#135 勝って兜の緒を締めよ、負けたら一旦緩めよ
一方その頃、小田原城では…という回になります。
近頃バイブスだだ下がりでマジぴえんって感じのエピが続いていたので、サービスカットを入れる事にしました。
一体誰が脱いだのか、お楽しみに。
永禄3年(西暦1560年)12月末 相模国 小田原城
例年通りであれば、浮ついた雰囲気が支配する小田原城内の大広間。しかし現状、ここに集った北条の重臣達の表情は一様に硬かった。
理由は明白、越後(新潟県)から上野(群馬県)に入った長尾景虎の下に集結しつつある、十万を超えると噂される大軍が、いつ相模国まで攻め入って来るのかと、上から下まで不穏な噂で持ち切りなのだ。
いや、それ以前に…。
(御本城様(北条氏康)のご機嫌、如何ばかりか…。里見の悪あがきのために、とんだ迷惑じゃ…。)
松田左馬助憲秀は筆頭家老の席にあって、未だ空席の上座を横目に、黒々とした頬髭を神経質にしごいた。
安房と上総――現在の千葉県南部――に勢力を張る戦国大名、里見と北条の因縁は、氏康の父、氏綱の代にまで遡る。里見家の現当主、義尭は骨肉の争いを制して家督を奪取したが、その後ろ盾となったのが氏綱だったのだ。
これは里見が主と仰ぐ関東公方の一派、小弓公方足利義明の勢力を削るための策だったのだが、この時の決断が北条にとっての禍のタネになろうとは、軍略に長けた氏綱にも見通せなかった。
一連の工作が実を結び、弱体化した関東公方を傀儡と成した北条に対し、内乱で荒廃した安房、上総を立て直した里見義尭が、敵対姿勢を明確にし始めたのである。
しかしながら、里見の領国は総じて農耕に不向きであり、総合的な国力を比較する限り、北条に太刀打ちしようが無いように見えた。にもかかわらず――今年に至るまで、北条は里見義尭を久留里城に追い詰める事が出来なかった。
それは何故か。最大の理由は、里見家が独自の水軍を擁している事にある。
西国から関東に向かう商船は、相模の東端に突き出た三浦の岬と安房・上総の西岸に挟まれた海域(浦賀水道)を経て内海(東京湾)に入る。
里見水軍はこうした商船から通行料を取り立てると共に、断続的に北条領の漁村を襲撃して乱暴狼藉を働く事で、枯れた喉を潤していった。
当然北条もこれを座視する事無く、水軍を編成して対抗する体制を整えたのだが、海上での戦は陸地でのそれと勝手が違い、大金を投じ、兵数で優越してなお、抑え込めない状況が続いていた。
氏綱から里見との因縁をも引き継いだ氏康は、北条に有利な土俵に里見を引きずり込む事で、状況を打開しようと目論む。即ち、下総――千葉県北部――の勢力を取り込み、北方から里見を圧迫。並行して房総の国衆に調略を仕掛け、内応者の出現を根気強く待った。
その努力が実りつつあったのが今年――永禄3年春の事。形勢不利と見た房総の国衆多数が寝返った事により、北条の軍勢を房総半島の奥深くまで進軍させる事が出来たのだ。
そして、義尭が籠る久留里城の周囲に付城を築き、押し詰める事半年。北条家中で久留里城の落城がいつになるかと噂されていたある日、想定外の知らせがもたらされる。
「越後の国主長尾景虎が、かつて氏康に関東管領の地位を追われた上杉憲政を奉じて三国峠を越えた。第一に、里見の窮状を救うべく。第二に、偽りの関東管領たる北条を打ち払うべく。――既に上野は越後勢の手に落ち、坂東の国衆が次々と寝返っている。」
北方から突然もたらされた凶報に、久留里城を包囲していた氏康は兵をまとめて相模に引き揚げ、武蔵国北部(埼玉県)に進出する事で国衆を引き留めようとした…が、時既に遅し。長尾景虎の軍勢は日増しに膨れ上がり、武蔵国での迎撃に固執すれば大敗を喫する可能性が高くなっていた。
