#140 姉妹、義母娘、そして義兄弟
今回、史実には登場しないオリジナルキャラクター同士の関係性について若干掘り下げています。
綿密に計算したものでは全くないのですが、物語に深みを持たせる一助になれば幸いです。
永禄4年(西暦1561年)3月 駿府館
五郎殿が一万の軍勢を引き連れ、北条の救援のため相模国に向かって数日後の事。
私は庭先に沓谷衆の連絡係、二之丸七緒さんを迎えていた。
「二之丸七緒、参上仕りましてございます。御前様におかれましては…。」
「ご苦労様、少しお待ちなさい…お栗?」
ジト目で横――さり気なく退出したように見せかけて、巨体を物陰からはみ出させている侍女、お栗を見ると、当人はバツが悪そうに正座した。
「内密の話だから、席を外すように言ったでしょう。」
「へえ、申し訳ございませんだ。次はいつ会えるかと、心待ちにしとったもんで…。」
巨体を縮こまらせて謝罪するお栗から、庭の地べたに片膝を立てる七緒さんに視線を移すと、彼女もまた同様の表情を浮かべていた。
「面目次第もございません。わたくしが情に流されたばかりに…。」
「悲しい事を言わないで頂戴…お栗、七緒殿は寿桂様の使いとして来ているの。公の用事が済んだら、少しは留まれるでしょうから…それまでしばしお待ちなさい。」
私が示した折衷案に頷くと、お栗は名残惜しそうに去っていった。
どうしてお栗が七緒さんとコミュニケーションを取りたがるのか、と言えば、二人の間に予想外の繋がりがある事が判明したからだ。
勿体ぶってもしょうがないので端的に言うと、二人は実の姉妹だった。
お栗は元々尾張と美濃の中間にある農村の出身で、戦に伴う乱暴狼藉で村がメチャクチャにされたせいで、家族揃って小田原の遠縁を頼って東海道を経由して来たのだが、道半ばで多くの兄弟姉妹が落命してしまった。
その中の一人、寿々(すず)とは駿府ではぐれてしまい、死んだも同然、と諦められていたのだが…何とお寿々ちゃんは寿桂様に拾われ、二之丸七緒と名乗って沓谷衆のトップエースに成長していたのだ。
以上の事実が明るみに出たのは、十日ほど前の事。寿桂様の使者として我が家を訪れた七緒さんに応対したお栗が、並外れた直感で七緒さんの正体に気付いたのだ。
七緒さんはと言えば、私が輿入れして以降、側付き侍女にお栗がいる事くらい分かっていたものの、家族に捨てられたも同然の扱いを受けた以上軽々に会える訳もない。
お栗に問い詰められても赤の他人を装い、それでもなお姉が引き下がらないと見るや、今度は突き放そうとした。
「姉だ妹だと、何を今更!肉親を見捨てて相模に行って、姫君の側付きとして何不自由なく暮らして…武士と契って男子まで産んで!わたくしは…最早、そんな人並みの仕合せすら望めないというのに!」
それを聞いたお栗は…七緒さんをそっと抱きしめた。
その大きな体で、しっかりと。
「おらの事を恨んでもええ、憎んでもええ。…お寿々が生きとって良かった。良かっただよ…。」
七緒さんは、お栗の抱擁から脱出しようとジタバタしていたものの、それも叶わないと悟るや、わんわんと泣きじゃくった。…生き別れた姉妹の再会という感動的なシーンの横で、驚いて集まってきた野次馬の整理に奔走していた御前様の気苦労に関しては、まあどうでも良い事である。
だいぶ駆け足で振り返ったが、お栗とお寿々…じゃない、七緒さんの再会に関するエピソードはこんな所である。恨みつらみを正面から受け止めたお栗の対応が正解だったらしく、七緒さんが姉に対してマイナスの感情を向ける様子はそれ以降見られなくなった。逆に、お栗と牛吉さんとの間に産まれた長男――門脇太丸くん、数えで6歳――の遊び相手を買って出るなど、私のストレス解消にさり気なく貢献してくれている。
…勿論、一連の事情は寿桂様に報告して許可を貰っているが。
「改めて、御前様には御礼申し上げます。わたくしと姉上を引き合わせて下さり…。」
お栗が今度こそ退出すると、七緒さんが再び頭を下げた。
「私は何も…孤児を引き取り、養ってくださった寿桂様の慈悲深さに頭が上がらないわ。」
