#119 じっちゃんの名にかけて真実はいつもヤス
遅ればせながら、皆様からいただいた感想が、先日、百件を突破いたしました。
いつも創作の励みになっております。
今後ともよろしくお願いいたします。
助五郎兄者による紫吹殿との関係修復アピールは、お花見会の直後、すぐに行われた。
よく晴れた日の午後、いつもなら『公務』が終わり次第駿河水軍の水夫と遊びに出掛ける所を、紫吹殿を輿に乗せ、自身は馬に乗って浜辺に先導。二人して波打際で貝殻を拾ったり、海鳥の話をしたりと、『デート』を満喫した。
これを見ていた漁師や町民達の噂話はあっという間に駿府市中に広まり、「助五郎殿と紫吹殿は幼いながら仲睦まじい夫婦」との認識が主流となった。
助五郎兄者が打った手は、それだけではなかった。
私が報告を兼ねて寿桂様の屋敷を訪れた時の事、釈然としない様子で寿桂様が見せてくれたのが、助五郎兄者の手紙だった。内容はこれまで紫吹殿との新婚生活を蔑ろにしていた理由について釈明するもので、「これまで妹のように思っていた女子と突然夫婦となり、距離を測りかねて寂しい思いをさせてしまった。御前様(私の事だ)に諭されて心を入れ替えたので、安心してほしい」といった内容が記されていた。
「わたくしにさえ心を開こうとなさらないというのに…一体どのようにして説き伏せたのですか?」
寿桂様のもっともすぎる質問に、私は事前に用意しておいた回答を返した。
「説き伏せた、などと…大層な事はしておりません。兄上は北条左京大夫の息子と、関口刑部少輔殿の婿、いずれの道を歩むべきか悩んでおいででした。私とは歳も近うございますゆえ…心の内を明かしやすかったのではないでしょうか。相模から駿河に参られてからのあれこれを話す内に、自然とお心が定まったご様子。太守様、そして今は亡き太原雪斎殿の御恩に報いるべく、紫吹殿と添い遂げる覚悟を決められたよしにございます。」
話している私自身、クサいな~クサいな~と思っていたのが災いしてか、寿桂様はなおも訝しげだったが、幸いにしてそれ以上の追求は無かった。
助五郎兄者の予知能力については、今の所口外する予定は無い。公表するメリットよりデメリットの方が大きい、と感じたのが、最大の理由だ。
誰のメリット、デメリットかと問われれば、助五郎兄者を含む世間全般だ。兄者の話によれば、『潮風のお告げ』は将来の大事件を匂わせて不安を煽るだけ煽り、助五郎兄者がどうあがいても引っ繰り返せない段階に至った頃に、ようやく要点を教えてくれるらしい。こんな迷惑な未来予知、兄者が一人で悩み苦しむのも納得だ。
中途半端に不安をばらまいて大勢をパニックに陥れるくらいなら、最初から内々で将来設計の参考程度に利用した方がいいだろう、と考えた次第である。
それ以前に、私にはやるべき事があった。それは、『潮風のお告げ』で余命宣告されてしまった、紫吹殿の健康増進である。
手始めに行ったのは、紫吹殿の健康状態について把握している可能性が高い臼川越庵先生への相談だったが、先生は当初、紫吹殿の診察記録の開示を渋った。
「いかに大恩ある御前様の命とは申せ…屋敷の者でもないお方の体調について明かす事は、憚られまする。」
越庵先生のプロ意識に脱帽しつつも、退くに退けない私は、前世から無料で使って来た強カード、DOGEZAを繰り出して懇願し、どうにか診察記録を見せてもらった。
その結果、紫吹殿の死に繋がりそうな要因が幾つか浮上する。
一つ目は生まれつきの呼吸器系の弱さだ。毎年のように風邪をひき、しかも長期間寝込んでいるとの事で、こじらせたり、より重篤な病気を併発したりした場合は命に関わる可能性が高い。根本から治療する事は難しいので、当面は冬物の衣類や生姜など、風邪予防になりそうなものをプレゼントするくらいしか対策は思いつかないが…やらないよりマシだろう。
二つ目は偏食。年相応と言えばそれまでだが、好き嫌いが激しく、栄養に偏りが生じている疑いがある。これに関しては、越庵先生も数年前から関口刑部少輔殿に忠告しているそうだが、一向に改善の兆しが見られない様子。
