#154 関口さんちの妹ちゃん
まず、いつも拙作の投稿を楽しみにしてくださっている皆様。
今回投稿が遅れた事に大した理由はございません。
作者の単純なミスによるものです。
大変失礼いたしました。
永禄5年(西暦1562年)6月 駿河国 駿府館
突然だが、『平和』について考えた事はあるだろうか。
『平和』と言っても麻雀(私もやった事は無い)の役の方ではない。英語で『piece』…じゃなかった、『peace』の方の『平和』である。
私が『peace』について考えたのは、五郎殿の遠征も、三河国のどこそこに岡崎松平の軍勢が攻め入ったという知らせも無く義元殿の三回忌法要が終わってからしばらく経ってからの事である。
日本全国群雄割拠で平和もクソも無い筈なのだが、桶狭間の戦いで義元殿が討死して以来、上杉謙信の小田原包囲やら元康殿の謀反やらと、情勢が二転三転してきた事を思えば、三回忌法要をつつがなく終えられた事は十分に平和の賜だった。
この平穏の立役者と言えば、私の父にして北条家先代当主、北条氏康である。五郎殿いわく、今川の後詰という『借り』を返すため…口先だけで元康殿を牽制し、曲がりなりにも交渉の席に着かせてくれた、メチャクチャ凄い人である。
まあ、北条が実際に援軍を出せる可能性は秋が近づくほどに低下する――北条には北条の都合があるので――上に、今川と岡崎松平双方の妥協点が見出せない以上、この数か月間は次の戦までの準備期間にしかならない、らしいが…それでもようやく、やっと、落ち着きを取り戻したと思う今日この頃である。
駿府館の自宅に来客があったのは、そんな風に平和を噛み締めながら通常業務に励んでいた夏。義元殿の三回忌法要から半月が経った、よく晴れた日の事だった。
お客様の内訳は関口刑部少輔家当主、氏純殿と、次女の紫吹殿、その夫で私の兄でもある北条助五郎氏規、以上3名。
一括りにすれば、長女の瀬名殿とその夫である松平元康殿を除いた関口家御一行様である。
氏純殿は玄関先で軽く挨拶を済ませると、従者を引き連れて五郎殿が待つ本館へ。私は応接間で、紫吹殿と氏規兄さんの相手をする事になる。
「この度は御前様へのお目通り叶いまして、恐悦至極にございます。」
久し振りに紫吹殿と対面した私は、その変化に驚きっぱなしだった。まず、その元気な事と言ったら。
桶狭間の戦いから少し前、氏規兄さんから恋愛相談――いや、人生相談か――を持ち掛けられた頃の紫吹殿は、『病弱』そのものだった。虚弱体質で寝込みがち、おまけに偏食で食も細いという、どこから手を付ければ健康体になれるのかと頭を抱えるレベルだった。
しかしこの数年、食生活の改善や氏規兄さんとの外出などが紫吹殿の心身に好循環をもたらし、全くの健康体とは言えないまでも、随分と改善されたようだ。
そんな私の推測を裏付けるかのように、数え12歳の紫吹殿は終始ハツラツとした調子で、私と五郎殿の内政手腕をこれでもかと褒めちぎってくれた。
「わたくしも御前様を手本とし、奥向きより助五郎殿をお支えして、今川を盛り立てる一助となる覚悟にございます。」
いやあ参った。
前世の私が小6、中1の時何考えてたかって言ったら、自分の事ばっかりで、紫吹殿みたいな高い志は無かったと言わざるを得ない。
この歳でもう一端の淑女に…と感極まりそうになった私は、お礼と激励を兼ねてお茶とお菓子を出したのだが…。
「…ぅ…っは、ご無礼、仕りました。ええと、その…。」
血糖値の上昇に伴ってうつらうつらと船を漕ぎ始めた紫吹殿に、私は苦笑しながら、少し睡眠を取るように勧めた。見方によっては、さっきまでのハイテンションも、寝不足に伴う症例の一つと捉えられなくもない。
頼もしさと微笑ましさを感じながら、布団を敷いた客間へと案内される紫吹殿を見送っていると、若奥さんの隣で沈黙を貫いていた氏規兄さんが軽く頭を下げた。
「妻の非礼、わしからも詫びる…どうか許してくれぬか。昨夜も刑部少輔殿を手伝い、『駿河人足』の目録に目を通しておったゆえ…。」
「なんと、それは…。」
紫吹殿が心意気だけでなく、ガチで実務に携わっていたと聞いて、私は一瞬言葉に詰まった。
「そういう事であれば、許すも何も…御一家衆の姫として文句の付けようも無い姿勢、家中の鑑と言っても差し支えないかと…。」
「実はその事で、相談がある。」
どこか落ち着かない様子で言葉を選ぶ氏規兄さんを待つ事しばし。
