#146 悔恨の協奏曲
今回はようやくと言うべきか、未来知識持ち転生モノの『オレまた何かやっちゃいました?』風味~逆追放ざまあを添えて~をお送りします。
永禄4年(西暦1561年)10月 岡崎城
「誰のおかげで築山で暮らしていられると思うておる!」
進行方向から轟いた怒声に、酒井左衛門尉忠次は一瞬だけたじろいだ。三河国に冬の気配が近付きつつあったある日の昼、岡崎城に登城し、主君の私室に向かう途中の事だった。
声の発生源…主君、松平元康の私室を窺うと、くすんだ紅葉のように地味な色合いの単をまとった女が、両袖で顔を覆ったまま飛び出してきた。
忠次は慌てて回廊の脇に背中を寄せて、女――元康の正室、瀬名を見送った。
「…左衛門尉か。」
平静を装って部屋に近付いた忠次に、不機嫌を隠そうともしない元康の声がかけられた。忠次はすかさず開きっぱなしの障子の前に正座し、平伏する。
「ははっ。酒井左衛門尉、殿の無聊をお慰めすべく参上仕りましてございます。まずは碁を一局、いかがにございましょう?」
がりがり、という爪を噛む音を挟んで。
「…大儀である。近う寄れ。」
元康の許しが出た事に小さく安堵のため息をつきながら、忠次は主君の私室へと足を踏み入れていった。
「先程は、見苦しい所を見せた。」
碁を打ち始めてすぐ、元康が口火を切った。
「室の事と言い…近頃は上手く行かぬ事ばかりじゃ。弥八郎(本多正信)の献策を容れた折は、これで道が開けると思うたに…。」
「恐れながら、殿…実はその弥八郎から、書状を預かってございます。」
渋面で愚痴をこぼしていた元康は、懐からゆっくりと書状を取り出す忠次に、目を一層尖らせた。
「なにゆえ直に弁明に参らぬ。」
「あれだけ大見得を切っておきながら、殿に勝ちをもたらせなんだ自分が恥ずかしい、せめて目下、殿や家中の障りとなっているあれこれを認めてお役に立ちたい、と…。」
「大口を叩いたと思えば、今度はしおらしく…相変わらず掴み所の無い…。」
元康は「まあよい」と言って、忠次が差し出した書状を受け取って開き、目を通していく。
「…まさか…いやしかし…されど…もしや…!」
書状を右から左へ繰っていた元康は、明らかに動揺しながら困惑と驚愕がないまぜになった独白を漏らした。
「殿、一体…?」
「…お主も読んでみよ。」
忠次は、元康が言葉少なに差し返した書状を受け取ると、最初から読み始めた。定型の挨拶と、自身の献策が当初の想定を下回る成果しかもたらせていない現状についての謝罪文に始まり…本題、つまり岡崎松平の現況とその分析に続いている。
その書き出しに、忠次は目を見張った。
『全ては相模御料人(結)の、深謀遠慮によるものである。』
『目下、岡崎松平の内憂外患は次の通り。一つ、今川方との合戦が思うように運ばない事。一つ、旗揚げ以来出費が増える一方にもかかわらず、領内から集められる銭が減る一方である事。一つ、御前様(瀬名)の金遣いが荒くなり、その暮らしを支えるため、殿がしばしば余計な出費を強いられている事。』
『まず、軍事行動の不調について。未だ岡崎松平を明確に三河国主と認めていない国衆が多い、という点は見逃せないが、それだけではない。旗揚げ以降、三河国内での連絡が目に見えて悪化しており、これが兵の動員や集結に支障をきたしている。何が変わったのかと言えば、「天馬屋」の三河撤収である。』
『天馬屋は元来、今川治部大輔(義元)殿の頃まで「伝馬役」として街道沿いの町々に課されていたものを、相模御料人が民間流通企業として再編したものであり、駿河、遠江、三河間の書状、物資の流通に大きく貢献していた。その利便性のために、松平家中も含めて、三河の侍はこぞって天馬屋を介して手紙のやり取りを行っていた。』
『岡崎松平と諸城とのやり取りに時間がかかるようになったのは、天馬屋が遠江国に退いたためである。』
『次に、岡崎城下の景気の悪化について。従来、城下の町民は「岡崎味噌」を始めとした複数の商会の恩恵にあずかり、衣食住に困窮する事が無かった。しかしながら、今川の商人頭にして相模御料人の側近、友野次郎兵衛が三河国から手を引いて以来、状況は一変した。』
『材料の納入、他国への宣伝、販売…あらゆる面で三河国の商会を支えていた友野屋が手を引いたため、三河国の商人や職人は物を造れず、造れても売れず、売れても儲からない。』
『(三河国の商人や職人は)やむを得ず尾張の豪商を頼っているが、足元を見られ、商品を安く買い叩かれたり、多額の手数料を支払う羽目に陥ったりと、窮地に立たされている。』
『最後に、御前様の浪費について。これが御前様自身の食道楽、着道楽に費やされているのではなく、城下の窮民を救うためである事は衆目の一致する所である。』
『しかしながら、岡崎松平の旗揚げ以来、御前様は駿河の所領を失い、「駿河人足」の元株も取り上げられた。「岡崎味噌」に至っては、友野屋が手を引いたために経営が傾いている。』
