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#156 Good-bye sweet memories.

[週間]歴史〔文芸〕ランキング3位!ブックマーク1,700件突破!総合評価7,000pt突破!(2024年10月13日現在)

これ全て拙作を読み、評価してくださった皆様のお陰です。

誠にありがとうございます。

今後もたゆまず投稿を続けていく所存です。

 全ては粛々と進められた。まるで、紫吹(しぶき)殿の早逝が、あらかじめ決定されていたかのように。

 …勿論そんな事は無い。

 現代日本よりも貴人の生死が一大事である以上、誰それが死にそうだとか、死ぬのはいつになりそうだとかいう情報は、一定以上の地位にある人々にとってはスケジュール調整に必須の要素なのだ。

 だから、紫吹殿の葬儀がつつがなく執り行われた事は、むしろ喜ぶべき事であった。

 嬉しい誤算…と言うべきか、参列者の人数も予想を大きく上回った。

 関口刑部少輔(せきぐちぎょうぶのしょう)家は今川家御一家衆の中でも厄介者扱いを受けているため、その葬儀もさみしいものになると想定されていたのだが、重臣あるいはその名代が多数出席してくれて、家格に相応しい規模の葬儀になった。

 これには、私の地道な積み重ねが少なからず影響したようだった。

 刑部少輔家の立場が悪化した後も、御前様(わたし)がそれなりに面倒を見ていた事実は広く知れ渡っていた。その刑部少輔家の葬儀に参列しなければ、御前様の機嫌を損ねる恐れがある――という打算が、彼らを突き動かした、という次第である。

 正直いい気分では無かったが、溺れる者に石を投げるかのごとく、葬式にだって行ってやるものか、という態度をとられるよりは数段マシだった。




 紫吹殿がただ可愛い後輩だったならば、個人的な感傷と共に苦い思い出の一ページに出来ただろう。

 しかし紫吹殿は関口刑部少輔家の血を継ぐ唯一の女子…『だった』。必然的にその死は今川家中の政治問題に発展する。

 即ち…紫吹殿を介して繋がっていた関口(せきぐち)伊豆守(いずのかみ)氏純(うじすみ)殿と、婿養子である氏規(うじのり)兄さん――北条(ほうじょう)助五郎(すけごろう)氏規との血縁関係が消滅した。

 それはつまり、関口刑部少輔家の跡継ぎが不在となった事と…氏規兄さんが駿府に留まる理由が消滅した事を意味していた。

 元々兄さんは、輿入れ当時の私が幼すぎたために、『同盟保証金上乗せ』のような形で駿府に先着していた。その素質を見込んだ義元殿が、男子のいない刑部少輔家の後継者問題を解決するため、次女の紫吹殿と婚約させたのが、そもそもの始まりである。

 しかし私はとっくに成人し、刑部少輔家と氏規兄さんの血縁関係も消失した。つまり、氏規兄さんが駿府に留まる理由は、最早存在しないのである。

 紫吹殿に続いて、氏規兄さんまでもが、私のそばを離れる日が近付きつつあった。




永禄6年(西暦1563年)正月 駿府近郊の浜辺


 天候は快晴。冬にもかかわらず、ほんのり温かい日光が砂浜を照らし、風も微弱。

 理想的な気象条件の中、私は氏規兄さんと、暖房用の焚き火を前にして並び立ち、海を眺めていた。


「兄上の仰せの通り、この上ない日和(ひより)にございますね。」


 少し離れた辺りで周辺警戒に当たる警固の侍達を視界の端に捉えながら、私は当たり障りのない話題を口にした。

 真冬に海辺で潮風を浴びるとか、風邪をひきたい人間でもなければ普通はやらない事だが、今日に限ってはそうはならないという確信があった。日程と場所を提案してきたのが、氏規兄さんだったからだ。

