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#148 弱肉強食論理

今回は早速、前回のフラグ回収に移って参ります。

Q:上級権力から停戦を命じられそうですが、このままだと不利な条件を飲まなければなりません。どうすればいいですか?

永禄5年(西暦1562年)正月 岡崎城


「此度こそ、相違ないであろうな。」


 広間の上座から、末席に座った謀臣…本田弥八郎正信に向かって、松平蔵人佐元康は問いかけた。

 殺伐とした雰囲気で始まり、誰かが機転を利かせて盛り上げるという事も無いまま進行していた年初の宴の最中、誰からともなく戦の評定も同然の相談が始まった。それを待っていたかのように、正信が切り出したのだ。

 岡崎松平存亡の危機、あるいは飛躍の端緒(たんしょ)が、すぐそこに迫りつつある…と。


二言(にごん)はございませぬ。それがしの献策が不首尾に終わった今、虚言を弄して家中を惑わせるなど言語道断。此度の策が殿に利をもたらさぬとあらば、腹を召す所存にございます。」


 年中軽薄な態度を崩さない正信の、『珍しく』命をかけた進言に、列席していた家臣達も少しは真面目に聞いてやろうか――と耳を貸す姿勢を見せる。

 それを確かめるように間を置いてから、正信は両手の甲を床に突き、元康を見据えて口を開いた。


「確かな筋からの知らせによれば…今川上総介(氏真)殿は京の公方様を頼り、殿と和睦するよう命ずる御内書を賜る支度を整えた、との事。御内書は近く、岡崎、駿府、甲府、小田原へと届けられる見通しにございます。」

「確かな筋とは、何者じゃ。」


 発言を遮った同輩に、正信はぎろり、と音が出そうな程に鋭い眼差しを向けた。


「確かな筋は確かな筋にござる。それ以上は申せませぬ。…御免、殿におかれましては御内書が届く前に、竹千代君を取り戻されるべきと存じまする。」

「…些か話が見えぬ。御内書と竹千代と、どう繋がる?」


 正信の提言が理解出来ず、隣席同士で囁き合う家臣達の心中を代弁するかのように、元康は困惑気味に問いかけた。


「お許しを。少し気が()いておりました…まずは今川上総介殿の魂胆について。上総介殿は御内書が諸国に届き次第、家中の重鎮と大軍を率いて三河国に入られましょう。さすればどうなるか…殿は丸腰で駿河勢の陣中に赴き、膝を屈する他ございませぬ。」


 余りに悲惨な未来予想図を提示されてざわめく家臣達。それを一喝して黙らせると、元康は顎をしゃくって正信に続きを促した。


「岡崎と駿府のみならず、甲府、小田原にまで和睦を命ずる御内書が届くとあらば…殿が和睦を受け入れぬとなった場合、岡崎松平は今川に加えて武田と北条の軍勢を相手取らねばなりませぬ。」

「ならば…最早我らに打つ手はないではないか。」


 正信は首を横に振った。


「公方様の御内書と言えど、必ずしも重んじられてはおりませぬ。名門たる甲斐の武田でさえ…信濃守(しなののかみ)の肩書き欲しさに越後勢との和睦を受け入れておきながら、翌年には国境(くにざかい)で乱暴狼藉に及んでおりまする。」

「なんと、武田でさえも…。」

「であれば、御内書が出されたとて構う事も無いのでは…。」


 驚き呆れ、楽観論を口にする同輩に、正信はもう一度首を振った。


「今川は武田、北条と盟を同じくしております。今川を攻めるは甲斐、相模を攻めるも同然…そこに公方様の御内書が加われば、武田と北条も今川の加勢に本腰を入れましょう。」


