#120 検索結果:「松平氏康」は見つかりませんでした
年末年始特別編についてお知らせします。
「メテオ3」さんからいただいたリクエストの一つ、『松平家と岡崎の話』をテーマに執筆させていただく予定です。
企画への参加、誠にありがとうございました。
永禄元年(西暦1558年)7月 駿府館
(まさか三年の内に、二度も名を改める事になろうとは。)
自身の新たな門出を祝う声の只中にあって、松平蔵人佐元康の心中を占めていたのは、そんな困惑だった。
迷惑、ではない。
父祖が代々受け継いで来た「蔵人佐」と、父代わりの太守様より賜った「元」、そして松平の名を三河で知らぬ者の無い程に高めた祖父から引き継いだ「康」。
自身が岡崎をつつがなく治められるようにとの、義元の心遣いをひしひしと感じる。
その一方で、「元信」であった昨日までの自分と、「元康」となった今日の自分との間に、何か決定的な違いがあるかと問われても、何ら答えられない、というのが正直なところであった。
ともあれ。
大広間で今川の重臣や一門衆、公卿へのお披露目を済ませた昼下がり、出席者のほとんどは帰宅し、大広間より一回り小さい広間にて、内輪での茶会へと移行している。
上座には義元、氏真親子。下座には寿桂尼を筆頭とする女性陣と、元康を始めとした男性陣が向かい合うように座る。
開け放たれた障子の間から、真夏の日差しと穏やかな風が出入りする、丁度良い日和だった。
「蔵人佐よ、いかなる心地じゃ?」
黙々と茶碗を傾けていた元康の前に腰掛け、声を掛けたのは、将来の主君である氏真だった。
「太守様より新たに名を賜り、身の引き締まる思いにございます。今後とも、今川のために粉骨砕身して参る所存…。」
「ううむ…見上げた心意気ではあるが…何か気掛かりであるように見えたのでな。我らは兄弟も同然の間柄、悩みがあれば申してみよ。力になれるやも知れぬ。」
氏真の気遣いに満ちた言葉に、涙腺が緩むのを感じた元康は、ぎゅっと目をつぶって涙をこらえると、ここ数か月間の悩みを口にした。
「今最も苦心しておりますのは、岡崎の統治について、でございます。城下の揉め事について指図を求める書状が後を絶たず。ご存知の通り、先日は謀反の雑説まで…。幾ら書物を読んでも実際の政には活かせぬものかと、気落ちしておりました。」
「うむ、成程のう。確かに政は難しい…どうであろう、いっそ実地に赴いて政に携わった者に話を聞くというのは。」
そんな人物が――義元や氏真は例外として――この場にいただろうか、といぶかしむ元康をよそに、氏真は後ろを振り返って声を掛けた。
「結よ、蔵人佐が政について思い悩んでおるそうじゃ。お主は昨年、沼津の政に携わったであろう。相談に乗ってやってくれぬか。」
思わぬ人物の登場に、元康が目を丸くしていると、呼ばれた当の本人は、目を伏せながら首を横に振った。
「政に携わった、など。私は太守様、寿桂様の後ろ盾を得て、沼津代官殿の手助けをしたのみにございます。何より、女子である私が松平家当主たる蔵人佐殿に指南するなど…おこがましいにも程があるかと。」
一見もっともな断りの文句に、しかし元康は違和感を覚えた。
と、上座から声が掛けられる。太守様――今川義元だ。
「結殿、そう引け目を感じる事は無い。噂は余の下にも届いておるぞ。『相模御料人は百姓の身方、神仏崇めりゃ疫病も失せる』…領民にかくも慕われるとは、並大抵ではあるまい。蔵人佐は藁にも縋る思い、人助けと思うて…。」
「…太守様の仰せとあらば。」
隠居の身でありながら未だ今川家の実権を握る義元の言葉に、結は顔を強張らせたまま立ち上がると、氏真の横に歩み寄り、腰を下ろした。
「私の話が蔵人佐殿のお役に立てば幸いです。…まずは何から?」
「う、うむ…ではまず、城下の統治に欠かせぬものは何でございましょう?」
(やはり民を愛し、慈しむ心だろうか?)
