#159 相模の獅子と駿河の麒麟児
氏康と氏真の直接対談の様子をお伝えします。
書き出しから『相模』という文字が5回くらい連続して出て来るので、ゲシュタルト崩壊を招くかもしれません。
永禄6年(西暦1563年)8月 相模国 大神
厚い雲に覆われた空、降り続く雨。北は相模湖から東相模(神奈川県東部)を南に縦断し、相模湾へと流れ込む相模川は茶色に濁り、勢い良く流れていく。
その傍ら、高地にあって水害を免れた寺院に、無数の旗が立っている。旗は二種類、小田原に本拠を構える北条と、駿河国主今川のそれである。
そして、それぞれの軍勢を率いる大将――北条左京大夫氏康と、今川上総介氏真は、寺院の一室で対面し、静かに酒を酌み交わしていた。
「こんな日は、馬蔵と牛吉の事を思い出す。」
折烏帽子に鎧直垂と、何事かあればすぐに鎧を身にまとい、出陣できる出で立ちで腰を据えていた氏康が、思い出したように口を開いた。
「馬蔵と牛吉…はて、もしや我が屋敷の警固を務める不破馬蔵と門脇牛吉の事にございましょうか?」
同様の装いに、どこか雅な風格を漂わせる氏真が問い返すと、氏康は清酒で唇を湿らせた。
「昔の戦でな…物見に出た筈が、偶然敵方の小荷駄隊(補給物資輸送部隊)を見付けて…そこで知恵を巡らせて、小荷駄奉行の首を取って来やがった。その功に報いようと城門の警固役に任じたが…これが思いの外気の利く連中でな――」
氏康が足軽二人の手柄話を、我が事のように誇らしげに話すのを一通り聞き終えると、氏真は二、三度大きく頷いた。
「成程…倦まず弛まず警固の役目を果たす良き武者と思うておりましたが、左様な経緯があったとは。」
物々しい出で立ちに相違して、口調は穏当そのもの。
しかし氏康の胸の内には、相模川の激流に勝るとも劣らない苛立ちが、静かに、かつ留まる所を知らず、波打っていた。
そもそも、氏真が率いる今川勢がここにいる事――厳密に言えば、ここに『居続けている事』自体がある意味では異常事態だった。
今回の氏真の遠征の目的は、氏康率いる北条軍および甲斐武田家の軍勢と合流、しかる後、北条の軍事行動を直接的に支援する事にあり、当初の予定では大神(現在の平塚市)で氏康と合流次第、北関東に進軍して武田勢と合流する筈だった。
にもかかわらず、8月2日に大神で合流して半月あまり――氏康も氏真も、軍勢を動かそうとしない。
二人の前に、ある意味では百万の軍勢よりも厄介な難敵――長期に渡って続いた豪雨によって引き起こされた、河川の氾濫という天険の防壁が立ち塞がっていたからだ。
いかな精兵とて、猛烈な水流を押し渡る事は出来ない。かくして氏康と氏真は逸る心を抑えて――相模川のほとりで、足踏みを繰り返す日々を送っていた。
(今回の出兵は失敗だな。労多くして益少なし…まるで鶏肋だ。)
表面上は平静を装ったまま、氏康は心中で独り言ちる。
『魏の武帝と鶏肋』、古代中国、俗に三国志と称される時代の逸話だ。
逸話全体の解釈は横に置くとして、鶏肋――鶏の肋骨は、魏の武帝――曹操が当時置かれた苦境を暗示する食材として登場する。
味は良いが骨に着いた肉は僅か。食べずに捨てるには惜しいが、旨味に富んでいる訳でも無い。
勝ち目の薄い戦役に見切りをつけて引き下がるべきか、体面を守るため戦いを続けるべきか――そんな曹操の葛藤が描写されている。
やや前置きが長くなったが、氏康も同様の葛藤に苛まれている。