「紫吹殿は近頃…いささか、生き急いでおる。」
「…と、申されますと?」
「朝から夕方まで勉学に励み…夕餉の後には刑部少輔殿を手伝って駿河人足の商いについて学んでおる。…使った紙、墨、油の銭は自分の懐から払っておる。」
私は自分の見立てが甘かった事を知り、生唾を飲んだ。
戦国時代における武士の男子が大人になる儀式――元服が一般的に数え15歳、女子の成人式に該当する裳着の儀が大体12歳。その裳着の儀を、紫吹殿は今年の正月に済ませたばかりだ。しかも実質実家暮らしと来てる。
本当ならもっと親のスネをかじって、もうちょっと自堕落な日常を送ってたってバチは当たらないはずだ。
それがどうしてそこまで――
「…蔵人佐殿と瀬名殿の代わりになろうと、紫吹殿はそうお考えなのですか?」
背筋に寒いものを感じながら口にすると、氏規兄さんは重々しく頷いた。
「義父上が本日参られたのも、刑部少輔の名乗りを返上すると御屋形様(氏真)に言上するため。今後は伊豆守を名乗り…いずれはわしに『刑部少輔』を譲るお積もりであろう。」
いつものクセで、袖口で口元を隠しながら、私は考え込んだ。
この数年で関口刑部少輔家の立場は大いに悪化した。まず、いずれは『準御一家衆』として今川を支えてくれる筈だった松平元康殿が謀反。続いて、その岡崎松平のコントロールを取り戻す切り札として注目されていた元康殿の嫡男竹千代君を岡崎に奪還されてしまった。
前者はまだしも、人質交換については五郎殿が決定した事なので、氏純殿が責められる理由には本来なりえない…のだが。人質交換以降、主に古参の重臣達から氏純殿に対する追及は日増しに酷くなっていた。
五郎殿いわく、
「儂の仕置に不満を抱いておろうとも、儂を誹る訳にはゆかぬ。それゆえ、儂が頼みとしておる刑部少輔を咎める事で、暗に儂を詰っておるのじゃ。」
との事だった。…陰険だが、理には適っている。
ともかく、氏純殿は今非常にまずい立場にいる。その上、五郎殿の出陣に同行して戦功を挙げて、失態をチャラにする事も出来ないのだ。
そこで氏純殿と紫吹殿が希望を託すのが、婿養子の氏規兄さん、という訳だ。
氏規兄さんはとっくに結婚式を済ませているが、名字は相変わらず北条のままだ。上杉謙信との戦で一進一退の攻防を繰り広げている北条家からは、出来れば氏規兄さんは紫吹殿と離縁して小田原に帰って来てほしい、といった内容の手紙がちょくちょく届いている。
そこで今回の氏純殿の隠居…を逆に活かした氏規兄さんの囲い込み作戦が進行している。
今更だが、私達がいちいち関口『刑部少輔』家と呼んでいるのは、他に関口『刑部大輔』家があるからだ。よって原則、関口刑部少輔家の当主は『関口刑部少輔』を名乗る事になる。
ここで氏純殿が諸々の責任を取る形で『伊豆守』に名乗りを改め、吉日を選んで氏規兄さんに『刑部少輔』を継がせれば、氏規兄さんは名実共に関口刑部少輔家の跡継ぎにぐっと近付く。
氏規兄さんは北条氏康の四男坊で御一家衆の婿養子、しかも寿桂様の孫で御前様の兄と来れば、家格も血縁も申し分ない。その上、五郎殿との関係も良好だ。
例えば今後、三河国と相模国の両方に兵を出す必要が生じた場合でも、一方に五郎殿が、もう一方に氏規兄さんが大将として出陣する、という分担も可能となる。
そこで氏規兄さんが手柄を立てれば、関口刑部少輔家の汚名を返上する事も夢ではない…という寸法だ。
一見いい事ずくめに見える…全てのカギを握るのが、関口刑部少輔家と氏規兄さんを結びつける、たった一人の少女である、という点を無視すれば。
「分かりました。私も未だ若輩者ではありますが…今川のため、刑部少輔家のため…何よりも紫吹殿のためにも、生き急いで無理をしないよう、諭してみましょう。」
客間に敷かれた布団で目を覚ました関口紫吹は、寝起きに差し入れられた熱い白湯で眠気を振り払うと、急ぎ足で応接間に向かった。
その内心は、羞恥と焦りで一杯だった。
何せ御前様――北条結は、紫吹が尊敬する女人二名の内の一人なのだ(ちなみにもう一人は寿桂尼である)。
年端も行かない内からろくに知り合いもいない駿府に嫁いで、御屋形様の正妻として立派に振る舞う胆力。
友野屋を始めとした商人達と交流し、瞬く間に財を成す才覚。
屋敷や衣服をきらびやかに装いながら、道楽で身を持ち崩さない節度。
家中の下人や女性同士の諍いを公正無私に仲裁する誠実さ。
