#122 竹千代パラドックス(12 months until X-Day.)
元旦から評価、感想を多数いただき、誠にありがとうございます。
今年も実生活と相談しながら執筆に励んで参りますので、温かく見守ってくだされば幸いです。
2024年1月25日、一部修正しました。
永禄2年(西暦1559年)5月 駿府 北条氏規邸
「…い。結。大事無いか?」
私を呼ぶ声に、はっと我に返る。
ここは関口刑部少輔殿の私有地の中に建てられた、氏規兄者の屋敷、その奥の兄者の私室だ。室内には私と兄者の二人きり。
外は土砂降りの雨が降っているが、兄者の予報によれば私が帰る頃には晴れるだろう、との事だ。
「申し訳ございません。少し考え事を…。」
「…竹千代殿の事か。」
兄者の勘の鋭さに、私は沈黙を――実質的な肯定を返す他無かった。
年明けまで私の心を占めていた心配事…それは松平蔵人佐元康殿の事だ。昨年夏に「元信」から改名したのだが、徳川家康に名前が近いのである。
三河の小大名の出身、今川の人質と、共通項が多かったものの、イメージと違って義元殿や五郎殿と仲がよさそうだから、赤の他人だろうとタカを括っていたらまさかの「康」。
改名当日、思い切って「次に改名するとしたらどんな名前にしますか?」と聞いてみたら、「勿論決まっています」と返された時は肝が冷えた。「家康です」と言われていたら、多分失神していただろう。…結局、元康殿の回答は父上の諱と同じ「氏康」だったのだが。
それ以降、私はさり気なーく元康殿に諸々の便宜を図ると同時に、その心中を探った。今年のお正月に元康殿とその家臣達を接待したのも、その一環だ。
きっかけは偶然だったのだが、これも三河のお侍さん達に恩を売る好機と、岡崎衆筆頭格の酒井左衛門尉殿、元康殿の側近である石川与七郎殿、普段は岡崎に居住している大久保新十郎殿に満足してもらえるよう、精一杯おもてなしをさせてもらった。本膳料理は『本館』で食べ飽きただろうと踏んで、バイキング形式にしたのが気に入ってもらえたらしく、四人とも上機嫌で帰宅したように見えた。私も即興で唄い踊ったかいがあったというものだ。
あとは…酒井殿に相談された「岡崎味噌」の件か。
元康殿の妻、瀬名殿の手柄になる形で地域振興が出来ないものかとあれこれ頭を捻った結果、岡崎の味噌をブランド品として売り出すというアイデアを提供したのだが、先日、これが本格的にスタートした。
ブランド品に仕立て上げるにあたり、義元殿と五郎殿が食べたという既成事実が必須だったため、岡崎から届いた味噌を『本館』の厨に持ち込んだのだが…土壇場で迷いが生じた。
当初の計画では、二人に気づかれないように味噌を薄めて汁物として提供する積もりだったのだが、そんな方法で岡崎の味噌をブランディングした場合、事業が上手く行かなかった時に、二人に迷惑がかかる事に気付いたのだ。
しかし、元康殿や酒井殿との約束も破りたくない…と迷った末、私が選んだのは、義元殿と五郎殿が駿府館で会食する際、献立に岡崎味噌を使った料理を混ぜる事だった。はっきりと味が分かる濃度で、だ。案の定、食後に二人から問い合わせがあったため、岡崎味噌を使った事を正直に話した所、『たまにはこうした風味も良い』との言質を取る事が出来た。
あとは今川領内で商売をするにあたり欠かせない、友野屋次郎殿に頼み込んで流通部門兼経営アドバイザーになってもらい、味噌の製造、販売を行う商会である「岡崎味噌」が発足したという次第だ。当面は岡崎城への納品が主な収入源となるため、一般の消費者への売れ行きは未知数だが、元康殿からお礼の手紙をもらう事は出来た。
「一文の得にもならぬ事に手を尽くしていただき、御前様にはお礼の申しようもございません。この御恩は戦働きにてお返しする所存にございます。」
手紙にはそんな事が書かれていた。