 氏規兄さんは『潮風のお告げ』を介して、極めて高い確率の天気予報をする事が出来る。今回もその予想は当たり、私達は落ち着いて話をする事が出来た。

 …そう、今回も。

 『潮風のお告げ』は紫吹殿の早逝をも予言していた。結局、それは覆らなかったという訳だ。


「…ここは紫吹殿と度々訪れた。お主に夫婦(めおと)としての心得を諭されてから…舟遊びはせなんだが…海鳥を数え、貝殻を拾い…由無事(よしなしごと)を話し合った。」

「心得を諭す、などおこがましい…幼子(おさなご)癇癪(かんしゃく)にございました。」


 恥ずかしくて氏規兄さんの顔が見られない。

 『潮風のお告げ』を言い訳に、紫吹殿と正面から向き合えずにいた兄さんが見ていられなくて、人生の先輩ヅラで――精神年齢は一応私の方が上だが――キレ散らかしたイタい思い出だ。


「お主も知っての通り…北条氏康(ちちうえ)より文が参った。伊豆守殿との縁が切れた以上、駿府に留まる義理は無い。春には箱根を越えて、小田原に戻れ…と。」


 自分が言われた訳でもないのに、反射的に頷く。

 氏規兄さんは既に御一家衆の一員という肩書きを失った。これ以上駿府にいても、出来る事は何も無い。


駿河(ここ)に来るまでのわしは…心を閉ざしておった。己にのみ聞こえる『潮風の声』に怯え、惑い…さりとて誰にも打ち明けられず、ただ父上に命じられるままここへ…されど、太守様(今川義元)や太原雪斎(たいげんせっさい)殿、御屋形様(今川氏真)や伊豆守殿と良き縁に恵まれた。蔵人佐(松平元康)殿の事は…いや、詮無き事か。」


 氏規兄さんが列挙した人名から、思えば結婚して8年以上経ったのか、と感傷に浸っていると、ごそごそ、と紙のこすれる音がした。

 兄さんの方に視線を送ると、綺麗に折り畳まれた紙を懐から取り出している所だった。


「わしが引き取った遺品はこれ一つ…紫吹殿がくれた文じゃ。裳着の儀を終えて間も無く…口にするのは面映(おもは)ゆいから、と。」

「お借りしても、よろしゅうございますか。」


 ノータイムで手渡されたそれを、慎重に開いて目を通す。

 内容はいかにも紫吹殿らしく…ようやく自分も一廉(ひとかど)女性(にょしょう)になった、これからも仲睦まじい夫婦(めおと)でいたい…と、そんな事が書かれていた。

 私は一瞬で緩みかける涙腺(るいせん)に力を込めて、氏規兄さんに確かめなければならない事を聞いた。


「兄上は、これをいかになさるお積もりで?」

「無論、小田原に携えて参る。この文さえあれば、何時(いつ)何処(いずこ)にても紫吹殿との縁を思い返す事が出来るであろう。」


 即答。それを聞いた時、私がすべき事は決まった。

 私は手早く紫吹殿の手紙を畳むと…それを焚き火に放り込んだ。


「⁉な、何を…!」


 いつも冷静沈着な氏規兄さんが、珍しく驚愕の声を上げる中、手紙はあっという間に炎に包まれ、灰になっていく。


「なにゆえ、なにゆえこのような…(ゆい)!返答次第では許しておかぬぞ!」


 怒りの感情を露わにする氏規兄さんに向き直ると、その左手は腰に差した小太刀の鞘を押さえていた。あとは右手が(つか)を握り、抜刀すれば、私の命は風前の灯火となる訳だ。

 …正直メチャクチャ怖い。怖い、が…それでもここは退く訳にはいかなかった。


「許さぬ、と仰せならそれで結構にございます。されど…このまま兄上を小田原にお返しする訳には参りませぬ。」

「何じゃと…?」


 逃げ出したい気持ちをぐっとこらえて、兄さんの目を見つめる。…肉食獣みたいな目つきでにらみ返された。こ、根性。根性で踏ん張る。


「兄上は遠からず小田原に戻り…新九郎(氏政)殿の弟として北条家を盛り立てて行かねばなりません。玉縄殿(北条綱成)の姫君との縁組も進められていると、お伺いしました。」


