#113 銭狂いの奥方
今回もよろしくお願い致します。
弘治3年(西暦1557年)7月 駿河国沼津 代官屋敷
夏の夕闇が迫る廊下を、重い足取りで歩く若武者がいた。沼津代官にして名門朝比奈氏の嫡男、朝比奈弥次郎泰朝である。
数えで二十歳、今川屈指の名門を継承する身でありながら、その心中は鬱々として一向に晴れなかった。
(坊主どもの突き上げ…北条の使いの接待…ようやく太守様の名代がお越しになったかと思えば、銭狂いの御前様とは…。)
思えば、いずれ掛川城を預ける身として、見聞を広めるという名目で沼津代官を引き受けた…否、押し付けられたのが運の尽きだった。
河東造船の興隆に伴って人口が急増し、無計画に建てられた家屋がひしめき合う沼津では揉め事が絶えず、手勢を使って秩序を保つので精一杯だった。所領や名誉ではなく、銭で働く都合の良い使い走りがいなければ、沼津の統治はたちまち破綻していただろう。
そんな危うい均衡を突き崩したのが、この夏になって北条領内からやって来た流行病だった。当初はただの食あたりと見られていたそれは、気付いた頃には沼津一帯に蔓延し、町人同士の諍いは一層酷くなった。
近郊の寺社が病人の看病を請け負った時は一息つけたと思ったものの、その代償として、遠回しに寄進を要求されるようになった事で頭痛の種は逆に増えた。そこに押しかけて来たのが、隣国北条の使者、それも家中有数の宿老である。
もはや自分の裁量ではどうにもならないと、駿府に泣きついて早数日。予想以上に早い返信に胸を躍らせながら書状を開いた泰朝は、義元の名代として記された名前に幾度も目をこすった。そこに新当主氏真の妻、『銭狂い』の悪名高い御前様の名前があったからだ。
御前様と面識が全く無い訳ではない。年末年始の挨拶や御屋形様――氏真の屋敷を訪問した際に顔を合わせた事もあったが、派手に着飾るでも、積極的に口を開くでも無かったため、全くと言っていい程印象に残らなかった。
代わりに沼津に届く噂からは、彼女の悪い印象を強く受けた。
曰く、関口刑部少輔の姫君が面倒を見ていた無宿人を銭に物を言わせて引き離し、安い日銭で働かせている。
曰く、三日と空けずに商人達と会合し、酒池肉林の限りを尽くしている。
曰く、高利貸しと語らって蓄財に励もうとしたところを夫に見咎められ、泣く泣く引き下がった。
曰く、駿府のどこに出掛けても菓子を食べられるようにするため、友野屋に無理強いして茶店に銭を出させた…。
総じて、強欲で気紛れな御前様というのが泰朝の見立てだ。我が子への偏愛と蓄財に血道をあげた末に応仁の大乱を引き起こしたという、かの妙善院殿(日野富子)を想起させる。
今日の昼、駿府から大勢の供回りを引き連れて到着した本人と顔を合わせた事で、その印象は一層強くなった。多忙の合間を縫って這う這うの体で出迎えた所、挨拶もそこそこに手形を強請られたのだ。
行商人に支給している、国境を越える許可を与える手形とは訳が違う。寿桂尼の所領となっている沼津一帯の、寺社の境内を含むどこであろうと出入り自由とするという、破格の権限を担保する手形を、だ。
まさか名代の名目で物見遊山にでも来たのかと訝しみながら手形を書き下したものの、宛名を書かないように、という要求に泰朝は首を傾げた。手形に一通り目を通すや、早々と興味を失ったように側付き侍女に手渡されてしまったとあれば尚更だ。
