#143 辛垣(からかい)城攻防戦(前編)
上杉謙信の撤退によって始まった小田原北条氏による反攻作戦の第一歩、三田氏討伐戦の模様をお送りします。
舞台となった三田谷は、現在の東京都青梅市から奥多摩町にかけての地域だそうです。
本編の執筆に当たっては、隔月刊誌「歴史群像」No.109の「戦国の城」コーナーを参考にしました。
武蔵国西部、相模国に程近い山間に、西から東へとはるばる江戸湾まで続く多摩川を抱える三田谷がある。
三田綱秀は平将門の後裔を自称し、代々三田谷を治めて来た国衆、三田家の当主である。
三田家は領内で切り出した材木を建築資材として売却すると共に、多摩川を経由する交易の恩恵にあずかる事で富を蓄え、近隣の小領主達を主導する立場にあった。
かつては山内上杉氏の部将として功績を重ねたが、山内上杉氏の衰退と、入れ替わるようにして坂東に進出する北条の猛威を前に、北条への臣従を決意する。
『西国の他所者』の風下に立たざるを得ない情勢への不満はあったが、純然たる臣下ではなく、(少なくとも形式上は)独立した国衆として扱われる事が、綱秀や一族郎党にとっての慰めだった。
綱秀の心の奥底にくすぶっていたそれに火を点けたのは、永禄3年(西暦1560年)に始まった『越山』――三田氏の旧主、山内上杉憲政を奉ずる越後国主、長尾景虎による関東出兵だった。
北条に隔意を抱きつつも、圧倒的な国力、軍事力を前に従属を選んでいた坂東の国衆が続々と旧主への帰服を表明。武蔵国での迎撃を試みた北条も敗退したため、綱秀も旧主への鞍替えを選択したのだ。
北条の庇護を棒に振り、小田原に出していた人質を見殺しにしてでも、野分(台風)のごとく襲来した越後勢に加わり、昔日の武威を取り戻す。冷徹な計算と野望を基に下した決断は、疑いの余地なく正解だった。長尾景虎――鶴岡八幡宮で関東管領に就任した以上、上杉政虎と呼ぶべきか――が越後国に退くまでは。
政虎が新たに鎌倉公方として擁立した足利藤氏は大軍を率いた経験が無く、これを補佐すべき関東管領もいない。つまり、目前に迫る北条の報復攻撃に対し、離反した国衆は独自に身の振り方を考えなければならなくなったのである。
選択肢は大別して二つ、降伏か、徹底抗戦か。
だが、綱秀の選択肢は始めから一つ――本拠たる勝沼城の後背にそびえ立つ辛垣山に城を築き、北条の攻勢を撃退するしか無かった。
三田家が北条から見て裏切り者であると同時に、地理的に最も手頃な『獲物』である以上、降伏の申し入れは徒労でしかない。よって、北条が領国の村々を見捨ててまで温存していた大軍を――幾度と言わず一度で構わない――撃退し、上杉軍の救援を待つ。
それが三田家が生き残る唯一の道となっていた。
永禄4年(西暦1561年)8月 武蔵国 辛垣山
蛙の鳴き声がすっかり遠のいた夜。
三田綱秀は重臣二名を左右に、辛垣山で最も高い場所――一の曲輪の矢倉から、多摩川の対岸にポツポツと浮かぶ篝火の群れ…即ち、辛垣城攻めのために来襲した北条の陣を睨んでいた。
「攻め手の大将は誰か?」
「確か、大石源三(氏照)とか…。」
「大石家に婿入りした、北条家現当主の弟にございます。」
主君の下問に、重臣の一人、塚田又八が答えると、反対側にいたもう一方、谷合久信がすかさず補足した。
「軍才が有るのか無いのか…東より谷筋を攻め上がって来るものと身構えておった所、南の山間を抜けて来られたは虚を突かれた。山肌を背に、川を前にして陣を敷くも、理に適っておる。されど…雑兵足軽を用いて城下を焼かぬは、なにゆえであろう。」
辛垣山は、厳密には雷電尾根全体を城塞化したもので、南端に築いた矢倉台と、尾根筋で繋がる枡形山城、その北西に築いた辛垣城とが相互に連携して、南から攻め上がる攻城軍を翻弄する想定になっている。
味方は攻め手の動きに応じて素早く配置転換を行える一方、攻め手は山上の動きをつかめない上に、山間部という地形上配置転換も容易に行えず混乱する…と踏んでいたのだが、氏照軍が矢倉台のある東ではなく、南から進軍してきた事で、渾身の仕掛けは半ば無力化されていた。
その上で、氏照軍は行軍直後の城攻めを避け、多摩川の対岸に布陣したのだが…そこで乱暴狼藉や焼き働き――有り体に言えば民家への略奪、焼き討ち――に及ばない事が、綱秀にとって最大の不審事だった。
「城攻めに際して、城下を焼き払うは定石…伏兵はおらぬと、勘付いておるのであろうか。」
城攻めに備えて障害を排除すると共に、略奪と焼き討ちで兵の士気を高める一石二鳥の定石を採らない敵将に、綱秀は首を傾げるばかりだった。
どの道、城下に伏兵を忍ばせる兵力的余裕は綱秀には無いのだが。
「聞く所によれば、大石源三は本家の家督に未練を抱き、戦での大功をもって実兄に取って代わろうと目論んでいるとか…。」
