表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
142/166

#142 反逆の前奏曲

しばらく視点があっちに行ったりこっちに来たりします。

今回は主人公近辺で、次回はまた北条家周辺に戻る予定です。

 新月の夜、幾つかの人影が、家々の屋根の上を足音もなく疾駆していた。

 男ばかり5人、いずれも地味な色の装束に身を包み、タスキで袖を絞り、布で頭と口元を覆って、その隙間から鋭い眼光を覗かせている。

 やがて5人は大きな屋敷の外郭を目前に立ち止まり、周囲を窺った。

 屋敷の主は関口(せきぐち)刑部少輔(ぎょうぶのしょう)氏純(うじすみ)――御一家衆として今川を支える重鎮であり、岡崎松平家当主、松平蔵人佐元康の義理の父でもある。

 5人の視線の先には、2人の侍が松明(たいまつ)を手に寝ずの番を務める一室があった。

 障子が閉じられているため、室内を窺う事は出来なかったが、それだけでも大事な『何か』がある事は容易に想像がついた。

 謎の一団から1人が離れ、塀の向こう側に消えていく。ややあって、危急を告げる声が響き渡った。


『曲者じゃ!出会え出会え!殿と御前様が狙われておる!一刻も早く、こちらに参れ!』


 不寝番の2人は、持ち場を離れるべきか一瞬躊躇したものの、関口氏純と御前様が危うい、という声に、矢も楯もたまらず駆け出していった。…その声が聞き覚えのないものである事に気付かないまま。

 警護の侍がいなくなった軒先に、4人が音もなく着地する。そして素早く障子を開くと、畳敷きの床に視線を這わせた。

 室内には、小さな寝床が一揃い。子供ほどの膨らみが見えるそれ以外には、罠も仕掛けも見当たらない。

 4人は寸暇を惜しんで寝室に押し入り、3人が周囲を警戒する中、1人が寝床の掛布団を()ぎ――ひゅっと息をのんだ。

 そこに横たわっていたのは目当ての幼子ではなく、麻縄が乗った丸太だった。

 掛布団(おもし)から解き放たれた麻縄は、しゅる、と小さな音と共に畳の隙間に吸い込まれ…次の瞬間、室内の畳が全てひっくり返った。

 当然、侵入者達は体勢を崩して落下し…立ち直る間も無く、四方八方から飛び上がった縄に手首足首を拘束される。

 唯一畳返しの罠から逃れた男は、仲間を一切顧みる事なく、屋敷からの脱出を試みた。が…その眼前に、町人風の女が立ち塞がる。


「ラクに死にたければ、大人しく縄につけ。」


 短刀を逆手に構え、そう言い放つ女を前に、男は同様の構えを取ると――空いていた片手で袖口から棒手裏剣を引き抜き、投擲した。


「ッ!」


 女は辛うじて棒手裏剣を短刀で弾いたが、男はその隙に横に跳び、女の間合いから逃れていた。


「!待っ…!」


 再起動を果たした女が追いすがろうとするのを一瞬だけ目の端に留め、改めて別の逃走経路に向かおうとした男を、次の瞬間、衝撃が襲った。

 本能的に受け身を取り、視線を巡らせた男が意識を失う直前に見たのは、瘦せぎすの大女が繰り出す肘鉄が、自身の鼻先に迫る――その一瞬だった。




永禄4年(西暦1561年)4月 駿府


 松平竹千代君誘拐未遂事件の翌朝、私は拘束した犯行グループ一同をお土産にして、駿府館に戻った。

 犯行グループを駿府館の警備隊に引き渡し、厳重に拘束するよう頼んだ上で、自宅に戻って報告書を作成。

 伝言ゲームのせいで『御前様(わたし)が襲われた』と勘違いした五郎殿が早帰りしてくれたお陰で、今回の事件の一部始終について報告、連絡、相談を行う事が出来た。




 事の発端は今月の始め、五郎殿が帰国して間も無くだった。山伏や行商人など、非戦闘員に偽装したと思しき一団が、三河から遠江、駿河へと移動している、との報告が沓谷衆から上がって来たのだ。