 そんな強大な同盟に真っ向から喧嘩を売るよう仕向けたのは何処の誰だ――という冷たい視線を意にも介さず、正信は尚も言い募る。


「肝心なのは時機にございます。武田は北信濃で、北条は上野で、希代の戦上手たる上杉殿を相手取っている…となれば、各々の旗色に構わず今川の加勢に向かう事は出来ますまい。それゆえ、我らがすべきは先手を取る事…御内書が各地に届く前に竹千代君を駿府よりお迎えし、後顧の憂いを断った上で、再び力を蓄え…武田と北条が越後勢との戦で手一杯になった隙を突いて再び兵を出す。これより他にございませぬ。」


 言い切った正信に対して、上座の元康はしばらく沈思黙考すると、一転して鋭い眼差しを向けた。


「一々もっともじゃが…肝心の、竹千代を迎え入れる手立てはいかにする。伊賀の忍びは最早当てになるまい。」


 今川に反旗を翻す直前、元康の長男を密かに駿府から連れ出すために伊賀忍者を雇ったものの、その全てが未帰還となった苦い経験は、記憶に新しい。その際、再度伊賀忍者の里に人員派遣を要請したものの、法外な追加料金を求められたために、二度目の奪還作戦を見送らざるを得なかったという経緯がある。


「抜かりはございませぬ。西郡(にしごおり)上之郷(かみのごう)城を、東条松平が家老、松井左近殿が攻め落とす算段を整えてございます。当地には今川の重臣、鵜殿(うどの)藤太郎(とうたろう)(長照)殿とその子、新七郎殿と藤三郎殿が在城しておりますれば、お二人を捕え…竹千代君との引き換えに用いる。これが最善かと。」

「人質交換か…!」

「藤太郎の子、二人とならば、今川上総介殿も竹千代君を引き換えてくれるであろう。」


 宴席が些か血生臭い活気を催す中、元康はまた少し考え込むと、


「相分かった。その策、進めよ。弥八郎、お主は松井左近に加勢し…上之郷城を何としても落とせ。何としても、じゃ。」


 断固たる口調で、そう言った。




 数刻後。酔い潰れた家臣団が広間に累々と横たわる中、元康は自席の側に数人を招き寄せていた。

 右腕と頼む酒井(さかい)左衛門尉(さえもんのじょう)忠次(ただつぐ)、駿府在住以来の側近である石川(いしかわ)与七郎(よしちろう)数正(かずまさ)、そして『知恵者』あるいは『食わせ者』と名高い本多正信の3人である。


「では、仰せの通り…竹千代君を駿府よりお迎えする際の御守役は、それがしが務めまする。」


 数正が内定した使命を復唱すると、他3人は頷いた。


「与七郎であれば、ある程度駿府館にも顔が利く…今川上総介殿の許しさえ得られれば、竹千代を連れ帰るはそう難しくなかろう。」

「時に弥八郎。上之郷城を落とす手立て…是が非でも明かせぬと申すか?」


 元康の言葉に被せるように、忠次は問い質した。


「不審の儀はごもっともなれど、それがしの腹を賭けたからには…」

「そうではない。万一の折、誰もお主の(はかりごと)を知っておらねば、後詰(救援)も叶わぬ。…手の内を全て晒せとは言わぬ、粗方(あらかた)のみで良い。」


 半ばすがるような忠次の言葉に、正信は渋い顔で沈黙した後、ようやく口を開いた。


「八方手を尽くして探りを入れた所…駿府のお歴々に代わって矢面(やおもて)に立つ上之郷城の内には、岡崎松平に鞍替えもやむなしと考える者も少なくない、との事。にもかかわらず、鵜殿藤太郎殿は今川への義理立てに執心されており…これを不満に思った家老と、松井左近殿は以前より(よしみ)を通じておられた。…これでよろしゅうござるか?」