『このような状況にもかかわらず、御前様は蔵から米や銭を出し、たびたび岡崎城下の窮民に配っている。言うまでもなく、この窮民は領内の不景気と、三河国各地で続く合戦のために城下に流入したものである。』
『自力で生計を立てられない御前様を支援するため、殿は事あるごとに銭を与えられる。御前様は殿のお陰で不自由なく日々の暮らしを送っていられるにもかかわらず、しばしば登城し、政のあれこれに異議を申し立てられる。必定、殿との間柄は悪化する一方である。』
『詰まる所、岡崎松平の敵は今川五郎(氏真)のみにあらず。相模御料人の、弓も刀も用いぬ戦への対策が必要である。』
正信の的確かつ残酷な分析を読み終えると、忠次は深々と嘆息し、眉間を揉んだ。端的に言って、思い当たる節が多すぎる。
以前から相模御料人――北条結の影響力を感じ取る事は少なからずあった。
彼女は今川に嫁いで半年としない内に、友野屋と組んで株札を用いた商いを始めたと聞いている。そして数々の商会の設立に携わり、巨万の富を蓄えたにもかかわらず…領内の民までも豊かになっている。
どんなカラクリか見当も付かないが、彼女が築き上げた蓄財の仕組みが、武士、商人、百姓町民にまで恩恵をもたらしているとしか思えない。
また、家中の奥向きに対する差配も行き届いている。色恋沙汰、夫婦同士の仲違い、中間や小者同士の揉め事…表沙汰になりにくい雑事を進んで仲裁し、それを誇る素振りを一切見せない。
そして、元康が今川からの離反を画策し始めた直後からの各種妨害、遅滞行為…。まるで、駿東から西三河まで相模御料人の目と耳が行き届いているかのように思えてくる。
当人は小田原から輿入れして以来、駿府から出た事はほとんど無いというのに。
「…お主はどう考える、左衛門尉。」
忠次の意識を思考の海から引き揚げたのは、徐に放たれた元康の下問だった。
「大方、弥八郎の申す通りかと。実は、城下の商人から嘆願が上がっております。友野屋が退いた後の商会の切り盛りが手に余る、と。」
忠次が、報告を上げるべきか迷っていた案件を思い切って暴露すると、元康は――当然というべきか――大きく目を見開いた。
「なにゆえ左様な…いや、その前に…町奉行からはそのような…。」
「それがしも、讒言となるは本意ではございませぬが…町奉行に懇願しても埒が明かぬと、泣きつかれましてございます。」
「相分かった。大方わしの機嫌を損ねまいとしたのであろう。…されど解せぬ。友野屋の穴を埋めるべく、気概のある者共を充てたではないか。」
「それが、店がまるで上手く回らぬと。友野屋が指南していた頃は、『休みも務めの内』と店子が輪番で休みを取っていたにもかかわらず、儲けが出ていたそうなのですが…今やどう足掻いても損ばかりで、輪番を守れず…結果店子が次々と辞めていく、と…。」
領民の苦労など、岡崎松平の存亡の前には些末事…などと言ってはいられない。窮乏した農民が逃散でもすれば年貢は減るし、城下の景気が停滞すれば武具兵糧の調達に支障をきたす。
現に、半年前までは目録を渡すだけで期日までに漏れなく納品されていたものが、この所滞りがちになっている。友野屋は材料の納入から保管に至るまで独自の方法を採用していたらしく、物品が過度に不足したり、有り余ったりして生産に支障をきたす事がほとんど無かったのだが…今やその技能も途絶え、三河国で理解している者はいない。
よって、三河岡崎より商いが盛んな尾張の商人を頼るしかないのだが…すると今度は、織田信長の威光を笠に着た豪商と値段問答をしなくてはならない。しかも、松平は尾張商人以外に頼る相手がいないのに、尾張商人は他にも客がいる…即ち、松平と取引が出来なくても困らない、という態度を取ってくるのだ。
結果、値段問答は概ね尾張商人の言い値同然で決着してしまう。それは取りも直さず武具兵糧の調達価格の高騰に繋がり、岡崎松平の財政を圧迫する一因となっていた。
「今日の窮状…まさか見通しておられたのか、御前様は…。」
元康がうっすらと汗をうかべた額に右手を当て、うめくように漏らした言葉に、忠次は眉をひそめた。
「御前様…?今川の、相模御料人の事でございましょうか?」
今川に明確に敵対した以上、今川氏真とその妻を『御屋形様』『御前様』と呼ぶ事は出来ない。よって誰からともなく、『今川五郎殿』『相模御料人』という呼称が定着しつつあったのだが…岡崎松平の主たる元康がその暗黙の了解を破るとは、忠次も想像しえなかった。
「もう、5、6年前になろうか…今は亡き太原雪斎殿が病に倒れた折、無聊を慰める術は無いものか、と相談に向かったのじゃが…その時、御前様が仰せになったのじゃ。」
――竹千代殿のご実家は三河の岡崎でいらっしゃるとか。いずれ生まれ故郷に戻り、岡崎城の主となるお積もりはございませんか?