結の回答は、元康の予想を大きく裏切るものだった。
「手勢…にございましょうか。本陣を警固し、領内を見回るに十分な人数の。」
「手勢…。」
「いかに立派な法度を申し付けようと、法度を破る者が現れ、何の咎めも無いままでは、領民の誰一人として法度に従おうとはしないでしょう。また、仕置に不服を申し立てようと、領民が徒党を組んで本陣に押し掛ける事も考えられます。私が沼津におりました間は、朝比奈弥次郎…失礼、備中守殿が、手勢の差配を万事滞りなく整えてくださいましたゆえ、安心して務めに臨む事が出来ました。」
所領の統治には治安を維持するための武力が欠かせない。
結の見解を脳裏に刻み込むと、元康は次の質問に移った。
「では…領民の仕置は常に厳しく、一切の容赦無く執り行うべき、という事にございましょうか?」
「それはいささか…その、程度というものがあるかと。」
歯切れの悪い返事に元康が首を傾げていると、結は氏真や義元の顔色を窺うような仕草を見せてから、意を決した様子で言の葉を継いだ。
「これも私が沼津にいた頃の事にございますが…栗田勘吉なる町人が、已むに已まれず盗みを働いた事がございました。元を辿れば、太守様の法度を悪用して民を苦しめる野盗の企みのために、勘吉殿は罪を犯す羽目に陥ったのです。それを知った備中守殿は、勘吉殿を盗人の咎で罰する一方で、元凶たる天梅屋を調べ上げて成敗する事で、今川のご政道が公平であると世にお示しになられました。このように、正邪を明らかにした上で、罪の軽重に応じて刑罰を科す事が肝要かと…。」
結自身も中心的な役割を果たしたであろうに、その功績を誇る素振りをまるで見せない姿勢に感嘆しつつ、元康は質問を続けた。
「ご見識、恐れ入りまする。されど、取り調べの際、皆が皆正直に申すとは…。或いは侍を侮り、或いは恐れて、虚言を申すやも知れません。真実の所を得るには、いかにすれば…?」
「…領内の百姓町民より、世情に通じた者を数人取り立てておくのが良いかと存じます。」
「士分に取り立てると?」
「それは、各々の器量や才覚、褒美に何を望むか、といった事を勘案してお決めになるのがよろしいかと。また、こうした者共は手柄欲しさに無実の者を陥れたり、心付け次第で罪を見逃したりするという事もあり得ます。それゆえ、人数に応じて目付を置き、不正の無いように見張る事が肝要かと。」
その後も質疑応答は続いたが、結の見識の高さに元康は感嘆しきりだった。どれほど荒廃した土地であろうとも、彼女に相応の手勢を添えて送り込めば、たちまちの内に収まるのではないか、と思う程だった。
「時に、蔵人佐殿。つかぬ事をお伺いしても…?」
一転、結からの質問に、元康は素早く居住まいを正して向き合った。
「太守様より良き名を頂戴されたこの日に、このようなお伺いを立てるのは、その、太守様への不敬に当たるのではないかと、そう案じておりますが…。」
「よほど気掛かりな事と見える。余に構わず、申してみよ。」
義元が促すと、結は恐ろしいものを見るかのような目つきで尋ねた。
「仮の、あくまで仮の話にございますが…もし、蔵人佐殿が三度名を改める事になるとすれば、いかに名乗られましょう…?」
結の問い掛けに、元康は混乱した。名を改めたその日の内に、次の改名の予定を尋ねられるとは、思ってもみなかった。
だがしかし、と元康の頭脳が高速で回転を始める。
(聡明な御前様が、意味も無くこのような大事をお尋ねになるとは考えにくい。ならばなにゆえ…もしや!殿(氏真)が今川の家督を継いでおられるにもかかわらず、わしの新しい名に「氏」も「真」も入っておらぬ事を気にかけて…⁉ならば、次に名を改めた折に、わしが名乗るべき名とは…!)