「かような山城、小細工抜きで容易く落とせる…とでも思うておるのでしょう。氏康の威光を笠に着て、思い上がりも甚だしい。」
又八と久信が代わる代わる所見を口にすると、綱秀は見知らぬ敵将への憤怒を一瞬だけ胸中に宿したものの、深く息を吸い、吐く事で、冷静さを取り戻した。
「…左様に功を焦っておるのであれば、明日の総攻めでは陣頭に立って采配を振るうやも知れぬな。」
「噂では、大石源三は真紅の甲冑にて身を固めているとか…。」
又八が口にした「大石源三」の外見的特徴を脳裏に刻み込むと、綱秀は背後の床に安置された桐箱に目をやった。
「それだけ分かれば十分よ。明日は三つ鱗を返り討ちにし、この谷から追い落としてくれる。…二人共、明日は頼んだぞ。」
全幅の信頼を込めた綱秀の言葉に、重臣二人は息を揃えて頭を下げた。
あくる朝。
浅い眠りから夜明け前に覚醒し、手早く甲冑を着込みながら朝食を済ませた綱秀は、一の曲輪の矢倉から氏照軍の動向に目を光らせていた。
塚田又八と谷合久信はこの場にいない。又八は本丸たる辛垣城の側面を守る枡形山城の主として、久信は氏照軍の動きに応じて攻撃にも守備にも対応する予備隊の指揮官として、それぞれの持ち場に就いている。
数人の護衛を侍らせ、目を皿のようにしていた綱秀の視界に入ったのは、いっそ溜息が出そうな程に分かりやすい、氏照軍の戦術だった。
「一手を枡形山城の麓に置いて牽制し、主力は数に物を言わせて辛垣城を無理攻め、か…兵の分散を防ぐという意味では理に適っておるが…平地での戦と山間での戦の区別がついておらぬな。あれでは本隊が横槍を入れられても、もう一方がすぐには助けられぬ。遊兵じゃ。」
そう評価する綱秀の目に、真紅の甲冑に身を包んだ武将が辛垣城攻めの最前列に立っているのが見えた。
「!…鉄炮をこれへ。」
綱秀が後背に伸ばした手に渡されたのは、一丁の火縄銃だった。火薬と弾丸が込められ、火蓋は閉じられているものの、火縄には既に点火されている。また、山上から撃ち下ろす前提から、弾丸が転がり落ちる事を防ぐため、銃口に紙でフタがされていた。
綱秀は鉄炮を構え、真紅の甲冑に身を包んだ武将に狙いを定めると、火蓋を切って――あとは引鉄を引けば火縄の先端が火蓋に落ち、火薬に引火する――戦神への祈りを唱えた。
「南無八幡大菩薩。三田の命運、未だ尽きぬとあらばこの弾当たるべし。」
周囲の侍が息を殺す中、綱秀は深く息を吸い…引鉄を引いた。
バァァァン‼…ァァァン…ァァン…
鉄炮の残響が三田谷に反響する。薄い黒煙と硝煙の香りが一瞬だけ立ち込め、風に流されていく。
発砲したままの体勢で下方を睨んでいた綱秀の目に入ったのは、胸元に衝撃を受けてのけぞり、空を掴んで足掻いた挙句、落馬して動かなくなった赤備の武者の姿だった。
「…当たった。」
僅かな興奮を滲ませる綱秀に、周囲から感嘆の溜息が漏れた。しかし、それは徐々に困惑の声に変わっていく。
「攻め手が…止まりませぬ。総大将を喪ったというのに…。」
その言葉通り、氏照軍の進軍は鈍ったものの、着々と辛垣城に迫りつつあった。
「配下の将が、弔い合戦と気炎を上げておるのやもしれぬ。されど恐れる事は無い。総大将を喪った敵勢は烏合の衆、枡形山城の又八と息を合わせて攻め掛かればひとたまりも…。」
自身の見立てを口にしながら、敵主力の側面を突ける位置にある枡形山城を望遠した綱秀は、ふと眉根を寄せた。
枡形山城から黒煙が立ち昇っている。それも一つや二つではない。
「桝形山城が…誰か、疾く確かめよ!北条の乱破が火をつけて回っておるやも…。」
「ご注進!」
綱秀の指示を遮るかのように、矢倉へと軽装の伝令が上がり込み、息を切らしながら片膝をついた。
「ハァ、ハァ、枡形山城が…塚田又八殿が…ハァ、ハァ…。」
「もう変事の訳が分かったのか。それとも又八から言付けか。」
綱秀に促されると、伝令は懸命に息を整え、生唾を飲んで口を開いた。
「又八殿…北条方に寝返り!枡形山城に火を放ち、尾根伝いにこちらへ攻め入ってございます!」
がちゃん。
静寂の中、重い音が矢倉に響いた。
始め綱秀は、それが何の音か分からなかった。
涼しくなった右手と、矢倉の床に転がる鉄炮を見て、ようやく自分が鉄炮を取り落としたのだと気付いた。
伝令が荒い息を整えようと息継ぎを繰り返す中、枡形山城の軍勢と、氏照軍の喊声が、少しずつ大きくなっていった。
書き終わって思った事、即オチ二コマかな?
三田綱秀とその家臣団の関係については、調査不足のため詳しい事は分かりませんが、少なくとも防衛の要である枡形山城を任せられる程度には、塚田又八は信用されていたと思います。
それでも寝返るあたり、北条の調略がよほど巧みだったのか、三田家中での扱いに不満があったのか…。
次回、氏照周辺に視点が移ります。