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#144 辛垣(からかい)城攻防戦(後編)

小田原北条氏による三田氏討伐戦の後編をお送りします。

前編で勝敗が決してしまっているため、北条サイドの掘り下げがメインになります。

「勝負あり、じゃな。」


 辛垣山の麓に設けられた本陣にあって、赤備の武者…大石(北条)源三氏照は厳めしい表情を僅かにほころばせた。

 数え20にして黒々とした口髭(くちひげ)顎髭(あごひげ)をたくわえ、床几(しょうぎ)に深々と腰掛ける居住まいは、実年齢よりも一回りは大きな存在感を放っており、現に、本陣に列席する将のほとんどは氏照よりも年長であるにもかかわらず、あたかも歴戦の老将を仰ぎ見るかのごとくかしこまっていた。


「若殿の見事な采配振り、お目にかかれて末代までの冥利にございまする。」

「何の、まだまだ…先鋒を申し出てくれた員野(かずの)半四郎(はんしろう)をむざむざ死なせてしまうとは。鉄炮(たねがしま)一丁と言えど、侮るべきでは無かったのう。」


 北条の辛垣城攻めを前にいち早く帰参を申し出て、忠節を示すために進んで先陣を切った土豪の名を挙げて、氏照は僅かに眉尻を下げた。

 員野半四郎は、新参者が新たな主君に忠誠を示す最も確実な方法として、旧主の城攻めに際して先鋒を志願し、認められたのである。その結果が、一太刀も交えぬ内に、命中精度が弓より劣るとされる鉄炮に狙撃されての討死であった。


「されど、肝心の策…塚田又八殿の寝返りは上首尾にて。目障りな枡形山城が焼け落ち、その兵が尾根伝いに辛垣城に攻め掛かるとあれば…最早三田の兵数では持ちこたえる事、叶いますまい。」

「うむ、これも氏政(あにうえ)が彼の者共の本領を安堵すると確約を下さったお陰よ。されど…三田を滅ぼした後の(まつりごと)に差し障るからと、乱取り焼き討ちを禁じたは、皆に余計な労苦を強いたな。代わりと申すべきか…此度の戦で余った米を、多少なりとも雑兵足軽に振る舞おうと思う。いかがであろう。」


 列席する諸将は、実家の当主を立てつつも麾下の将兵に対する気配りも忘れない氏照に改めて感じ入りながら、「よきお考えにございます」と頭を下げた。




 大石源三氏照は北条家前当主氏康の子であり、現当主氏政の実弟である。本来であれば、北条の傀儡にして正統性を担保する古河公方、足利義氏の後見を務めるはずであったが、武蔵国の有力国衆、大石家断絶の危機に際し、婿養子として送り込まれたという経緯がある。

 大石家先代当主、綱周(つなかね)の急死に際し、義父の名跡を継いで「大石源三」を名乗った若武者に対してどう接するべきか、かねてからの旧臣は距離感を測りかねていた。

 綱周の娘、比佐(ひさ)との婚姻を通じて大石の血脈が引き継がれる事は、当然歓迎すべきである。しかしながら、強大な国力を誇る北条の血筋を迎え入れれば、大石家が乗っ取られるのではないか、という心配も同時に存在した。

 幸運にも、と言うべきか、比佐との縁組が決まった後も氏照は小田原に留まり、氏康の家臣が大石家の所領である由井(ゆい)領の統治を担っていた。

 事実上当主不在のまま、大石家臣団は氏照との関係を探っていたが、事態は予想外の展開を見せた。弘治3年(西暦1557年)に関東一円を襲った、災厄――疫病『腹荒らし』である。

 対処法の分からない疫病を前に、神仏に祈りを捧げる他無かった大石家臣団に吉報が届いたのは、同年8月。


「今川に嫁いだ姫君の計らいで、当代随一の名医が北条の助力に参られた。松田弥次郎(憲秀)の警固の下、北条領内を巡って看病の指南に当たられる。応接に際しては、由井領の諸将も非礼無きよう…。」


 それを『干天(かんてん)慈雨(じう)』と言うのであれば、続いて届いたのは『青天の霹靂』だった。


「地理不案内な松田弥次郎殿を助けるため、由井城主たる大石源三殿が手勢を率いて加勢される。」


 小田原産まれの『若殿』が、由井領にやってくるというのだ。

 戸惑いつつも、薬師『臼川越庵』と松田憲秀、そして氏照一行を迎え入れた大石家臣団に対し、氏照は旧友に語りかけるかのごとく、満面の笑みで言った。


「よくぞ今日まで持ちこたえてくれた。未だ腹荒らしに苦しむ武士、百姓町民を救うため、共に力を合わせようではないか。」


 その言葉が軽薄なものではないと証明したのは、翌日からの氏照の行動そのものだった。調剤や看病といった医療行為は当然越庵とその弟子達が行ったが、病人を収容する寺社との折衝や治療に必要な物資の調達など、およそ軍功と数えられないような雑事を、氏照は精力的にこなしていったのだ。


