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#130 それぞれの行き先

桶狭間の戦いエピローグ(現場編)をお送りします。

次回、結の視点に戻って一段落の予定です。

永禄3年(西暦1560年)5月19日 尾張三河国境 大高城


 だん、と板張りの床を蹴って立ち上がった同輩を、朝比奈(あさひな)備中守(びっちゅうのかみ)泰朝(やすとも)はすかさず背後から羽交(はが)()めにして引き留めた。


「離せ、備中守殿!これは織田の(はかりごと)じゃ!織田の間者をこの手で叩き斬ってくれる!」


 半狂乱でわめき、暴れる同輩――松平(まつだいら)蔵人佐(くろうどのすけ)元康(もとやす)の声に、泰朝は唇を食い破らんばかりに噛み締めた。




 大高城の包囲網を解き、兵糧入れを成功させた元康と泰朝は、長期の籠城戦に疲弊した城主、鵜殿(うどの)長照(ながてる)とその手勢に代わって城内の警固と整備に奔走していた。作業が一段落した頃には昼をゆうに過ぎており…それだけに、突然の暴風雨は今川将兵の度肝を抜いた。

 しかし、それ以上の驚きをもたらしたのはその直後――北の鳴海城方面を監視していた兵がもたらした、兵力で圧倒的に劣る織田勢が、桶狭間山に陣取っていた今川勢を壊走に追い込んだという知らせだった。

 元康と泰朝は緊急の評定を開き、今川義元を救援する部隊を編成して送り出す準備を進めていたのだが…そこに続報が届く。


「太守様、沓掛(くつかけ)城まで退く途上にて首を取られたるよし。お供の旗本ご一同も、枕を並べて討死されたものと…。」


 元康の反応は先述の通り、まるで聞き入れようとはしなかった。

 背後から組み付いた泰朝を振り払おうと、右に左に身をよじり、わめき散らす。


「太守様は海道一の弓取りぞ!三か国の主ぞ!わしの、わしの…父同然のお方ぞ!それが斯様な所で…斯様な…。」


 声が弱々しくなり、抵抗も弱まった所を見計らって、泰朝は元康をそっと床に降ろした。


「知らせをもたらした太守様の馬廻(うままわり)は、その場で喉を突いて果てたとの事。我らに太守様の消息を伝えるためにのみ、生きながらえて参ったのでござろう。…今少しここで気を静められよ。敗走した雑兵足軽の受け入れと、鳴海城に籠ったままの岡部殿への連絡は拙者が請け負った。」


 落ち着いた声色で言い置き、部屋を出ようとした泰朝は、一瞬立ち止まった。


「蔵人佐殿の心中、察するに余りある…されど、立ち止まってはおれませぬぞ。我らは一手の大将…太守様亡き今、将兵の生殺与奪(せいさつよだつ)の権は我らにある…。」


 その語尾は、僅かに震えていた。




 同じ頃、尾張三河の国境から、夕陽に照らされながら北西――清洲方面へと向かう一団があった。手に、腰に、鑓先に首級をぶら下げた武士、雑兵足軽の集団…桶狭間にて今川義元を討ち取った、織田上総介信長の軍勢である。

 総大将から末端の足軽に至るまで、泥と血にまみれ、具足はキズだらけだったが、その表情は総じて明るかった。

 その隊列の中にあって、例外的に困惑の表情を浮かべていた足軽…木下小一郎は、今日という日の疲れを微塵も感じさせない軽やかな足取りで、肩で風を切って歩く兄…藤吉郎を呼んだ。


(あに)さ、兄さ。」

「どうした、小一郎。」


 藤吉郎の声色から、今なら多少迂闊な事を言っても怒鳴りつけられる心配は無さそうだと見当をつけた小一郎は、安堵のため息を一つ挟んで問いかけた。


「今日の戦はわしらの勝ち…っちゅう事でええんじゃな?」

「ひょほっ、当ったり前でにゃあか。今川勢は散り散りになったし、治部大輔の首も取れた。大殿の前に敵無しじゃあ。」

「うん、そうじゃな。じゃけど、結局砦は落ちたまんまだもんで…わしらもこうして清洲に帰るし、国境の守りは大丈夫か…と、ちいと、ちいっと気になってしもうて…。」


 今度こそ兄が癇癪(かんしゃく)を起こすのではないか、と身構えた小一郎をよそに、藤吉郎は上機嫌で答えた。


「お(みゃあ)の心配ももっともだぎゃ。けんど、治部大輔への追い討ちでこっちも手負い、討死がようけ出た。万一今川の一手の大将が弔い合戦を挑んで来たら面倒な事になるで。何はともあれ、いっぺん清洲に戻ってじっくり首実検しようっちゅうこっちゃ。」