こうした事もあって、私の不安は完全に、とは言えないまでも、ある程度軽減された。これだけ今川に恩義を感じている以上、よっぽどの事が無い限り元康殿が裏切るなんて展開にはならないだろう、そう思うようになったからだ。
なにしろここはパラレル戦国時代、元康殿が後の徳川家康だったとしても、生涯今川の一門衆として尽くす、という展開だって起こり得る訳だ。…その場合、正史と大きく違う形で歴史が進む事になるが、それも今更だろう。
そんな風に、不安と安堵を行ったり来たりしていた私に、更なる揺さぶりをかけるようなニュースが舞い込んで来たのは、すっかり春めいて来たある日の事だった。
瀬名殿が男の子を出産したのである。
「蔵人佐殿の嫡男…竹千代殿がお生まれになった事、誠に目出度く…されど、我が身を省みるに、今川の血を繋ぐという役目を果たしていないのではないか、と…。」
うう、自分で言ってて苦しくなってきた。
前世から今世に至るまで、他人と交際した経験も、肉体関係を持った経験も無い。
現代日本のいち庶民だったら個人の自由意思を盾に開き直る事が出来たかも知れないが、今の私は今川家当主の正妻だ。五郎殿の子供を…より正確に言えば嫡男を産む事も「役目」の一つなのだ。
そう、頭では分かっているのだが…実際に五郎殿と「事に及ぶ」様子を想像すると、つい尻込みしてしまい、日常会話の話題にも上らないよう気を遣っているのが現状だ。
五郎殿も私を慮ってか、「一線を越える」ムードになった事は無いが…時々、すごく不安になる。五郎殿とちゃんと「できる」のか、ちゃんと男の子を産めるのか。
…まともな子育てを知らない私が、子供を育てられるのか。
「結。よく聞け。」
氏規兄者の声に顔を上げると、兄者はいつになく真剣な表情でこちらを見つめていた。
「お主は御前様としての務めを、この上なく立派に果たしておる。」
「え…。」
「駿府館に勤める者達が、日々つつがなく過ごせるのも…駿河を始め、今川の領国が活気づいておるのも…お主のお陰じゃ。わしには分かる。」
「そ、そんな大仰な…。」
「いいや、まごう事無き事実じゃ。…紫吹も随分と達者になった。」
そう言えば今日の最初の話題は、兄者の妻、紫吹殿が虚弱体質を克服して、習い事や外遊びに積極的になった、って話だったっけ。
ぼんやりと思い出した私に身を乗り出して、兄者は続けた。
「寿桂様は何と仰った?お主も負けずに、早く子を成せと、そう仰ったか?」
「そ、それは…。」
兄者の問いに対して、答えはノーだ。先日寿桂様の屋敷を訪問した際、プレッシャーに堪えかねて、懐妊が遅れている事を自分から謝ったのだが、寿桂様の反応は意外なものだった。
「あなたはまだ幼い。体が確と育つまで、御前様としての務めに専心なさい。わたくしが増善寺殿(今川氏親)の子を初めて身籠ったのは二十をとうに過ぎてから、増善寺殿は三十路に入っておられました。夫婦が心を通わせていれば、自ずと子も成せるというもの。決して焦らず、無理をしないように…。」
ポジション的には姑に当たる寿桂様にフォローしてもらえて、ビックリするやらホッとするやらだった。
「確かにお主は今川の御前様であり、いずれは御屋形様の子を身籠るであろう。されど…わしにとっては妹、寿桂様にとっては血の繋がった孫娘。お主を蔑ろにする積もりなど、あろうはずが無い。」
私はうつむいて懐紙を取り出し、目もとをぬぐって鼻をかんだ。
「潮風に尋ねずとも分かる。安心せよ。…お主らならば大丈夫じゃ。」
なんだろう、急に泣かせに来るの、やめてもらっていいですか?
「落ち着いたか?」
私が落ち着くのを待って、氏規兄者が言った。
「はい…。」
「では、早々に済まぬが…次はわしの相談に乗ってもらいたい。」
大きく深呼吸して、気持ちを整える。
せっかく心強いエールをもらったのに、いつまでもメソメソしていられない。
「わしの気掛かりも、実は竹千代殿の事じゃ。」
竹千代殿の事?もしや…『潮風のお告げ』だろうか?
