#114 こちら沼津代官屋敷前栗田三代目
現在タイトルの変更に関する告知と、年末年始特別企画として特別編のリクエスト募集を実施しています。
詳細は活動報告をご覧ください。
弘治3年(西暦1557年)8月 駿河国沼津 代官屋敷
私が沼津に単身赴任してから一か月が経った。幸いにも『腹荒らし』の感染拡大を抑え込む事には成功したらしく、沼津における感染者数は減少傾向にある。
以下の流れも、すっかり日常と化している。
まず、太陽が昇るか昇らないかの内に起床、身なりを整える。
朝食を終えたら沼津代官の泰朝殿に客間まで来てもらい――正直、多忙な泰朝殿を呼びつけるのは気が引けるが、立場上仕方ない――泰朝殿の手勢と私が駿府から連れて来たメンバーの体調に問題が無いかを確認、その後一日の行動について打ち合わせを行う。
泰朝殿が執務に戻ったら、私は駿府に宛てて送る報告書や関係各所への書状を書いたり、市内から上がってくる報告をもとに感染者数の増減を記録したり――表計算ソフトやノートにボールペン、定規をこれ程切望した事は無い――、不定期に泰朝殿や寺社等から持ち込まれる相談に対応したり、といった事をしている内に夕焼けがやって来る。
緊急性の低いものは明日に先送りして、夕食を摂り、お風呂に入って、寝間着に着替えて歯磨きしたら就寝。
だいたいこんな感じだ。
駿府にいた頃より献立のバリエーションが若干貧しくなったものの、引き続き黙っていても朝夕の食事が用意される上に、ばっちり個室まで用意してもらえているとあって、生活の面については何ら不満の無い日々を送っている。
…いや、一つだけ、どうしようもない不満があった。隣に五郎殿がいない事だ。
別に、五郎殿にも一緒に沼津まで来てほしかったとか言いたい訳じゃない。今川家当主の正妻兼北条との同盟の人質である私が、ちょっと足を延ばせば北条領に入れてしまう沼津に来ている時点でギリギリなのに、男の兄弟が存在しない五郎殿が駿府を離れるのはリスクが高すぎてとても現実的じゃない。そう、頭で分かってはいるのだが…。
朝起きても、隣に誰もいない。
朝食をとっている間、隣で鳴っていた音がしない。
行ってらっしゃいませと、送り出す人がいない。
…お帰りなさいませと、玄関でお出迎えする人がいない。
お風呂上がりの体から湯気を立ち昇らせながら、夕食を美味しそうに食べる人がいない。
並んで床に入り、他愛のないおしゃべりに付き合ってくれる人がいない。
…詰まる所、私は日々の一瞬一瞬に、政略結婚の相手を探しては一人勝手に落ち込んでいた。
そんな私の慰めとなったのが、およそ一週間おきに届く、駿府からの定期連絡だった。
まず私と泰朝殿が、義元殿への報告書や屋敷への指示等を書いて早馬に託し、駿府に送り出す。早馬は最速で二日、悪天候などに遭遇すればそれ以上の時間をかけて駿府に到着し、それぞれの宛先に書状を届ける。そして翌日、義元殿や寿桂様、五郎殿といった人々の返事を携えて出発。再び東海道を東に走り、沼津に戻って来る。連絡係をお風呂に入れ、しっかりご飯を食べて英気を養ってもらっている間に、また私と弥次郎殿が報告書を書く。この一か月はその繰り返しだ。
初めて五郎殿から届いた手紙は、至極落ち着いたもので、体に気をつけて務めを果たすように、といった事がつらつらと書き連ねられていた。しかし一週間後の第二便では、一人の食事が味気ないだとか、夏にもかかわらず一人で寝ると寒々しく感じるだとか、熱烈なラブレターのごときお便りをもらってしまった。
五郎殿も私と同じように思っていてくれている事を嬉しく思うと同時に、武家の跡取りがこんなに正直で大丈夫だろうかと少し心配になってしまった。まあそれも回を重ねるごとに落ち着き、しばしば書状に一コマ漫画のようなイラストを描いて和ませてくれる程度にはなって来ている。
