び込んで来たのは、先手が本隊の到着を待たずに里見勢との戦闘に突入したという知らせだった。

 氏康は状況不明にもかかわらず出陣を決断、藤四郎も無我夢中で太日川西岸まで駆けつけた所…里見勢の無防備な脇腹に矢の雨を浴びせる事が出来たという訳だ。




「北条の(つわもの)よ、心して聞け‼」


 藤四郎の視線の先、軍勢の先頭で、総大将――北条左京大夫氏康が馬の足を太日川まで入れ、声を張り上げた。


「ここ国府台は我が父が、小弓公方を破って北条の武名を高めた地である!この左京大夫、父にも勝る戦功を立てん!者ども――」


 かかれ、という号令を予見して、藤四郎は生唾を飲んだ。


「続け!」

「「「「「ウオオオオオオオオ‼」」」」」


 は?という藤四郎の疑問符は、間髪入れずに沸き起こった(とき)の声にかき消された。

 啞然とする藤四郎を尻目に、氏康は太日川へと馬を進め、将兵がその後に続く。


「何をしておる、藤四郎!御本城様に一番鑓を取られるぞ!」


 隣の老将に促されて、藤四郎もようやく乗馬に(むち)を入れる。


「ご、ご同輩!これは一体…御本城様はなにゆえこのような…?」

「案ずるな!これこそ御本城様の戦の真骨頂よ!陣頭にて太刀を振るう…御本城様の背中を目に焼き付けるのじゃ!」


 熱に浮かされたような老将の返事に戸惑いながらも、藤四郎は馬を走らせ続けた。

 自分達が罠にかかった事に気付き、狼狽する里見勢に向かって…。




「おのれ左京大夫…我が方の策を逆手に取ったか!急ぎ後詰めに向かわねば…!」


 里見勢の総大将、義弘は、国府台城本丸御殿の窓から一転した戦況を見て、歯噛みした。


「恐れながら我が手勢は草臥れておりますゆえ、ここで城を守りまする。ご武運を…。」

「む…うむ、是非も無し。確と頼みまするぞ。」


 妙に落ち着いた太田康資の進言。

 義弘は若干戸惑いながらも、急いで部屋を後にする。

 ややあって、義弘が直属の将兵を引き連れて城を出た事を確認すると、康資は城内で休んでいた近臣を呼んだ。


「兵に支度をさせよ、上総(千葉県中部)まで退く。…この戦、里見の敗けじゃ。」

「承知。…北条の手に落ちる前に、城に火をかけまするか?」


 近臣の提案に少し迷ってから、首を横に振る。


「これから当面、里見の世話になる…やむなく城を捨てた、という(てい)にせねば。」


 近臣が頷いて退出すると、康資は再び窓の外に目をやった。

 味方の救援に向かっていた義弘の軍勢が、台地へと駆け上がって来た氏康の軍勢に捕捉され、じりじりと兵力を削られている。


「左京大夫め、一時(いっとき)の勝ちに酔うがいい…江戸の所領はいずれ必ず取り返す。いかなる手立てを用いても…。」


 怨嗟に満ちた独白を残して、康資は部屋を出ていった。




 かつては北条家中で指折りの権勢を誇った男、太田康資。

 第二次国府台合戦における里見の敗戦により、上総国に落ち延びて以降の消息は(よう)として知れない。




永禄7年(西暦1564年)正月十日 下総国 市川


「父上の大勝と、討死した武士達に。」


 そう言いながら氏政が掲げた酒盃に、氏康と氏照が掲げた酒盃が軽く触れた。

 三つ鱗が染め抜かれた陣幕と赤々と燃える松明に囲まれた北条軍本陣、月明かりの下で、三人は酒盃を傾けていた。

 いずれも重く冷たい甲冑を脱ぎ、いささかくつろいだ格好になっている。


「何はともあれ…これで父上を『頼もしからず』などと称する者は当面現れますまい。」


 氏政が現状を確認するかのように言う。

 第二次国府台合戦の戦況は、氏康が加勢した事で北条の優勢に大きく傾き、その天秤がもう一方に傾く事はついに無かった。

 結果から見れば、北条は遠山綱景とその子隼人佑、富永康景といった重臣の討死と引き換えに、里見家の重臣、正木(まさき)信茂(のぶしげ)とその弟時国といった大将首を獲得した。