「瀬名殿が竹千代殿をお産みになったちょうどその時、わしの耳に『潮風の声』が届いた。その内訳があまりに剣吞ゆえ…お主の夢見と突き合わせたいと思うた次第。」
やっぱりか。
「兄上、潮風は何と…?」
「…『哀れな母が哀れな子を産んだ』『母は夫と仲違い、子は父と仲違い』『共に天寿を全うする事無し』…。」
衝撃的な未来予知に、私は思わず口元を覆い、必死に考えた。
例によってポエミーな『潮風のお告げ』によれば、瀬名殿と竹千代殿は将来元康殿とケンカ別れして…『天寿を全うする事無し』と言う事は自刃、または殺害されるとも解釈出来る。
あんなに仲が良さそうな家族が?ウソでしょ、信じられない。
「お主の夢見で、何か思い当たる事は無いか?」
「し、しばし…しばしお待ちください。」
半分は演出のため、半分はリラックス効果を狙って、腰帯に差して来た短刀、『東条源九郎』の柄と鞘を握って目をつぶる。
仮に…本当に仮にだが、元康殿が未来の徳川家康であると仮定しよう。伝記漫画の内容を思い出せば、何かヒントが眠っているんじゃなかろうか。
そう思って記憶を遡った私は、ある事実に気が付いて困惑した。徳川家康の家庭環境に関する内容が、全くと言っていいほど見当たらなかったのだ。
…別の角度から考えてみよう。
確か、家康には少なくとも四人の息子がいたはずだ。征夷大将軍になった自分の後を継いだ秀忠と、親藩大名になった三人。
江戸時代は長男が跡継ぎになるのが当たり前だったはずだから…秀忠=長男=竹千代…つまり、竹千代殿が未来の第二代征夷大将軍である可能性が高い。
そこまで推理を組み立てた所で、私は別の疑問にぶち当たった。…なんか、年齢が時期と合ってなくない?
家康の天下統一までの道のりは確かこんな感じだ。桶狭間の戦いの後、今川から独立して…織田信長と同盟してあちこち転戦して…武田信玄にボロ負けしてギリギリ助かったりして…で、本能寺の変で信長が死んだ後、秀吉と一回だけ戦って、降伏して…なんかあって江戸城つくって、秀吉が死んで関ヶ原の戦いで勝って、征夷大将軍になって、大坂の陣で豊臣家を滅ぼして、永眠。
具体的な年号がよく思い出せない以上、どの出来事が何年後なのか分からないが…家康が死んだ時、結構高齢だった気がする。そうなると、二代目の秀忠(暫定竹千代殿)も結構いい歳いってる計算になるが…漫画ではそんな風には見えなかったんだよなぁ。
あ、でも、『仲違い』に該当しそうなエピソードはあった。秀忠の関ヶ原への遅参、要するに決戦への遅刻だ。それで家康に叱られた、って書いてあったから…もしかしてその事?
だとすれば、私に言えるのは…。
「…申し訳ございません。私も、あまり詳しい事は…。」
目を開いて言うと、兄者は「左様か」と落胆した様子を見せた。
「ただ、竹千代殿について少し…。天下を左右する大戦に遅参して父の怒りを買うものの、つつがなく跡を継ぎ、天寿を全うすると…そのように見えました。」
「何と、天寿を全うすると?それは…。」
私が吉報の積もりで報告した内容に、兄者はかえって顔を曇らせた。
「何か、不審の儀でも…?」
「お主が明らかにした通り、運命は変えられる。なれど…それは肝心な『時』に、肝心の『場』にて、関わりを持つ者が必要な『行い』を遂げた場合の事じゃ。」
現代日本で言う所の、フラグを立てるとか、フラグを折るとか、そういう意味だろうか。
「潮風の申す事が幾年先の事かは分からぬ。されど…竹千代殿が産まれて間も無いというに、早くも運命が変わるとは…。」
「またも逆夢という事にございましょうか。」
私の乏しい未来知識と、的中率九割超の『潮風のお告げ』。そこに矛盾が生じるなんて、思ってもみなかった。
うんうん唸っていると、兄者はポツリと「実を申せば」と言った。
「蔵人佐殿と瀬名殿の子育てに、気掛かりがある。」
「子育てに…?いかなる点が?」
「…竹千代殿の面倒を乳母や侍女任せにせず、二人して子守をしておる、という点についてじゃ。」