…もらった手紙を大事に保管してあるのは、今川家当主からのお便りを雑に扱うなんてもっての外だからだ。断じて、旦那様からの心のこもったお便りが心の支えになっているとか、そういう訳では、ない。断じて。
…他に変わった事と言えば、『腹荒らし』の新規感染者数がほぼゼロになった半月前、越庵先生が駿府から連れて来た弟子の更に半数を従え、ついに北条領の三島に向かった事だ。無論、一連の顛末は義元殿にもしっかり報告して許可をもらっている。
厳密に言えば、「越庵先生が三島の病人の面倒を見たいと申し出たら憲秀殿が手形を都合してくれた、私が駿府に帰る前に沼津に戻って来る」という、ギリギリ嘘ではない報告書に父上の書状、つまり北条の公式見解を添付した。
越庵先生が沼津にいる間に届いた返信には、私の采配を追認する文章はあっても越庵先生の越境を咎めるものは無かったので、まず問題無いだろう。末尾に「越庵は『北条領の』民を存分に労わってやるように」という文章があったとなれば、義元殿は北条の本音と建前をよく理解しているという事だ。
そんな訳で、私は特段大きなトラブルに直面する事も無く、現代日本でもサラリーマンとしてやっていけるんじゃないかって位律儀な仕事仲間、泰朝殿の助けを借りながら、ある時はお金にモノを言わせて医療物資が不足している所に補給したり、ある時は今回の流行病の収束に対する貢献を主張する寺社の代表と面会したり――主張するのは自由だし聞くのはタダだ――しながら、新規感染者数の減少と体調を回復して救護所を去る人の増加に確かな手応えを感じていた。
その陰で別の問題が進行していた事に気付かされたのは、いつものように、泰朝殿と定例会議を実施していたある日の朝の事だった。
「…⁉何事か!」
泰朝殿が私との会話を中断して声を張り上げた理由は、私にもすぐ分かった。屋敷の外で大勢の人が騒ぎ立てている様子が、私の耳にも届いたからだ。泰朝殿の詰問に、家臣の一人が答える。
「長屋の町人どもが押しかけてございます!勘吉を牢から出せ、さもなくば門を打ち壊すと…!」
「弥次郎殿、勘吉とは…?」
私の質問に、泰朝殿はいかにもまずい事を聞かれたと言わんばかりに顔をしかめると、観念したように大きなため息をついた。
「…栗田勘吉。船津の栗田家にゆかりがあると称しておりますが、当の栗田家は知らぬ存ぜぬで。髷を結っても月代は剃らず、日銭を好んで何でも請け負う、使い走りにございます。膂力に優れ、何事にも器用で、銭遣いが荒い割に町人に慕われるため、重宝しておりましたが…十日ほど前に盗みを働きまして。」
「何を盗んだのです?」
「米を百俵、弓削屋の蔵から。挙句、それを百姓町人にばら撒くとは…当然、弓削屋から訴えがありましたゆえ、牢に繋いだ次第にございます。」
時代劇みたいな話の展開に目を丸くしていた私は、外の喧騒に我に返ると、泰朝殿の話を聞いている内に浮かんで来た疑問点を口に出していった。
「幾つかお伺いしたい事が。なにゆえ勘吉殿の仕業と分かったのですか?勘吉殿は罪をお認めに?」
「忍び入った蔵に証文を残しておりまして。『邪道にて集めた米、正道に用いん。栗田勘吉』と。当人に確かめた所、あっさり認めました。」
「しかし百俵とは…真に一人で?」
「いや、それが…奴の馴染みの小舟の船頭が五人、盗みを手伝ったと申し出ておりまして。されど、勘吉は自分一人でやった、そんな連中は知らん、と。彼奴には忍びの心得がありますゆえ、一人で盗み出しても不思議ではないかと…。」
泰朝殿の話の矛盾に、私の心がざわめいた。
もしかしたら、勘吉殿は五人の仲間をかばっているのではないか。
その人柄ゆえに、五人は泥棒を手伝い、今こうして町人が代官屋敷に詰めかけているのではないか。
「勘吉殿の仕置はいかように?」
