#161 謀略の華、開く時
今回もよろしくお願いします。
永禄6年(西暦1563年)11月 三河国某所
雨戸が閉め切られた薄暗い部屋の中心で、灯台の明かりに照らされながら車座で座る男達がいた。うち三名は禿頭に袈裟と僧職の装いであり、残る一人は髷に直垂…即ち武士の格好をしている。
僧侶達は汚れやほつれがまるで見られない上質な墨衣を身にまとっており、着古した感の否めない直垂と比べると、あたかも武士の上位者であるかのように見えた。
「一同、よくぞ参られた。」
薄暗がりの中、口火を切ったのは武士の向かいに鎮座していた僧だった。
「知っての通り本宗寺証専殿は播磨(兵庫県南部)の本徳寺においでである。よって拙僧…本證寺住職、空誓がこの場を取り仕切らせていただく。」
さも当然のように言い放った空誓に、左右の僧――上宮寺と勝鬘字、それぞれの住職が浅く首肯した。
「異論はございませぬ。」
「空誓殿は本願寺法主、顕如様の縁戚にございますれば、至極当然かと。」
空誓は一瞬だけ口角を上げると、一転して憤怒の形相を見せた。
「本日寄り合いに招いたは他でもない…岡崎松平(家康)殿は、近頃常軌を逸しておられる。」
「先日三河に発布された、我らの寺内に改めて諸役(納税および軍事的貢献)を申し付けるとの触れにございますな。」
「家中には気の早い方もおられるようで…一昨日、武士の一団が我が寺内に押し入って兵糧米を持ち去ってしまわれました。怪我人もいささか…。」
空誓が差し出した種火に、二人の住職が薪をくべ、風を吹き込む。
三人とも、ここに集まった時点で結論はほぼ決まっていた。これまでのやり取りは、いわば意思の最終確認だ。
「お武家様方が相争う乱世にあって、寺内は力なき百姓の拠り所。しかるに、その寺内にまで手を伸ばそうとお考えならば…不本意ではあるが、弓矢をもってお答えする他ありますまい。」
本證寺、上宮寺、勝鬘寺――三河三ヶ寺と称される、三河国を代表する一向宗寺院である。彼らは門徒から寄進された所領と、その中に開いた市場から富を得ており、しかもこれら寺院の領域――寺内には、いかなる税も課されて来なかった。
こうした状況は三河国に特異の現象ではなく、むしろ当時の日本各地で当たり前に見られた光景である。
複雑な経緯は省略するが、室町幕府を頂点とする統治体制が崩壊し、地域権力(戦国大名)が台頭する過程で、浄土真宗本願寺派――門徒達は自らを一向宗とは呼ばない――の殲滅ではなく共存を選んだ(選ばざるを得なかった)ために、こうした『治外法権』的なエリアが諸国に出現するに至ったのだ。
三河三ヶ寺は本宗寺の指導の下、門徒達を教え導く立場にあり…その財産や特権を侵害する者に対しては断固たる姿勢で応じる必要があった。
公平無私に紛争を裁定してくれる上級権力が存在しない乱世にあっては、不殺生を掲げる僧職といえども、武力で自衛しなければならないのだった。
「御仏のお導きにございましょう、少し前に寺内町を訪れた商人が、鑓や鉄炮を安く大量に商っておりましてな…備えあれば憂いなしと買い置いたが吉と出ましたな。」
自らの先見の明を誇るように空誓が言うと、二人の住職が「ほう」と目を丸くした。
「不思議な事もあるもので…上宮寺にも鉄炮を携えた商人が参りました。」
「勝鬘寺にも、同じく。…空誓殿のお見立て通り、岡崎松平の暴政を憂いた御仏のお導きにございましょう。」
三人は然り然り、と頷き合ってから、空誓が床に広げた三河国の地図に目を落とした。
「折しも岡崎松平殿は幡豆小笠原殿、東条吉良殿に加えて親族の桜井、大給、大草にまで背かれて四面楚歌…ここで我らが三河一円の門徒衆に決起を呼びかければ、岡崎松平は内と外から食い破られて滅亡するに相違なし。」
空誓が断言すると、向かいの武士が「しばし、お待ちあれ」と声を上げた。
「いかがした、弥八郎殿。」
怪訝な表情で空誓が聞き返すと、向かいの武士――本田弥八郎正信が、日頃の人を食ったような態度を微塵も感じさせない真剣な顔付きで地図ににじり寄った。
「空誓様の術策、古の名将にも劣らぬ見事なものにございます。されど、岡崎松平の家中に名を連ねる門徒達は、蔵人佐(家康)殿を城内で闇討ちするを良しとせず、屋敷を引き払うをもって叛意の顕れとするでしょう。」
「むう、左様か。良策と思うたのじゃが…。」
「それゆえ、今川を引き込みまする。」
前後が繋がらず首をかしげる空誓達を尻目に、正信は懐から取り出した巾着袋から御世論の駒を掴み出し、手際よく地図の上に並べていった。