 綱成殿は東相模の要衝たる玉縄城の主で、父上の妹を妻に迎えた義兄弟とでも言うべき重鎮だが、近頃その役割分担が問題になっている。

 綱成殿が率いる玉縄衆は北条家有数の精鋭として各地の戦闘に参加しているが、一方でその立地上、海に面した三浦郡の経営も担当している。

 ところがこの三浦郡は対岸の房総半島からやって来る里見水軍の脅威にさらされており、綱成殿は北で上杉と戦ったり、南で里見と戦ったりしなくてはならない (里見水軍と直接戦う三浦衆の指揮は父上が行っているらしいが、領地経営者と軍事指揮官が違うというのもそれはそれで大変だろう)。

 そこで氏康(ちちうえ)の息子である氏規兄さんと、綱成殿の娘を結婚させて、三浦郡と三浦衆のトップを一本化、独立させる――というのが、現在進行中のプランの概要だそうだ。

 まあ難しい政治軍事の話を抜きにすると…氏規兄さんの『次の』結婚相手はもう決まっているのだ。


「…それがいかがした。小田原に戻れば北条の御一家衆として、いかなる務めにも粉骨砕身して…。」

「駿河の女子(おなご)に未練を(いだ)いたまま…誠にそれが叶いましょうか?」


 私の問いかけに、兄さんの瞳がかすかに揺らいだ。


「兄上がその積もりでも、事あるごとに懐から紫吹殿の文を出し、眺めておられては…三浦の方々も兄上に心から服そうとはなさらないでしょう。助五郎殿は心を駿河に置いてきたか、と。」

「…。」

「何より…亡き奥方の文を後生大事に持ち歩かれる事は、誰のためにもならないものと存じます。兄上、玉縄殿の姫君…それに紫吹殿にも。」

「紫吹殿にも…?」


 完全に怒気を失った声に、私は浅く頷いた。


「兄上が未だに紫吹殿を慕っていると知れば…玉縄殿の姫君との暮らしは仮初(かりそめ)のものとなりましょう。例え兄上との間に子を成したとしても…紫吹殿を(ねた)み、恨み…呪う事となりましょう。それでは…誰も報われませぬ。」