「なにゆえ若…君はかように由井領の民に心をお砕きになられます。」


 流行病が収束に向かいつつあったある夜、ささやかな宴の席で、大石家臣団の一人が問いかけた。

 誰に苦い顔をされる事も無く上座で盃を傾けていた氏照は、ほろ苦い笑みを浮かべながらその問いに答えた。


「隠し立てしても仕方の無い事ゆえ、申しておくが…かつてわしは北条左京大夫(氏康)の子として、また新九郎(氏政)殿の弟として北条本家を支え、一旦危急の折あらば兄に代わって北条の家督を継ぎ、盛り立てていく所存であった。」


 裏表の無い独白に、列席していた誰もが息を吞み、聞き入った。


「されど過日…父上よりお叱りを賜った。兵を率い、太刀を振るうのみでは侍大将と変わりない。治世の法や談判の手立てを学ぶべきである、と…返す言葉も無かった。」

「無論、小田原への忠節に未だ変わりは無い。が…由井領すら治めえぬ将が、どうして武蔵、相模、伊豆…三か国の主になれようか。」

「比佐殿、そしてかねてより大石に忠節を示してきたお主らに能うかぎり報いよう。それゆえお主達も…わしに力を貸してほしい。」


 真剣な面持ちで宴席を見渡した氏照に、大石家の旧臣達は無言で平伏したのだった。




 永禄2年(西暦1559年)11月、氏照は数え18にして由井城に入り、比佐との婚礼の式を挙げる。名実共に由井領を治める大石家の当主となった氏照は、大筋では北条の下知に従いながらも、常日頃から大石の血筋を尊重する姿勢を見せ、家臣団の尊敬を勝ち得ていった。

 そして今回、辛垣城に籠る三田綱秀の討伐を命ぜられた氏照は、数千の兵を調えて数的優位を確立するのみならず、綱秀の重臣に調略を仕掛けて、必勝を期して出陣に踏み切ったのである。

 結果は見ての通り――三田家の存亡を賭けた戦いは、北条の圧勝に終わろうとしていた。


「ご注進!お味方、一の曲輪に踏み入りましてございます!」


 本陣に走り込んだ伝令が報告すると、氏照は甲冑を微かにきしませて問うた。


「大儀である。旗色は如何に?」

「お味方優勢!三田勢は蜘蛛の子を散らすが如く、算を乱してございます!」


 氏照は満足げに頷いた。


「攻め手を緩めてはならぬ。雷電尾根の隅から隅まで押さえよ。…時に、三田の首級(くび)は如何に?」


 この戦における氏照の勝利条件は二つ。辛垣城一の曲輪に三つ鱗の旗を掲げるか、三田綱秀の首級を挙げる、少なくとも一方の達成である。

 その前提を共有しているからこそ、伝令は息を吞み、身をすくめた。


「…面目次第もございませぬ。今の所、それらしき知らせは…。」

「焦らずともよい。勝沼の館を引き払った三田にとって、ここ辛垣山は最後の拠り所…それを失えば、自ずと腹を切るか、(えにし)を頼りに落ち延びるほかあるまい。まずは雷電尾根を押さえよ。山上の諸将にも、くれぐれも言い含めよ。」

「は…ははっ!」


 弾かれたように飛び出していく伝令を見送って、重臣の一人は眉間にシワを寄せた。


「自害したのであればまだしも、落ち延びられれば…少々厄介な事になりますな。」

「然り。されど…これで武蔵の国衆にはよい薬となろう。北条の恩を忘れて上杉に靡けばどうなるか、とな。」


 氏照が無感情な声色で言うが早いか、「えい、おう」という掛け声が山上から届いた。

 三田綱秀の最後の砦――辛垣城、陥落の瞬間だった。




 早朝から始まった城攻めは呆気なく片が付き、昼前には雷電尾根全域が北条の制圧下に入った。城攻めに当たっていた将兵は山上をくまなく練り歩き、残敵の掃討と捕虜の獲得に狂奔する。

 城兵にとっては幸運な事に、激しく抵抗した者以外は、武具甲冑を引き渡した上での城外退去という寛大な処置を被った。今回の合戦に十二分の勝算を持っていた氏照が、戦後の三田谷統治に支障をきたす事態を恐れ、将兵を厳しく戒めていたからこそもたらされた、極めて例外的な結末だった。

 一方、辛垣山の麓――氏照の本陣では、戦後処理と論功行賞が進められていた。

 員野半四郎をはじめ、討死した侍の遺族に報いる事を約束し、城内一番乗りを果たした者に金品を与えるなど、将兵の身分や活躍に応じた決定が下される中、一人の侍が従者を伴って陣幕をくぐる。

