#151 Last Message:父より娘へ
あらかじめ言い訳をさせていただきますと、本編中の経済構造はご都合主義や理想論で構成されており、実用性に関しては全く保証できません。
作者の『こうだったらいいな』を詰め込んだものですので、ご了承ください。
永禄5年(西暦1562年)3月 三河国岡崎 築山邸
なぜ自分はこうして寝転がっているのだろう。
関口氏純の娘にして松平元康の正妻である瀬名は、昼日中から布団にくるまり、空転する思考の只中にあった。
無為に流れる時の中、思い返すのはこれまでの日々――。
幼い頃、母が死んだ。瀬名の妹、紫吹を産んで間も無くの事だった。
深い喪失感に襲われたものの、それをいつまでも引きずる事は無かった。父――氏純が自分達姉妹に何不自由無い暮らしをさせると約束し、それを守ってくれたからだ。
以来、瀬名は氏純の昔語りを心の支えに、武家の妻に相応しい振る舞いを心掛けて来た。数々の習い事に真摯に取り組んだ。
今川家先代当主、義元の采配で松平元康と婚約を結んだ時は、顔も見た事の無い相手に不安を覚えもしたが…元康は凛々しく、文武両道の俊英。その上、夜ごとに愛を囁いてくれる情の深い殿方だった。
だから瀬名は、自分がこのまま満ち足りた日々を送り、老いてゆくのだと信じて疑わなかった。
自信が揺らいだのは、万念僧侶の一件だ。
自らは畑仕事も普請もせず、年貢米を貪る武士、公家、僧侶…そうした在り様に疑問を感じていた瀬名に、彼は目の覚めるような教えを説いたのだ。
『姫様の疑念はごもっともでございます。むしろ変わるべきはこの日の本の在り様…額に汗して日々の生計を立てる百姓農民こそ、最も敬われるべきにございます。まずは姫様が率先して範をお示しになれば…いずれは駿府、駿河一国に留まらず、諸国の国主が武具を手放し、民を慈しむ事となりましょう。』
それは魅力的な未来予想図だった。
義元が家督を継ぐために腹違いの兄弟と骨肉の争いを繰り広げた事や、元康の父、そして祖父までもが、三河の政情不安の中で早逝した事を、瀬名は人づてに聞いていた。
誰も傷つけあわず、心安らかに暮らせる世が来るのなら、と…万念僧侶の導きに従って所領の年貢を軽くし、無宿人に米や銭を配った。自分達だけが肥え太る訳にはいかないと、父や妹、夫にも頼んで衣服の節制を心掛けた。
…そんな『善行』を、彼女は――相模国から嫁いできた氏真の正妻は、真っ向から否定したのだ。瀬名のやっている事は誰も仕合せにしていない、と。
呆然としている間に、世界は一変していた。所領の年貢は元通りに戻され、無宿人は屋敷の周りから追い出された。そして万念僧侶は捕らえられ、首を斬られた。
氏真の正妻を…結を恨む事が出来れば楽だったかもしれない。
だが恨むに恨めなかった。結の蓄財が今川領内の武士、公家、寺社、商人…そして百姓農民にまで益をもたらしていたからだ。
ある日、『駿河人足』の総会が終わった直後の事。元株主を務める瀬名は、帰り支度を進めていた株主の一人、友野屋次郎兵衛を呼び止めて問い詰めた。
なぜ人足の日銭を引き上げるという提案に、友野屋のみならず人足筆頭(社員代表)までも反対意見を表明したのか、と。次郎兵衛が彼の弱みを握り、友野屋に賛同するよう強要しているのではないか――と。
次郎兵衛は帰り支度の手を止めると、即座に自身にかけられた疑いを否定した。日銭が高くなりすぎれば、駿河人足への依頼に二の足を踏む商人が続出する恐れがある。それを分かっているから、人足筆頭は瀬名の提案に賛同しなかったのだ、と。
「そんな…それでは御前様(結)の掌の上ではありませんか。女性の蓄財は世を乱すと、妙善院殿(日野富子)の所業から明らかなはず…。」
「恐れながら、それは見当違いにございます。御前様の蓄財は己が一人の為にあらず、世の為領民の為の蓄財にございます。」