 のみならず、国府台一帯から里見の影響力を一掃し、房総半島への足掛かりを確保するに至ったのである。

 三日分の兵糧のみを腰に括り付けて小田原を発った筈の氏康達が、こうして市川で吞気に酌み交わしていられるのも、合戦の勝利による恩恵に(あずか)っての事だった。

 というのも、里見の敗退を目の当たりにした商人達が、臆面も無く北条勢にすり寄って来て、大量の兵糧を売却していったのだ――勿論、後払いで。

 結果を見れば、不十分な準備を承知で賭けに出た氏康の果断が戦局を覆す大戦果を引き寄せたかに見える…いや、それも一面の真実ではあるが…。


「兄上が敢えて背水の陣を敷き、里見勢を引き付けた所を、父上が(いかずち)のごとき猛攻で破る…真にお見事でございました。」


 氏照が氏康(ちち)氏政(あに)を称賛すると、二人は微妙な表情になって酒盃を揺らした。


「見事、なあ…息子に褒められるのは面映ゆいが、素直に受け取れねえのが悲しいぜ。」


 実父の思いがけない返答に、氏照が目を瞬いていると、氏政が苦いものを飲み下すように、酒盃を一息に飲み干した。


「ぷは…江戸衆より太田が抜け、遠山、富永が討死。急ぎ後釜を据えねばなりませぬな。」


 氏政の言葉に、氏照は頬を張られたような衝撃を受けた。


(兄上の仰る通りじゃ…戦に勝った、勝ったと浮かれている場合ではない。江戸衆の穴埋めと…折角抑えた国府台に再び里見勢が出て来ぬよう、押さえも残しておかねば。)

「面目次第も無い…了見が(せも)うございました。」


 氏照が謝ると、氏康は小さく首を横に振った。


「了見が(せめ)えのは俺のこった。家中の帳尻を合わせるために、江戸太田を(ないがし)ろにした。それが巡り巡って今度の戦を招いた…『頼もしからず』なんて評判を立てられるのも腹立たしいが、このザマで左京大夫を名乗るのも恥ずかしくって敵わねえ。」

「それは…。」

「左様な事はございませぬ、父上。」


 何と返したものかと逡巡する氏照に先んじて、氏政は居住まいを正しつつ断言した。


他所(よそ)の国衆が何と申そうとも…父上の名望は家中に広く知れ渡っております。此度の戦にて、父上が正月早々の出陣を申し付けた折も、太日川を先陣切ってお渡りになった折も…皆ためらう事無くそのお背中に続きました。不肖の身なれど敢えて申し上げます。父上こそ左京大夫に相応しい、と…。」

「…くくっ、くっくっく…はっはっはっはっは…。」


 氏照が、兄の弁舌に賛同しようと言葉を探していると、氏康は含み笑いを漏らし…やがて呵呵大笑(かかたいしょう)した。


「いつの間にか大きくなったなあ、新九郎…背水の陣、知ってるのと実際にやるのとじゃ大違いだ。…お(めえ)に左京大夫の名を譲る日が待ち遠しいぜ。」

「恐悦至極に存じます。」


 氏政が頭を下げて感謝の意を示すと、氏康は氏照に顔を向けた。


「源三の采配も見事だった。堀も土塁も無しであそこまで持ちこたえるたあな…家中の心を掴んでるってえのがよく分かる。」

「も、勿体無いお言葉…。」


 氏康は心底嬉しそうに笑いながら、手ずから徳利を傾けて息子二人の酒盃を満たした。


「さあ、もう一献。…今宵はここまで。ここらの仕置が一息ついたら、江戸あたりで改めて年越しを祝おうじゃねえか。」


 そう言って氏康が掲げた酒盃に、一拍遅れて二つの酒盃が触れて、小気味よい音を立てた。

体調を回復次第微調整を入れられると思いますが、しばらく週一での投稿はお休みさせていただく事になるかもしれません。

拙作を楽しみにしてくださっている皆様にお詫び申し上げます。


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やっぱお父様イケオジすぎる。 更新ありがとうございます。 体お大事になさってください。
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