一転して苦境に立たされた北条は、河越城や江戸城といった要衝の防備を固めた上で主力を小田原城に結集。同盟国たる武田、今川に援軍を要請する他無かった。
…かくして、戦勝ムードに浮かれていた小田原城内は静まり返り、十万を超えると号する長尾景虎の軍勢の影に怯える日々を、誰もが送っていた。
「ご、御本城様のお成―りーっ。」
どこか浮ついた先触れの声に、憲秀以下、家臣団が一斉に平伏する。一拍置いて、聞き慣れた足音が二組、入室して上座へと向かう。小姓や太刀持ちを引き連れた足音は上座で止まり…。
「者共ご苦労。面ぁ上げな。」
いつもと同じ、氏康の声に顔を上げた諸将は、主君――名目上は既に氏政が家督を継いでいるが――の姿に目を見張り、息を吞んだ。
ややあって、憲秀がおずおずと口を開く。
「お、恐れながら御本城様…なにゆえ、左様な出で立ちを…?」
仏頂面の氏政の斜め後ろに腰掛けた氏康は、上半身に何ら身にまとわない…即ち半裸の状態だった。
まさか気でも狂ったのか…と怪訝な視線が集まる中、当の氏康は衰えを微塵も感じさせない引き締まった肉体を露わに、ふてぶてしく鼻を鳴らした。
「日頃肩で風切って歩いてるような連中が、見るだけで泣きそうな位落ち込んでるってんでな。俺が先陣切って、場を盛り上げようって訳だ。…どれ、ひとさし舞うとしようじゃねえか。」
氏康が扇子片手に立ち上がると、脇に控えていた女房衆が琴を弾き、笛を吹き始める。
その音色に合わせて踊る主君に向けられる視線は、当然戸惑いの色を含んだもの…しかし、徐々に室内の雰囲気は熱を帯び始める。
「ご同輩、今気付いたが…御本城様はあちこちに古傷を抱えておられる、にもかかわらず…お背中にはかすり傷一つ無い。」
「おうさ、あれこそ相模の獅子の証…陣頭に立つ事数知れず、大敵を相手にしたとて、背中を見せて追い打ちを浴びるような不覚を取った例が無い。」
「お懐かしや、あの傷は拙者が同陣した折の…。」
諸将が小声で囁き合う中、舞い終えた氏康は広間を見渡すと、だん、と床を踏み鳴らした。
「北条家中ともあろうものが、一体何に怯えてやがる…筆頭家老、左馬助。」
躍動する肉体に目を奪われていた憲秀は、瞬きさえ忘れていた己に気付くと、せわしなく目を瞬き、深呼吸を一つ置いてから答えた。
「恐れながら申し上げます。一つ、十万と号する越後勢が、いつ小田原まで攻め上がって来るのか。一つ、大敵里見をあと一歩まで追い詰めながら、久留里の囲みを解かざるを得なかった御本城様の無念いかばかりか。…一同、気を揉んでございます。」
「…成程。」
氏康は顎ひげを撫でながら扇子で膝を二、三度叩くと、勢い良く息を吸った。
「手前らの懸念、もっともである…が、恐れる事は無え。上野にやった物見によりゃあ、厩橋に集った人数は十万どころか、その半数に届くかどうか。急に大所帯になったせいで統制が取れず、陣立てを整えて出陣するのは次の如月(二月)になるだろう、って事だ。」
氏康の言葉に、下座の諸将は我知らず安堵のため息をついた。
兵数の面で不利である事は変わらないものの、彼我の差が噂ほどでは無かった事。
そして、越後勢に対処する時間的、精神的猶予が、明確に示された事が大きかった。
「こっちには『前の』関東管領どのが半年囲んでも落ちなかった河越城、地黄八幡が立て籠もる玉縄城、そして早雲寺殿以来落ちた例の無い堅城、小田原がある。武田、今川の後詰もある。つまり――越後勢の攻め手をかわし、追い返して、後詰の軍勢と呼応して攻め掛かれば、俺たちの勝ちだ。」
