#134 中間管理録モトヤス
今回もよろしくお願いします。
永禄3年(西暦1560年)11月 三河国 岡崎城
「殿…殿!」
すっかり日が短くなったある日の昼日中。
火鉢が燃える城内の一室で御世論の盤面を睨んでいた松平元康は、対戦相手――酒井左衛門尉忠次の声に身を震わせた。
「お、おお左衛門尉、いかがした。早う次の駒を――」
「恐れながら、とうに…。」
忠次の返答に二、三度目を瞬いてから、盤上を確かめた元康は、それが虚言ではないと悟り嘆息した。
「…すまぬ、物思いにふける内に周りが目に入らぬようになるは、わしの悪癖じゃ。」
「織田との合戦について、でございましょうか。あるいは、奥方様の…。」
「…いずれも、じゃな。」
本来、陰謀渦巻く戦国乱世において、親兄弟、譜代家老といえども、他人に容易く心中を明かす事は褒められた行動ではない。しかし、内心の葛藤をこれ以上留め続ける事は、今の元康には出来なかった。
「太守(義元)様が討死あそばされたは、今川にとって一代の痛恨事。その中にあって、我ら大高城に詰めておった軍勢に織田の矛先が向かなんだは幸いと言えよう。されど…太守様の仇討ちを誓って早半年。我らは尾張に攻め入るどころか、岡崎の鼻先にまで押し込まれておる。」
片手で御世論の駒を弄びながら、元康は続ける。
「先の評定に至っては…織田との和睦を言い出す輩まで現れる始末!…じゃが!…されど…あ奴らの申す事にも一理ある。口惜しい事に…。」
元康が言う通り、戦況は思わしくない。
今川の現当主、氏真が父の仇を討つ姿勢を早期に鮮明にした事で、三河の国衆の動揺は最低限に抑えられた。しかし信長に対する畏敬の念を新たにし、攻勢に出る尾張勢と、義元を喪い、駿河の援軍を得られない三河勢とでは連携と積極性に格段の差があった。当然の帰結と言うべきか、戦況は三河勢劣勢の状態にあり、このまま今川方として交戦を続ければ、片端から潰される恐れさえあった。
結果、織田との和睦を支持する声が三河国にじわじわと広がりつつある…が、それは今川への背信行為に該当する。時機を見誤り、単独で謀叛を起こして今川に鎮圧されては、意味がない。
いかに仁義、忠節より損得勘定を重視する戦国武士とは言え、自分から進んで反旗を翻す度胸を持つ武将は存在せず。近頃の評定では、参加した武将達が互いに顔色を窺いながら味方の不利を並べ立て、三河国の筆頭格である松平元康に物言いたげな視線を寄越す…という情景が常態化しつつある。
「御屋形様(氏真)が援兵を寄越してくれさえすれば…御前様(結)の陣中見舞いが功を奏してか、表立って御屋形様をそしる者はおらぬ…が、それもいつまで持つか…。」
元康の言う『御前様の陣中見舞い』とは、桶狭間での敗戦以降、今川氏真の正妻から三河の国衆へと、不定期に送られて来る物資や軍資金だ。三河国の軍備を丸ごと支える…とは到底言えない量ではあるが、兵には酒や甘味といった嗜好品、将には茶器や武具といった自己顕示欲をくすぐる物品を送付。
加えて、一定以上の地位を有する武士には、『我が夫がいかに貴殿を頼りにしておられるか』をそれぞれ異なる文章で書き連ねた書状を送り、諸将の心を今川に引き留める一助となっている…が、戦況の悪化と今川本国の支援不足という現状を前に、その効果も薄まりつつある。
「その上、奥(瀬名)の事も…なにゆえ斯様に隔たりが出来てしもうたのやら…。」
日常的に政治的、軍事的プレッシャーに晒される『一国一城の主』にとって、心おきなく休息を貪る事が可能な時間、及び空間は不可欠と言える。
本来その役割を果たすはずの御殿の奥の間――城内の私的生活スペースは、現状、元康にとって安息の地とは呼べない状況と化していた。
「恐れながら、拙者が耳にした所によれば…日々の暮らしに難儀されておられるとか…。」
「濁さずともよい。最早城内で知らぬものの無い事じゃ。奥は岡崎に縁も所縁も無い、それゆえ…何処から何を買えばよいのか、見当もつかなんだ。この半年で随分ましになったが…今度は部屋や庭が狭いと言い出してのう。」
ようやく駒を盤上に置き、挟んだ駒をひっくり返しながら、元康は嘆息した。
「断じて奥の我儘では無い。我が子を慈しんでの事と、承知しておる。されど…時も所も構わず、わしに談判に参るとあっては、些か…些か、外聞が悪い。」
夫、父親、そして武将の顔を代わる代わる覗かせる元康を、忠次は泣き出しそうな表情で見つめた。
「殿の苦衷、察するに余りありまする…松平の行く末につきましては、拙者が申し出るは差し出がましい事にございますゆえ、口を慎みまするが…奥方様の一件、些かお役に立てるかと。」