合点が行った元康は、二、三度頷くと、結に向かって胸を張った。
「ご安心ください、御前様。拙者が次に名乗るべき名は決まっておりまする。」
結の顔色が一層悪くなった事にも気付かず、元康は続けた。
「引き続き今川に忠節を尽くし、やがては殿より今川の一門衆の証たる「氏」の一字を賜って、誰にはばかる事も無く、『氏康』と名乗れるよう粉骨砕身して参りまする。」
『氏康』であれば、今川の一門衆であると同時に、三河の主としての名分が立つ。
そう確信して悦に入っていた元康は、先ほどまでとは一転して呆気に取られた様子の結を目の当たりにして、自身の失態を悟り、激しい後悔に襲われた。
(しくじった‼『氏康』は御前様の父君の諱ではないか!三河の小大名が坂東三か国の主と同じ名を名乗るなど、おこがましいにも程がある!…何と申し開きをしたものか…。)
次の瞬間、甲高い笑い声が元康の思考を遮った。声の主は、上座の義元だった。
「ほっほっほ…これはしたり。今川の通字たる『氏』と、蔵人佐の祖父君より取った『康』を合わせれば、確かに北条左京大夫殿と同じ諱となるのう。」
「太守様、何卒お許しを…拙者はただ、ただひたすらに、殿の代におかれましても、今川に忠節を尽くさんと…。」
「分かっておる、皆まで言うな。…結殿も細やかな気遣いである事よ。五郎の代にあって蔵人佐がいかに振る舞うか、今から気掛かりなのであろう?」
義元の下問に、結はおずおずと頷いた。
「重畳重畳。されば…これは、戦や政に北条左京大夫殿を手本にせよとの、天の思し召しやも知れぬな。結殿、引き続き頼めようか。」
結は、今度は首を横に振った。
「恥ずかしながら、父の戦振りやご政道に関しては、人づてに伝え聞くのみで…。」
「その件、拙者が請け負いまする。」
元康の隣からそう申し出たのは、結の兄、北条助五郎氏規だった。
「おお、助五郎ならば適任であろう。蔵人佐よ、とくと耳を傾けよ。」
義元の言葉に同意を示す意味で一礼すると、元康は手早く居住まいを正し、氏規と向かい合った。
「わしは、太守様こそ古今無双の名将と思うておる。されど、その太守様が手本とせよと仰せなれば…いかなる大将か、聞かせてもらいたい。」
「左京大夫殿は文武に秀で、河越にて雲霞のごとき大軍を蹴散らす程の軍才をお持ちにございます。民を慈しむ事、古の名君にも劣らず。関東公方様をお支えし、北条の家名を高める事、関東管領の名に恥じぬ大業にございます。」
元康は慌てて義元の様子を窺った。
氏康が高い評価を受けた事に機嫌を損ねてはいないかと心配しての事だったが、義元はいつもの底の見えない微笑のままだった。
「ほ、ほう…しからば、これまで全勝無敗、という事になろうか。」
「いえ、相応に負け戦もございます。特に、河東を巡る戦におかれましては、太守様の軍略を前に打つ手無く…和睦して沼津より西をお返しするより無かったと、聞き及んでおります。」
「太守様に…左様、か。時に、北条の政は代々優れたるものと聞くが…その所以は何処に?」
「今川の政を手本にしての事にございます。先々代、早雲寺殿におかれましては、一門衆として今川をお支えしつつ、伊豆、相模を切り取られた次第。今川の後ろ盾なかりせば、今日の北条の繁栄は無かった…そう言って差し支えないかと。」
一通り聞き終えた元康は、義元に向き直って深々と一礼した。
「只今の話を聞き、改めて確信いたしました。やはり拙者が手本とするべきは、太守様をおいて他に無いかと。」
自ら進んで誇るまでも無く、氏規の口から偉功を語らせる――その巧みさへの賛辞も込めて、元康は言った。
「ほっほっほ…流石蔵人佐、一を聞いて十を知る、とは正にこの事よの。」
「勿体無いお言葉…。」
「されど…そなたは、いや、五郎(氏真)も、助五郎(氏規)も、余を手本としてはならぬ。」
元康は反射的に顔を上げた。
「存じておろう。余は元来今川の世継ぎではなかった。天命によって兄上達が相次いで世を去ったがゆえに、還俗したが…いかに功徳を積もうとも、罪業を贖うには足りぬ。」
「左様な、事は…今日の今川の、駿河の繫栄は、太守様なくしては…。」
「よいよい、その言葉こそ何よりの褒美じゃ。…助五郎よ、余に義理立てせずともよい。左京大夫殿が真に手本としておられるものは何か、申してみよ。」
「…。」
氏規は義元に向かって一礼すると、再び元康に向き直った。元康もまた、体の正面を氏規の方へ戻す。
「左京大夫殿の手本は、先代様(北条氏綱)が今わの際に遺された置文にございます。」
「置文…そこには何と?」