 どうやら今夜は清洲に戻れるらしいと知り、胸を撫で下ろす小一郎に、藤吉郎は続ける。


「それにのう、もはや今川は首をもがれた軍鶏(しゃも)(おんな)じよ。しばらくは真っ直ぐ歩くが…その内こてん、と横倒しになって、動かんようになる。そうなりゃ後は大殿の思うがままじゃ。今川に(なび)いとった国衆がこぞって戻って来るじゃろうし…このまま攻め立てりゃ、三河一国を切り取られるかも知れん。」

「奥方様のご実家の、美濃(みの)を攻めるっちゅう話はどうなるだ?」


 小一郎の疑問に、藤吉郎は少し困った顔になった。


「うん、美濃か。…けんどのう、美濃は思いの外守りが固いし…いっそ和睦して三河攻めに専心するという手も…。」


 小声でぶつぶつと呟いた挙句、藤吉郎は鼻から大きく息を吐いた。


「…分からん!大殿の決められるこっちゃ。わしらはその下知に従って戦働きするまでよ。」


 結局、今後の予定は未定という事だ。まあ、今日の戦で命を拾っただけでも幸運だったと思うべきか…と小一郎が気持ちの折り合いをつけていると、後方から「おうい、藤吉郎」と声がかけられた。

 藤吉郎と小一郎が振り返ると、中島砦を出立する直前に首を持ち込んで来た牢人衆の一人、前田(まえだ)又左衛門(またざえもん)利家(としいえ)が、馬上から手を振っていた。馬の口を、臨時に雇ったと思しき百姓が引いている。


「これはこれは又左衛門殿…本日は見事なお働きにございました。せめてわしに、馬の口を取らせてくだされ。」


 藤吉郎はわざとらしく声を上げると、手荷物を素早く小一郎に押し付け、利家にすり寄った。小一郎はこっそりため息をついたものの、利家に声をかけられた事自体には少なからず安堵を覚えていた。

 足軽はとかく武士達から蔑みの目で見られがちで、割り当てられる任務も過酷なものが多い。

 藤吉郎(あに)は上昇志向の塊で、織田家の侍と見ればすり寄っておべっかを使い、蹴り飛ばされたり、嘲笑われたりといった目に遭って、夕方に小一郎相手に不平不満をこぼすのが常なのだが、そんな藤吉郎も利家の悪口は言った事が無い。

 自信家で短気、大言壮語を吐く乱暴者だが、虚言(そらごと)を滅多に使わない、気持ちの良い御仁――それが、藤吉郎による利家評だった。


「まっことお見事にございました。時にこの馬は…もしや大殿から?」


 藤吉郎が軽薄な笑みを浮かべながら水を向けると、利家は満足この上ないとった表情で頷いた。


「此度も首を幾つか取ったが…あいにく、帰参(再就職)のお許しはいただけなんだ。されど、今川勢に一番鑓をつけた武者に何ら報いざるはさすがに不義理…と仰せられてのう。帰り道が楽になるようにと、馬を下さった。殿、ああいや、上総介様がわしの武勇と忠節を認めて下さった証じゃ。帰参も近いに相違あるまい。」


 ちょうど分かれ道が近くなった所で、利家は織田勢とは別の方向へと馬の首を巡らせ、先刻の口取りを呼び寄せた。


「藤吉郎、ここまででよいぞ。大儀であった。…そうじゃ、清洲で太田(おおた)和泉守(いずみのかみ)に会う事があれば、伝えてくれ。此度の戦で、前田又左衛門がいかに上総介様のお役に立ったかをな。然らば。」


 そう言い残して隊列を離れる利家に、藤吉郎は大仰に飛び跳ねながら声を張った。


「又左衛門殿の頼み、この木下藤吉郎が確かに承った!一命に代えても果たしましょうぞ!どうぞご安心あれ!」


 たかが伝言に『一命に代えても』などと…と小一郎が呆れていると、利家の後ろ姿が小さくなったあたりで藤吉郎は見送りをやめ、弟から荷物を回収して隊列に戻った。


「兄さ。太田和泉守様っちゅうんは…?」

「家中有数の弓の名手じゃ。変わったお方でのう、大殿の身の回りで起きたあれこれを書きつけて、後生大事にとっておるんじゃ。聞く所によると、いずれは大殿の一代記を書き記して、末代にまで読み継がれるようにしようと志しておられるとか…まっこと奇特なお方よ。」