そして、貧しい者を救うために辣腕を振るった結果、陰口を叩かれても気にも留めない情の深さ…。
尊敬する理由は上げればキリがない。
よりにもよって、その面前で、居眠りをしてしまったのだ。
釈明の言葉を脳内で組み立てながら紫吹が応接間に入ると、結は変わらず上座にあって、氏規と膝を突き合わせて御世論に興じていた。
「御前様只今戻りましてございます先程は大変なご無礼を――」
「あら、紫吹殿。ちょうど良かった、こちらへいらっしゃい。」
入室するなり両膝を突き、息継ぐ間もなくまくし立てていた所を、結にやんわりと遮られて、緊張に喉を鳴らしながら上座ににじり寄る。
恐る恐る様子を窺うと、結は先程までと変わらず、穏やかな微笑をその顔に浮かべていた。
「もっと近くへ。差し上げたいものがあるの。」
短刀よ、私を不快にさせた罰として喉を突いて死になさい――そんな幻聴に肩を震わせながらおずおずと近付くと、二人はちょうど御世論を一局打ち終えた所らしかった。
「これで二勝二敗…兄上、決着はまたいずれ。さて、紫吹殿。」
「ひゃ、ひゃい。」
「差し上げたいのはこちらです。どうかお役立てください。」
極度の緊張で舌が回らない紫吹に、結が差し出したのは一本の巻物だった。
「これは…。」
「昨年、屋敷の銭や物の出入りについてまとめていた所…算術に大きな間違いがあった事が途中で分かりました。なまじ出来栄えが良かったため、捨てるべきか迷っていたのですが…紫吹殿の助けになるかと。」
巻物を受け取った紫吹は、一言断ってからそれを紐解き、最初の方に目を通した。
自身が我流でつけている帳簿より洗練されており、ある程度字が読めて算術が出来る人間であれば誰でも理解できる形式になっていた。
「こ、このような物…わたくしごときが頂戴するなど…。」
「あなたにこそ受け取っていただきたいのです。…助五郎殿からお話を伺いました。刑部少輔家のため、今川のため、日々身を粉にしてくれている、と…幼少の御身で目覚ましい奉公ぶり、誠にかたじけなく存じます。」
憧れの女性に礼を言われるという栄誉に浸りかけた紫吹を現実に呼び戻したのは、「されど」という穏やかながらきっぱりとした言葉だった。
「公の場で転寝というのは…事情を知っている方も困るでしょう。知らなければ尚更です。」
ぐうの音も出ない正論を突き付けられて答えに窮する紫吹に、結はやはり微笑みを崩す事無く、「それゆえに」と言の葉を継いだ。
「日が暮れてからの務めは、能う限り避けるのがよろしいでしょう。帳簿の付け方を工夫して手早く終わらせる、もしくは読み書きに秀でた者に務めを割り振って御身の分量を減らすなど…もっと楽をしてよいのです。」
「で、ですが、御屋形様も御前様もご多忙でいらっしゃるのに、御一家衆の一人たるわたくしが怠ける訳には…。」
結はゆっくりと首を横に振った。
「一見多忙に見えるかも知れませんが…私も御屋形様も、朝夕に滋養に満ちた膳を摂り、昼に務めをこなして、夜によく寝ているからこそ、心身に不調なく務めを続けられるのです。私を慕ってくださるのであれば、紫吹殿もどうかそのように…。」
結の助言を頭では理解できても、心からは納得できずにいる紫吹に、結は「それに」と続けた。
「紫吹殿がお休みにならなければ、侍女や女房衆…それに助五郎殿もおちおち休めないのでは?どうか周りの方々を労わると思って…。」
完全に欠落していた視点を指摘され、思わずハッと息を呑んだ紫吹は、巻物を慎重に留め直してから懐にしまい、深々と平伏した。
「ご慧眼、もっともにございます。気の逸るあまり、周りが見えなくなっておりました。ご指南の程、有難く胸に刻みます。」
「まあ、そこまで大層な事は…私も未だ寿桂様のご指南を受ける身、共に精進して参りましょう。」
そう言って笑う結に向かって、紫吹は心からの笑顔を返した。
それから関口氏純が迎えに来るまで、紫吹は結と氏規とで雑談や御世論に興じた。
それは紫吹にとって、生涯忘れる事の無い大切な思い出となった。
関口刑部少輔家を北条氏規が継ぐ計画が進行していた――というのは例によって作者の想像ですが、史実の間隙を突いたものでもあります。
歴史シミュレーション等における氏規の扱いは、織田信長を始めとする『英傑』より数段劣る『能吏』クラスですが、その生涯を追うとちょくちょく大事なポイントにいた事が分かります。
輝かしい戦歴がある訳でもないので、低評価も致し方無い事ではありますが。