『勝利の方程式』が明確に示された事で、諸将の目に闘志が宿っていく。
「久留里の事は確かに無念だった。いいや、久留里だけじゃねえ。多摩の三田、武蔵の花園、岩付…北条の恩を忘れて、『前の』関東管領どのに義理立てしようって訳だ。泣かせるじゃねえか…。」
ばきっ、という音が広間に響き渡った。
氏康の手の内で、扇子がへし折れた音だった。
「上等だ!そんなに筋を通してえなら通させてやる!越後勢を追っ払った暁には、まとめて首をはねてやる!」
「「「「「応‼」」」」」
「里見が腰据えて正月を迎えられるのは今度っきりだ!いずれ再び追い詰めて…今度こそ詫びを入れさせる!」
「「「「「応‼」」」」」
冬の寒さも何するものぞ、と気炎を上げる家臣団を見渡すと、氏康は不敵に笑った。
「結構結構、そんじゃあ…まずは腹ごしらえだ!手前ら、飲め!食え!歌え!」
その瞬間の「応」という掛け声は、城内の隅々まで響き渡った…。
同日夕刻 小田原城 氏康邸
「やっちまった…。」
江川酒を口に運んでいた氏政は、差し向かいの氏康――既に上半身に衣服をまとっている――が額を押さえ、嘆息する様を見て、眉根を寄せた。
「父上、何か心残りでも…?」
「さっき扇子を握り潰しちまった。気に入ってたってのに…銭で直せるもんなら直してえが…。」
扇子の残骸を持ち上げて悲しげな視線を送る氏康を前に、氏政は居住まいを正すと、厳かに口を開いた。
「恐れながら、拙者は時折父上の事が分からなくなり申す。先だっての宴席においては、あたかも獅子の如く。然れども今は、まるで猫の如し。…どちらが真のお姿にございましょう?」
氏康は息子の問いにしばし考え込むと、扇子の残骸をしまってニヤリと笑った。
「子子子子子子、子子子子子子。」
「嵯峨の帝と小野篁卿の問答にございますな。」
間髪入れずに氏政が返すと、氏康は満足気に頷く。
「たかが言葉遊び…と言えばそれまで。意味があるとすりゃあどう読む、新九郎?」
「…人の身分は生まれで決まる、という事にございましょうか。貴賤を問わず、人は皆始めは赤子なれど…百姓の子は百姓、武家の子は武家、公家の子は公家として生きる他無いと…。」
氏政の言葉尻を襲ったのは、氏康の呵呵大笑だった。
「はっはっは、だぁっはっはっは!お前らしいや、はっはっは!」
ひとしきり笑い声を響かせると、氏康もまた居住まいを正し、息子に相対する。
「するってえと、伊勢宗瑞(北条早雲)殿の振る舞いは分限をわきまえて無かったってこったな?」
「…意地の悪い事を仰せになる。」
室町幕府の中堅官僚に過ぎなかった伊勢宗瑞が、坂東の戦乱に乗じて伊豆、相模を簒奪したのが北条の起源――それを否定するかのような発言をしてしまった不覚を噛み締める氏政に、氏康は「戯れだ、気に病むこっちゃ無え」と微笑みかけた。
「聞く所によりゃあ…獅子の子は猫と図体がそう違わねえそうじゃねえか。それを踏まえると…こうも読み解ける。猫だと思ってた物が、一際でかくなって獅子になる事もあるってな。」
「…道理にございます。」
「俺が獅子に見えたとしたら、それは…俺が獅子の子に産まれたから、だけじゃねえ。天の時、地の利、人の和に恵まれて…戦に勝ち、国を治めて来たからだ。…お前も手前の器量に見切りを付けて、小さくまとまろうとするんじゃねえぞ。」
痛い所を突かれた――とばかりに顔をしかめた氏政は、深々と頭を下げ、絞り出すように言った。
「面目次第もございません。里見は関東公方様に連なる名門、無理攻めにして根絶やしにしては一大事と、兵糧攻めを進言したは過ちにございました。」