 正信の、やや不遜な物言いを咎める事無く、忠次は首肯した。

 戦況の悪化に伴って広がる城主と家中の溝。そこに正信と松井左近が調略の手を伸ばした。

 最終的には、松井左近の軍勢が上之郷城を攻めた際に、内通者が城内で謀反を起こして攻め手を引き入れる…といった所だろう。


「よう分かった。礼を言う。…殿、どこかお加減でも…?」


 正信に短く礼を言った忠次は、元康が深々と俯き、左手で額をかきむしるような仕草を見せている事に驚き、尋ねた。


「どうもこうも無い…藤太郎殿と言えば、桶狭間合戦の折には大高城の守将であった…我らが兵糧入れを務めた…あの時は遮二無二救おうとした命を、此度は奪い…その子らを竹千代と取り交わしの道具と成す…何の因果でこのような…。」

「殿、そのような…。」

「そのような些事、気に留めるまでもございませぬ。」


 主君を慰める言葉を絞り出そうとした忠次を遮った冷淡な一言に、上座に集まっていた全員の視線が正信に集中した。


「我らはとうに今川に弓引いた身の上。刃向かうとあらば松平の庶流であれ、今川の御一家衆であれ、屈従させるか攻め滅ぼすのみにございます。第一、昨年我らも上之郷城を一度攻めてございます。それを今更…。」

「黙れ弥八郎!言うておくが、上之郷城が落ちてもお主にはやらぬぞ。大将首を取るならまだしも…松井左近の調略を手助けした程度では、城は任せられぬ!」


 沈鬱な面持ちから一転、逆上した元康に対して、正信の反応は冷ややかだった。


「ごもっともな仕置にございます。どの道それがしの如き小身では、城一つさえ手に余りまするゆえ。」

「なに…?」


 落ち着き払った正信の返答に、今度は元康が動揺する番だった。


「それがしも一廉(ひとかど)武士(もののふ)にございますれば、立身出世を志してございます。されど、城一つの主で終わる積もりは毛頭ございませぬ。」

「では、何を望む。」

「殿を日の本一の大大名に押し上げ…そのお傍に(はべ)って覇道をお支えする事こそ、我が身の宿命と思い定めてございます。」


 正信の途方も無い展望に、誰もが絶句した。

 三河一国の制覇すら覚束ない現状からすれば、およそ現実味が無かった。


「…大大名に仕えるのであれば、他国に行けばよかろう。武田、北条、上杉…三好や朝倉という手もある。なにゆえわしを…。」

「既に数か国を治めるお家にあっては、それがしの才をお目にかける機会に恵まれますまい…というのが一つ。もう一つは、損も得も無く、勘にございます。殿がいずれ並み居る群雄を切り従え、日の本一の覇者となられるであろう、と…。」

「狐憑きの口車にでも乗ったか、弥八郎。」


 数正が奇怪なものを見る目で正信に問うた。


「あくまでもそれがしの勘にござる。殿は一国一城の主で終わるべき器にはあらず、と…どうか殿におかれましては駿遠三、東海三か国の主となるお覚悟で向後(こうご)に臨んでいただきたく。」


 忠次と数正が面食らって言葉を失っていると、元康が二三度大きく深呼吸をした。


「…お主の志の高き事、よく分かった。されどお主が良く知る通り、岡崎松平(われら)は未だ三河半国を治めるに過ぎぬ。当家の泣き所たる竹千代を取り返すには…お主の策が上首尾に終わらねばどうにもならぬ。…仕損じるでないぞ。」


 無表情の奥に葛藤を押し殺して元康が命じると、正信は素早く居住まいを正し、非の打ち所の無い所作で平伏した。


「全身全霊を賭して、務めに当たりまする。」




 京の御所で室町幕府将軍――足利義輝が、今川と松平との和睦を命ずる御内書に花押(サイン)を書き入れる、数日前の一幕だった。

A:停戦命令が出る前にイチかバチか打って出ましょう。

…戦国時代の模範解答が鬼畜過ぎる…。

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[気になる点] 正信が転生者くさいなぁと思ってしまった [一言] ウクライナのことかと一瞬思いました 更新いつも楽しみに待ってます
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