 ふーん、と小一郎は鼻を鳴らした。

 小一郎は足軽になって日が浅く、戦の事も、武将の強弱優劣も分からない。現に、『海道一の弓取り』などと呼ばれ、恐れられていた今川義元は、無名の若武者に首を取られて死んでしまった。

 そんな見通しのきかない世界で生きるより、実家で畑仕事をしていた方がもう少し安穏とした一生を送れるのではないか…。


「兄さ。今日の戦で褒美をたんまりもらえるんじゃろ?わしと一緒に田舎に帰らんか?」

「帰らん。」


 先ほどまでの和やかな雰囲気が噓のように、藤吉郎はぴしゃりと言い放った。


「村で百姓やっとったって、戦からは逃れられん。日照りだろうが凶作だろうが、年貢も納めんといかん。そんな一生、わしゃ真っ平御免じゃ。足軽やっとりゃひとまずは食いっぱぐれん。功を挙げりゃ士分(さむらい)にだってなれる。大人しゅうしとっても死ぬんなら、わしは命懸けで出世を目指す。」


 それなりに筋の通った反論に、小一郎が沈黙していると、藤吉郎は打って変わって、いつもの軽薄な笑みを浮かべた。


「心配せんでええ。お(みゃあ)も見た通り、大殿は戦上手、その上天運にも恵まれたお方じゃ。大殿についていきゃあ連戦連勝間違い無し。わしも又左衛門殿もいずれは城持ち、いや国持ちになろう。そん時はお前にもたんまり所領を分けてやるで、手伝(てつど)うてくりゃ。」


 結局、自分はこの兄から当面離れられそうもないと、小一郎は今日何度目か分からないため息をついたのだった。




 明けて5月20日、五千を超える今川の軍勢が、大高城を出て東に向かった。大将格は松平元康と朝比奈泰朝、そして大高城の城主を務めていた鵜殿長照である。

 前日、桶狭間山で壊乱した今川勢を追撃しようと、鳴海城の付城に配備されていた織田兵の一部が持ち場を離れた事で、元康達は鳴海城に籠る岡部元信にも兵糧や武具などを届ける事が出来た。

 その上で協議した結果…四人は現当主、今川氏真の指示を待たずに独自の判断で動く事になる。

 松平元康は岡崎城へ。三河の国衆が雪崩を打って織田に下る事態を防ぐために、最前線で今川勢の立て直しを担う。

 朝比奈泰朝は本領、掛川へ。三河と駿河を繋ぐ遠江を押さえ、友軍の撤退を支援する。

 鵜殿長照は駿河へ。長期の籠城戦で疲弊した体を休めるためだ。

 そして岡部元信は鳴海城に残る。大高城の守将を兼務しつつ、織田信長との交渉――主君、今川義元の首を取り戻すための――に臨むために。

 やがて、粛々と行軍していた隊列から一隊…松平元康の率いる軍勢が離れ、岡崎城へと針路を変える。そして、岡崎城に入る前の小休止として入ったのが、元康の祖先が創建した寺院――大樹寺(だいじゅじ)だった。




「殿の行方を知らぬか?」

「あちらに行かれたかと…。」


 目撃情報をもたらした近習を短く労って、元康の家臣、酒井(さかい)左衛門尉(さえもんのじょう)忠次(ただつぐ)は大樹寺の境内を走る足を早めた。

 義元が討死したと聞いて以降、元康の様子がおかしかったため、気にかけていたのだが、大樹寺に入ってしばらく、忠次が将兵を励ましている内に行方をくらましていたのだ。

 あちこち聞き回って忠次が辿り着いたのは、松平家代々の墓前…そこに腰を下ろし、小太刀を首に当てる、元康の後ろ姿だった。


「殿っ‼」


 叫ぶ暇さえ惜しみながら、若き主君にすがりつき、小太刀を首から遠ざける。


「離せ、左衛門尉!太守様を討死させて、どうしておめおめと生きながらえておれようか!誠にわしに忠節を尽くすと申すなら、潔く腹を切らせよ!介錯せよ!太守様の黄泉路の先駆け仕る!」