予想外の反論に混乱する瀬名に、次郎兵衛は『良い蓄財』のカラクリについて説明を始めた。
結の蓄財が成功したのは、第一に元株主を務める商会がおしなべて好況を博しているためであるが、それは個別の事業が世の人々に必要とされているから。しかも株主に友野屋が名を連ねているために、商会の信用が担保されている。
それにも増して重要な点は、株主総会に従業員の代表が参加している事である。
これによって、従業員は経営陣に直接待遇改善や賃金引き上げを請求できる反面、商会の一員という自覚を持って商会の維持、発展に尽力する必要に迫られる。安易に職務放棄ができなくなり、一定の緊張感を抱きながら日々の業務に当たるようになる訳だ。
また駿河人足の従業員の中には、適性を見出だされて派遣先の商会に正式雇用された例が山ほどある。農村から流れ着いた無宿人が、他所の畑仕事を手伝う内に自信を着けて、また農民に戻る、といった事例も多い。
かくして安定的な収入を得られるようになった領民は、休みの日には客になる。菓子、飲食、服飾品、玩具…場合によっては賭博。いずれにせよ『収入』は別の店の『儲け』となり…それがまたそこで働く領民の『収入』になる。
銭貸し『明王屋』の動向もある程度関係しているが、この好循環がここ数年来の好景気を今川領内にもたらしているのだ。
では、働くに働けない者――例えば、病気やケガで動けなくなった『駿河人足』の人間はどうなるのか。
ここで救いの手を差し伸べるのが領内各地の寺や神社である。それぞれの宗派に則って助けを求めれば、余程の事が無い限り米や銭を融通してくれる。
ではなぜ彼らにそれほどの余裕があるのかと言えば、毎年多額の寄進を得ているからである。――駿河国最大の有徳人である御前様から。
「労せずして富を得たい、今より楽な暮らしをしたい…それは誰もが望む所にございます。御前様はそれを悪しき事とは考えておられない。ただ、誰かの働きが別の誰かの仕合せとなるよう、人と人とを結び付け、銭が領内を勢い良く巡るよう場を整えて下さった。…それゆえ我ら駿河国の商人は、御前様に大恩がございます。御前様が株札を用いた蓄財を始めるまで、我ら商人は富裕ではあっても百姓町民から蛇蝎のごとく嫌われておりましたゆえ。」
銭や商人を遠ざけた自分よりも、積極的に近付いた結の方が上下万民の役に立っている。
その現実を前に、瀬名は沈黙するほか無かった。
それから瀬名は、領民の暮らしについて殊更に騒ぎ立てるのを控えるようになった。
一方で、口には出さないものの、立場上は上位に存在する結に対して、密かな優越感を覚えていた。何故なら元康との間に、結に先んじて一男一女をもうけたからである。
結が裳着の儀を駿府にて催して数年、懐妊の兆しがまるで無い事を気に掛ける声は少なからずあった。表沙汰にならないのは、それ以外の面における功績が並外れているため、そして誰よりも今川の行く末を憂えているはずの寿桂尼が、焦る素振りを見せないためであった。
だから瀬名は精神の安定を保つ事ができたのだ。
自分は元康と仲睦まじく、子らを慈しんで育てていく。それが武家の妻としての務めを果たす事になるのだと。
――それも突然覆った。2年前の、桶狭間合戦で。
意気揚々と家を出た夫は三河の岡崎に留まる事になり、瀬名は幼い竹千代を駿府に残して、岡崎で奥向きの差配をしなくてはならなくなった。岡崎で再会した夫はどこか人が変わったようで、瀬名には心細い日々が続いた。
城下の築山に居を移し、一年が経とうかという頃――元康が今川に反旗を翻した。陰に日向に三河国を支えていた友野屋を始め、駿府に本店を構える商会が三河から手を引き、築山邸の暮らしも当然混乱した。
それに輪をかけたのが、駿府との連絡途絶…即ち、瀬名を支える経済的、政治的基盤の崩壊だった。一夜にして築山邸の警固は増員され、監視の目は塀の外のみならず内側にも向くようになった。
