#116 百貫文と義理人情
今回もよろしくお願い致します。
2024年1月25日、一部修正しました。
弘治3年(西暦1557年)10月 相模国 小田原城
冷たい風が吹きすさぶ昼下がり、広間で酒と肴を前に座る男達がいた。
上座に腰掛けるのは北条家当主、北条左京大夫氏康とその子、新九郎氏政。
二人の眼前には、十人ほどの侍が向かい合って座る。いずれも北条家中の重臣、あるいはその親族である。
そして彼らを挟んで氏康、氏政親子と向かい合うようにして座すのが、駿河から招かれた薬師、臼川越庵だった。
「ご一同、よくぞ参られた。此度は間も無く駿河にお帰りになる、臼川越庵殿とのお別れに際し、殿と若殿より、流行病の調伏に馳走された我らを労おうとのお心遣いにござる。」
主君に最も近い位置にいた松田弥次郎憲秀が酒宴の主旨を宣言すると、氏政が眉尻を吊り上げ、声を張り上げる。
「伊豆、相模、武蔵。未だに流行病は収まってはおらぬが、越庵殿の指南と、それに従った皆の奉公により一応の道筋は着いた。今日は越庵殿を快く送り出すと共に、領民の慰撫に今後とも力を尽くす事を、ここに誓おうぞ。」
出席者が一斉に平伏する。宴会の主催者でもある憲秀もそれに同調しつつ、この数か月の間に繰り広げられた騒動を、しみじみと思い返した。
流行病が北条領全域に拡大しつつあった夏、憲秀は氏康の密命を携えて今川領の沼津に向かった。その密命とは、ここ数年で東国一帯にその名を轟かせるに至った名医、臼川越庵を北条領内に招き入れ、疫病対策の指導を受ける体制を整える事だった。
沼津代官に掛け合い、今川家中の重鎮を引きずり出して結への書状を託せば、越庵を沼津まで呼び出し、三島の病人を診てもらうという名目で北条領内に引き込めるだろう。そんな打算を上回ったのが、結自らの沼津赴任だった。
沼津代官に対するハッタリとして父の仮名である左馬助を名乗っている事を暴かれたのは痛かったが、その代償と言うべきか、想像以上に早く話はまとまった。
沼津の医療体制整備に一定の目途が着くと、越庵は五人の弟子を引き連れ、憲秀と共に国境を越えて北条領の三島に入った。沼津で培った知見を元に、越庵が領民や寺社に流行病への対策を指南して回る事三日、頃合いと見た憲秀が、次は小田原の領民を診て欲しい、と持ち掛けると、意外にも越庵は一つの条件を突き付けて来た。
「それがしは今川の御前様の禄を食む身。御前様の父君に一度お目通りせねば不義理と言うものにござる。何卒、手配りいただきたく…。」
憲秀、そして北条家は当初、越庵の活動を目立たない形で進める積もりだった。わざわざ氏康の正妻の手紙という非公式な文書で救援要請を出したのも、そのためだ。
ゆえに、憲秀は迷ったが…書状でのやり取りで、氏康が越庵に強い関心を抱いていた事もあり、越庵の要請を聞き入れた。関東随一の大大名に謁見するという名誉を、越庵も望んでいるのだろうと解釈して。
それがとんでもない思い違いであった事に気づいたのは、越庵一門を小田原まで護送した翌日、小田原城謁見の間にて氏康と越庵の対面が実現した際の事だった。
上座の氏康、下座の越庵、その間に世話役の憲秀。
氏康と越庵が定型文による挨拶を交わし、流行病の治療に励むよう氏康が声をかけて、謁見が終わるかに思われた、次の瞬間。
「なれば、領内の百姓町民は言うに及ばず、寺社、家中ご一同の皆様方に対し、それがしの指図に従うよう、お触れを出していただきとう存じます。」
越庵のあまりに図々しい物言いに、憲秀は一瞬気が遠くなった。北条の重臣でも、ましてや武士でもない、ただの薬師に、疫病対策の全権を与えろと要求するに等しい内容だったからだ。