「お気を確かに!一手の大将が軽々しく腹を召されるは、あまりにも浅慮にござる!」

「馬廻でさえ喉を突いたと申すに、わしがせぬは不忠の極みであろう!」


 この方便では駄目か。

 胸中で舌打ちをした忠次は、咄嗟に別の理屈をひねり出した。


「駿府でお待ちの奥方様や、竹千代君はいかがなされます!」

「…っ見損なうな!わしとて武士の端くれ、妻子(つまこ)への情に惑うて務めをおろそかにする事など、あり得ぬ!」


 これも駄目か。

 日頃から妻子を気にかけていたため、(ほだ)されるのではないかと踏んだのだが…いや待て、確か今…。


「その言、真にございましょうや⁉務めをおろそかにしてはおりますまいか⁉」


 動揺からか、元康の動きが鈍くなる。その一瞬を逃さず、忠次は元康の右手から小太刀を取り上げ、背後に投げ捨てた。


「…何が言いたい。わしが務めをおろそかにしておると、そう申すか。」


 肩を怒らせながらも家臣の意見を聞く姿勢を見せた元康に、忠次は畳み掛けるように言った。


「恐れながら…太守様のお討死は一代の痛恨事にございます。されど、今川の命運が断たれた訳ではございません。駿府には御屋形様(今川氏真)が、未だご健在であられます。」


 元康の瞳が左右に揺らぐのを見て、忠次は手応えを感じた。


「御屋形様は英邁(えいまい)なるお方、遠からず今川を立て直し、太守様の仇を討ちましょう。されど、血の繋がった兄弟がおられない事が悩みの種…お分かりにございましょう、実の兄弟同然に育てられた、殿の助力が欠かせないのです。」


 元康は両目を固くつぶり、唇を引き結んだかと思うと、両手で左右の頬を、ぱあん、と音が出るほど強く叩いた。


「…お主の申す通りじゃ。ここで腹を召すも忠節ではある。されど…それで御屋形様をお支えする者がいなくなっては、かえって不忠となる。」


 元康はすっくと立ち上がると、上空を見据えた。


「太守様、今しばらくお待ちを…不肖(ふしょう)蔵人佐、ここに誓い申す。御屋形様をお支えし、今川を盛り立て、太守様の仇を討った暁には…改めて、黄泉の国にてお供仕りまする。」

「…ご立派なお覚悟にございます。先ほどの無礼、どうかお許しを…。」


 そう言いながら、ついさっき投げ捨てた小太刀を拾い、差し出す忠次に、元康はぎこちなく微笑んだ。


「何が無礼なものか。主君が道を誤らぬよう、引き留めてくれた。お主こそ真の忠臣よ。…礼を言うぞ。」




(真の忠臣、か。)


 大樹寺を出て岡崎城に向かう道すがら、馬上から元康の背中を見つめながら、忠次は心の中で呟いた。


(申し訳ござらぬ、殿。拙者とて打算も何も無くあのような事を申した訳ではござらん。…この先、岡崎松平という旗頭が無ければ、三河は一層立ち行かぬ。そう思っての事…。)


 元康の説得に使った口上の大半を、忠次自身は信じていなかった。

 氏真は優秀だが、実戦経験が圧倒的に不足している。当面、三河の動揺は避けられないだろう。事と次第によっては、今川に見切りをつけ、織田と組む事さえあり得る。

 そんな冷徹な計算の一方で。


(出来れば、御屋形様と御前様に歯向かいたくはないのだが…。)


 いつかの正月、氏真の屋敷で開かれた宴を思い返して、忠次は密かにため息をついたのだった。




 永禄3年(西暦1560年)5月23日、松平元康は岡崎城に入り、駿府の今川氏真に事後承認を求めると同時に、織田信長との戦支度を開始する。

 その先に険しい回り道、坂道、獣道が待ち受けていようとは、元康も、忠次も、誰一人予想していなかった。

大樹寺での元康と忠次のやり取りに関しては、かなり著者の想像が入っている事を認めざるを得ません。

しかしながら、この辺りの通説が大樹寺や徳川家光によって加飾、脚色された可能性が非常に高い事もまた事実です。

とりあえず、松平元康の岡崎入城は順当な引き継ぎを経て行われたようなので、「捨て城云々」のくだりはございません。

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