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#162 人を呪わば穴二つ

上げて、落とす。

永禄6年(西暦1563年)12月 駿府館


「では御前様、これにて…。」


 (すだれ)の向こう、縁側で平伏した男性が、立ち上がって玄関の方へ向かうのを確認してから、気合いでピーンと伸ばしていた背を丸め、傍らの肘掛けにもたれかかる。

 間髪入れずに室内で待機していた侍女――お相撲さん体型のお栗が、ちょうどいいポジションに白湯(さゆ)とお菓子を置いてくれた。


「御前様、思う存分くつろいでくりょ。今のお方でお客様は最後だで。」

「そう…ありがとう。」


 しんどい体にムチ打って、白湯を口に運ぶ。本当なら自室で布団にくるまって毎月恒例の痛みをやり過ごしていたい所だが、時期が時期だけにそうも言っていられない。

 今川が――五郎殿がようやく三河を再平定できるかどうか、まさにその正念場なのだから。




 10月。

 三か月に及ぶ坂東滞陣から戻って来た五郎殿は、夕餉(ゆうげ)の席でたくさんの思い出話をしてくれた。

 長雨と洪水で何か月も足止めされて大変だった、とか。

 北条氏康(ちちうえ)や武田信玄と交流できた事は貴重な経験だった、とか。

 小田原でご馳走になった料理、特に蒲鉾(かまぼこ)が美味しかった、とか…。

 結婚生活もそれなりに長いため、心身ともに疲弊している事に疑いは無かったが、当人は私にそれを悟らせまいとしてか、ぎこちないながらも終始笑顔だった。

 話が一段落した所で、五郎殿はちょっと真剣な顔付きになって言った。


「大事な話がある。今宵…寝ずに待っていてくれぬか。」


 夜、寝室で五郎殿が切り出したのは、そろそろ本格的に妊活を…もっと直接的な表現を用いるなら子作りをしないか、という相談だった。

 女性の自由なんて無いも同然の戦国時代にあって、妻の気持ちや都合を尊重してくれる五郎殿の心遣いに私は感激した。

 前世では交際経験も、肉体関係を持った経験も無かったため、躊躇が無い事も無かったが…五郎殿となら、やってみようという気持ちになれた。

 そして、生理周期から逆算して、都合のいい日付を前もって伝え、五郎殿もその日に早く帰宅出来れば、実際にやってみよう――という話になったのだが、前世=現代日本で多くの夫婦が不妊治療に苦しんでいたのと同様に、私達の『妊活』も一回でハイ終わり、とは行かなかった。

 同衾(どうきん)自体は、五郎殿が公務との折り合いをつけてくれたお陰でこれまでに五回、済んでいる。

 悪くなかっ…いや、めちゃくちゃ良かった、うん。

 …しかし月の物はやってきた。

 前世、男性上司に肉体関係を迫られた挙句に望まない妊娠をして、仕事を辞めざるを得なかった同僚を思い出す。

 子供が欲しくてしょうがない夫婦が報われない一方で、ヤリたくもない相手の子供を妊娠する女性がいる。

 世の中本当にままならない…いや、今は仕事の事を心配すべきか。




 11月末、寿桂様と沓谷衆が長い時間をかけて仕込んでいた謀略がようやく実を結んだ。

 三河国で一向宗寺院が岡崎松平に対して武装蜂起。これに家康殿の家中から離脱した武士や百姓――勿論一向宗門徒だ――が合流した結果、家康殿の勢力圏内に敵対勢力が出現したのだ。

 南北で有力国衆が城を構えている所に、内部にも敵を抱え込んだ家康殿はキャパオーバー寸前。この機を逃す手はないと、五郎殿は駿河、遠江の諸将に陣触れを発布し、今年二度目となる三河出兵の準備を開始した。

 一方、私はと言えば、家康殿に叛旗を翻した諸勢力からの密使と相次いで面談していた。

 家格の高い所だと東条吉良家、それから幡豆(はず)小笠原家に、松平の分家である桜井、大給、大草。それから一揆の主体である三河三ヶ寺…とにかく、敵の敵は味方、の論理で、家康殿に敵対した人達から続々と密使が送られてきたのだ。