「随分と大きく出やがったな。そこまで言うからにゃ、てめえに任せりゃ流行病を収められる、って事で間違い無えんだな?」
氏康の射抜くような眼光を、越庵は柳に風と受け流した。
「左様な事、お約束いたしかねまする。それがしが申し上げたいのは、我ら一門だけで出来る事は限られているという事。ご領地の隅々まで手を差し伸べるには、左京大夫殿のお力添えが欠かせませぬ。それがしが信用ならぬと仰せであれば、今日にも荷をまとめ、沼津に帰らせていただく。」
氏康は片手であごひげを撫でつつ、もう一方の手に持った扇子で片膝を幾度か叩いた。
「…話は分かった。だが『指図』ってのはさすがに無理筋だ。臼川越庵一門に『合力』するよう、領内に触れを出す。それで構わねえな?」
「ご英断、痛み入りまする。そこまでお膳立てくだされば、後は我らの方で…。」
「でかい口叩いたんだ、それだけの務めは果たしてもらうぜ。…弥次郎。」
「は、ははっ!」
「お前は引き続き、越庵一門の世話役だ。警固にメシに寝所の手配、それに…寺社や国衆との折衝あたりか。面倒見てやんな。」
「ははっ!」
「まだ俺に言いてえ事はあるか?越庵。」
「いいえ、今の所は。」
「『今の所は』と来やがったか。太え野郎だ。…吉報を待ってるぜ。」
そう言い残して氏康が退出すると、憲秀はいつしか呼吸を忘れていた事に気付き、肩を大きく揺らして息を吸ってから、安堵のため息をついたのだった。
それからは多忙の極みだった。
越庵が書き起こした流行病への対処法を、小田原城の文官達に頼んで複写してもらい、氏康の印判状として領内各地に送付。小田原市中の薬師を集めて、越庵が流行病の処置を伝え広める場を用意。薬屋でもある外郎屋と越庵を引き合わせ、流行病の治療薬を調剤、販売。そして伊豆、相模、武蔵と、各地の町や村を視察し、実地で指南する越庵一門の警固…。
結論から言えば、僅か二か月の内に北条領全域の流行病が収束する事は無かった。ただ、これまで成す術の無かった流行病への対抗策が明確に示され、実際に回復する領民が多数現れた事で、「臼川流医術」の有用性は領内に広く認知され、越庵の指導の下で調剤された栄養剤「滋養丹」は驚異的な売上を記録した。
そして、小田原における越庵の名声を高める事に寄与したのは、越庵一門が武士や町人の相談に応じ、薬の調剤を行ったり、実際に施術を行ったりし、それによって体調を回復した者が非常に多かった事にある。
酷い二日酔いを訴えた者は、処方された薬を飲んで横になる事数刻、体調を回復した。
長期に渡り頭痛に悩まされて来た者は、処方された薬を就寝前に飲む事数日、長年の悩みから解放されるに至った。
しかし中でも人々の耳目を驚かせたのは、針と糸を用いた刀傷の縫合だった。
ちょうど越庵が小田原城に登城していた際、城勤めの侍が同僚に斬りつけられる事件が発生。肩から脇腹に至る刀傷からの出血は凄まじく、居合わせた誰もが侍の死を確信する中で、越庵とその弟子は素早く施術の準備に取り掛かった。
板張りの床に怪我人を寝かせ、新品の布で血を拭い、両手両足を広げて縄で固定。施術中に患者が暴れる事態に備えての処置だったが、幸い患者は終始気絶しており、興奮で大量出血する事も無かった。
そうした中、越庵は憲秀に清酒を用意させ、それで傷口と針を洗うと、瞬く間に傷口を縫い合わせ、出血を止めた。施術を見物していた侍や女中の一部は、顔を青くしてその場を離れたものの、騒動を聞きつけて訪れた氏康は終始目を逸らす事無く、直立不動のままだった。
