#126 アナライズ:桶狭間
いよいよ今川、徳川、織田…その他多数の戦国武将の運命に大きな影響を与えた、桶狭間の戦いに入って参ります。
当事者達に敬意を表して丁寧な描写を心がけつつ、更新が遅くなり過ぎないよう、気を付けて参ります。
気付けば輿入れ以来6回目となる年越しを、私は今回も無事、駿府で迎える事が出来た。
昨年秋に義元殿が小田原を訪問したのに続き、年末には父上(北条氏康)が家督を氏政兄者に譲って隠居したため、再度贈答品が必要になった事以外はさしたるトラブルも無かった。
強いて言えば、葛山氏元殿の処遇を巡って、ひと悶着あったくらいだろうか。
疫病対策にかこつけた陰謀を見抜かれた氏元殿は、事実が五郎殿に伝わるのを恐れて、駿府帰着に先んじて私を貶める書状を五郎殿に送付していたのだが、それは全くの逆効果だった。駿府館で再会した五郎殿は、氏元殿の主張をまるで信用せず、むしろ私が葛山領で何かされたのではないかと心配してくれたのだ。
安心してもらうために、私と氏元殿の間に生じた軋轢について告白すると――お金のやり取りや望月屋との癒着については伏せた、氏元殿がムカついても約束は約束だ――五郎殿は能面のような顔付きになり、太刀をひっつかんでどこかに向かおうとした。
「お待ちください。一人の女子としては嬉しゅうございますが、五郎殿の妻としてお止めしない訳には…。左衛門佐(氏元)殿は御一家衆、その上、ご政道に手落ちも無いとあれば、手討ちにした五郎殿の器量を疑われましょう。むしろ責められるべきは、五郎殿にも太守様にも断りなく武田に頭を下げた私の方…。」
「それはもう済んだ話であろう。父上も、迷惑どころかお喜びであった。されど、葛山の不忠、このまま見過ごすは…。」
「不忠など、とんでもない…左衛門佐殿も葛山の行く末が気掛かりなのでしょう。むしろ、左衛門佐殿の心を掴む好機となさいませ。表向き左衛門佐殿の言い分を聞き入れ、年越し、年明けの宴にて厚く遇すれば、左衛門佐殿も今川への忠節が認められたと思い、一層忠勤に励んでくださるはず。武士の面目は命より重いものと聞き及んでおります。それを思えば、女子の面目などいかほどの事がありましょう。」
私の説得に、五郎殿は長考した後、深々と頷いた。そして、年末年始の宴会で氏元殿をヨイショすると約束してくれたのだった。
…翌朝、庭に並べた巻き藁を物凄い勢いで片っ端から叩っ切っていたのは、見なかった事にしたい。
多分私は、こんな日々がずっと続いていくものだと、心のどこかで思っていた。
経済的に恵まれ、政治的に安全を保障され。その代わりに色々と面倒を見ないといけない事もあって。でも、そんな私を支えてくれる人々――側付き侍女達に越庵先生、屋敷の使用人達、太守様や寿桂様、氏規兄者に友野屋殿、そして五郎殿――がいる、充実した毎日。
それはまるで、物語のエピローグ。
…そう、まだ物語は終わりではなかった。
『それ』の影が私の日常に差し込んで来たのは、運命の日の、ちょうど前日の事だった。
永禄3年(西暦1560年)5月18日 駿府館
五郎殿の『出勤』を見送った後、私は、自宅で一人の客人をお迎えしていた。関口刑部少輔殿に婿入りしている兄、助五郎氏規である。
表向きの用件は、つい先日、松平元康殿と関口瀬名殿の間に産まれた女の子のお祝いを、私と五郎殿が贈った事に対してのお礼である。元康殿は今駿府にいないし、出産したばかりの瀬名殿が動くのも良くない、という事で、元康殿の義弟にあたる氏規兄者が来たという訳だ。
応接間で公式のやり取りを済ませた所で、氏規兄者が兄妹水入らずで御世論でもしたい、と切り出す。私も快諾し、場所を私の自室に移して、御世論の盤と駒を用意すると、氏規兄者は懐から折り畳まれた紙を取り出した。
「御世論の駒を借りたい。」
そう言いながら畳の上に紙を広げた氏規兄者の前に座り、御世論の駒が入った容器を渡す。
紙はどこかの地勢が書き込まれた地図だった。
その中にある地名の一つに、私は目を見張った。――桶狭間。
「兄上、これは…。」
「今川の浮沈、太守様のお命がかかった大戦が迫っておる。もはや我らに出来る事は、太守様の武運長久を祈るのみ、なれど…どうにも気が休まらぬ。せめて戦の成り行きを推し量りたい、手を貸してくれぬか。」
願っても無い申し出に、私は一も二も無く頷いた。
元康殿を含め、今川の領国一帯に大規模動員がかかっている事から、相当大きな軍事行動になるとは思っていたが…そうか、ついに桶狭間の戦いが始まるのか。
「戦場となるは、尾張と三河の国境…鳴海城と大高城の辺りで間違いなかろう。これらの城には、それぞれ岡部五郎兵衛殿と鵜殿藤太郎殿が詰めておられる。」
