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#153 オムスビサマ御話集について(番外編)

諸事情により本編が間に合わないため、突貫作業で仕上げました。

推敲が不十分な点があったら申し訳ありません。

西暦20XX年某月某日 某歴史研究家の研究記録


 近年、一部界隈でメディアミックスなどの盛り上がりを見せているコンテンツがある。

 静岡県、神奈川県を中心とした一帯で古くから語り継がれて来た民話…通称『オムスビサマ御話集(おはなししゅう)』である。

 民話としては異例のボリュームを誇るこの物語から、印象に残ったものを抜粋して検証の俎上(そじょう)に載せようと思う。




(1)日暮らし九郎兵衛(くろべえ)


 昔々ある所に、祖母と一軒家で暮らす九郎兵衛という男がいた。

 日雇いで銭を稼いでは、一人で飲み食いをして空になった財布を抱え、酔って家に帰るのがお決まりだった。

 ある日、孫の将来を憂えた祖母が、良い知恵を授けてもらえないものかとオムスビサマの(ほこら)に祈りを捧げると、オムスビサマが現れてこう言った。


「明日、其方の孫をわたしの前に連れて来なさい。きっと助けになりましょう。」


 翌朝、祖母に連れられて祠まで来た九郎兵衛に、オムスビサマは言った。


「あっという間に有徳人(資産家)になる方法を知りたくありませんか?」

「そんな方法があるんなら、是非とも教えてくだせえ。」


 九郎兵衛が揉み手をしながら頼むと、オムスビサマはにっこり笑って約束をした。

 これからきっかり三年間、毎日十文の銭を祠に捧げる事が出来たなら、その時に教えましょう、と。

 九郎兵衛はその日から務めに精を出し、飲酒や飲み食いを控えて、きっかり十文を持ち帰っては祠に捧げた。

 仕事が無い日もあったが、その分は後日余分に働いて日数分の銭を持ち帰り、約束通り奉納した。

 一年後、九郎兵衛は、収入が不安定な日雇いから年雇いを希望するようになった。

 雇い主も、九郎兵衛の働きぶりに感心していたため、話はすんなりまとまった。

 また一年が経った頃、九郎兵衛は幾人かの子分を従える若頭になっていた。

 雇い主の娘と両想いとなり、結婚を望んでいたが、雇い主はなかなか首を縦に振らなかった。


「どうしてもと言うんなら、銭十貫文(一万枚)を持って来な。それくらいの事が出来なきゃあ、娘は任せられねえ。」


 雇い主の無理難題を突き付けられた九郎兵衛は、いつも通り祠に十文を捧げると、オムスビサマに懇願した。


「後生にございます。どうかおいらを、一日も早く有徳人にしてくだせえ。」


 するとオムスビサマが現れ、こう言った。


「其方達が真に両想いであれば、わたしと約定を交わした三年目には、必ず有徳人になりましょう。」


 九郎兵衛はその言葉を信じて、毎日銭を奉納し続けた。

 そして約束の三年目、九郎兵衛が十文を捧げると、オムスビサマは祠の裏手を指し示した。


「あの辺りを掘ってごらんなさい。」


 九郎兵衛が言われた場所を掘り返すと、そこには三つの大甕(おおがめ)が埋まっていた。

 ずっしり重い大甕のフタを開けると、中には銭がおよそ十貫文、ぎっしりと詰まっていた。


「これこそおいらが求めていたものでございます。オムスビサマの御利益(ごりやく)には頭が上がりませぬ。」


 九郎兵衛が平身低頭すると、オムスビサマは笑って言った。


「いいえ、それは其方自身が(たくわ)えたものです。たかだか十文の銭もひと月蓄えれば三百文、一年蓄えれば三千六百文、三年蓄えれば一万八百文にもなるのです。其方は三年がかりで若頭となり、分別のある女性と両想いになり、根気強く銭を蓄えました。わたしの利益などなくとも、立派にやっていけるでしょう。」