そして縫合跡を包帯で保護された侍は、城内で布団に寝かされ、水と滋養丹で命脈を繋いだ。三日後に侍が意識を取り戻し、回復の途に着くと、越庵の腕前の見事さは城内はもちろん小田原市中、いや、相模一国に知れ渡った。
やがて薬師を志す町人や浪人が続々と越庵の元を訪れると、越庵は駿河への帰国が迫る中、彼ら――そして少数の彼女ら――に自らの知見を出来る限り分け与え、自身の知識をまとめた医学書を贈った。
小田原で新たに越庵一門に加わった彼らは、やがて北条領内の各地に散らばり、引き続き疫病の鎮静化に尽力する事になる…。
「時に、越庵殿は我が妹からどれだけの知行を割り当てられておられるか。」
酒宴が始まってしばし、出席者同士が小声で会話する穏やかな雰囲気の中で、氏政が問いかけた。
「百貫文、加えて駿河の何処にても病人を診、薬を売り、或いは傷を縫うなどして、代金を取って良いとの許しを得ております。」
憲秀は盃を傾けながら、越庵一門の駿河における破格の待遇に小さく唸った。と、氏康が僅かに身を乗り出す。
「そいつは豪気なこった。どうだい、越庵先生。此度は北条も世話になった。礼として、百貫文の知行を贈らせてもらえねえか?」
思い通りの展開だ、と憲秀はほくそ笑んだ。
憲秀は、北条の武力の源泉は、一騎当千の鎧武者や、無限の財を生み出す商業都市ではなく、一度支配下に組み込んだ土地の様相を明文化した、台帳にこそあると確信している。検地を行い、人数を検める事で、領民が不満を持ちにくいよう調節しながら、徴税を行い、大軍を催す事が可能となるのだ。
そして台帳は、領内統治のみならず、新参の取り込みにも活用される。
例えば新たに北条に帰参した国衆がいたとする。北条は国衆の所領に対して検地を行うと同時に、恩賞と戦力増強のための手当として、領内から一部を加増する。ただし、加増するのは国衆の所領から遠く離れた土地であり、国衆はそこから直接年貢を収公するのではなく、北条から給付される形となる。
こうした一見回りくどい手法の真価が発揮されるのは、情勢の変化に伴い、その国衆が別の勢力への寝返りを検討する段階に入った時の事だ。彼らはその時になって気付く。自身の戦力が北条に完全に把握されている事に。そして、北条から離反すれば、手当として与えられた加増分からの収公を、諦めなければならないという現実に。
こうした損得勘定を経てもなお、北条からの離反を決意出来る国衆は多くない。彼らはやがて偏諱や縁組によって北条との関係を深めて行き、段階的に家中に組み込まれて行く。
今回の越庵への加増も、本質的には同じ事だ。今川と北条、双方から禄を食む立場に誘い込み、そして徐々に北条へと組み込んで行く。成功の暁には、憲秀は天下の名医を北条に招き入れた功労者との評価を得るだろう。
失敗するとすれば、越庵がこの話を蹴る場合に限られるが、知行が倍増する好機、まさかむざむざ逃す筈も無い…。
「折角ですが、謹んでお断りさせていただきます。」
室内が一瞬で静まり返る。
憲秀をはじめ、誰もが理解できなかった。関東随一の大大名、北条氏康から知行を賜るという栄誉を、氏素性も不明瞭な、いち薬師が拒絶したのだ、という現状が。
氏康が盃を置く、かちゃん、という音が、嫌に大きく聞こえる。
「太え野郎だとは思ってたが、これ程とは思わなかったぜ。俺が褒美をやろうってのに、迷う素振りさえ見せねえたあな。…北条に恨みでもあんのか?」
「恨みなど、滅相も無い。ひとえに、今川の御前様に対して義理立てせんがためにございます。」
氏康が無言で続きを促すと、越庵は居住まいを正し、険しい目付きで上座を見据えた。
「恐れながら、ご一同の内に、十年以上前より臼川越庵の名を耳にした方はおられましょうや。」