日の本有数の大大名たる今川と武田の加勢を得て、北関東における勢力を回復する――口で言うのは簡単だが、その実現には途方も無い手間暇がかかった。
今川は三河国で岡崎松平と、武田は北信濃で越後上杉と、それぞれ攻防を繰り広げている。それぞれに中長期的な見通しがある以上、それを丸ごと無視して北条の加勢だけに専念する訳にはいかないのだ。
ようやく日程のすり合わせが済み、北条方の村々への陣触れや武具兵糧の拠点への集積など、大軍をつつがなく運用する準備を粗方整えて、やっと氏真率いる駿河勢との合流にまでこぎ着けた――矢先の、大雨と洪水である。
(雑兵の欠落も随分出た。上野国で乱暴狼藉でもしてりゃあまだしも…相模国で足踏みしてりゃ、てめえの村の田畑が気になるのも無理はねえ…。)
米の収穫が迫る旧暦8月にあえて合戦を行い、敵方の兵糧で味方の雑兵足軽を食わせるという一挙両得の策を坂東に持ち込んだのは、誰あろう小田原北条氏の祖にして氏康の祖父、早雲庵宗瑞であると伝わっている。
人口過多の村などは特に軍役に協力的で、北条が『穀潰し』を自前の兵糧で養う事や、『穀潰し』が遠征先の乱暴狼藉で金品を略奪し、持ち帰る事を期待しているのだ。
だが、出征先での略奪を期待していた雑兵達も、長雨で東相模に釘付けにされている内に士気を喪失し、故郷の動静を気にした挙句に欠落する者が続出している。
不幸中の幸いと言うべきか、上野国へ北上する途上で招集した雑兵を吸収する予定だったため、ここ大神にいるのが北条の全軍では無い。また、主要拠点に兵糧を集積している上に、小田原との連絡も絶たれてはいない。つまり、飢餓の心配は無用という訳だ。
よって問題はただ一つ、進むか退くか。
即ち、河川の増水が収まるのを待ち、士気の下がり切った軍勢を率いて遠征を再開すべきか。降り止まぬ雨に見切りをつけて遠征を中止し、小田原に引き揚げるべきか。
(こんなザマで上野国まで攻め上がっても、大して戦果が挙がるとも思えねえ…とっとと見切りをつけて小田原に引き揚げたい所だ、これが北条だけの話だったらな。だが、武田や今川の加勢を取り付けた以上…北条の都合だけで戦を切り上げる訳にも行かねえ。流石に大神で年を越す羽目にはなるめえが…水が引き次第相模川を渡り、武田勢と合流して城の一つでも攻め落とせりゃあ上出来さな。)
自身が置かれた状況を的確に把握した上で悲観的な展望を脳裏に描いた氏康は、恨み言や愚痴を清酒と共に飲み下すと、何でもない風を装って義息子――娘の夫、今川氏真に別の話題を振った。
「それにつけても駿河勢の規律の行き届いた事といやあ…相模勢と違って一人の欠落も出してねえんじゃねえか?はるばる相模まで連れて来られて、長雨で寺に釘付けになってるってのに。どうすりゃそんな精兵が育つのか、聞いてみたいもんだぜ。」
半分は本音、もう半分は長期滞陣に付き合ってくれる同盟相手のご機嫌取りが込められた疑問に、氏真は微笑みながら首を横に振った。
「精兵などと、大層な事はござらぬ。実を申しますと、此度連れて参りましたは皆銭で雇った足軽にござる。」
「ほう…?」
氏康が興味深そうに吐息を漏らす。
内心、かつて目をかけていた長男の天用院殿――氏親にそっくりな男が今川の当主として他人行儀に振る舞う様にいささかの心痛を覚えていたものの、それを表に出す事は無かった。
「三河国に兵を出す折は村々に触れを出し、百姓を雑兵として戦に臨み…此度は足軽のみで左京大夫殿の加勢に参りました。足軽には出陣の日数に応じて銭を払うと約束しておりますゆえ、乱取りの沙汰が無くとも大人しくしております。」