その上、築山邸での生活費を夫に頼る身の上となっては、戦や政に物申す事すら難しくなりつつあった。
昨日、竹千代が岡崎に連れ帰られたと聞いた時。
瀬名の胸中を満たしたのは大事な息子に生きて会えるという安堵、だったが…そこに理性の冷たい囁きが水を差した。
『これで竹千代は松平元康の名代ではなくなった。岡崎松平と関口刑部少輔家をつなぐ縁は最早無い。』
以降、岡崎城への登城どころか、奥向きの差配も自身の飲食も投げ出して――瀬名は一人、居心地の悪い布団にくるまっている。
岡崎城下の喧騒を遠くに聞きながら、虚ろに庭先を眺めていた瀬名の瞳が、布団の脇に置かれた黒漆塗の長持を捉えた。竹千代の御守役が、竹千代共々駿府から持ち帰ったものだ。
半身を起こし、長持のフタを開けると、中には竹千代の勉強道具や玩具が入っていた。
ぼんやりと中を見ていた瀬名は、簡素な設えの小太刀を見咎めて持ち上げると、小首を傾げた。
(小太刀にしては、軽い。)
刀身を引き出すと、疑問は氷解した。小太刀は竹製の刀身に銀箔を貼った竹光だったのだ。
(玩具か…そう言えば昔、父上の竹光の鞘に文を入れる悪戯をしたっけ。)
何の気なしに刀身を抜き取り、鞘を傾けると、中から折り畳まれた紙が顔を出した。
恐る恐る抜き出して広げると…そこには久しく目にしていなかった、実父の筆跡が刻まれていた。
瀬名殿へ。
この文が届いた時、其方が心身共に健やかである事を願ってやまない。
真に急ではあるが、この文を父の遺言と思って心に刻んでほしい。
まず伝えたい事と言えば、今川と岡崎との手切れについてである。父にとっても無念の至りではあるが、乱世の習い、武門の定めと思って、誰も恨まずにいてもらいたい。蔵人佐殿も、御屋形様(氏真)も、御前様(結)も、互いを厭い、憎しみ合ったがゆえに手切れとなった訳ではない。
もし気が済まないのであれば、非力で愚かな父を恨んでほしい。其方達姉妹には、これまで十分に武門の覚悟、乱世の習いについて教えて来なかった。幼くして母を喪った其方達を不憫に思っての仕置だったが、いずれ一廉の女性として世に出るからには、知っておくべき事であった。
せめてこれからの一生に役立つよう、父から助言を送ろうと思う。
これより其方には関口刑部少輔の娘ではなく、松平蔵人佐の妻として生きてほしい。
今川や関口の行く末については、二の次三の次で構わない。御屋形様は大器にして英邁であるから、刑部少輔家も取り潰しには至らないであろう。
其方は蔵人佐殿を奥向きより支え、竹千代君と亀姫を育て上げて、岡崎を盛り立てていってほしい。
このような情勢になってから手紙一つで縁を切るような所業、真に面目ない。
しかしながら、これだけは信じてもらいたい。父は瀬名と紫吹の父となった事を悔やんだ日は、一日として無い、と。
娘よ、くれぐれも達者であれ――関口刑部少輔。
手紙を読み終えて、瀬名は泣いた。体内に僅かに残っていた水分を絞りつくす勢いで、泣いた。
それから、朦朧とする頭を振り、力の入らない足を励まして、立ち上がった。握りしめたためにくしゃくしゃになった手紙を丁寧に畳み、胸元に仕舞う。
それから…一歩を踏み出す。
どこに向かえば良いのかは、まだ分からない。どこに辿り着けるのかも。
それでも歩き出さなければならない。
これからは松平元康の妻として、自分自身の力で歩いて行かねばならないのだから。
率直に申し上げて、関口瀬名のキャラ設定は当初から大きく変わりました。
主人公との初対面から死ぬまで学習しない、傍迷惑な人物像を想定していたのですが、史実の行動を鑑みた結果、彼女なりに状況に適応しようとした形跡が見られたため、今回のような展開となりました。
とは言え、これからの挽回は非常に難しい上に、待ち受ける悲劇を回避できる保障も無いのですが…。