私の本音に、七緒さんは顔を上げると、僅かに口角を上げながら首を横に振った。
「御前様の口添えが無ければ、連絡係を代えられても文句は言えませんでした。…我ら沓谷衆は寿桂様を実の母同然に思い、慕っておりますゆえ…願わくば、御前様にもそのお役目を引き継いでいただきたく。」
そんな大役が務まるだろうか――という不安が脳裏をかすめるより早く、私の口は勝手に動いていた。
「言われるまでも無いわ。私は御屋形様の正妻、つまり今川の家中領民の母も同然よ。」
…うわぁぁぁぁぁ言っちゃった言っちゃった。すごい事言っちゃった。
いや、やらなきゃいけない事だと分かってはいるのよ?でも一人で抱え込むには荷が重すぎるって言うか…。
内心で誰にともなく言い訳を展開していると、七緒さんはきゅっと表情筋を引き締め、わざとらしく咳払いをした。
「頼もしいお言葉、かたじけのう存じます。…では改めて、三河の情勢について、お報せ致します――」
七緒さんの報告を一通り聞き終えると、私は安堵のため息をついた。
「そう、御屋形様(氏真)に取り成しの礼を述べると共に、忠節を新たにする書状が続々と届いている、と…ひとまず、思惑通りといった所かしらね。」
私が五郎殿の協力を得て実行した作戦は、早い話がアメとムチ、北風と太陽、仏刑事と鬼刑事だった。
まず私が悪役令嬢――いや、もう人妻だし悪女か――にジョブチェンジし、最前線で悪戦苦闘する有力武将ご一同に脅迫状を一斉送付する。これまで無償でプレゼントしていた軍需物資や軍資金、贈答品の見返りを要求するのだ。
同時に、元康殿が謀反を企んでいると、妻の瀬名殿にさり気なくほのめかし、内と外から元康殿を揺さぶる。三河、岡崎に縁も所縁も無い瀬名殿の生活基盤の一つ、駿河人足の元株没収がかかっているとなれば、瀬名殿も夫の説得に力を入れるはずだ。
こうして女王様のムチが猛威を振るった所で、優しく賢い王様――勿論、五郎殿の事だ――が手を差し伸べる。バカでワガママな妻にはよーく言い聞かせておいた、諸将は余計な心配をせずに『元康殿と力を合わせて』織田信長と戦うように…と。
私の要求が五郎殿の認可を得たものではなかったと知った三河の諸将は、新たな負担から解放された――ような気がして、五郎殿への忠誠を新たにする。さり気なく織田信長と戦う筆頭格に指名された元康殿は、これ以上の織田への接近が難しくなる。
と、上手く事が運べば…物理的には誰も損害を被る事なく、三河衆を今川に引き留める時間稼ぎが出来る、という寸法だ。
「御前様の、身を切るがごとき策には恐れ入りましてございます。三河の諸将に忌み嫌われる事すら厭わないとは…。」
「思う所が無いではないけれど…御屋形様への忠節には代えられないわ。期せずして、瀬名殿に三河の士分、百姓が心を寄せるきっかけにもなったようだし…。」
寿桂様や沓谷衆、そして五郎殿の支援があったとは言え、素人がひねり出した謀略には見落としや予想外の副次的効果があった。その一つが、三河国における瀬名殿の影響力増大である。
城下の築山に引っ越した瀬名殿は城主の妻という事で周辺住民から距離を置かれていたらしいのだが、今回の騒動で『今川の御前様は我儘で情け知らずらしい』という噂が三河一帯に広がった結果、瀬名殿を慕う声が一気に広がり、下級武士や町人が築山のお屋敷に通うようになったらしいのだ。
「期せずして、とは…てっきり、築山殿のお立場を慮って策を練られたのかと…。」
目を丸くする七緒さんに、苦笑しながら首を振る。
「そこまで場数を踏んでいないもの。瀬名殿は慈悲深いお方だから、良かった…と言いたい所だけど…百姓町民を労わるあまり、分限を超えた振る舞いに走る事が無ければ良いのだけれど…。」
瀬名殿の『前科』を思い起こして軽い頭痛を覚えた私は、後で越庵先生に頭痛薬を処方してもらおう、と考えつつ話題を変えた。
「坂東の戦況は?」