栄養士でもない私には具体的な数値はさっぱりだが、とにかく糖質、タンパク質、ビタミン、ミネラルなどを、バランス良く摂取出来る食生活に改めるお手伝いは出来るはずだ。そう考えた私は、兄夫婦との交流を装って、紫吹殿の食生活改善を試みた。
手順はこうだ。
まず、関口刑部少輔家のスケジュールを確認した上で我が家のスケジュールを調整し、適当な理由をつけて助五郎兄者と紫吹殿をお招きする。
そして、紫吹殿が嫌いな食材をふんだんに盛り込んだ本膳料理を、あえて食べてもらう。勿論、長時間煮込んだり、細かく刻んだり、味付けを変えたりと、研究意欲旺盛な我が家の厨人による工夫を凝らした上で、だ。
今川家当主の正妻直々のおもてなし、というプレッシャーもあり、紫吹殿は嫌いなものでも食べざるを得ない。しかし先述の工夫により、自分が嫌っていた食材も工夫次第で美味しく食べられるという事に気付き、苦手を克服出来るという寸法だ。
後は関口家に料理のレシピ、それと「我が家でお出ししたら紫吹殿は大変喜んでくれた」というちょっと…いやだいぶ誇張したメッセージを送れば、関口家でも同様の料理を食卓に添えてくれる。…はず、である。
幸いにして、浜辺デートで紫吹殿との距離をぐっと縮めた助五郎兄者も、私のもくろみを察してさりげなく応援に回ってくれている。気の長い話になるが、何もしないよりは遥かにマシだろう。
私は自分を無理矢理納得させて、兄夫婦との交流について思考を巡らせるのだった。
永禄元年(西暦1558年)7月 駿府 今川義元屋敷
主君の妻という立場を悪用して兄嫁をいびって来た報いか。
私は五郎殿共々、未だ今川家の実権を握る義元殿に呼び出され、客間で落ち着かない時間を過ごしていた。
「結よ、大事無いか。具合が悪いのであれば、先に帰っても構わぬが…。」
こんな時でも気遣いを見せる五郎殿に感謝しつつ、私は首を横に振った。
「い、いいえ。全身これ無事にございますれば。…ただ、その。なにゆえ太守様のお声がかかったのかと、それが気掛かりで…。」
「ふむ…存外、今川の舵取りを担っておられる事を家中にお示しになるお積もりやも知れぬ。儂を担いで父上に歯向かおうなどと考える輩は見当たらぬが、武田大膳大夫殿の父君の事を思えば無理からぬ事よな。」
武田大膳大夫殿の父君?
どうしてここで武田家の話が出て来るのか、と疑問符を浮かべる私に、義元殿が来るまでの暇つぶしも兼ねてだろうか、五郎殿は今川と武田の知られざる――知らなかったのは日本広しと言えど私くらいのものだが――因縁を明かしてくれた。
甲斐武田家現当主の父、信虎は、戦上手ではあったものの、残忍、冷酷、気まぐれと三拍子揃ったはた迷惑な大名だったそうだ。
いやまあ、戦国大名たるもの、ある程度残忍で冷酷、かつよその大名を振り回すくらいじゃなきゃやっていけないのではあるが、信虎のそれは中々に度を越していたらしい。
家中を信用せず、内政を疎かにして他国への侵攻を繰り返す信虎は、他国の大名や百姓は勿論、甲斐国の武士や庶民からも嫌われていた。
そして事件が起きる。
信虎が今川に嫁がせた娘――五郎殿の母君にして義元殿の妻――を訪ねて駿府にいるスキを突いて、信虎の嫡男がクーデターを決意。家臣団の合意を取り付けて国境を封鎖、義元殿に手紙を送って父親の国外追放を通知したのだ。
かくして武田家当主の座を失った信虎は、今川家の庇護の下、近畿地方を周遊するなど、名誉会長さながらの日々を送る。
私が駿府に嫁ぐ前に義元殿の妻が亡くなると、上京し、現在は「在京守護」として公方様にお仕えしている、との事だ。
五郎殿の説明を聞き終えた私は、前世の記憶に引っ掛かるものを感じ、慎重に掘り起こした。
甲斐武田家…父親を追放…これはもしや、武田信玄の若い頃のエピソードではあるまいか。父親の暴虐に苦しんでいた信玄が、その人柄と能力を見込んだ家臣団に請われて立ち上がり、実の父を追放するという苦渋の決断を下す。そんなドラマチックな展開だったと記憶している。
…で、ここまで聞いても正直分からないのだが。
武田信玄が父親を追放した事と、今川家の中の上下関係の再確認が、どう関係するのだろうか?