兄者は地図上に御世論の駒を置いていく。まず鳴海城、その南に大高城。
いずれも駒は白、今川方という事だ。
「城の周りに上総介殿(織田信長)が砦を築き、兵を入れて両城への兵糧入れを阻んでおる。捨て置けば遠からず、鳴海も大高も落ちよう。」
城はどちらも海沿いに築かれており、陸続きの東側を複数の砦に取り囲まれている。
鳴海城を包囲するのは――北から時計回りに――丹下、善照寺、中島砦。
大高城を包囲するのは――同じ順に――鷲津、丸根、証光寺、向山、氷上山砦。
これら8つの砦に黒の駒、織田軍が詰めているという訳か。
…白い駒がぐるっと包囲されているのを見ると、今にも落城してしまいそうだ。
「この有り様では、太守様がお着きの頃には、既に城は落ちてしまっているのでは…。」
「それはまずあるまい。」
肉親の気安さで悲観的観測を述べると、兄者から予想以上に楽観的な答えが返って来た。
「鳴海、大高の両城を生かさず殺さずのまま留め置く事が、上総介殿の狙いゆえ、な。」
「…と、申されますと?」
軍事の素人である私の間が抜けた質問に、兄者は嫌な顔一つせず、解説を続けた。
「此度の戦、仕掛けたのは太守様よりむしろ上総介殿という事じゃ。今川の重臣が詰める城を兵糧攻めにすれば、太守様は後詰…城の救援に兵を出さねばならぬ。そこを迎え撃つのが、上総介殿の狙いじゃ。」
兄者の分析に、私は軽いショックを受けて一瞬放心した。
「では…太守様はおびき出された、という事にございますか?いよいよ御身が危ういのでは…!」
「落ち着け。上総介殿の狙いは太守様も先刻承知。それゆえ…その策を逆手にとらんとしておられる。」
義元殿が、信長の策を、逆手に…?
「太守様の出陣、もう六日前になるか。その前に、三河守に任官あそばされたのは存じておるな?」
兄者の問い掛けに、私はおずおずと頷いた。
帝の代理人を務めるお公家様が、義元殿に向かって朗々と辞令を読み上げて…普段からお公家様の面倒を見ていると、こういう時に便利なんだな、と感心したものだ。
「これにて大義名分は整った。その上、太守様自らのご出馬…上総介殿も思いもよらぬ事であろう。」
「織田から仕掛けておいて、にございますか?」
「太守様には、三河の国衆…松平蔵人佐(元康)殿らに任せる、という手もあるがゆえに、な。上総介殿は今や尾張の国主も同然なれど…万を超える兵は動かせまい。多く見積もって…五千といった所か。三河の国衆が相手なれば不足は無いが…太守様が二万の兵を率いて当たらば、利はこちらにある。」
兄者は口を動かしながら、地図の上に駒を追加した。
戦場の北西、清洲方面にあたる隅っこに黒い駒を一つ…織田軍か。
南東、三河方面にあたる隅っこに白い駒を四つ。こっちは今川軍だろう。
「ではこれより、太守様の手立てについてわしの読みを述べる。戦は明日の夜明けと同時、蔵人佐殿ら先鋒の鷲津、丸根攻めより始まる。」
兄者が『今川本隊』から白い駒を一つ取り、『鷲津砦』と『丸根砦』の前に置いた。
「お伺いしたい儀が。他の砦は攻めなくてもよいのでしょうか。大高城を囲む砦はあと三つ、鳴海城も囚われたままにございますが…。」
私の質問に、兄者は分かっていると言わんばかりに二、三度頷いた。
「お主の心配ももっともじゃ、が…これには訳がある。まず、鳴海城を囲む砦に手を出さぬのは、大高城を確実に救援するため、そして上総介殿を釣り出すためじゃ。…先鋒も相応の兵を任されようが、一度に幾つもの砦を攻めてはいずれも落とせずじまいとなる恐れがある。なれば、鷲津と丸根に絞った方がよい。そして、大高城の囲みが解けたとなれば…鳴海城を囲む砦が、かえって窮地に立たされる。」
鷲津と丸根の駒がひっくり返り、先鋒から大高城までが白い駒で繋がる。…成程、これで鳴海城を包囲する織田軍は、鳴海城と大高城に挟まれる形になる訳だ。
「そして、大高城の南に残る砦についてじゃが…『風』の申す所によれば、先鋒がこれらと戦う事は無い。…水野藤四郎殿の寝返りによって。」
兄者はそう言いながら、向山砦の駒をひっくり返した。
「水野…?」
「蔵人佐殿の母方の実家にあたるそうじゃ。これまでは織田に忠節を尽くして参ったが…既に今川の調略を受け、心が大いに傾いておる。今川の先鋒が大高城に迫っても動かず、兵糧入れが成った暁には兵を退く…といった所であろう。残る二砦の織田勢も、砦を捨てて引き揚げる他あるまい。」
『証光寺』『氷上山』の駒が白くなる。…すごい、あっと言う間に大高城の包囲が解けてしまった。
「ここで太守様も着陣され、兵を休ませる。…桶狭間『山』が手頃であろう。」
え、ん?い、今何つった?