「越後勢は北条を見限った国衆を加えおよそ四万、怒涛の勢いで武蔵、相模と攻め上り…途上の要害を次々と落として小田原にまで攻め寄せたよしにございます。河越、玉縄といった要所は持ち堪えておりますが…小田原を始め、城下町はことごとく乱暴狼藉と焼き打ちの憂き目に遭った、との事で…。」
私は反射的に奥歯を噛み締めた。
長尾景虎――上杉謙信と言えば『義』の武将。戦でもクリーンな姿勢を貫くものと無条件に信じ込んでいた。フタを開けてみれば、そこらの戦国大名とどっこいどっこいか、それ以上にひどい。
五郎殿が言った通り、軍事的には有効なのだろうが…進攻先で兵糧を現地調達し、乱暴狼藉で獲得したヒトやモノを売りさばいて銭を得る、という行動パターンは、正直関東管領の軍勢というより、野盗、山賊の連合軍といった方がしっくりくる。
「幸い、小田原は兵の少なきを補う堅城。越後勢も攻めあぐねている模様で…武田、今川の後詰が着到すれば、互角以上となるかと。」
これも、五郎殿の予想通り。後は、自身の不利を悟った長尾景虎が潔く兵を退いてくれれば…。
舞い上がりそうになる心を抑えて、私は深呼吸を一つした。
「まずまずの上首尾ね。後は五郎殿と将兵が無事に駿府に戻り、休息を挟んでから三河の加勢に向かえば…。」
今川を取り巻く状況は好転する。そう続けようとした私の耳に、玄関先から庭へと近付く足音が届いた。この足音は…。
「御免。竜雲寺より戻りましてございます。お二人に至急お伝えしたい事が…。」
現れたのは予想に違わず、寿桂様の屋敷に行っていたはずの百ちゃんだった。いつもの無表情に、緊張感をみなぎらせている。
「こちらをご覧ください。」
そう言って百ちゃんが差し出した安物の印籠を受け取り、フタと本体の継ぎ目をふさぐ蝋をチェックする。前世、映画か何かで見た…封蝋という奴だ。確かヨーロッパの文化だったと思うけど、寿桂様も使っている。
印籠を開ける前に、私の方で保管していた印を取り出し、封蝋を構成する複雑なデコボコに押し当てて…ピッタリはまれば、寿桂様が同じ印で封蝋をしたという証明になる。中身の入れ替えや偽造を防ぐための措置だ。
今回も問題なく一致したので、封蝋はバキバキに砕いてクズカゴにポイ。安心して印籠を開けると、中には数枚の書状がぎっちり詰まっていた。慎重に取り出して、目を通す。
…。
……。
………。
「御前様?」
「遅かった…。」
私を気遣うように声を上げる七緒さんに取り繕う事さえ出来ないまま、喚き散らしたい衝動を抑えて呟く。
「まずは岡崎に潜伏中の物見から。松平蔵人佐殿は、織田との和睦を成立させている…その証に、京の公方様の求めに応じて、馬を進上したと。」
室町幕府の命令に応じた行動なら、幕府への使者が敵地尾張国を通過しても問題ないかも知れない。だが、そんな話は五郎殿の所に一切上がっていない。
つまり、元康殿は信長を通じて室町幕府と連絡を取り合い、五郎殿に事前の相談なくその要求に応じたという事だ。
「もう一つ、岡崎城下で味噌を造り、売っている『岡崎味噌』の株主である友野屋殿から。蔵人佐殿の使いが元株主の瀬名殿を飛び越えて指図して来たそうよ。今後は売り文句に『太守様、御屋形様も召し上がった』――といった文句を使うべからず、遠江より東に味噌を売るべからず…貴方達は、どう思う?」
漠然とした不安の正体を求めて眼前の二人に問い掛けると、冷徹な輝きを宿した眼差しが二組、私を貫いた。
「恐れながら、戦支度と見て間違いないかと。」
「今川と手を切り、味噌は勿論の事武具兵糧を蓄えて…御屋形様に歯向かう手立てを、整え始めたものと思われます。」
七緒さんと百ちゃん、二人の見解は完全に一致していた。
「…情けない、寿桂様と御屋形様にあれだけ大見得を切っておきながら…。」
「御前様、お気を落とす事はございませぬ。」
一層ひどくなった頭痛に、思わず額を抱えると、七緒さんがフォローを入れてくれた。
「沓谷衆の謀は常より大小数え切れぬほどございますが…一から十まで思惑通りに運ぶ事はまずございませぬ。相手あっての事にございますれば…今はただ、次善の策を講ずるべきかと。」
…そうだ。頭を押さえてうずくまっている場合じゃない!