「五箇条を端的に申し上げますと…一つ、大将によらず諸侍までも義を専らに守るべし。一つ、侍中より地下人、百姓等に至るまでいずれも不憫に思うこと。一つ、侍は驕らず諂わず、自身の分限を守るのが良い。一つ、万事倹約を守るべし。一つ、勝って兜の緒を締めよ。…先代様が身罷られてよりこの方、左京大夫殿は遺訓に従ってご自身と家中を戒めて来られたものと存じます。」
元服し立ての若武者が、北条家先代当主の遺訓を諳んじて見せた事に驚き呆れつつも、元康はその内容に強く惹かれた。
確かに『置文』の内容には、華麗で優雅な今川の気風には馴染まない所が多々ある。しかし、どちらかというと無骨な三河武士を率いるに当たっては、『置文』を参考にした方が良いように思えた。
「…助五郎、よき教訓を有難く思う。されど…左様な大事を、軽々しく他国の者に明かしても良いものか?」
「ご心配には及びませぬ。先代様の置文は北条家中の広く知る所、隠し立てするまでの事でもございませぬゆえ。」
「…左様か。ならば、後ほど置文の内訳を改めて書き表してくれぬか。先代左京大夫殿の心構え、わしの胸に強く響いた。太守様の仰せの通りに、手本としたい。」
「拙者がお役に立てるのであれば、喜んで。」
いつもの無感情とは異なる、どこか誇らしげな声色で、氏規は頭を下げた。
陽が西に傾く頃、共に関口刑部少輔の屋敷内に居を構える元康と氏規は、馬に乗り、連れ立って駿府館を後にした。
「いや、今日は思いがけず良い事を聞けた。」
「蔵人佐殿のお役に立てれば何よりにございます。」
時折潮風が頬を撫でる中、誰に聞かせるでもなく、元康は独り言ちた。
「まっこと、わしは果報者じゃ。」
率直に言って、生まれ故郷である三河、岡崎に良い思い出はほとんど無い。
今に至るまで松平の分家や水野、奥平といった有力国衆が入り乱れており、その影響で母と生き別れ、父と死に別れ…頼れるきょうだいもいない。
それに引き換え、駿河には全てがあると言っても過言では無かった。
実の父親同然に面倒を見てくれる義元、学問の手ほどきをしてくれた太原雪斎、生活を保証してくれる関口刑部少輔、実の兄のように接してくれる氏真、年齢差と姻戚関係から弟のように振る舞う氏規…そして、つい先日新たな命をその身に宿した妻、瀬名。
「瀬名が産む子が男子であろうと女子であろうと、わしは粗略に扱わず、瀬名と共に可愛がって育てる積もりじゃ。殿と御前様、お主と紫吹殿のように、仲睦まじく。…母上とわしのごとき寂しい思いは、断じてさせぬ。」
ひゅう。
「それにしても、『松平氏康』とは…我ながら大きな口を叩いた。いや、むしろ今川の一門衆の末席に加えていただく積もりで奉公を欠かさぬようにしておれば、御前様に申し上げた通りに名を改める事が出来るやも知れぬ。」
ひゅうう。
「されど、此度の事でつくづく思い知らされた。太守様や左京大夫殿こそ人の上に立つべきお方。麻のごとく乱れた天下を泰平に導かれるのも、かように義を重んじられる方々であろう。わしもその一助となれればよいのじゃが…。」
ひゅうううううう!
突如強くなった潮風に、元康は思わず顔をしかめた。同時に、数歩後ろにいたはずの氏規がいない事に気付く。
振り返ると、馬の足を止めて虚空を睨む氏規が目に入った。
「助五郎、いかがした?」
氏規のこうした奇行は今に始まった事ではない。気になって尋ねた事もあるが、「雲行きを見ておりました」と説明されてからは取り立てて掘り下げた事は無い。
「…御免。蔵人佐殿の先行きに思いを馳せておりました。」
長い沈黙を経て、氏規は再び馬を進め、元康に追いついた。
「屋敷に戻り次第、先代左京大夫殿の置文を書き起こします。蔵人佐殿の政の一助になれば、幸いでございます。」
「うむ、頼んだ。…やはりわしは果報者じゃ。こんな日々が、ずっと続けばよいのう。」
屈託なく笑う元康に、氏規は僅かに微笑んだ。
『一つ、主君は言うまでもなく、家臣も義を大切に守る事。義を違えては、たとえ一国や二国を切り取ったと言えど、後世に恥辱を受ける事になる。天運尽き果て滅亡したとしても、義理を違えまいと心得ていれば、末世で後ろ指を指される事も無い。かつて天下を治めた人物にも、一度は滅亡の時期があった。人の命は儚いものであるから、卑しい性根であってはならない。古の物語を紐解いても、義を守っての滅亡と、義を捨てての栄華とでは天と地ほどの違いがある。主君が心の底からこのように心掛けていれば、家臣も義理を思うであろう。無道の働きで利を得た者が天罰を逃れる事は、決して出来ないであろう。』――北条氏綱置文写より一部抜粋、現代語訳――
2024年元旦に間に合うよう、特別編の執筆に励んで参ります。
読者の皆様、よいお年を!