 何者かに雇われた伊賀か甲賀の忍びが、駿河での破壊工作を目論んでいるのではないか…という予想に、どう対処したものかと頭を悩ませている所に届いたのが、私の兄にして関口氏純殿の次女の夫、北条助五郎氏規からの手紙だった。


「三河国の情勢不安により、我が家の家人にも気を病んだ者が多い。竹千代君の世話に支障をきたす事があってはならない。ついては、寿桂様にお願いして人手を集め、御前様自らお見舞いに来てもらいたい。」


 一見、兄妹の縁を頼りにお願いをするだけの文章に、私はただならぬものを感じ取った。手紙の中で気になるのは『三河国』『竹千代君』…『寿桂様』『御前様(わたし)自ら』。

 明らかに厄介事の臭いを感じ取りながらも、私は寿桂様に連絡を取り…派遣されてきた沓谷衆の女性陣(二之丸七緒さん含む)を臨時のお手伝いさんとして短期雇用した上で、氏規兄さんに指定された日の昼に関口氏純殿の屋敷に入った。


「よくぞわしの意を汲んでくれた。」


 氏純殿の敷地内にある氏規兄さんの屋敷で対面すると、兄さんはいつになく緊張した面持ちだった。


「沓谷衆の事、薄々察してはいた…此度そなたを通じて呼びつけた事については、わしから寿桂様に釈明いたす。」

「それは構いませぬが…一体何事で?手紙からは差し迫ったご様子と、お見受けしましたが…。」


 戸惑いながら問い掛けると、氏規兄さんは一呼吸置いてから、断固とした口調で言った。


「蔵人佐(元康)殿が放った忍びが、竹千代君の誘拐(かどわかし)を目論んでおる。決行は新月の夜――即ち、今宵である。」


 その時私は驚くと同時に…正直に言おう、一種の興奮を感じていた。例えるなら、推理モノのドラマを見ていて、クライマックスを迎える前にトリックや真犯人に気付いた時のような…。

 だが、目前に迫っているのは2時間前後で大団円を迎えるフィクションではなく、今川にとっての重要人物に関わる大問題である、という現実が、私の頭を冷ましてくれた。


「『風のお告げ』――にございますか?」


 推定忍び集団が駿府に潜入している、という情報は氏規兄さんにも共有していない。関口氏純殿が沓谷衆に匹敵する情報網を張っているという話を聞いた事も無い、となれば…氏規兄さんの特殊能力、限定的ながら未来予知が可能な『風のお告げ』と見ていいだろう。


「然り。蔵人佐殿の表裏疑わしきは、駿府の誰もが知る所。真に兵を挙げる前に竹千代君を取り返し、後顧の憂いを絶たんとの企みであろう。」

「…企み、にございますか。」


 自分の声色が皮肉っぽくなっている事を自覚しながら、私は言った。まるでもう、元康殿が敵になる事は決定事項のようだ、との思いを込めて。

 当然と言えば当然の帰結ながら…五郎殿と元康殿と氏規兄さんは、本当の兄弟のように仲が良さそうに見えていたというのに。


「…其方の申したき儀も、分かる。されど…これも乱世の習いである。父祖以来の仇敵であろうと、盟約を結べば背中を預け合う(ともがら)。お家に仇なすとあらば、親子兄弟と言えど――」

「成敗すべきである、と!…先刻承知にございます。」


 苛立ちまぎれに大声を上げてしまったが、氏規兄さんは不快に思った素振りも見せず、浅く頷いた。…実際の所、私は全く納得できていなかったのだが、ここで善悪を論じても時間のムダでしかない事は明らかだった。