「成程…聞く所によると、駿府には『駿河人足』なる店があり、他所の商会の日雇い仕事から普請の人足、戦の折には足軽を出して、駿河の商いや戦を支えているとか。無宿人の不行跡を防ぎ、政や戦に活かす…一挙両得の妙策だな。」
「いや、駿河人足を立ち上げたのは儂にあらず。奥…左京大夫殿の娘御にございます。」
氏康は片眉をぴくっと動かすと、わざとらしく咳払いをした。
「ほう…あいつがそんな知恵者だったとはなぁ。」
「此度三河に続いて相模に兵を出せたのも、奥の内助のお陰にござる。儂が家中に軍役の追加を申し付けるに当たり、率先して銭を献上して、皆の不平をなだめてくれ申した。」
「そりゃ大したもんだ。」
思わず上擦った氏康の声に気付かぬ風で、氏真は言葉を重ねる。
「小田原で馳走になった蒲鉾は大層美味にございましたが…十年前の儂では食すに食せなかった事にございましょう。恥ずかしながら昔は海の幸が苦手で…奥が屋敷の厨人を励まして調理に工夫を凝らしてくれたお陰で、左様な事は一切無くなり申した。」
この時代の蒲鉾は魚のすり身を棒に巻き付けて火を通したもので、形状に限れば今で言う竹輪に近い。
相模国の名産品を褒められた事で、氏康はますます上機嫌になった。
「ほうほう、そりゃあ…随分と結に入れ込んでるみてえじゃねえか。こりゃあ孫が増えるのもそう遠い話じゃなさそうだ。」
氏康が何の気なしに言うと、氏真は笑顔で首を横に振る。
「いやあ、吉報をお届けするのは当分先になるかと…何せ未だに交合った事がございませぬゆえ。」
ぴしり、と。
氏康が持っていた酒盃にヒビが入った。
「…は?」
氏康がドスの効いた疑問符を漏らすと同時に、雨雲から雷が閃き、数拍の間を置いて雷鳴が轟いた。
氏真は動じる事なく酒盃に口づけ、清酒をじっくりと味わいながら飲み干す。
「…ふう。ここで蜀漢王、劉玄徳の如く慌てふためいていれば、あるいは大国の主となれたやも――」
「聞き捨てならねえな。」
冗談まじりに三国志の故事を引こうとした氏真を遮って、氏康は乱暴に酒盃を置いた。
「傾国の美女って程じゃねえが、俺の娘はどいつもこいつも器量よしだ。才覚も申し分ないってのはてめ…上総介殿自身が認める所。それを差し置いて他所の女に現を抜かすってのは、道理が通らねえ…んじゃねえか。」
氏康の手が、友好の意を示すため側近に預けた小太刀を求めて無意識に動く。
片や相模の獅子に睨まれた氏真は、と言えば…数瞬きょとんと氏康を見つめ返したかと思うと、合点がいったとばかりに含み笑いを漏らした。
「いや、これは言葉が足りませなんだ。儂は生まれてこの方、女人と交合った事がございませぬ。無論、男とも…されど心配ご無用、屋敷で眠る折には奥と床を並べておりますゆえ。」
「尚更分からねえな。輿入れからもう十年近く経つ。裳着の儀もとっくに済んでる筈だ。それで手を出さねえってえのは…俺の娘を女と思ってねえ、って事じゃねえのか?」
尚も食い下がる義父に、氏真は神妙な面持ちになると、酒盃をそっと置いて居住まいを正した。
「左京大夫殿の子を思う親心…深く感じ入り申した。されど噓偽りは申しませぬ。結が我が家に嫁いで来た事は当方一代の冥利、天佑と思うております。」
「だったら…。」
「儂が結を抱かぬは、ひとえに己自身への恐れゆえにござる。愛しく思うあまり、交合いの最中に正気を失い、結を傷つけてはしまわないか、と…。結が日頃より奥向きや駿河の商いの差配に奔走しているとあっては尚更、子作りはくたびれるものとも聞き及んでおりますれば。」
