#012 戦国サマーデイズ
今回もよろしくお願い致します。
天文20年(西暦1551年)夏 小田原城
強い日差し。青い空に白い雲。遠くから絶え間なく響くセミの声。もうこれ以上無いってくらい夏だ。
私は縁側で、木製のタライに張った水に足を浸していた。
「姫様、お加減はいかがにございましょう?」
あああああ~~~~~っっっっっづう~~~~~っ。
「よい加減ですね。もう少し水を足していただけますか?」
内心の叫びを押し殺しながら、私は侍女の一人に頼んだ。
体感としては21世紀初頭より涼しいのだが、何しろエアコンも扇風機も無い。アイスもかき氷も無いとくれば涼を取る手段は限られてくる。屋敷中の襖を開け放って風通しを良くするとか、水に足を浸すとか、恥も外聞もなく裸になるとかだ。もちろん身分的に最後の選択肢はあって無いようなものである。
しかも幼少だからと比較的薄着の私はまだいい方だ。母上クラスになると年中何着も着込んでいる必要があるため、自動的に24時間ガマン大会みたいな状態になる。ところが私の見ている限り、母上が汗だくになってゼーハー言ったり、熱中症を起こしてぶっ倒れている様子は見たことがない。慣れなのか、体質なのか、かなり気になるところだ。
百ちゃんが旅立ってから2か月余りが経った。父上の説教を食らった次の日の朝、旅装束の百ちゃんが私の前に進み出て深々とお辞儀をした時は呆然となった。
「しばしの間、お暇頂戴致します。」
あれほど取り乱したのは転生して以来、いや前世まで遡っても無かったと思う。やっぱり風魔の里に帰るのか、父上にクビにされたのか――必死になって引き留めようとする私に百ちゃんは微笑んだ。
「心配ご無用にございます。これは大殿の有難きお心配りにございますゆえ。」
百ちゃんの説明によれば、揉め事の当事者同士が職場で一緒になるとギスギスするだろうから、物理的、時間的に距離を置かせようという提案らしい。それでも不安がる私に百ちゃんは、
「天地神明に誓って申し上げます。三月のちには必ず姫様のお側に戻って参ります。」
真剣そのものの表情でそう言った。
気持ちは嬉しかったけどいわゆる死亡フラグっぽかったので、くれぐれも、くれぐれも危険な所には行かないようにと念を押して送り出すしかなかった。
そう言えば百ちゃんを陥れようとした大林藤四郎と菊だが、藤四郎は役目を解かれてよその城に転勤、菊も私の側付きを辞することになった。ここまでならいわゆるざまぁ展開だ。
ところがどっこい、二人が結婚したと聞いた時は、流石の私も取り繕う間もなくずっこけた。
二人ともそろそろ身を固めるよう親族にせっつかれていた所、今回の騒動で小田原城内に二人の仲が知れ渡ってしまい、それならこのまま夫婦になってしまえ、とトントン拍子で話がまとまったらしい。
前向きに評価すれば禍転じて福と為す、私は恋のキューピッド、てなもんだが、どうにもモヤッとする。別に二人にもっとひどい目にあってほしいとは思わないが、追い出された先で幸せになりました、と言われると、何だか追放ものライトノベルの追放した側みたいな錯覚を覚える。前世でも恋愛経験ゼロだった身としては正直妬ましい。
それはさておき。
「姫様、額に汗が。お拭き致します。」
「ありがとう、小春。」
父上に説教を食らってから、それなりに侍女達との意思疎通も図れるようになったと思う。具体的には侍女頭のお梅に相談して、十人前後――新しく入ったり一身上の都合で辞めたりとそれなりに流動的だ――の大まかなプロフィールを把握した。その上でシフト表もどきを作り、全員がほぼ平等に休みを取り、また私に接することができるようにした。
それぞれ得手不得手があり、私に気に入られようと積極的に話題を振ってくる子もいれば、二人きりになっても何も言わず、静かに控える子もいる。それなりに学問の心得があって私が読む本の内容を理解できる子もいれば、字がろくに読めない子もいる。そうなると当然私としても相手によって対応を変えざるを得ず、侍女達の共同スペースでマウントの取り合いが発生しているであろうことは容易に想像できるのだが、こればかりはどうしようもない。せいぜい定期的にお梅に確認して、争いの芽を早めに摘み取るしかない。これを何十倍、或いは何百倍ものスケールでやっているのかと思うと、父上の大変さが少し分かる気がする。
以前より気を使うことが増えたが、これはこれで楽しんでいる自分もいる。前みたいにただボーッと時間を過ごすより、多分いいことだ。
侍女達から話を聞いて分かることもたくさんあった。例えば彼女達は私より早く起き、私より後に眠らなければならないこと。考えてみれば当然のことだ。電気炊飯器も給湯器もないんだから、私や母上を起こすより前に起きてかまどの火をおこし、ご飯を炊いて朝食の支度をして…とにかくやらなきゃいけないことがごまんとある。日中は私や父上の呼び出しにすぐ応じられるよう最低数人が待機しなきゃいけないし、夕食後は「私が」スムーズに寝られるよう「私の」歯磨き、「私の」着替え、「私の」寝床の用意とこれまた盛りだくさん。私が寝た後も万が一に備えて隣の間で待機する要員がいる。
正直申し訳なくなってしまい、もっと仕事を減らせないか、お梅に相談してみたところ、
「大殿より姫様のお世話を仰せつかったからには、万事手前どもにお任せあれ。」
と返事が返ってきた。まぁ確かに、下手に甘くして侍女達が働かなくなったら困るのは私だ。彼女達がプライドを持ってやってくれている限りは、全力でそれに甘えるのが正しい接し方なのだろう、多分。
一向に沈む様子を見せない太陽に目を細めながら、そんなことを考えていると。
「姫様。お呼びにございます。」
別の侍女がやってきて言った。誰の呼び出しだろう?
お読みいただきありがとうございました。