「…御屋形様と寿桂様に文を出すわ。株札を材料に瀬名殿に働きかけて、今川への謀反を思い留まるよう蔵人佐殿を説得させる。七緒、届けて頂戴。」
「はっ。」
「恐れながら、御前様…友野屋殿を通じて謀反の企てが漏れた事は、遠からず蔵人佐殿の知る所となりましょう。岡崎城下にお住まいの、友野屋殿の手代が成敗される前に、駿河、遠江まで立ち退く支度を整えておくべきかと。」
百ちゃんの進言に、頬を張られたような衝撃を覚える。
「百の言う通りだわ。友野屋殿にも文を出さなければ…教えてくれてありがとう。」
「勿体無いお言葉…。」
百ちゃんにお礼を言ってから、文机に向かい、小さな紙を使って急いで手紙を書く。
書き上がった書状数枚を折り畳んで印籠に収め、受け取った時と同様に封蝋を施してから七緒さんに渡すと、七緒さんは印籠を胸元へと慎重にしまい込み、すっと立ち上がった。
「では早速…竜雲寺へと書状をお届けいたしま――」
「七緒、待ちなさい。…お栗の事が気にかかるのね?」
ほんの僅か、ぎこちない動作と、お栗が引き下がった方向に視線をやった仕草から推理すると、七緒さんは申し訳なさそうに縮こまった。
「面目次第もございません。情に流され、務めを怠るなど以ての外…。」
「そ、そこまで言う事は無いけれど…育ての親と生き別れた肉親、天秤にかけるのも辛い事でしょう。…とは言え、今は一刻を争う…やむを得ないわ、お栗との語らいは次の機会に。お栗には私から言い含めておくから。」
「そんな、左様な手間を御前様におかけする訳には…。」
「いいえ、これは私が負うべき責務よ。」
七緒さんは一層申し訳なさそうにしているが、本当なら謝るべきは私の方だ。最近情勢が落ち着いているからと、お栗に気を持たせるような事を言ってしまった。その責任を取らなければならない。
「…重ね重ね、お礼の申しようもございませぬ。この御恩は、忍び働きにてお返しいたします。…では、これにて。」
七緒さんはもう一度、深々と一礼すると、今度こそしっかりとした足取りで、玄関の方へと歩いていった。
「百も、ご苦労様。少しでも体を休めて頂戴。」
私の許可を得た百ちゃんも、一礼して侍女の詰所に向かう。
それを横目に見ながら、私は三河の政局を今川に引き戻すための策略に、頭を悩ませるのだった。
…その時には、全てが手遅れになりつつあったのだが。
お栗とお寿々(七緒)の元ネタは、競走馬を美少女擬人化したコンテンツのシンデレラでグレイな漫画です。
オグリ→お栗、ベルノ→鈴→寿々といった感じで名付けました。
桶狭間の戦い以降の松平元康の動向に関しては、当初から今川からの離反を目指してはおらず、織田信長の猛攻というどうしようもない現実を前に、現実的な判断を下したものである、との実相が近年明らかになっています。
そういった事情を差し引いても、必要とあらば親子きょうだいを見殺しにし、かつての主家に弓を引く決断をしなければ生き残れなかった戦国武将の過酷さは、想像を絶するものがあります。