#147 足利義輝御内書、あるいは希望の灯
戦国武将の中でも比較的知名度が高いと思われる、『剣豪将軍』足利義輝が登場します…名前だけですが。
永禄5年(西暦1562年)正月 駿府館
数え17になった永禄5年のお正月。
松平元康殿を中心とした三河国における反乱…『三州錯乱』が一向に収束の気配を見せない中、私はより狭い戦場――手っ取り早く言うと、自宅でも別の敵と相対していた。
それは、去年の末頃から少しずつ、けれど着実に変わってきた、五郎殿の様子に関する一大事である。
それまでは『三州錯乱』の鎮圧の目途が立たない上に、兄弟同然に育ってきた元康殿と戦わなければならないというストレスから、顔付きが険しくなったり、溜息が増えていたにもかかわらず。ある時期を境に、足取りがどことなく軽くなり、貴重な余暇を私とのゲーム…御世論や囲碁などに使ってくれるようになったのである。
正直に言おう、最初は浮気を疑った。私より美人でエッチなお姉さんとお付き合いする事でストレス解消しつつ、『アリバイ作り』のために私に優しくしているのではないか、と。
結論から言うと、それは杞憂だとすぐに判明した。
駿府館の奥向きにそれとなく探りを入れた所、五郎殿は連日公務公務で休む間もない、どうして元気なのか不思議だ、という回答が帰って来た。…美貌に自信のある女中が五郎殿にモーションをかけて、すげなくソデにされた、というエピソードまでついていた。
どうしても不安が拭えない私は、寿桂様に掛け合って沓谷衆を動員し、五郎殿の周辺をチェックしてもらったのだが…こちらも真っ白だった。厳密には、沓谷衆の監視をすり抜けて背後から肉薄した刺客を、五郎殿が一太刀で返り討ちにした、という報告が混ざっていたので平穏無事とは言えなかったが、それはそれで五郎殿の剣の腕前が優れている証拠だったので良し。
浮気ではないという報告にホッとしたり、じゃあどうして機嫌が良くなったのかとモヤモヤしたりしていたある日…『答え』は西からやって来た。
「今宵、其方に大事な話がある。案ずる事は無い、吉報じゃ。」
帰宅した五郎殿に笑顔でそう言われた時、私は胸に鈍い痛みを覚えながら言った。
「私も、御屋形様に…お伝えしなければならない事がございます。お詫びしなくてはならない事が…。」
五郎殿の、やや不思議そうな顔をまともに見られないまま夕食とお風呂を済ませ…私は夫と、灯台の炎が照らす寝室で向かい合った。
「話とは何じゃ?儂に出来る事なら相談に乗るが…。」
「いえ、私の話など聞き苦しいもので…どうかお先に。」
やはり正面から五郎殿の顔を見られずにいると、急に抱き寄せられ、背中を二、三度優しく叩かれた。
「其方は慎み深い女子じゃ。其方が『聞き苦しい』と申すは、余程の事であろう。…話してくれぬか。こうして顔をまともに見れぬようでは、心苦しい。」
より一層の罪悪感を覚えながら少し後ろに下がると、私は五郎殿に向かって土下座した。
「申し訳ございません。不遜にも御屋形様の不貞を疑い、御身の周りを詮索いたしました。今川の御屋形様を探るなど、今思えば何と浅はかな…どうかお許しください。」
五郎殿は私の頭の上で、成程のう、と呟くと――さっきと同じ、優しい手付きで、私の両肩をぽんぽんと叩いた。
「結よ、顔を上げてくれ。儂は怒っておらぬ。…左様か、曲者を成敗した折、妙に早く沓谷衆の手の者が現れたと思うたが…儂を見張っておったか。」
「申し訳――」
「謝らずともよい。顧みれば、儂の振る舞いも些かならず思わせぶりであった。今川の当主として、己をより強く律するべきであった…余計な手間を取らせて、済まぬ。」
「そんな、御屋形様が謝る事など…。」
予想外の展開に、思わず顔を上げると、どこか義元殿を思い出す優しい微笑みが目に入った。
「では、改めて聞かせてくれぬか?なにゆえ儂の疑いが晴れたのか…。」
五郎殿のもっともな疑問に頷くと、私は胸元から書状を取り出した。
「京の山科権中納言殿より頂戴しました。」
五郎殿が、読む前から内容を察したような表情で書状を開くのを見ながら、私はその内容を反芻していた。
山科権中納言――言継卿は戦乱で荒廃した京を本拠に、朝廷を財政面から立て直そうと東奔西走しているお公家様で、私の祖母に当たる寿桂様の妹、御黒木様の義理の息子…平たく言えば遠縁の親戚である。
四、五年前に今川からの献金を引き出そうと駿府にやって来た時に色々とお世話をした結果、それなりに気に入ってもらえたらしく、時々、本当に時々、京周辺で起きた出来事を伝えてくれている。
今回の書状で主に取り上げられていたのは公方様――室町幕府将軍、足利義輝公の周辺の動きだった。
義輝公は数えで27歳、剣豪の塚原卜伝先生に師事したというから、五郎殿とは同門という事になる。(名目上の)家臣の諍いで京を追われるなど、幕府の権威失墜を身をもって体感した義輝公は、各地の大名同士の和睦を仲介したり、朝廷の官位を希望する大名に口添えをしてやったりと、あの手この手で幕府の復権を試みているのだそうだ。