「…申してみよ。」
夜道に一筋の光明を見たような輝きを瞳に宿しながら、元康が促すと、忠次は居住まいを正してから口を開いた。
「これは拙者――いや、拙者の妻にも覚えのある事ゆえ、申し上げますが…夫婦と申すものは結ばれた後、同じ『間』を永久に保つとは限りませぬ。」
「間…。」
興味深げに反芻する主君に首肯して、忠次は続けた。
「初めは互いに慈しみ合う間柄なれど…子が一人産まれれば『間』も変わりまする。男子であれば尚更…夫は父として、上役として、子を教え、導かねばなりませぬ。一方で妻は母として、子を慈しみ、内向きの差配に取り組まねばならない。かつての如く、夫婦二人で互いの事のみを想い合うばかりでは、何事にも障りが生じまする。」
「うむ、道理に適っておる。されど…なれば我が嫡男、竹千代が産まれても、わしと奥の間柄が変わらなんだはなにゆえであろう。」
淀んでいた川の水が流れ出すように、会話を交えながら、元康と忠次は交互に駒を置いていく。
「拙者が思いまするに…殿と奥方様の仲が睦まじかった事は勿論でございますが…ご両人の屋敷が、関口刑部少輔殿の敷地の内にあった事も幸いしたのではないかと。奥方様にとってご実家も同然の立地、知らず知らずご実家の手助けを頼みにした事も少なくなかったのでは…。」
「むう…うむ、言われてみれば…何かと刑部少輔殿に助けられた覚えは、確かにある。」
元康は同意の意思を示すように、大きく頷いた。
「そこに此度の一大事。一時とは申せ竹千代殿と生き別れ、乳飲子を抱えて縁も所縁も無い岡崎に参られたとあれば…母として、何かと気に病む事も多くなるかと。無論、殿をお支えする事が何よりの務めと承知しておいでではございましょうが…指南役も、頼りに出来る女性もおられないとあれば…。」
主従二人、瀬名の境遇に思いを馳せる事しばし。忠次は咳払いをしてから、再度口を開いた。
「所詮我らは男子にございますれば、奥方様の御心を推し量るにも限りがございましょう。そこで、でございますが…ひとまず、城下に新たに屋敷を構え、奥方様と亀姫様はそちらにお移りいただくのはいかがにございましょう。」
「…続けよ。」
「無論、警固を手厚くした上で、ではございますが…周りを壁に囲われ、狭苦しい思いをされるよりは、広々とした屋敷にて、姫君のお世話や奥向きの差配に専念された方が、奥方様のためになるかと…。」
「…確かに。わしも尾張勢との戦で手一杯。このまま角を突き合わせておっては、却って互いの為にならぬ。」
眉間のシワを僅かに緩めて、元康は何度も頷いた。
「今日は世話になった。尾張勢との事はまた思案するとして…奥の事はお主の申す通りにいたそう。早速、作事奉行として――」
「恐れながら、その儀は町奉行(城下行政長官)に任ぜられたく…。」
主君の屋敷を新たに建造するという手柄を辞退するという申し出に、元康は目を丸くし、忠次は苦笑した。
「拙者から言上しておきながら、ではございますが…拙者は商人にも職人にも伝手がございませぬ。それよりは殿が御前様の助言を受けて任ぜられた、岡崎町奉行に命ぜられるが上策かと。」
「もっともじゃが…お主への褒美は如何にする。」
解決策を上奏しながら、手柄も褒美も不要と言わんばかりの姿勢を見せる忠次を、元康が訝しんでいると、忠次は御世論の盤面を手の平で指し示した。
「褒美ならば、これこの通り。物思いの片手間に打っておられた殿より、勝ちを頂戴してございます。」
慌てて盤面を確かめた元康は、忠次の言葉通り、自身の敗北を悟ると、額に手を当てて笑った。
「なるほど、これは一本取られた…されど負けたままでは終われぬ。また付き合うてくれるか?」
「殿の無聊の慰めとなるのであれば、喜んで。」
忠次は仰々しく返答すると、主君に向かって深々と平伏したのだった。
数日後、元康の命を受けた町奉行が城下の名主や商人、職人達との協議を経て、岡崎城に程近い適地に、新たな屋敷の建造を開始する。
居住性に重きを置いたこの屋敷は年内に完成を見、岡崎城を出た瀬名と亀姫はこの屋敷へと住まいを移した。
元康も折に触れて訪れた屋敷が建てられた土地の名は――築山。
以後、瀬名は町民百姓より、『築山殿』と称される事となる…。
『関口瀬名』(松平元康妻)が岡崎に移ったのは桶狭間の戦い直後と推定されていますが、『築山殿』誕生に関しては今もって不明な点が多数あります。
なぜ岡崎城外に屋敷を構えたのか、引っ越したのはいつなのか、『築山』はどこなのか、など…。
私なりの解釈に説得力を感じていただければ幸いです。