岡崎城を始めとした家康方の拠点に黒、それ以外の東三河を中心とした一帯に白。
「蔵人佐殿は暗君には程遠い武士なれど…知らず知らず百姓を侮っております。土民の一揆など烏合の衆に過ぎぬ、と…左様、武芸の心得が無い百姓が束になってかかっても、侍の軍勢には敵いませぬ。」
正信の冷徹な分析に、三人の住職は一瞬腰を浮かせたが、言葉を発する事は無かった。
かつての――伝承が正しければ――神仏が戦の行く末を左右した時代であれば、信仰心に富んだ百姓農民が、騎馬武者を引きずり落とす事も出来たかもしれない。だが今となっては、武芸の稽古を積み、武具甲冑で身を固めた侍に、百姓が勝つ目は万に一つも無い…正面からぶつかっては。
その現実を、三人は武士との『緊張を伴う』交渉を繰り返す中で骨身に染みて理解していた。
「されど、門徒の侍と…鉄炮があれば話は別にございます。」
幾つかの駒が黒から白に変わる。
一向宗門徒の蜂起により、家康の勢力圏内に突如敵勢力が出現する未来予想図が示された。
「知っての通り、今川上総介(氏真)殿は相当な戦上手。蔵人佐殿が内に敵を抱え込んだと知れば、間髪を入れずに兵を出して参られるでしょう。我らはそれまで寺内の守りを固め、蔵人佐殿の動きを妨げていれば、自ずと勝ちを拾えるものと存じます。」
「成程、武家との戦は武家に任せる、と…。」
「されど…我らが寺内に籠ったとて、岡崎松平は歯牙にもかけないのでは?いや、むしろ攻め掛かって来られれば、あっという間に寺内に攻め入られてしまうのでは?」
上宮寺住職が不安を口にすると、正信はゆるゆると首を横に振った。
「例え寡兵でも、取るに足らない小城でも…そこに敵がいると思う限り、気にかけずにはいられない。武士とはそういうものにございます。そして寺内を囲むとて、総力を投じるには至らない…北に酒井将監殿、南に東条吉良殿と幡豆小笠原殿が機を窺っているとなれば、万一に備えて兵を分けねばなりませぬゆえ。あとは門徒一同、堀や塀を頼りに守りに徹し、攻め寄せる敵兵には鉄炮や礫で応戦、門を破られれば三間半で仕留める…斯様にして時を稼げば、駿河より参じた今川勢が岡崎松平を破り、滅亡に追いやるかと。」
『専門家』の意見に感嘆の溜息を漏らすと、空誓は尊大な姿勢を保ちつつ、媚びるような色をその目にちらつかせた。
「さすがでございますな、弥八郎殿。貴殿がいち早く我らの一揆に同心してくださったは、正に御仏のお導き…やはり考え直してはもらえませぬか。一揆に加わる侍衆の大将を引き受けていただく訳には…。」
「有り難き申し出なれど、謹んでお断り申し上げる。拙者は日頃より岡崎松平の家中と折り合いが悪うございまして…拙者が大将を気取れば、皆不平不満を抱えて一味同心など夢のまた夢となりましょう。拙者の浅知恵が必要となれば、いつでもお呼び立てくだされ。」
三人の住職が去った後、一人残った正信は床に仰向けになり、天井裏をぼんやり見つめていた。
「始まるのか…戦が。御仏の名を借りて蔵人佐殿に叛旗を翻すなど、少し前までは考えもしなかったが…。」
ぽつり、ぽつりと…独白は続く。
「されど…勝算は五分、いやもっと悪いか。」
空誓達に戦勝を確約したのと同じ口から、悲観的な観測が飛び出した。
「この所、遠江の国衆の動きがおかしい…十中八九、駿府への謀反を企んでおろうな。相模への加勢は今川の名声を高めたが、加増の沙汰は無かった。三河の再平定で先手を務めたとて、上総介殿が重用するは功や能ある者のみ…その上『三州急用』とあらば、不平を抱く者は少なくなかろう。」
正信からすれば、そうした兆候を捉えて引き留め工作に走らない今川方の動きこそ不可解に他ならなかったが、その辺りの裏事情を探る程の伝手は無かった。
「上総介殿が陣触れを出すと共に遠江の国衆が蜂起すれば…今川勢の三河進出は遅れる。さすれば、蔵人佐殿が一つ所に兵を集める猶予が生まれる。門徒衆は寺内に籠って蔵人佐殿の勝報を聞くのみ…いずれは追い詰められよう。」
覇気の無い口調から一転、上半身を起こした正信は壁をにらむ。
「されど…寺内への立ち入りを易々と許す訳には行かぬ。一日でも長く抗い…せめて和睦に持ち込まねば。覚悟召されよ、」
蔵人佐殿、という正信の声は、かすかに震えていた。
本多正信が三河一向一揆に参加したのは事実ですが、一揆衆の中で重要な役割を果たしたかどうかは不明です。
ただ、戦国時代とはいえ、僧侶が軍事訓練に没頭し、兵法に詳しかったとも考えにくいので、軍事面の指導や作戦立案には、門徒である武士階級の人間が関わっていたと思われます。