 それから、私と氏規兄さんは侵入者対策を話し合った。

 本来ならば、竹千代君誘拐の下準備にそれなりの日数が必要となる所ではあるが、依頼元が元康殿、あるいはその家臣であれば、関口氏純殿の屋敷の構造や竹千代君の居室が割れている可能性が高い…つまり、犯行グループは駿府に到着次第計画を実行に移すだろう、という結論に到達。

 今夜は隠密行動に適した新月の夜になる、という事もあって、急ピッチでトラップ――忍者ホイホイを用意する運びとなった。

 まずはお屋敷の使用人の一部を休ませて――最近のゴタゴタで使用人のモチベーションがだだ下がりしていたのは本当だった――臨時雇用した沓谷衆の女性陣と交代。

 私は外から見えやすい所で竹千代君のご機嫌取りをして偵察の目を引き、その間に沓谷衆が竹千代君の寝室に細工を施す。

 後は日没を口実に一泊すると関口氏純殿に申し出て、『適度に』警護の侍が巡回していても不自然に見えない状況を作り出す。…ある程度警戒しているように見せかけた方が、忍びも突破してやろうという気持ちになるらしい。

 そうして警戒網を突破した、と気が緩んだ所で、本命の罠にかけるという訳だ。隙が無いと言うか、容赦無いと言うか、元風魔忍者の百ちゃんと沓谷衆が味方で本当に良かった。

 仕上げに、夕方になって眠くなった竹千代君を寝室にご案内――すると見せかけて別室に移送。勿論、ここにも護衛を数人待機させておく。

 …そして夜。眠れない夜を過ごしていると、案の定外が騒がしくなった。

 私と関口氏純殿が曲者に襲われている、というデマが飛び…程なくして、集まって来た武士達が困惑する様子が伝わって来る。

 それから今度は竹千代君の(普段使っている)寝室の方が騒がしくなり…警護の侍が慌てて戻って行った。

 翌朝、私と関口氏純殿、そして氏規兄さんは、ある意味想定通りの報告を受けた。竹千代君を誘拐しようと侵入した賊、総勢5名が捕縛された、と。…『誰が』捕縛『した』のかは、あえて伏せられていた。

 ともあれ、竹千代君の誘拐を阻止する事は出来た。残る問題は…犯行グループの処遇と、背後関係の究明だ。




「左様か。助五郎が曲者の気配を察知し、お主を通じて沓谷衆に助力を求めた、と…。日頃は目立たぬが、さすがは北条左京大夫の子、助五郎の名にも恥じぬ知恵者よな。」


 納得した様子で何度も頷く五郎殿に、私は罪悪感を覚えつつも作り笑いをした。氏規兄さんの特殊能力を表沙汰に出来ない以上、100パーセント真実を伝える訳にも行かなかったのだ。


「さて、曲者の仕置についてであるが…即日斬首、晒し首といたす。」

「それは!…いささか拙速に過ぎるかと。時をかけて問い詰めれば、雇い主も明らかになるのでは…。」


 脊髄反射的に反論した私に、五郎殿は厳かな顔付きで――それはいつか見た氏康(ちちうえ)にも、昨日見た氏規兄さんにも似ていた――首を横に振った。


「曲者は遠国(おんごく)の忍び、務めに忠たらんと、素性も雇い主も一切明かそうとせぬ。牢抜け(脱獄)、縄抜けの手管にも通じておろう。一人でも取り逃し、こちらの手の内が知られれば…いずれ(わざわい)の種になる。その上、士分(さむらい)にもあらず、とあれば…生かしておく義理も、益も無い。」


 ぐうの音も出なかった。

 もし彼らが沓谷衆や百ちゃんの情報を持ち帰り、対策を講じれば…次は七緒さんや、百ちゃんが命を落とす羽目になるかも知れない。それを防ぐためには…彼らを処刑するしかない、のだ。