「⁉ま、まさか、そんな…。」
「無論、その場では誰ぞの世迷言と思い、切って捨てた。すかさず五郎殿に諭されたゆえ、岡崎松平を率いる者としての心構えを試されたものと合点しておったが…ッ、そう言えば…討死あそばされる遥か前、太守様(今川義元)が仰せであった。太守様が不慮の死を遂げる夢を御前様が見た、これを逆夢とする意気で尾張の経略に臨む、と…。」
これまで幾度となく修羅場をくぐって来た忠次の背中に、悪寒が走った。
義元の討死と、元康の独立。昨年まで誰一人、思いも寄らなかったはずのこの事態を、相模御料人は予見していたのだ。
蓄財、株札、岡崎松平へのやや度を越した肩入れ…全ては今日の惨劇に備えての事。
今年の春先に三河国にばらまかれた書状も、岡崎松平を穏便に今川に繋ぎ留めるための――
(ならば、なにゆえ…。)
行き場の無い怒りを胸に、忠次は奥歯を噛み締めた。
(なにゆえもっと早く…もっと強く、繋ぎ留めて下さらなんだ…!)
八つ当たりは百も承知だった。
相模御料人は強い影響力を持っているものの、その権力の裏付けはただ一つ、今川家当主の正妻であるという婚姻関係しかない。当主が幼弱、あるいは心神喪失の体にある訳でもない以上、表立って政治に口出しをして良い存在では無かった。
だが、こうして今川への忠節を踏みにじり、にもかかわらず混迷の中にある岡崎松平の現況を思えば…彼女がもっと積極的に行動してくれていれば、このような事態は避けられたのではないかと、考えずにはいられなかった。
「…全ては今更、詮無き事…織田と和睦して苦しくなったからと、今川に頭を下げれば…岡崎松平は表裏定まらぬと、汚名を着る事となろう。当面はこれまで通り、三河一国の平定を目指して合戦に臨む他あるまい。…本日は大儀であった、左衛門尉。もう下がれ。」
「仰せの通りに。」
忠次は序盤で指し手が止まった碁盤を片付け、険しい顔つきで物思いにふける主君に一礼してから部屋を後にする。
屋形の玄関へと向かう途中、ふと脳裏をよぎった疑問に、忠次は一瞬だけ足を止めた。
(おかしい…輿入れ直後から殿の叛心に気づいていたのであれば…なにゆえ岡崎松平が謀反に踏み切るまで、殿の足をすくうどころか、手助けするようなマネを…裁量が無いとは申せ、讒言を繰り返すなり、務めを妨げるなり…幾らでも手があったであろうに…。)
ほんの少しの疑念、真っ新な紙の端にぽつんと浮かんだシミのような違和感を抱えたまま、忠次は歩みを再開した。
どの道今はこの獣道を歩き続けるしかないのだと、自身に言い聞かせながら。
株札うんぬんや今川と松平の経済関係については妄想や捏造てんこ盛りですが、三河の大部分が桶狭間の戦いまでそれなりに長い間今川の支配下に入っていた事を前提に考えると、三河武士達が普段気にも留めない部分で今川や友野屋のお世話になっていた、という面は実際にあったと思います。
近現代史を紐解いてみても、植民地から独立したものの政治経済が未熟で国家運営が行き詰まった、みたいなケースは結構あります。
話し合いで解決出来れば言う事無し、なのですが、それが出来ないから争いになる訳で…何とも悩ましいです。