桶狭間…山?
「あ、兄上…桶狭間山、とは…?」
「鳴海城の南東、大高城の北西にある…この辺りじゃな。鳴海城に向かって陣を敷けば見通しが良く、守るに当たって地の利も得られる。大高城の囲みが解けていれば、側背を気に掛ける必要も無い。」
兄者が『今川本隊』の白い駒三つを置いたのは、確かに『桶狭間山』だった。谷底みたいな地形なんて見当たらない。…マジで何だったんだ、あの歴史漫画のドラマチックな展開は…。
「ここで上総介殿が後詰に現れれば、太守様は兵を押し出し、兵数の利と地の利を活かして存分に打ち破る。上総介殿が現れなければ、鳴海城を囲む織田勢は砦より立ち退く他無い。いずれにせよ、此度の合戦で織田は威勢を大きく損ない、多くの者が今川に走るであろう。」
か、完璧だ…義元殿が負ける要素が微塵も見当たらない…!
「されど。」
鼻息荒く地図に見入っていた私は、兄者の呟きに顔を上げた。
「戦は開戦から終結まで、一方の思惑通りに事が運ぶ事はまず無い。上総介殿の勝ち目無しと見えても、明日はどうなるか…それに、」
兄者は険しい顔付きで、深く息を吸った。
「『潮風』はまだ言い分を変えておらぬ。明日、太守様が討死あそばされる、と。」
「そんな…。」
私は絶句して、地図を隅から隅まで見返した。何か見落としは無いか、と…しかし――もしあったとしても――私には分からなかった。
「ただ一つ…『潮風の声』に新たに加わった事がある。」
「それは?」
この際、何でもいいからヒントが欲しい。
すがるような気持ちで聞き返すと、兄者は目を閉じて諳んじた。
「…『上総介に人の和無く、地の利無し。勝ちを拾うはただ一時、天の時を捉えればこそ』…。」
…うん、なるほど。さっぱり分からん。
「子曰く、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず…にもかかわらず、天の時によってのみ勝ちを拾うなど…。」
兄者は理解に苦しむという感じで低く唸ると、何かを振り払うように首を左右に振った。
「…すまぬ、埒も無い事を…わしの気晴らしに付き合うてくれた事、かたじけない。」
「いえ、左様な事は…私も胸中の霧が晴れたような心地にございます。」
本心から微笑みかけると、兄者もぎこちなく微笑んで、『桶狭間』の地図を片付け始めたのだった。
その日、私は何となく落ち着かない気持ちになりながらも、いつも通り駿府館のあれこれを差配して過ごした。義元殿の留守を預かる五郎殿の帰宅は遅かったが、それを差し引いても、私達の家にちゃんと帰って来てくれた事はとても嬉しかった。
けれど――それにもかかわらず――明日が桶狭間の戦い当日だという事実は、私の心を捉えて離さなかった。
私の知っている『桶狭間』とは異なり、義元殿が負ける要素は見当たらない。にもかかわらず、信長が勝つのは何故なのか――。
答えの出ない自問自答を繰り返しながら、私は寝室で何度となく寝返りを打ったのだった。
私がその『答え』を知ったのは、私の手が届かない所で全てが終わった、その後の事だった。
今更ですが、いただいた感想を読む内に、もうちょっと主人公に『未来知識でチート』させてあげれば良かったかなと思っています。
一応、地味に戦国に革新をもたらしている、という設定ではあるのですが…。
拙作の投稿が始まってからもうすぐ一年になりますので、もしも読者の皆様の要望が多ければ、『後世から見た北条結(=この世界線の早川殿)』について特別編を書きたいと思います。
(1)掲示板形式(2)まとめサイト形式(3)ニュース記事形式、など妄想しておりますので、よろしければ感想欄までご要望をお寄せください。