「申し訳ございません。武田大膳大夫殿の仕置に何か手落ちがあったという事にございましょうか?」
白旗を揚げた私に、五郎殿は呆れるでもなく、真剣な表情で補足説明をしてくれた。
「父君よりも甲斐の国主に相応しいからと、家中の後押しを得て家督を継ぐ。一見麗しい物語ではあるが…こうも考えられぬか?もし今後大膳大夫殿が政の舵取りを誤れば、またも家中の者共が親類縁者を担ぎ出し、大膳大夫殿を追い出す、とは…。」
一瞬五郎殿の言葉の理解を拒んだ頭に、次に浮かんだのは想像を絶する恐怖だった。
自分が父親にした事を、今度は自分がされるかも知れない。
そんな信玄の不安に思い至ったからだ。
「結、結よ、案ずるな。全ては甲斐武田家の内の事。我が今川とは事情が異なる。」
五郎殿に優しく肩を叩かれて、ようやく息を止めていた事に気付く。
さ、酸素酸素、深呼吸…。
「儂に取り入ろうと企む者については、逐一父上に言上しておる。儂が父上に取って代わる理由も、必要も無いゆえな。」
屈託の無い笑顔で五郎殿が言い切った時、複数の足音が客間に近付いて来るのを、私は感じ取った。五郎殿に目配せし、急いで身支度を整えてから平伏。やって来た足音の群れが上座に向かった事から、義元殿の到着を確信する。
「二人共、よくぞ参った。面を上げよ。」
相変わらずいい声だな、などと思いつつ顔を上げると、やはり上座に義元殿が腰掛け、こちらを見つめていた。
「五郎よ、先だっての花見の宴は見事であったそうじゃな。公卿の方々が口々に褒めそやしておられたぞ。」
「有難き仕合せにございます。この五郎、今後とも今川の家名を汚す事の無きよう努めて参ります。」
「うむ、うむ…結殿、助五郎と紫吹の世話を細々(こまごま)と焼いておるそうじゃな。疲れは出ておらぬか?」
「ご心配をおかけし、申し訳ございません。されど、当主の妻として当然の務めにございますれば…。」
「ふむ、左様か…。」
近況確認が一通り終わると、義元殿の目つきが心なしか鋭いものに変わった。
「今日来てもらったのは他でもない、次郎三郎の事である。」
次郎三郎…松平元信殿の事か。
「今年、次郎三郎に二つの慶事と一つの凶事があった。五郎よ、存じておろうな?」
「ははっ。次郎三郎は二月に初陣を果たし、先日には奥…瀬名殿の懐妊が明らかになり申した。その一方で、岡崎…次郎三郎の所領にて謀反の雑説が…。」
五郎殿の言葉に、私は心の中で頷いた。元信殿は今年の前半まで順風満帆そのものだったのだが、それに水を差すように謀反の噂が流れたのだ。
結局岡崎では何も起こらず、噂は噂で終わったが、フェイクニュースでもターゲットの印象を悪化させられるという点において、現代に共通するものを感じた一件だった。
「次郎三郎も一廉の武士と相成った。ここは余が助力すべきかと思うてのう。」
「父上のお気遣い、次郎三郎も感じ入りましょう。して、いかな仕置を…?」
五郎殿の問い掛けに、義元殿は懐から二つ折りにした紙を取り出した。
「次郎三郎の慶事を言祝ぐと共に、岡崎に住まう地侍の心を掴む術は無いものか、と思うてのう。悩んだ末に思い至ったのが、次郎三郎に新たな名を与える事であった。」
義元殿が合図すると、背後で待機していた小姓が紙を受け取り、私達の前に持って来る。
まずは五郎殿が、捧げ持つように受け取り、慎重に開いた。
「成程…父上の偏諱はそのままとして…下の字と、仮名の謂れは?」
「下の字は、次郎三郎の祖父君から取ったものじゃ。その頃の松平家は、尾張にまで威勢を誇っていたと聞く。蔵人佐も、父祖代々受け継がれて来たものじゃ。」
「成程…改名を以て、岡崎の人心を一新する策にございますな。素晴らしいお考えとお見受け致しまする。」
納得した様子の五郎殿から紙を受け取る。
どうやら今回の改名には、元信殿が岡崎の松平家の正統な後継者である事を強調する狙いがあるらしい。
さて、どんな名前なのやら。
『松平 蔵人佐 元康』
まつだいら、くろうどのすけ、もとやす。
ふーん、「信」から「康」に変えるんだ。
…ん?康?
…徳川家康の、康?
年末年始特別編のリクエスト募集は本日(2023年12月24日)24時までとさせていただきます。
お待ちしております。