結局その後、業務が立て込んでいる事を匂わせると、御前様の接待からあっさりと解放されたため、執務に戻る事は出来た。
日暮れが迫る頃になって、御前様の荷解きと夕餉は無事に済んだだろうか、などと考えながら蕎麦切りを掻き込んでいた泰朝の元に届けられたのは、夕餉が終わり次第客間に来てほしいという、御前様の呼び出しだった。
かくして泰朝は、鈍い痛みを訴える腹をさすりながら、仮病を使って呼び出しを無視したいという本音を押し殺しながら、『銭狂い』が待つ客間に向かっているという訳だ。
(客間の装いに気に染まぬ所でもあったか?いや、夕餉が口に合わなんだのやも知れぬ。沼津も勢い盛んとは申せ、駿府とは品揃えが雲泥の差。その程度は見逃して頂きたいのだが…。)
端的に言って、泰朝の思考は完全にマイナス方向に振り切っていた。そのため、客間の障子の左右を固める侍女を見た時、彼は小さな驚きを味わった。昼まで歩き通しだったはずにもかかわらず、二人の背筋はぴんと伸び、疲労した様子を微塵も見せなかったからだ。
「御前様、代官様がお越しにございます。」
泰朝の接近に気付いた侍女が薄明かりの揺らめく室内に声を掛けると、「通して頂戴。」というくぐもった声が聞こえた。
泰朝が急いで客間の前に平伏すると、頭上で障子が開かれる気配がした。
「遅参の儀、平にお許しいただきたく。流行病のため、彼方此方より仕置を求められておりまして…。」
「お顔をお上げください。どうぞ中へ…。」
穏やかな声色に、内心再び驚きながら、泰朝は恐る恐る顔を上げた。
室内には、白髪交じりの男と若い侍女が下座に控え、そして上座に、文机を傍らに鎮座する少女――今川の御前様、結がいた。
灯台の薄明かりに照らされた結の装いに違和感を覚えた泰朝は、すぐにその原因に思い至った。屋敷に到着した時よりも薄着になっている。無論、今川家当主の妻としての品格を損なわない程度に、だが。
少なくとも役目を帯びて来た先で、着道楽に走る人物ではない事は分かった。
「で、では、御免仕りまする…。」
おっかなびっくり入室し、腰を下ろすと、示し合わせたかのように障子が閉じられ、室内で待機していた侍女が湯吞と小皿を差し出した。小皿には何やら白い塊が乗っている。
「夕餉が終わって早々にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。まずは白湯と菓子をお召し上がりください。」
思いもよらない結の言葉に目を白黒させながら、泰朝はぎこちなく湯吞の白湯をすすり、菓子をかじった。白湯の温かさと、菓子の甘さにしばし放心してから、姿勢を正す。
「ご厚情、誠に痛み入りまする。して、ご用件は…?」
「まずはお礼を。突然押しかけた私どものために寝床を手配してくださり、言葉もありません。夕餉も大変美味にございました。弥次郎殿の馳走ぶりは太守様にも言上致します。」
予想外の賛辞に今度こそ呆気に取られていた泰朝は、続く「されど」という言葉に気を引き締めた。
やはり接待に手落ちがあったか――その予想は、いい意味で裏切られる事となった。
「お屋敷の厨も多忙にございましょう。明日よりは私のために別立てで膳を仕立てずとも結構です。この流行病が収まった暁には、皆で心置きなく頂きましょう。」
これが本当に『銭狂い』と蔑まれる女性か?