「…ご覧の通り、あ奴は沼津の町人に大層慕われております。それゆえ死罪を免ずる代わりに、ばらまいた米を集めて弓削屋に返すよう申し付けたのですが…『我に盗っ人の咎あれど、弓削屋にも罪あり。我を誅するにはまず弓削屋を誅すべし』と…。気が変わるまで兵糧攻めにしようと飯を抜いたのですが、夜中に牢番の目を盗んで抜け出しているらしく、一向に参る気配を見せませぬ。」
またも大きなため息をつく泰朝殿を見ながら、どうすればこの問題を解決出来るのか、思考を巡らせる。一瞬、町人達と直接会って引き下がるよう説得しようかとも考えたが、その案はすぐに諦めた。義元殿の名代として来ている私が仲裁に失敗したとなると、今川家全体の信用問題に発展しかねないからだ。
「…弥次郎殿。表の町人達を諭して帰らせてはいただけませんか。勘吉殿の仕置はまだ決まっていない、当人の言い分を聞いてから決する、と。」
「は、はあ…されど、拙者が幾度問い質しても要領を得ず…。」
「ならば私が伺ってもよろしゅうございますか。」
私の提案に、泰朝殿は目を瞬いたかと思うと、慌てて引き留めて来た。
「おま、お待ちあれ!かような下賤の者に御前様が面会されるなど…!」
「沼津代官たる弥次郎殿にさえ、心中を詳らかにしようとなさらないのでしょう?でしたら、太守様の名代たる私になら、存念を明かしてくださるやも知れません。そもそも弥次郎殿には、沼津を平穏無事に保つという務めがおありなのですから。私にも手助けをさせてくださいませ。」
何とか理由を付けて言い募ると、泰朝殿は渋々頷いたのだった。
数時間後、私は百ちゃんと泰朝殿を伴って、半地下構造の牢屋に続く階段を降りていた。
薄暗く冷ややかで、生理的嫌悪感を引き起こす臭いが漂う空間に若干の後悔を抱いていると、太い角材で組まれた檻の向こうで人影がうごめいた。
「これはこれは珍しいお客様なこって。今川の御前様とお見受けしまさぁ。」
檻の向こうから聞こえてきた声に、聞き覚えがあるような感覚に戸惑っていると、持槍片手に立っていた見張りの侍が苦り切った顔を檻に寄せた。
「勘吉っつぁ…勘吉殿、余計な口は利かねえ方が…。」
「手も足も動かねえんだ、口を動かすっきゃねえだろう。」
二人の会話から勘吉さんとやらの顔の広さを実感していると、暗がりに目が慣れ、当の勘吉さんの外見がようやく目に入って来た。
サル…いや、ゴリラ?一瞬そう思ってしまうほど、顔がごつく、毛深い。むき出しの二の腕、すね、どちらも現代日本のムダ毛処理なんて知ったこっちゃねえと言わんばかりの自己主張。眉毛もモミアゲも油性マーカーで描いたんじゃないかってくらい濃くて太い。
両手両足を縄で縛り上げられて牢の中で体育座りしているが、一対の眼はぎょろりとうごめき、兵糧攻めにあっているようにはとても見えない。
「こんな成りじゃ頭も下げらんねぇ。勘弁してくだせぇ。」
「構いません。改めて…結と申します。弓削屋から盗まれた米について、お話を伺いに参りました。」
私の言葉に、勘吉さんは唇を引き結んだまま鼻を鳴らした。
「今更お話する事なんざありやせん。米はあっしが一人で盗み出したんだ。それとも何か、例の五人があっしの盗みを手伝った証でも?」
「証はありません…されど、大方の経緯をお伺いした結果、一晩で誰にも気付かれずに米百俵を盗み出す手立てに見当が付きました。」
勘吉さんの眉がぴくっと動いたのを、私は見逃さなかった。
「謎は三つ。まず、盗っ人が蔵から米俵を運び出している間、弓削屋の見回りが一度も気付かなかったのは何故か。」
弓削屋の訴えによれば、事件当夜、蔵を従業員が出入りしているものの、部外者はいなかったとの事だ。ただし、弓削屋の見回りは従業員の顔を一々確認しておらず、声で識別していた。しかも蔵に出入りしていたはずの従業員には、そんな記憶は無かったと言う。
「勘吉殿は声真似が大の得意だそうですね。見回りが来た時、弓削屋の手代を装ったのではありませんか?」