「…では、どうせよと申す。」


 兄さんの左手が小太刀の鞘から離れたのを確認してから、深呼吸をする。

 人様の恋愛感情をどうこうしようと言うのだ、生半可な覚悟は許されない――。


「どうか、紫吹殿との思い出の一切を置いて行っていただきたく存じます。そして、相模に戻ってからはゆめゆめ思い返す事の無きよう…。」

「…一切、か。」

「何気ない言葉、何気ない所作に、紫吹殿の影が差し込むものと心得てください。海の様子、料理の味付け、詩歌の才、人柄…決して駿河国や紫吹殿と比べてはなりませぬ。」


 我ながら酷な事を言っている自覚はあった。

 好きなら堂々と付き合えばいい、と発破をかけておいて、紫吹殿が死んだら忘れろと言う。身勝手にも程がある。

 …それでも、氏規兄さんには紫吹殿への未練を吹っ切ってもらわなくてはならない。

 私達の――武士の子の結婚は、個人的な恋愛感情でどうこう出来るものではなく。ほぼ確実に、政治的な事情が関係するものなのだから。


「いつか御屋形様が仰せになった通り…お主は北条政子殿の生まれ変わりやも知れぬのう。」

「いいえ、夢見によれば私の前世はしがない百姓にございます。」


 食い気味に否定すると、氏規兄さんは苦笑した。


「左様か。なれど、お主の申す事、一々もっともじゃ。…相分かった。紫吹殿との思い出は、駿河に置いていく事と致そう。…代わりに二つ、頼みたい事がある。」


 完全に臨戦態勢を解き、海の方へと向き直りながらそう言った氏規兄さんの次の言葉に、私は耳を澄ました。


「一つは養父上(ちちうえ)…伊豆守殿の事じゃ。このままでは刑部少輔家の跡継ぎが絶えてしまう。家名を絶やさずに済む妙手は無いか。」

「御屋形様も、寿桂様も気にかけておいでで…私も御一家衆のお歴々に探りを入れたのですが、色よい返事はいただけませんでした。」

「さもありなん…ここ数年来、刑部少輔家には不始末と不運が相次いだ。伊豆守殿ももとは婿養子、その遠縁を養子に…とは参らぬか。」


 もしも。

 もしも桶狭間の戦いで、重臣多数が討死していなければ。

 今川家の男性人材にもっと余裕があれば。

 …全部今更だ。


「もう一つは、紫吹殿について…わしの代わりに、泣いてやってくれぬか。」

「は…?」


 発言の意図が理解できず、困惑の吐息を漏らすと、兄さんはいつものように分かりやすく説明してくれた。


「わしは男子(おのこ)、しかも武士(もののふ)じゃ。例え親兄弟と死に別れても涙する事は許されぬ。されど…このままでは紫吹殿への未練を断ち切れそうにない。勝手ではあるが…わしの代わりに、泣いてくれ。泣いて、紫吹殿を(とむら)ってくれ。」

「かしこまりました。そういう事であれば、喜んで。」


 それで兄さんの気持ちの整理がつくのであれば、私が断る理由は無い。

 私は海の方へ向き直ると、寒空を見上げて両目をつぶった。




『御屋形様、御前様、ご機嫌麗しゅう…。』

『御前様、先日の下人(げにん)中間(ちゅうげん)との仲裁、お見事にございました。不偏不党(ふへんふとう)とはかような仕置の事かと…。』

『わたくしも、いずれは御前様のように、己の生計を己で賄う女子(おなご)に――』




「…く、ううっ、ふええええ…。」


 涙腺の決壊は、思ったより早かった。

 結局、私は何一つ納得できていなかったのだ。

 私なんかよりはるかに勤勉で、将来性にあふれていた少女が、どうして『歴史の修正力』とかいうあやふやな理由で死んだ…いや、死ななければならなかったのか、と。

 どうして自称神様は、特別な知識も技能も無い私を、飛びぬけた転生特典も付けずに転生させたのか、と。

 どうして、どうして、どうして――

 泣きわめく私の頭の中は、その言葉でいっぱいになっていった。




 私が泣きやんだのは、小田原で天用院殿――氏親(うじちか)兄さん――を亡くして以来の大泣きが一段落してからの事だった。


「重ねて礼を申す。お主には散々世話になった…定めなき浮世の事ゆえ、確約は出来ぬが…いつかきっと、この恩に報いよう。」


 そう言いながら懐紙を差し出した氏規兄さんの好意に甘えて、思いっきり鼻をかむ。

 なんだかんだ私も戦国時代の感覚に順応してきたし、これだけ泣けば明日には通常業務に戻れるだろう。そんな確信があった。


「それと…言うておかねばならぬ事があった。」


 不意討ち気味に思わせぶりな言葉を口にする兄さんに、思わず身構えると、兄さんは海を背にしてうっすら微笑んでいた。


「紫吹殿には、月の物が来ておったそうじゃ。お主はまたしても、『潮風の声』を覆した。その事を…その事を、忘れずにいてほしい。」


 言うだけ言って氏規兄さんは歩き出す。

 私はまたもわき出した涙を必死にぬぐって、その後を追った。




 冬が終わる頃、氏規兄さんは護衛部隊と共に相模国との国境に向かった。例によって、小田原からの出迎えと国境で合流し、そこからは彼らに護衛されながら、小田原に向かう。

 しばらくすると、やれ北条水軍の荒くれを相撲で黙らせただの、やれ乗っていた船が『たまたま』里見水軍と遭遇、交戦して追っ払っただのと、威勢のいいエピソードが駿府にまで届き始めた。

 私はそれらの中に、氏規兄さんが駿河を懐かしむ様子が微塵も見られないという現状を前にして、ひと安心すると共に…やっぱり少しのさみしさをも感じるのだった。

一般的に関口氏純は、松平竹千代(信康)を岡崎に奪還された直後に死んだ――という描き方をされる事が多いですが、実際にはその後も肩身の狭い思いをしながら活動していたようです。

永禄9年(西暦1566年)までの生存は確認されていますが、いつ死んだかも分かっていません。

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紫吹ちゃん…。R.I.P 兄さんはまた会えますか…? あとがきからはちょっと不穏な匂いがするんですが…。 更新ありがとうございます。
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