混乱する泰朝をよそに、結は文机に積まれた紙束から一枚を抜き出し、泰朝の前に歩み寄ってそれを広げた。描かれていたのは、細かく書き込まれた沼津一帯の地図だった。
「弥次郎殿の目下のお悩みは、流行病の広がりをいかに抑え込むか、病人の看病を請け負った寺社への恩賞をいかに取り計らうべきか、北条のご使者にいかに穏便にお帰り頂くか。以上三つでよろしいでしょうか?」
心中を的確に言い当てられて声も出せず、がくがくと頷く泰朝に、結はただ一度、ゆっくりと頷いた。
「まず流行病の封じ込めですが…こちらの名医、臼川越庵先生が先程主だった所を見て回ってくださいました。病人の世話で気を付けるべき事についてもお伝え頂きましたゆえ、市中に広く知らしめていただきとう存じます。」
そう言いながら結が差し出したのは、それぞれ平仮名と漢文で書かれた看病の心得だった。
その分かりやすさに感心していた泰朝は、遅れて、何故一薬師が彼方此方の寺社に立ち入る事が出来たのかという疑問に気付いた。
「一刻を争う事態につき、後からお伝えする事をお許しください。沼津に到着次第越庵先生が看病の指南に取り掛かれるよう、私も認め状を認めていたのですが、弥次郎殿の手形もあった方が障りが少ないかと思い、一筆書いていただきました。」
沼津に到着した直後の結の行動がようやく腑に落ちた泰朝は、怒りが湧くより感心が先に立ち、無意識の内に頭を下げていた。
「御前様の深謀遠慮、恐れ入りましてございます。」
「こちらこそ、弥次郎殿の即断に助けられました。さて、寺社への恩賞に関してですが…。」
結の言葉に、泰朝は顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
「病人を引き受けた事については有難く思っておりますが…頼んでもおらぬ内に疫病退散の祈禱などを執り行い、その分も報いて欲しいと迫られても、いかに取り計らうべきか。見当もつきませぬ。」
「…仰せの通りです。されど、領民の中には祈禱を心強く思う者もおりましょう。差し当たり、祈禱を執り行った、或いは病人を引き受けてくださった寺社には、私からお礼として五十貫文ずつお送りいたします。その上で、皆様の馳走振りを事細かに太守様にお知らせいたしますと約束すれば、ご納得いただけるかと。」
何ら具体性の無い空手形に、前払い金で信用を持たせる。
身銭を切っての策に、泰朝は唸らされた。
「最後に、北条のご使者についてですが…松田左馬助殿がいらっしゃったとは、真にございますか?」
「ま、真にございます!言わずと知れた北条の御三家、その筆頭たる松田左馬助殿が自ら!三日と空けず屋敷に押しかけては、御一家衆かそれ相応のお方に会わせろ、の一点張りで…!せ、拙者とて、今川の重鎮…の!跡継ぎ!でございますのに!あ、あの黒々とした頬髭を見るたびに腸が煮えくり返る…。」
感情が高ぶるあまり、畳を二度三度と殴りつけた後になって、泰朝は我に返り、結の顔色を窺った。予想に反して、結は片袖で口元を覆い、何事か考え込んでいた。
「ご、御前様?」
「黒々とした頬髭…それはそれは。」
片袖が下がると、そこには微笑みが浮かんでいた。
「松田殿は明日もお越しなのでは?私も同席いたします。きっとお力になれましょう。今宵はゆっくりとお休みください。」
「は、ははっ…。」
戸惑いながら返事をした泰朝に、押し黙っていた白髪交じりの男がにじり寄った。
「御免、薬師の臼川越庵にござる。朝比奈殿におかれましては、先程よりしばしば下腹をさすり、顔色も優れぬご様子。お力になれる事があれば何なりと…。」
「ご、ご明察。近頃食が進まず、夜も中々寝付けぬ。」
「成程…さればこちらを。」
そう言いながら越庵が差し出したのは、色合いの異なる二錠の丸薬だった。
「床に就かれる前にお飲みくだされ。胃の腑を休ませるものと、気の高ぶりを鎮めるものにございます。」
「私からももう一つ。弥次郎殿の手勢にも流行病に倒れた者がおいででしょう。駿府より同道した警固の兵の内、半数をお預けしますゆえ、人手が要り様の際は声をお掛けください。」