そう言えばこの前、今川家の庇護下にあるはずの三条西実澄殿と京で行き会った、公方様に用事があるとの事だった――言継卿の書状はそんな一文で終わっていた。
「ばれてしもうたか。」
読み終えた書状を私に返しながら、五郎殿は苦笑した。
「聡い其方の事、権中納言殿の申したき儀も察しておろう。…左様、先だって公方様に和睦の仲介を願い出た…蔵人佐(元康)との、な。」
「よろしいのですか、私に打ち明けられても…。」
恐る恐る聞くと、五郎殿は躊躇いなく頷いた。
「今宵、儂が話したかった事とは、正にその事じゃ。ひと月ほど前から探りを入れておったが…それがついに実を結んだ。三条西殿曰く、近く儂と蔵人佐が和睦するよう命ずる御内書を預かり…岡崎、駿府、甲府、小田原へと下されるであろう、との事じゃ。」
御内書…確か将軍が出す、略式の命令書だ。
「幾つか、よろしゅうございますか?公方様は御内書の見返りに、何かお求めに…?」
「表立っては、何も無い。申し出たのは儂の方じゃ。東海道一円泰平とならば、真っ先に上洛して公方様の手足となりましょう…とな。仮に和睦が成っても、尾張、美濃、近江の戦が終わらぬ事には上洛も叶うまいが…今川は公方様に連なる家柄、頼もしく思われたのであろう。」
…それは空手形とか言うのでは?私はそう思ったが、次に聞いたのは別の事だった。
「では、御内書が岡崎と駿府のみならず、甲府と小田原にまで下されるのは…?」
「駿甲相…今川、武田、北条の盟約をもって岡崎松平の武威を圧倒し、蔵人佐を和睦に応じさせようという算段であろう。これが成れば公方様の名声、ますます高まる。」
何だか、現代の国際連合みたいだ――と思った刹那、私は嫌な予感に身を震わせた。
「…もう一つ、よろしゅうございますか。…これで戦は終わるのでしょうか?」
私の質問に、五郎殿は困ったような微笑みを浮かべた。
「軽々に肯ずる訳にも行かぬな。公方様は英邁なお方ではあるが…万人が得心する仕置など、そうそうあるものではない。」
「と、仰いますと…?」
私が聞き返すと、五郎殿はやや俯き加減になって続けた。
「そもそも、蔵人佐の謀反を察知する切っ掛けとなったは…昨年公方様が諸国に申し付けられた、馬を進上するように、とのお言葉に…蔵人佐が応じたがゆえじゃ。儂に断りも無く…。公方様はそれを容れられた。蔵人佐が三河国主であると、半ば認められたようなものじゃ。」
…確かに。そうすると、義輝公が率先して身分の序列を無視しているようにも見える。
「もう一つ…蔵人佐の叛心は、儂が三河国の後詰よりも小田原の後詰を先んじたために起こったが…小田原に攻め寄せた越後勢の後ろ盾となっておるのは公方様じゃ。」
「あ…!」
五郎殿の指摘に、私は思わず息を呑んだ。
そうだ、せわしなく変わる状況に振り回されて忘れかけていたが…北条と今川のピンチを、少なくとも一因を作ったのは義輝公だ。
「…無礼を承知で申し上げます。公方様は何をお望みにございましょう?一体誰のお味方にございましょう?」
時(T)場所(P)場合(O)によっては総スカンを食らうであろう質問をぶつけると、五郎殿は浅く何度か頷いた。
「その問いも、もっともであるな…正直に言って、見当もつかぬ。」
「御屋形様ほどのお方でも…?」
「公方様は確たる所領が無く、手勢も乏しい。三好のような大身の力を借りねば、京にすら住めぬ。この上、利害と恩讐が入り乱れる諸国の仲立ちを務めるとなれば…すべからく思いのままとは、到底行かぬであろう。」
何だかそんな所まで国際連合みたいだ。
そんな感想を抱いていると、五郎殿は歯を見せて笑った。
「ともあれ、これで光明は見えた。公方様の御内書ともあれば、蔵人佐も無碍にはすまい。まだ悩み事は多いが…きっと、蔵人佐と和睦し、以前のごとく家中に迎え入れる事が出来よう。そうなれば、今一度駿河、遠江、三河を立て直し…。」
そこまでスムーズに喋ってから、五郎殿は突然黙りこくった。
「御屋形様?」
「あいや、済まぬ。もし約定通り、東海道一円が泰平とならば…上洛して公方様と剣を交えるも一興かも知れぬと、そう思うてのう。共に卜伝先生を師と仰ぐ者同士、剣を通じて労苦を分かち合えるやも知れぬ、と…いや、気が早すぎたな。」
困ったように笑う五郎殿を見て、私も微笑む。
早くこんな悪夢のような状況が終わって、五郎殿の愉快な思い付きが現実になればいいと、そう思いながら。
やがて私は思い知らされる事になる。
『この程度』で悪夢などと言っている時点で、まだまだ私は大甘だったのだと。
山科言継卿からの情報提供は私の創作ですが、今川氏真が働きかけて和睦を促す御内書を引き出したのは事実のようです。
それと氏真の呼び方についてですが、遅くとも永禄5年の正月には今川家当主が代々名乗っていた『上総介』を自称していいたようです。
主人公が同じ人に対して違う呼称を使い過ぎるとややこしくなるかと思い、『御屋形様』(外向き)『五郎殿』(内心)と使い分けています。