 要求は基本的に一刻も早く三河に今川勢を進出させてほしい、とか、岡崎松平を滅ぼした暁には所領を安堵してほしい、とかそんな所だ。

 本来ならば、こういう交渉を担当するのは五郎殿の男性家臣と相場が決まっているのだが、今回は通常の謀反プラス一向一揆。寺院に対する論功行賞も武士と同様とはいかないし、首尾よく三河を再平定した後の利害調整を考えると迂闊な約束は出来ない。

 という訳で、何を言っても後で『それは妻が勝手に言った事』としてウヤムヤに出来るよう、実権が全く無い私が五郎殿の代わりに応対するように――という寿桂様の指示に従って、ここ数日間ひっきりなしにやってくる密使の皆さんの主張を聞いたり、あったかい料理をご馳走して気持ちよく帰ってもらったりしている訳だ。

 特に一向衆の密使は、私が領内の寺社に積極的に銭を寄進している事もあってか、曖昧な口約束でもすんなり帰ってくれた。


「御前様、大層お疲れとお見受けいたしますだ。近頃は見慣れねえ殿方ばっかしお相手だし…やっぱし飯尾(いのお)の奥方や天野(あまの)の奥方とお話出来りゃお楽しみいただけたかも知れねえです。」


 三河での一向一揆勃発により、情報統制が解除されたため、密使との会談に同席できるようになったお栗が無念そうに言った。

 飯尾、天野の奥方とは、五郎殿の陣触れに伴って遠江の自領に戻った有力家臣の奥さん達だ。私が今川に嫁いで以来、イベントや悩み事の相談等でそれなりに交流がある。

 夫に従って遠江に向かう直前、「御前様と直にお話したく」と面会を申し入れて来たのだが、三河から断続的にやって来る密使との面談を優先するため、断らざるを得なかった。

 もしや遠江で不穏な動きでもと思い、念のため寿桂様に確認を頼んだのだが、「謀反の兆候が無いとは言い切れないが、まず有り得ないので現状の任務を続行するように」という返事が返ってきた。

 謀反の兆候とは、今回の一向一揆を支援するために商人に流した武具の一部を、遠江の国衆が買い漁っていた事だ。

 ただ、いつ五郎殿から出陣準備の号令がかかるか分からないとなれば、平時から貯蔵しておこうと考えてもおかしくはない。

 第一、今川に叛旗を翻すなら事前に連絡を取り合って一斉蜂起するのがセオリーだが、怪しい手紙をやり取りしているという情報も入って来ない。

 それ以前に、今川から離反したとしても、遠江の国衆にはすり寄るべき大大名が存在しない。

 そんな先行き不透明の状態で謀反に踏み切るのは蛮勇、あるいは無謀というものだろう――というのが寿桂様の分析だった。


「ありがとう、お栗…でも大丈夫。此度の(はかりごと)が上首尾に運べば、三河が再び今川のものになる。そうなれば、全てが丸く収まるわ。」


 安心させようと笑いかけると、お栗は逆に困ったような顔になり、私に向かって両手の平を床に突いた。


「御前様、お許しくだせえ。わっちはこれから分限を(わきま)えねえ事を申し上げます。」

「…ど、どうしたの、急に?」

「こんな謀に手を貸すのは、これっきりにしてもらいてえでがす。」


 …は?