結に深々と頭を下げて客間を後にした泰朝は、すっかり日が落ちた廊下を歩きながら、薬を飲まない内から胃の痛みが収まったように感じていた。
翌朝、爽やかな心持ちで目を覚ました泰朝が最初に行ったのは、下人に命じて結の所在を確認させる事だった。昨日の夕方の出来事が、激務に疲れた自分にとって都合の良い夢に過ぎなかったのではないかという懸念に突き動かされての行動だった。
幸いその懸念が現実と化す事は無く、泰朝は結と共に、北条の使者との会談に臨む事が出来たが、そこで目にしたのは信じ難い光景だった。これまで顔を合わせるごとにこちらを格下扱いして来た松田左馬助が、上座で微笑む結を前に、額を床にこすりつけるようにして平伏したまま動かなくなったのである。
「ご、御前様におかれましては、ご機嫌麗しゅう…。拙者、北条左京大夫の使いとして罷り越しました…。」
「あら、お久しゅうございます。松田『弥次郎』殿。どうぞお顔をお上げください。お父上の『左馬助』殿はご壮健でいらっしゃいますか?」
泰朝が目を丸くする中、松田左馬助盛秀…もとい、弥次郎憲秀はのろのろと顔を上げ、苦り切った表情を見せた。
「…父はいささか病がちにございまして、拙者が家督を継ぐ日も近いかと。それゆえ左馬助を名乗っていた次第にございます。」
「左様にございましたか。改めまして、駿河でも指折りの要地、沼津の代官を務める朝比奈弥次郎殿。そして北条の御三家筆頭、松田家の跡取りたる松田弥次郎殿。同じ仮名を名乗っておられるのも何かの縁、目下の難題に手を取り合って立ち向かって参りましょう。」
一瞬で仮初めの上下関係を崩壊させ、朝比奈と松田が対等であるかのように取り計らってくれた結に、泰朝が心中で感謝の念を送っていると、憲秀がわざとらしく咳払いをした。
「ともあれ。御前様がおいでとあれば話が早い。拙者の役目は今川家中の然るべきお方に、御前様の御父上、御母上からの書状を託す事にございました。」
そう言って憲秀が懐から二通の書状を取り出し、うやうやしく掲げると、結は室内に控えていた侍女に目配せを送った。侍女が心得た様子で書状を受け取り、結の元へと運ぶや否や、憲秀が芝居がかった大声を上げる。
「御父上の書状は、北条が流行病をいかに抑え込めているかを今川にお知らせするものにございます。御母上の書状は、御前様に身の回りの由無事をお伝えするもの。御前様のお心の内に留めておかれるがよろしいかと。」
書状の位置付けや読む順序まで指定するかのような物言いに、泰朝が眉をひそめていると、結は昨日と同様に口元を隠しながらしばし考え込んだ後、一通を開いた。
ちらりと視線をやった泰朝の目に入ったのは、角張った書体。北条氏康が書いたものと見て間違い無かった。
「…成程、松田殿の仰る通り。今川の助けが無くとも、北条の事は北条で片を付けると、そのように書かれております。」
そんな馬鹿な、という言葉を、泰朝は必死に飲み込んだ。
沼津で流行病が猛威を振るい始めた頃から、北条領との人的交流は厳しく制限しているものの、全く情報が入って来なくなった訳ではない。伊豆、相模、武蔵と、北条の手に負えない規模で流行病が広がっているという事実は、泰朝ならずとも知られているのだ。
だからこそ憲秀が送られて来たはずだと言うのに、肝心の支援要請を一向に切り出そうとしない。その矛盾が、泰朝には理解出来なかった。
続けて結が開いたのは、母親からの手紙。こちらも一瞬見た所、柔らかい印象の平仮名が目に入った。
「…成程。父上と母上からのお手紙、確かに受け取りました。」
読み終えた結がそう言うと、憲秀は一度深々と頭を垂れてから、姿勢を正し、結を見据えた。
何かを待つようなその仕草を、泰朝が訝しんでいると、三度片袖を口元に当てて考え込んでいた結が、ふと思い付いたように顔を上げた。
「実は、当家には日の本随一の薬師、臼川越庵先生がいらっしゃいます。先生は身分の上下、領国の隔てなく病人を救う事を信条としておいでで…沼津が一段落したら、次は三島の病人の面倒を見たいと、そう仰っておりまして…。」