 それを見咎めた大石家臣団が冷ややかな視線を送る一方、氏照は髭面に満面の笑みを浮かべた。


「おお、谷合(たにあい)殿。此度の北条への忠節、礼を申すぞ。」


 『元』三田家臣、谷合久信は、氏照の暖かい言葉にもかかわらず、こわばった表情で両膝を屈し、腰の太刀を右脇に置いた。


「遅参の段、平にご容赦を。三田殿が落ち延びるまで思うたより時がかかりまして…。」

「やはり落ち延びたか。行き先は何処か?」

「…岩付(いわつき)を頼って再起を図る、と申しておりました。その折に、嫡男殿とその弟君を拙者に預けて行かれたのですが…。」


 久信が顔半分を後ろに向けて顎をしゃくると、従者が中腰で進み出て、『何か』をうやうやしく差し出した。

 『それ』は、二つの首桶だった。


「お二人共、幼いながらご立派な覚悟をお持ちで…落ちぶれた身の上を恥じて、早々に腹を召されまして…拙者が介錯を…」

「殿、それがしは三田殿の息子らと面識がございます。首実検を…。」


 どこか歯切れの悪い久信の発言を遮るように、大石家臣団の一人が申し出ると、氏照は無言で首肯した。


「…確かに、三田殿の息子二人に相違ございませぬ。」


 首桶を開けて『中身』を確認した家臣の言葉に、誰かが溜息をついた。


「谷合殿、ようやってくれた。約定通り、本領安堵といたす。いずれ軍功を上げれば新たな所領も得られるであろう。」


 氏照の、ある種定型的とも言える言葉に、久信はゆるゆると首を横に振った。


「有難きお言葉…なれど、これ以上の栄達は身に余りまする。恐れながら、今後の身の振り方は一族郎党と談合の上で申し上げたく…。」


 そう言いながら深々と平伏する久信の体は、僅かに震えていた。


「…左様か。なればその事、小田原にも申し伝えよう。…大儀であった。下がるがよい。」


 氏照の許しを得た久信は、右脇に置いていた太刀を握ってのろのろと立ち上がると、もう一度頭を下げてから従者と共に本陣を退出していった。


「…あの者の処遇、真によろしゅうございますか、殿。」


 ややあって、大石家臣団の一人が口を開いた。


「三田の幼子が兄弟揃って自害など…十中八九出鱈目にございましょう。己が身可愛さに、旧主の子を手にかけたに相違ございませぬ。」

「なれど、そこまで追い詰めたは我らじゃ。塚田と谷合、両将の寝返りが無ければこうも容易く辛垣城は落とせなんだ。その上で寝返りを不忠と責めるは、筋が通らぬであろう。」


 氏照の平易かつ整然とした反論に、家臣が黙り込む。


「乱世の習いとは申せ…谷合には此度の事、余程こたえたのであろう。太刀を捨てるやも知れぬが…そうなればそうなった時の事。」


 先程までの笑顔から一転、無表情で髭を撫でながら、氏照は虚空を睨んだ。


「…息子が死んだ事、三田の心を折るに使えるやも知れぬ。兄上に頼んで噂を広めてもらうとするか…。」


 周到な戦支度と、好機を逃さぬ戦術眼。

 新参者に対する懐の深さと、敵将の心をへし折らんとする謀略の容赦の無さ。

 未だ粗削りながら、政戦に渡って相反する要素を兼ね備える若き当主に、大石家臣団は畏敬の念を新たにする。

 同時に、事と次第によっては大石の血を継ぐ者が北条の家督を継承する日が訪れるかも知れない――という皮算用に、密かに胸を躍らせるのだった。




 辛垣城の陥落から程なくして、岩付城に身を寄せていた三田綱秀はこの世を去る。自領の奪還が絶望的となった事を悲観しての、自害であった。

 三田谷の古豪、僅か一日の城攻めで一族廃亡す――その知らせは、『由緒正しい関東管領』上杉政虎に鞍替えしていた北武蔵(埼玉県)、上野(群馬県)、下野(栃木県)の国衆を震え上がらせた。彼らは、北条の武威にいささかの衰えも無いという現実を目の当たりにしたのだ。

 再び輝きを取り戻すかに見えた山内上杉の威光に陰りが生まれ、諸将の命運を賭けた天秤はもう一方へと傾いていく。

 これ以降、上杉政虎率いる越後勢は、毎年の恒例行事のごとく関東出兵――『越山』を繰り返すが、小田原はおろか、相模国にまで踏み入る事は二度と無かった。

 越後国内に不安要素を抱えている上に、越中国(富山県)や信濃国(長野県)にも兵を出さねばならない以上、坂東に長居は出来ない。加えて坂東の国衆が上杉と北条との間で寝返りを繰り返すとあっては、戦況が一進一退の様相を見せるのは当然の帰結と言えた。

 かくして北条と上杉は、北関東を中心に熾烈な攻防戦を繰り広げる。戦乱に巻き込まれた村々に、破壊と飢餓と疫病を振り撒きながら。

 その構図に大きな変化が訪れるのは、もう少し先の話――。

前編で隔月刊誌「歴史群像」No.109の「戦国の城」コーナーを参考にした、と明記しましたが、幾つか変更点がございます。

原典によれば、三田綱秀が岩付城で自害した後、谷合久信にかくまわれていた息子二人が死んだ、という順番になっていますが、拙作では逆に、息子達の死を知った綱秀が自害に追い込まれた、という順番にしてあります。

綱秀が息子達を残して自害した理由は不明ですが、久信が旧主の子らを殺害したのは状況的に間違いないようです。

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