氏康は一旦口を閉じると、腕を組んでしばし瞑目した。
「…成程、俺の娘を徒らに蔑ろにしてる訳じゃねえらしい。」
「お分かりいただけて、何より…。」
「だがな、心配してんのは上総介殿だけじゃねえ。結もだ。」
え、と短く息をつく氏真に、氏康は腕組みを解くと、両膝に手をつき、実の息子に諭すように語りかけた。
「助五郎(氏規)が小田原に戻ってしばらく経った頃…結から文が届いた。上総介殿も目は通したと思うが…『妹のごとく思っていた紫吹殿と死に別れ、助五郎殿も小田原に戻る事と相成り、親類縁者との離別、心細く思う事もございます。されど五郎殿が今川のため寸暇を惜しんで奔走しているとあっては、泣き言を申す暇も無いものと心得て』…相模まで加勢を頼んだ俺が言えた義理じゃねえが、夫婦として過ごす時間を取れてんのかい?」
「ッ、それは…言われてみれば、近頃はめっきり…多忙を言い訳に、心を通わせる時を設けようとしておらなんだやも…。」
「駿府に戻ったら、どうにか時間を捻り出して…結と子作りの相談をしてみりゃいい。きっと否とは言わねえさ。後はお互いの日取りをすり合わせて…な。」
語尾を濁した氏康に対し、氏真は両手の甲を床に突くと、頭を下げて感謝の意を示した。
「左京大夫殿の助言、骨身に染みましてございます。どうかこれからも、この若輩者にご指南いただきたく…。」
「莫迦言っちゃいけねえ。上総介殿はとっくに駿河国主じゃねえか。どうしてもってんなら見て盗め。…この隠居の身に、盗めるモンがまだ残ってりゃあの話だがな。」
「お戯れを…。」
氏真は再び微笑むと、徳利と酒盃を持って立ち上がり、氏康の真正面まで歩み寄ってから腰を下ろした。
意図を察した氏康が予備の酒盃を持ち上げると、氏真はそこに手ずから清酒を注ぐ。
「奇特な巡り合わせもあるもんだ。」
「は?」
「独り言だ。…上総介殿も、そら。」
今度は氏康が、氏真の酒盃を満たす。
「改めて礼を言う。此度の加勢、恩に着るぜ…婿殿。」
「何の、我らは血の盟約で結ばれた間柄なれば…今後とも、互いに助け合って参りましょうぞ。」
氏康は獰猛な笑みを、氏真は義元に似た底知れぬ微笑みを浮かべて、ほとんど同時に酒盃を傾けたのだった。
数日後、ようやく長雨が降り止み、氏康と氏真は相模川を渡って北上、西上野(群馬県西部)にて信玄率いる武田勢と合流する。
しかし今度は利根川が氾濫していたため、駿甲相の連合軍は一か月に及ぶ足止めを食らう羽目に陥った。
本格的な冬が迫る10月、東国有数の大大名三名が一堂に会した連合軍は、その規模に見合う戦果を挙げられないまま解散、撤退に至る。
坂東の戦況が大きく動くのは永禄7年(西暦1564年)正月。
年が明けて間も無くの事となる。
戦国時代において、同格の大名が直接顔を合わせる事は滅多に無かったようですが、数少ない例外の一つとして、この長期遠征の際に、今川氏真、武田信玄、北条氏康の三者が一堂に会したのは間違いないようです。
これだけの顔ぶれが揃っていながら戦果がパッとしないのは何故だろう?と調べた結果、氏康達の行動が天候による制限を受けていた事が分かったため、今回のような展開になりました。
もしナポレオンの『三帝会戦』のように、上杉謙信vs北条氏康&武田信玄&今川氏真――という展開になっていたら、戦国史に残る激戦になっていた…かもしれません。