「それはご立派な志。左様であれば、拙者の口利きで三島への通行手形を手配出来るかと…。」
「幾人かお弟子ご一行が同道するものと思いますが、差し支えございませんでしょうか?」
「何ら差し支えございませぬ。時に、御前様はいつまで沼津に…?」
「三月から半年、といった所でしょうか。年の瀬には駿府に戻らねばならないかと…。」
その他、細々(こまごま)とした打ち合わせを交わすと、憲秀はこれまで泰朝が見たこともないような軽い足取りで代官屋敷を後にした。
「御前様はいかにして見破られたのですか?松田殿が拙者を謀っていると…。」
客間に戻る結への同道を申し出た泰朝は、前を歩く御前様に疑問を投げかけた。
「松田殿が黒々とした頬髭を生やしていると、そう聞いた時からです。現当主の左馬助殿は我が父よりも年長、小田原で顔を合わせた折には既に髪も髭も白いものが混じっていました。対して、嫡男弥次郎殿の年の頃は二十と少々。いささか頬の肉付きが悪い事を気に病み、頬髭を伸ばす事に執心していると噂に聞いておりました。」
結のよどみない返答に、泰朝は目をむいて生唾を飲んだ。
「ご無礼、心よりお詫び申し上げます。」
客間に入室するや否や、泰朝は昨日まで『銭狂い』と蔑んでいた主君の妻に向かって土下座した。
「無礼?一体何の…。」
「包み隠さず申し上げます。御前様がお着きになるまで、拙者はそのお力を侮っておりました。されど、お着きになって一日と経たずして、拙者が手こずっていた難題をあれよあれよと言う間に…その手際の見事さたるや、頭が上がりませぬ。」
泰朝の賛辞に、結は困ったような笑顔を浮かべた。
「されど、今一つ。後学のため手妻の種を明かしていただきとう存じます。」
「手妻?」
泰朝は顔を上げると、真剣な表情で頷いた。
「松田殿は一体何のために沼津まで?真に御前様の御父上、御母上の書状を手渡すためだけに参られたとは、到底信じ難く…。」
「…相分かりました。目下の難題に手を取り合って立ち向かう、と誓った以上、隠し事多きは不実に当たります。」
そう言って結が取り出したのは、先程の北条氏康の書状だった。
「まずはこちらをご覧ください。」
「御免。…うむ…ふむ…松田殿の仰せの通り、今川の助けが無くとも、流行病の事は北条の手で片を付けられると、そう記されておりますな。」
「次にこちらを。」
一通り読み終えた泰朝は、それを返すのと引き換えに、北条氏康の妻からの書状を受け取って開封した。
「む…ぬ、こ、これは…‼」
書状の前半には、小田原城の奥の間に集められた側室の実家や、結の姉達の嫁ぎ先からの風聞という形式で、北条領内の村々の惨状が書き連ねられていた。
そして後半では、北条と今川、双方の体面を損なわない形で、名医と名高い臼川越庵が国境を越え、北条領内で患者の治療に取り組めるように取り計らってほしい、といった内容が記されていた。
「身分の上下、領国の隔てなく病人を救うという信条、沼津が一段落したら次は三島の病人の面倒を見たいという意向。いずれも越庵先生の本意に相違ございません。ただ、それを承知の上で、北条の意にも沿った落とし所を探す必要がありました。」
「で、では、もしや松田殿は、越庵先生を三島よりも東へとお連れする積もりでは?或いは、北条に留め置かれてそのまま帰って来ないという事も…。」
冷や汗を浮かべる泰朝に、結は穏やかな微笑を返した。
「それゆえ長くとも半年という区切りを設けました。それまでにお返しくださいますように、との意を込めて。越庵先生にも後ほどお伝えしますが…それでお戻りいただけなければ、それは私の不徳の致すところ、という事になりましょう。」
「…この朝比奈弥次郎、感服仕りましてございます。一日も早く沼津の流行病が落ち着き、御前様が越庵先生と共に駿府にお帰り遊ばされますよう、粉骨砕身して参ります。」
丹田に力を込めつつ、改めて平伏した泰朝は、言葉とは裏腹に、『銭狂い』の悪名とは程遠いこの御前様に、一日でも長く沼津に留まっていてほしいと、密かに願うのだった。
お読みいただきありがとうございました。