 九郎兵衛はオムスビサマの知恵にいたく感じ入ると、お礼として八百文を改めて奉納し、残り十貫文を雇い主に突き付けた。

 そして目出度く雇い主の娘を妻に迎え、多くの子をもうけ、末永く仕合せに暮らした。




(2)(かた)り者の長次郎


 昔々ある所に、人をだまして小銭を巻き上げる騙り者を生業(なりわい)とする、長次郎という若者がいた。

 長次郎は口が上手く、大抵の騙りをこなしたが、ある時武士を相手にしくじって、その手勢に追われる身となった。

 とっさに街道沿いに建てられたオムスビサマの祠に逃げ込んだ長次郎は、追手を振り切るためにオムスビサマを相手に騙りを働こうとした。


「それがし、無実の身にして追われている者にございます。この窮地を脱した暁には、全財産をオムスビサマに献上する所存にございますれば、何卒お助けいただきたく…。」


 するとオムスビサマは、祠の周りに濃い霧を生み出し、追手を惑わせた。

 これ幸いと長次郎が逃げ出そうとすると、祠から遠ざかるにつれて霧が薄くなり、追手に見つかってしまった。

 慌てて祠に逃げ帰った長次郎に、オムスビサマは険しい顔で言った。


「其方の浅ましい魂胆は先刻承知。助かりたければここに留まり、道行く旅人に物語を聞かせるのです。その口を騙りではなく、人々を楽しませるために用いなさい。」


 やむなく長次郎は祠の隣に小屋を構えて、近くを通る旅人に自作の小噺(こばなし)を聞かせるようになった。

 初めの内は通りがかった旅人が気まぐれに銭を落としていくだけだったが、やがて人づてに噂が広がり、長次郎の話を聞くためだけに大勢の人が訪れるようになった。

 祠は綺麗に建て直され、周囲には市が立った。

 長次郎は騙りを働かずとも、客に褒められ、銭をもらって暮らせるようになった。

 ある日、近くの殿様が長次郎の噺を聞きたいと、遣いを寄越した。

 追手を恐れた長次郎がオムスビサマに相談すると、オムスビサマは穏やかな顔でこう言った。


「すでに其方の名は天下に轟いています。逃げ隠れせず、堂々とお話しなさい。其方の心が清らかであれば、きっと殿様も感じ入り、望むままの褒美をくださるでしょう。その時何を願い出るべきか、よくよく考えるのです。」


 数日後、霧の中を迷わず祠まで訪れた殿様は、オムスビサマが予見した通り、長次郎の小噺に感じ入り、望むままの褒美を与えると約束した。

 そこで長次郎は、涙ながらにこう願い出た。


「恥ずかしながら、それがしは騙り者にございます。諸国を巡り、老若男女僧俗の別なく騙りを働いて参りました。オムスビサマのお導きによって殿様に拙い芸を披露するまでになり、ようやく己の浅はかさを痛感致しました。願わくばこれまで騙りを働いたお歴々に、罪を償う機会を頂戴したく存じます。」


 長次郎の嘆願を聞いた殿様はその心意気に一層感じ入り、死罪や流罪を免ずる代わりに、騙りを働いた相手に謝り、銭を返すよう申し渡した。

 長次郎は諸国を巡って頭を下げ、銭を返すと、再び祠の隣に戻り、そこを(つい)棲家(すみか)と定めた。

 そして、(よわい)七十にしてこの世を去るまで、毎日のように語りを働き、多くの人を楽しませたという。




 以上二点は『御話集』の中でも『ハッピーエンドもの』に分類されるが、いわゆる勧善懲悪ものや、道徳ものとは一線を画していると思われる。

 (1)の主人公、九郎兵衛はその日暮らしの怠け者だし、(2)の主人公、長次郎は詐欺師だ。

 それがオムスビサマの誘導で、定職やサービス業に就業。

 一定の努力を経て、(こう言ってはなんだが)そこそこの幸運を掴む、という筋書きになっている。

 また、九郎兵衛がやった事は有り体に言えばつもり貯金。

 長次郎の話でも、途中で祠の周りの経済活性化が描かれるなど、お金に関する描写が目立つように感じる。

 定説に従えば、『御話集』の起源は戦国時代にまで遡る。

 戦国大名、今川氏真の正妻(北条氏康四女、蔵春院殿)が友野屋次郎兵衛を始めとした商人達と親しく交わり、その社会的地位向上に貢献した事から、友野屋らが蔵春院殿との思い出やエピソードを寓話に落とし込んだもの、とされているのが現状だ。

 果たして『オムスビサマ』のモデルは蔵春院殿なのか、寓話の元となったエピソードは実際にあったのか、後世の脚色や修正は無かったのか――今後も興味の尽きない課題である。

内容的には前からぼんやり構想していたのですが、いかがだったでしょうか。

文字数はちょうど良くなったかと思います。

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