事件当夜は曇りで月明かりが無かったらしいから、よっぽど接近されなければ気付かれないだろう。
「次に、川上に建つ米蔵から川下の町人長屋まで、人目に付く事無く米俵を運ぶ術ですが…例の船頭達が操る小舟に載せて運んだのではありませんか?」
弓削屋の米蔵は輸送の便の都合からか、川べりに建てられていた。
そこに小舟を寄せておいて、沈まない程度に米俵を載せ、川下に運ばせる。
仮に一艘五俵とすると、五艘で二十五俵、四往復で百俵を運び出せる計算になる。
「最後に、米蔵に証文を残した理由ですが…『我に盗っ人の咎あれど、弓削屋にも罪あり。我を誅するにはまず弓削屋を誅すべし』とは…代官様に何事か申し立てたい儀がおありなのでは?」
最後の謎が解けずに困惑したままの本音を押し隠したまま問い掛けると、勘吉さんはしばらく沈黙してから喉を鳴らして笑った。
「こいつは驚えた。ひと月前から只者じゃねえとは思っていたが、何とも知恵の回るこって。」
「み、認めるのか、勘吉。お主が船頭どもと語らって…」
「あっしは何も認めちゃいやせんぜ、代官様。米泥棒はあっし一人でやった事。それよりも、弓削屋の悪行をとっとと懲らしめていただきてえんですがね。そいつさえ済めば、あっしは首を斬られようが構いやしねえ。」
「一体、弓削屋の悪行とは…?」
壮絶な覚悟に語尾を震わせながら聞き返すと、勘吉さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
「…こんな所までお越しの御前様のためにお話ししまさあ。元はと言えば御前様のご実家、北条の江川酒が面倒のタネになってやがんですからね。」
勘吉さんの告発は驚くべきものだった。
前提として、だが。この戦国日本において純度の高い清酒を造れるのは、政治的、技術的な理由から京周辺と地方の一部に限られる。北条でも伊豆韮山の江川一族が早雲殿の代から酒造りに携わり、東国を中心に有名なブランド品になっている。
問題の発端は数か月前、『天梅屋』なる連中が沼津一帯を練り歩き、百姓町民を相手に怪しい儲け話を持ち掛けた事にある。
「北条の江川が酒造りのために駿河の米を欲しがっている。我々に米を預けてくれれば、それを江川に高値で売りつけ、その代金を元手に米を買い増ししてお返しする。」
今年は天候不順で凶作になるとの予想が蔓延していた事もあって、大勢の人が天梅屋の儲け話に乗った。それが大間違いであった事が判明したのがおよそ十日前。一向に預けた米を返そうとしない天梅屋に百姓町民が詰め寄った所、「そんな約束をした覚えは無い」と突き返されたのだ。
米の値段が最も高騰するのは毎年田んぼからの収穫が始まる直前と、民間の蓄えが尽きる瀬戸際が重なる特定の一時期。天梅屋は最初からその瞬間を狙って、人々からだまし取った米を一気に売り払ってボロ儲けする積もりだったのだ。
では、肝心の米はなぜ弓削屋の蔵にあったのか。それには天梅屋の株札保有比率が関係している。
そもそも天梅屋は根っからの商人ではなく、本質はごろつき、野盗の類だ。それが百姓町民から米をかすめ取り、高値で売り払うという悪だくみのために、堅固な蔵を持つ弓削屋と、金儲けに積極的な嵐平寺を抱き込んだ。
天梅屋の『店主』は嵐平寺の境内に居を構えており、泰朝殿でもうかつに手が出せない。要するに、嵐平寺は天梅屋の元株を持つ事で、天梅屋の後ろ盾となる代わりに儲けの何割かを確保できる。
泣きを見るのはウソの儲け話に乗ってしまった百姓町民達という訳だ。
「…お話は分かりました。されど、やはり盗みは良くありません。」
自分でもげんなりする模範解答だと思っていると、案の定勘吉さんが鼻を鳴らした。
「へえぇご立派な事で。さすが生まれてこの方、食うに困った事の無いお方の仰る事は違いまさぁ。」
「勘吉、不届きなるぞ!」