何がまずいのか、必死に考えてようやく気付く。武家の夫妻が子育てに積極的に関わるのは、男女平等が叫ばれる現代日本ならともかく、戦国時代ではNGだ。
正直ラクが出来ている部分が大きいので、大っぴらに文句を付けた事は無いのだが…高貴な立場の人間は労働や雑務――料理、掃除、洗濯といった家事も含まれる――をしない、というのがこの時代の常識らしい。つまり、子育ても他人にやらせるのが「貴人」の常識というわけだ。
実際、転生してからというもの、私の子育ては専ら乳母やら侍女やらがやってくれていて、父上や母上に可愛がってもらった記憶はほとんど、いや全くと言っていいほど無い。
それが現代日本で言うネグレクトに当たるのかと言われれば…まあ、それが当たり前の世の中である以上、ネグレクトではないだろう。毎日の食事、お風呂、寝床に清潔な衣服と、十分な生活を保証してくれたし、無償で教育を受けさせてくれたし。そもそも戦国時代に基本的人権は無いし。
とにかく。
子供を肉親から引き離して育てるのが武士の当たり前である以上、庶民のように直接子育てをするスタイルは異端だ、という事だ。
ただ…。
「左様に悪しき事にございましょうか。夫婦が我が子を慈しんで育てるのは…。」
戦国時代の常識に真っ向からケンカを売るような事を言ったのは、竹千代殿が羨ましかったからだ。
両親に面倒を見てもらえなかったのは、前世も同じだ。ただ、あの時は代わりに面倒を見てくれる人がいなかったし、助けてくれる大人もいなかった。
断言しよう。
暖かい思い出なんて無い。全然無い。
それに比べて、竹千代殿は幸せ者だ。ラブラブな両親に、産まれて間も無い頃から愛情を注いでもらって。
きっとすくすく成長して、充実した人生を送る事が出来るだろう。…私の前世とは違って。
そう思ったからだ。
「結、それは…。」
兄者は焦ったような表情で何かを言おうとして、結局何を言うでもなく、口ごもった。
「…こうしていても埒が明かぬな。呼びつけておいて、済まぬ。」
「いえ、左様な事は…兄上に励ましていただき、心強うございます。」
ふと外に目をやると、兄者の予報通り、あれだけ激しく降っていた雨が、噓のように止んでいた。
「とにかく、竹千代殿の身の回りには気を配っておいてくれぬか。無論、わしも気に掛けておくゆえ…。」
「かしこまりました。蔵人佐殿は御屋形様や兄上と兄弟同然の間柄。能う限りお支えいたします。」
兄者が少しでも安心出来るようにとの願いを込めて、私は大きく頷いた。
父と母とを同じくする妹が退出した後の自室で、北条助五郎氏規は雨上がりの庭先を眺めていた。
「結よ…なにゆえあのように申した?まるで父上と母上が、我らを慈しんでおらぬかのような…。」
軒先から落ちた水滴が水溜まりを叩く音が、部屋に響き渡る。
「確かに、父上は我が子を政の道具のごとく扱われる。されど、それは北条に生まれ落ちた者の宿命。父上とて逃れ得ぬ。その上で、父上と母上は我らに乱世を生き抜く術を与えたもうた…それゆえ、わしは父上を恨んだ事は無い。されど結、お主はもしや…。」
その時、氏規の独白を遮るように、軽い足音が部屋に迫った。
「助五郎さま!助五郎さまはいらっしゃいませんか⁉」
開きっ放しの障子に手を添えて顔を出したのは、色鮮やかな打掛に身を包んだ少女――氏規の妻、紫吹だった。
その顔を視界に捉えた瞬間、物憂げだった氏規の顔が一気に明るくなる。
「おお、紫吹。いかがした、左様に息を切らして…。」
「虹にございます!あちらの戸から、虹が見えてございます!消える前に、お早く…。」
「何と、虹が!相分かった、見に参ろう。案内してくれぬか?」
数年前とは比べ物にならない活発さではしゃぐ妻を微笑ましく思いながら、氏規は部屋を後にした。
今川の行く末に松平竹千代の行く末…様々な心配事が、不確かな影のように脳裏にちらつき続けている。それでも今は、妻とのこの瞬間を心ゆくまで楽しもう、そう思いながら。
お読みいただきありがとうございました。