 思わず頭に血が上り、怒鳴りつけそうになったものの、済んでの所で我慢して聞き返す。


「何を言うの?これは寿桂様から授かった、大事な務めよ。現に、蔵人佐殿(松平家康)は追い詰められて…」

「追い詰めとるのは三河の一向衆だと、わっちも聞き及んどります。こないだまで田畑を耕しとった百姓もようけ加わっとると…それがお武家様を殺したり、お武家様に殺されたりするのは…乱世だもんで仕方ない事かもしんね。だども…」


 私は一瞬、鈍痛を忘れてたじろいだ。

 お栗が私に向ける視線が、余りにも真剣だったから。


「御前様は殺したり、(だま)したり、奪ったりするんじゃのうて…生かしたり、信じたり、お与えになったりして(みんな)あを豊かにされるお方じゃと、わっちは思うとりました。今の御前様はどっか無理をしとるみてえで…見ててしんどいですだ。」


 身分差を考えれば、不敬と断じて当然。にもかかわらず…私は絶句していた。

 言われてみれば、その通りだ。

 これまでの戦でも、百姓農民が全く無関係だった訳じゃない。乱暴狼藉の被害にあったり、乱暴狼藉をする側に回ったりと、様々な形で関与していた。

 でも今回は真っ向から岡崎松平に歯向かっている。戦況の推移によっては、皆殺しにされたっておかしくないのだ。

 それを止めるどころか後押ししたのは…他でもない、私だ。

 戦火が拡大して、三河全域の村がメチャクチャになって…お栗や七緒(ななお)さんのように村を出て行かなければならない子供達が大勢出て来ても…「今川が勝てればそれでいい」と、私は胸を張って言えるのか?


「わたし、は…」


 お栗の目を正面から見られず、視線をさまよわせていると、庭先から「御免!」と女の人の声がした。


二之丸(にのまる)七緒、参上仕る!御前様にご注進申し上げる!」

「…!もっと(ちこ)う!お栗、簾を上げて。」


 葛藤をひとまず脇に置いて指示を飛ばす。

 お栗が簾を上げると、七緒さんは荒く息をつきながら縁側で片膝を立てた。


「遠江にて、引間(ひくま)城主、飯尾(いのお)豊前守(ぶぜんのかみ)殿、ご謀反!」


 有り得ない事が起こった。

 それを理解するかしないかのタイミングで、私は気を失った。




 五郎殿の陣触れを利用して兵を集めた飯尾豊前守――連竜(つらたつ)殿は、今川との手切れを宣言して引間城と頭陀寺(ずだじ)城に籠城。

 当然、五郎殿は三河進軍を先送りして、手元に残った軍勢を飯尾家の鎮圧に差し向けた。

 五郎殿が両城の包囲を完了して、攻略の準備を進めていた翌月――(うるう)12月、今度は北遠江犬居領の天野父子が反乱。それに触発されたかのように、遠江の北から南まで、今川を見限る武将が続出していった。

 掛川城主の朝比奈(あさひな)泰朝(やすとも)殿のように、今川方への忠誠を改めて表明した武将もいたし、謀反を起こした武将の家中から今川方への残留を希望する武将もそれなりに現れたが、大勢を覆すには至らず。

 もはや三河の再平定などと言っている場合ではなくなってしまった。




 寿桂様は――いや、寿桂様と私は、余りにも合理的に物事を考え過ぎていた。

 世の中には、勝算が低くても、将来設計が曖昧でも実行に移す…良く言えば勇敢な、悪く言えば無謀な武士が確実に存在するのだという事実を見逃していた。

 事前に申し合わせた形跡が無かったのは、そもそも連携する積もりが無かったから。

 今川から離反した後にすり寄る先が無くても蜂起したのは、これ以上五郎殿の戦に付き合わされるのが嫌だったから。

 …謀反の最大の原因は、五郎殿の采配に求められるのかもしれない。

 けれどもし私が、三河での謀略に前のめりにならず、家中のケアをしっかりしていれば、あるいは。

 …永禄6年の暮れ、冷たい布団の中で、私はそう考えずにはいられなかった。

という訳で、『三河一向一揆』からの『遠州忩劇(えんしゅうそうげき)』(※『そう』が環境依存文字のため、正確に表示されない方もいらっしゃるかもしれません)コンボでした。

通常、境目の国衆が大名から離反する場合は、敵対勢力に寝返るのが通例ですが、遠州忩劇の主体となった領主達はそうした根回しをしていなかったようです。

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