「それこそお前が気に病む事じゃねえ。『前の』関東管領の威光と、越後国主の武威が結び付いたらどうなるか、俺の勘定が甘かったってこった。…この話は仕舞いだ、今の内に呑もうじゃねえか。越後勢が攻め上がって来たら、おちおち飲み食いも出来なくならあな。」
しばらく父子水入らずで酒と肴を堪能していた氏政は、少し離れた所から聞こえる女性の笑い声に耳を傾けた。
「母上も息災のようで、何よりにございます。」
「ああ…義弟殿(今川義元)が討死したと聞いて、一時は酷え落ち込み様だったが…鳳殿のお陰で随分元気になった…礼を言っとくぜ。」
鳳…武田家から輿入れした正妻の名に、氏政は小首を傾げた。
「母上の気鬱を晴らす一助となれば何より…されど、我が妻は何と申しますか…年不相応に幼気が…。」
「聞いてるぜ、毎日退屈知らずで結構じゃねえか。…表向きではしおらしく振る舞ってんだろう、大目に見てやんな。」
「ははっ…時に、今川の後詰について、でございますが…ご当主自らが参られるとは真にございましょうか。」
一転、渋面をつくった氏康は、清酒で口をすすぐと悩まし気に口を開いた。
「書状には、そう書いてある。現に、まとまった数の援兵も送って来たしな。…治部大輔(義元)殿が討死して半年で、だ。」
「見事な手腕と申す他無いかと。」
「ああ…だが、領国の三河が危ういってのに、当主自らこっちの後詰に出て来るってのは…ちいと話が旨すぎる。」
「謀にございましょうか。北条の危機に付け込んで、越後勢と語らって東西から小田原を挟み撃ちに…。」
「だったら援兵を出しやしねえだろう。代替わり安堵で手一杯とか何とか言って、越後勢が小田原に迫るまで出陣を引き伸ばしゃいい。駿河と越後の間で密書が交わされたって噂も聞かねえしな。」
「では…誠に盟約を果たすために?」
「武田は当主の大膳大夫(信玄)殿が出張るってんだ、今川も当主が出陣しねえと釣り合わねえ…道理に適っちゃいるが、律儀に過ぎるっつうか何つうか…。」
確かに、と氏政は胸中で呟いた。
先程の宴席で氏康が言った事は全くの出鱈目では無い、が…北条の不利に変わりは無い。武田と今川の援軍が来なければ、武蔵はおろか、相模まで失いかねないのだ。
ゆえに、両家の援軍は望ましい所であるが…実権を握っていた義元を喪い、織田の攻勢に苦しんでいる今川に、同盟相手とは言え他家を支援する余裕があるのか――。
そこまで考えて初めて、氏政は自身が今川の――より厳密に言えば現当主、氏真の心配をしている事に気付いた。
(あの書状のせいか…。)
氏政が思い出したのは、数年前に妹――結から届いた書状の一節だった。
『五郎殿は文武に秀で、博覧強記。されど、非力を嘲らず、無知をそしらず、日々精進を怠らず。どこか天用院殿を思い起こさせるお方にございます。』
天用院殿――今は亡き長兄、北条氏親に似ているという今川五郎氏真。
(もし北条の助勢に相模まで来るのであれば…あるいは、対面も叶うであろうか…?)
「武田は言うまでもねえが…今川にはでっけえ借りが出来ちまったなあ。」
氏政は父の呟きを聞きながら、盃を干した。
とうに乗り越えた筈の胸の痛みを、ごまかすように。
いかがだったでしょうか、北条氏康の貴重な裸踊り。
漫画『北条太平記』(桜雲社)のワンシーンに触発されて書きました。
「総大将が最前線に出るべきか」という問題は戦国時代でも家風や時期、個別の事情によって異なる評価がされますが、北条氏康の場合はかなり好意的に捉えられていたようです。
戦国武将たる者、ここぞという場面で賭けに出る度胸が必要不可欠と言っても過言ではありませんが、氏康はその中でもトップクラスのバクチ打ちだったと思います。