「…せめて、成敗の折は私も同席させていただきたく。」

「!…無理をするな。ケガレが移ったら何とする。それに…罪人の成敗を見物するなど、正気を疑われるやも知れぬぞ。」


 心の底から私を気遣う言葉に、僅かに胸が温かくなる。


「仕置が終わり次第…成仏が叶うように念仏を唱えましょう。また手頃な寺に頼んで、後日、下手人の亡骸(なきがら)を無縁仏として葬っていただきます。かように取り計らえば…ケガレや怨霊、世間の悪評からも逃れられるかと。」

「なにゆえそこまでする。」

「私はいずれ寿桂様に代わり、沓谷衆を率いる身。忍びの死に様がいかなるものか、この目に焼き付けておきたく存じます。」


 …半分は本音、もう半分は罪滅ぼしのような、気休めのようなサムシングだった。

 食い下がる私に、五郎殿は渋々といった感じで首を縦に振った。


「相分かった。…時に、忍びの雇い主について、であるが…。」


 話題が次のステージに移った事を察して、居住まいを正す。


「助五郎の見立て通り、迷う事無く竹千代の寝所を狙ったとあれば…雇い主は蔵人佐か、その直臣と見て相違あるまい。岡崎松平が今川に(そむ)けば…蔵人佐の留守居役たる竹千代が、人質同然となる。その憂いを絶たんと、忍びを雇い入れたのであろう。」

「…蔵人佐殿を、いかにお取り計らいに…?」


 先手を打って、駿府に呼び戻して処断する積もりなのか。

 そんな疑念を込めて問い掛けると、五郎殿は端正な顔を歪めて低く唸った。


「…まだ…まだ、蔵人佐が背くと、決まった訳ではない。今ならば、まだ…全ては織田を欺き、時を稼ぐための策略であったと、申し開きも叶う。…まだ、蔵人佐が背くと、決まった訳では…。」


 五郎殿は、自分に言い聞かせるように『まだ、まだ』と繰り返し続けた。それは、氏規兄さんに言わせれば、武家の当主にあるまじき優柔不断ぶりだったかも知れない。

 けれど、私は…五郎殿の、実の弟のように可愛がっていた元康殿を疑いきれない優しさを否定する事が…どうしても、出来なかった。




 付け加えておくと。五郎殿の命令通り、関口氏純殿の屋敷に侵入した忍び5名はその日の夕方に市内の刑場で斬首された。「御一家衆の屋敷に押し入った身の程知らずの野盗一味」として。

 その一部始終を安全地帯から見物した私は、比較的短い類のお経を読み、処刑役人達をねぎらってから自宅に戻ると、関係各所に手紙を書いた。晒し首が終わる数日後には、忍び達が適切な手順で葬られるように、と。

 食欲不振に陥ったのはその日の夕食までで、翌朝からは通常業務に復帰する事が出来た。

 自分の事ながらこうも立ち直りが早かったのは、前世マンガやアニメなんかでグロテスクなシーンを見て耐性がついていたからなのか、人の命が軽すぎる戦国乱世に慣れたからなのか。いくら考えても答えにはたどり着けなかった。




 そして数日後――4月半ばのある日、三河国から急報が届いた。


「岡崎松平殿、御謀反!手勢を率いて、牛久保城に攻め寄せたるよし!」


 元康殿の、今川家に対する明白な反逆行為――「三州錯乱」の開幕である。

話の構成上省略しましたが、氏真が帰国した(と思われる)閏3月には、松平元康は信長方との交戦を避け、三河国内の非友好的勢力を攻めるなど、不審な動きを見せていました。

当然氏真や今川家の首脳部は疑念を抱いたはずですが、本格的な対応は6月以降にずれ込んでいます。

こうした状況証拠から考えると、少なくとも氏真は最後の最後まで元康の忠誠を信じていた、或いは信じていたかったのかも知れません。

こうした点に限って言えば、金ヶ崎の戦いの折、浅井長政の離反を始めは信じようとしなかった信長の(上から目線での)信頼に通じるものがあると思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