越庵の質問に、並み居る重臣が顔を見合わせ、小声を交わす。しかし、「聞いた事がある」と答えられる者はいなかった。
「左様、それがしは数十年来無名にござる。若き日に唐土、南蛮の医術を学んだそれがしは、日の本を巡って人体の摂理を明かしつつ、医学書を書き上げ、万病を処する術を世間に広めんと志して旅に出ました。されど、日々の飯や宿にも苦労する日々…行く先々で怪しまれ、彼方此方の村や町を転々として参りました。」
ならば、なおさら収入の増加を歓迎するはずではないのか。
喉元までこみ上げた疑問を飲み込んで、憲秀は越庵の一人語りに耳をそばだてた。
「運が開けたのは三年前のちょうど今頃、駿府の片隅に宿を借り、百姓町民を相手に病を診、薬を売っていた頃の事にございます。相模より輿入れされた姫君が、屋敷勤めの薬師を探していると…わざわざ直筆の書状でお呼び立ていただき、お誘いいただきましたゆえ、仕官を決めた次第にございます。」
「その条件が百貫文、加えて駿河の何処にても病人を診、薬を売り、或いは傷を縫うなどして、代金を取っても良いとの許しであろう。北条から百貫文を授かる事に、何の不都合がある。」
焦れた氏政が問い詰めると、越庵は二、三度、首を横に振った。
「御前様はそれがしと初めてお会いした際、進んで頭を下げてくださいました。無位無官の、氏素性も不確かなそれがしに、でございます。」
一瞬、室内が驚きの声で満たされた。
憲秀は声を上げる事は免れたものの、今川に嫁いだ姫君の、越庵を見出した嗅覚と、彼を迎え入れるためにとった大胆な行動に驚愕し、生唾を飲んだ。
「それ以降も、御前様は我ら一門のため、何くれとなく世話を焼いてくださいました。此度北条領に参りましたのも、身分の上下、領国の隔てなく病人を救いたいとのそれがしの我が儘を御前様が聞き届けてくださったがゆえ…。左京大夫殿、弥次郎殿をはじめ、ご家中の皆様には散々に骨を折っていただきました。これ以上の褒美はそれがしの身に余りまする。」
詰まる所、北条の禄を食む積もりは微塵も無い。そんな決意表明を目の当たりにして、結が今川に嫁ぐ以前に越庵を見出せなかった悔恨に奥歯を噛みしめていた憲秀の耳に、誰かが小さく喉を鳴らす音が届いた。
憲秀が音の発生源を探ると、背中を丸め、「く、く、く」と漏らす氏康の姿が目に入る。次の瞬間、氏康が勢いよく顔を上げ、大きくのけぞった。
「…くっ、はっはっはっはっは!はーっはっはっはっ!この俺とした事が、娘に出し抜かれるとは思わなかったぜ!こいつはいい!お前さんは日の本一の律義者だ!」
主君の呵呵大笑という、滅多に見られない光景に、越庵を除く誰もが啞然、呆然とした。
「はーっ…そこまで言うなら仕方ねえ、知行の件は取り下げる。だが北条の、いやさ、何百何千もの領民の大恩人を、手ぶらで帰す訳にはいかねえ。何か他に、欲しいものは無えか?」
目尻の涙を拭いながら氏康が問い掛けると、越庵は少し逡巡する素振りを見せてから返答した。
「されば、伊豆の銘酒、江川酒を年に一樽、頂戴しとう存じます。」
「お、イケる口かい。」
「いえ、飲むためではなく。混じり物の少ない清酒は、傷口に『悪しきもの』が入るのを防ぐ効き目がございますゆえ。施術に用いとう存じます。」
「…くくっ。北条名物の江川酒を施術に使おうなんざ、考えた事も無かったぜ。相分かった、今年の分が出来次第、駿府館に届けさせる。…それと、弥次郎。」
突然呼ばれた憲秀は、素早く主君に向かって平伏した。
(しくじった…!折に触れて殿の治世の見事さを説き、越庵の心を北条に引き付けておくべきであった…!)