激昂して腰の刀に手をかける泰朝殿を片手で制して、私は首を横に振った。
「勘吉殿の仰る通り、私は衣食や住まいに不自由した事はありません。それゆえ、沼津の百姓町民が飢えに瀕している事にも気付けませんでした。…己の不覚に、恥じ入るばかりです。」
厳密には、前世で衣食住に不自由した経験もそれなりにあるのだが、戦国時代とは色々と条件が違うのでひとまずそれはいい。
問題は、あれほど沼津の町人に慕われている勘吉さんが、不正を正すために自らも犯罪者になってしまったという事実だ。勘吉さんの告発を聞いた私には、このまま天梅屋のサギまがいの商売を見過ごす事は出来そうも無かった。
「弥次郎殿。勘吉殿の訴えは真にございましょうか。」
「…勘吉を通じて、町人の申し立てを聞いてはおりました。天梅屋が真っ当な商人ではないと調べもついております。されど、この者の申す事が全て真かと問われると…。」
「では、私の伝手を頼ってみても?その上で相談があるのですが…。しばしお待ちください、すぐに戻ります。」
私は百ちゃんに目配せをすると、二人で階段を昇って一旦牢屋を出て、客間へと早足で向かった。
客間で百ちゃんに幾つか潜入調査を頼みつつ、裏に濃い墨で何やら描かれている紙に必要な文章を書き記す。
深呼吸しながら文章を確認し、私は再び牢屋に駆け戻った。
「御前様、一体何ご…そ、それは⁉」
「起請文…。」
眉根にシワを寄せながら独り言ちた勘吉さんに、私は起請文の文面を近づけた。
「此度の天梅屋の悪行によって困窮する百姓町民を救うため、私と勘吉殿が合力する事を誓うものです。先程の申し立てが虚言でないのであれば、ぜひこちらに血判を。」
「いいんですかい?太守様の名代ともあろうお方が、こんな醜男と起請文を交わしちまって。」
勘吉さんの険しい視線を、真っ向から見つめ返す。
「私が信じるのは勘吉殿ではありません。勘吉殿を信じて代官屋敷に押しかけた、沼津の領民を信じるのです。」
なけなしの勇気を振り絞って見栄を張ると、私は起請文を裏返して檻に押し付け、左手の親指を百ちゃんに差し出した。一瞬逡巡した気配の後、親指にチクリと小さな痛みが走る。見ると、硬い紙で切ってしまった時のように、親指の腹の下あたりから血がにじみ出していた。
親指を下にして血が広がるようにしてから、起請文の自分の名前の下に押し付ける。判子を押す時のように左右にグリグリとやってから離すと、赤黒い指紋がべっとりと付着していた。
「御前様、どうかお考えをお改めくだされ。訳はどうあれこ奴は盗っ人。それを無罪放免には…。」
「無論、無罪放免にしていただこうとは思っておりません。勘吉殿にも相応の罰を受けていただかねば。ただそれが、死罪に値するとは到底思えないのです。」
泰朝殿に同意を求めながら百ちゃんに傷の手当てをしてもらっていると、檻の向こうで奇妙な音がした。ごりっ、とか、ぱきっ、とか…もしかして関節外してる?
案の定と言うべきか、次の瞬間檻から突き出されたのは、縛られているはずの勘吉さんの左手だった。
「こいつは敵わねえや。御前様、あっしも血判を捺させていただきてえ。…一度沼津をお救いくだすったその才覚に、もういっぺん賭けさせてもらいまさぁ。」
「かたじけのう存じます。ではもう一つ、弥次郎殿と勘吉殿に約定を結んでいただきたく。」
怪訝な顔付きの二人に、私は冗談めかして言った。
「弥次郎殿は勘吉殿に一日二食と水をお与えください。その代わり、勘吉殿は弥次郎殿の許しがあるまで牢を抜け出さないように。…このままでは不寝番の方が毎晩一人、夜食を食べ損ねてしまいますから。」
私の言葉に勘吉さんは喉を鳴らし、泰朝殿はやれやれといった調子でため息をついたのだった。
タイトル変更は2024年1月から、リクエスト募集は2023年12月24日までを予定しています。
リクエストをお待ちしております。