失態の追求を覚悟した憲秀に対し、氏康が放ったのは真逆の言葉だった。
「大儀である。」
「は…はっ?」
「お前はお前の務めを十二分に果たした。指図通りに越庵先生をお連れし、世話役として越庵先生を支えた。…ここに改めて認める。弥次郎。年明けと共に左馬助を名乗れ。…誰にも文句は言わせねえ。」
憲秀は一層頭を低くしながら、目を強くつぶり、あふれそうになる涙をぐっとこらえた。
懸命に伸ばした頬髭、沼津で名乗った「左馬助」の仮名、いずれも自身が松田家の跡取りとして相応しいと、周囲に認めさせるための虚勢だった。
だが――目の前の主には、きっとそれもお見通しだった。その上で、自分が実績を挙げられるよう、気遣ってくれていた――。
「…さて、と。てめえら、何ボケっとしてやがる。越庵先生はこの後荷造りが控えてんだ。聞きてえ事があるんなら、今の内に聞いておきな。」
氏康の言葉で、固まっていた宴席が再び動き出す。やがて顔を上げた憲秀も、目を潤ませながら盃を口に運んだ。
「父上、此度の仕置、誠に恐れ入りましてございます。」
宴会が終わり、私室に戻った氏康に同行した氏政は、上座の父に向かって平伏した。
「あ?何のこった。」
鯨飲には程遠いものの、数回に渡って盃を干したにもかかわらず、飲酒の影響を微塵も感じさせない様子で、氏康は訊き返した。
顔を上げた氏政は興奮を隠せない様子でまくし立てる。
「越庵先生と、松田弥次郎の事にございます。父上は初めから、越庵先生が北条の禄を食む積もりが無い事を見抜いておられた。さればこそ、日の本一の律義者と称え、年に一樽の江川酒で褒美とされた。そして弥次郎の働き振りを認める事で、松田に恩を売り、手綱をかけた。これで北条の将来は安泰、全ては父上の掌の上にございましょう。」
息子から称賛の雨を浴びた氏康はしかし、仏頂面で押し黙ると、鼻から「ふぅん」と他人事のように息を吐いた。
「ち、父上…?」
「息子に持ち上げられて悪い気はしねえが…思い違いをそのままにするのも具合が悪い。はっきり言っとくぞ新九郎、さっきの宴会で俺の思い通りに運んだ事なんざひとっつも無え。」
予想外の返答に絶句する息子の目をじっと見詰めたまま、氏康は続けて言った。
「俺は本気で越庵先生を北条に引き入れる積もりだった。あれだけの技量、みすみす逃すのは惜しいからな。だが、本人があそこまで頑なじゃあどうしようも無え。…弥次郎の事だが、松田を継ぐのは前から大筋で決まってた。今度の事は…まあ、箔が着いたってな所だろう。しばらくは恩に着るかも知れねえが、十年先となると分からねえな。」
先程までの威勢を失い、俯く氏政に、氏康は上座を降りて歩み寄り、正面に座った。
「なあ新九郎。乱世の国主たるもの、物事の裏の裏まで読めなけりゃやっていけるはずが無え。何が言いたいかってえと…さっきの深読みは北条の跡継ぎとしてやって当然、むしろ俺の方が見習いたいくれえだ。」
「父上…。」
「だがな。政は人が動かすもんだ。一から百まで理屈通りに運ぶ事はまず無え。…たまには裏表を考えずに、自分の心の内をさらけ出す事もやってみな。でねえと、いつか息が詰まっちまうぜ。」
氏康が微笑みかけると、氏政はぎこちない笑みを浮かべた。
「父上の教え、胸に刻みます。されど、越庵先生の引き抜きが本意であられたとは…。」
「当ったり前じゃねえか。当の本人は、未だ治せる病は万病の内の百に届くかどうか、なんてぬかしてやがったが、俺の知る限り、あの先生を超える薬師は今の日の本にはいねえ。」
乱暴な口振りながら、改めて越庵を称賛した氏康は、西の方角…駿河の方へ視線を飛ばした。
「だがまあ…あの先生が傍にいりゃ、結も安心して暮らせらあな。そう考えりゃ、引き抜きをしくじったのもあながち悪い事ばかりじゃ無え。」
「いえ、むしろ父上の誘いに乗らなかった事を後悔させてご覧に入れます。越庵殿が残した医学書を元に、小田原でも薬師を育て、優れた者を高禄で召し抱えるのです。さすれば、あの時父上の話に乗っておくべきであったと、思い知る事になるでしょう。」
視線を戻した氏康は、息子の目の奥で燃え盛る炎を幻視し、笑った。
「どいつもこいつも頼もしく育ちやがって。北条がおめえらの代でどうなるか、楽しみで仕方無えぜ。」
数日後、越庵一門は小田原を出立し、再び国境を越えて沼津に入った。
これ以降、相模国から駿府の臼川越庵一門に宛てて江川酒の樽が運ばれる様子は、沿道の民にとって毎年の恒例行事となる。
それがある時を境にぱったりと途絶える事になろうとは、誰一人、思いもしなかった。
2023年12月9日現在、年末年始特別編のリクエスト募集中です。
詳細は活動報告をご覧ください。