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#112 弘治関東エピデミック

注意!

サブタイトルにある通り、感染症の症状に関する描写があります。

内容は筆者の想像に依る所が大きいですが、飲食中の閲覧にはご注意ください。

2023年11月11日、一部修正しました。

 五郎殿が今川の家督を継承した正月から数か月が経過する間に、私を取り巻く環境は大きく変化した。理由は大別して二つ、ビッグゲスト二名が相次いで駿府を去った事と、五郎殿の家督相続に伴う生活パターンの変動である。




 駿府を去った大物その一は寿桂様の縁戚にして朝廷よりの使者、山科(やましな)言継(ときつぐ)卿。およそ半年の滞在を経て、義元殿から多額の献金を取り付けて京へと帰還する運びとなった。

 屋敷の家計を預かっている身としては、交際費が従来を大きく上回る日々は決して胃に優しくなかったのだが、ある時さり気なく寿桂様に不安を吐露したところ、返って来たのは意外な見解だった。


「気に病む事はありませんよ。あなたは銭では手に入らないものを手に入れたのですから。」

「銭では手に入らないもの…?」


 見当もつかない私に対し、寿桂様はやれやれと首を振りながら続けた。


権中納言(ときつぐ)殿は朝廷の台所を支えているとあって(みかど)の信任が厚いと聞き及んでいます。その上、諸国の大名と親交を持ち、情勢に明るい。それほどのお方とお近付きになれる好機など、滅多に得られるものではありません。全て承知の上で馳走しているものかと…。」


 え、えええ…。言継卿の接待にそんなに重大な意味があるんだったら、最初から言っておいて欲しかったんですけど。

 愕然とする私をよそに、寿桂様は深々とため息をつくと、眉間のシワを少し緩めた。


「…あなたの無欲ゆえに、かえって権中納言殿が憂い無く過ごせたという事もあるやも知れません。ただ、無私無欲が常に報われるとは思わないように。時には浅ましい、意地汚いと思われようとも、己の望みを通す事も必要ですよ。」


 寿桂様に無言を返しながら、内心「そんな事は言われなくても分かってますよ」と舌を出していた当時の私は、その忠告の重みを、恐らく本当の意味で理解してはいなかった。




 駿府を旅立った大物その二は、五郎殿の剣術指南役を務めていた塚原卜伝先生だった。

 今川家の恩師に礼を尽くそうと、義元殿、五郎殿、そして私とその他今川家の重鎮多数で駿府館の大手門にてお見送りをしたのだが、最後の最後でとんでもないサプライズがあった。

 お別れを言おうと五郎殿が近寄った所、卜伝先生が何気なく刀に手をかけ、抜刀したのである。

 驚くべき事に、ほとんど同じタイミングで五郎殿も抜刀し、卜伝先生の刀を食い止めたため、死傷者が出る事は無かった。


「お見事。最早この程度ではびくともされませぬな。」

「先生の教えの賜物(たまもの)にございます。次にお会いするまでに腕が落ちる事の無いよう、稽古に励んで参りますゆえ、ご心配無きよう…。」


 師弟のやり取りを聞いた男性陣は単純に感心した様子だったが、旦那様の首が飛ぶ幻覚を見た私は腰が抜ける寸前だった。

 いや、刀と刀がぶつかり合うと同時に私の背後に回り込んでいた(もも)ちゃんの支えが無ければ、実際に尻餅をついていただろう。


「ご無礼仕ります。お召し物にシワが寄っておられますゆえ…。」

「あ、ありがとう、百。…そ、それにしても、さすがは今川の将来を背負って立つお方ね。あの卜伝先生の抜き打ちを防ぐだなんて。」

「…申し訳ございません。御屋形様に万一の事があれば、御前様のお立場も危うくなる所でございました。」


 足腰の感覚が戻って来ると同時に、私は百ちゃんの発言の違和感に気付いた。まるで、百ちゃんが本気を出せば、卜伝先生の抜き打ちを防げた、とでも言うような…。


「何を謝る事があると言うの?卜伝先生も、まさか本気で殿を斬るお積もりは無かったでしょう。それに、卜伝先生は当代随一の剣豪。万一の事があっても、斬り伏せられるお方がこの場にいらっしゃらないのだから、仕方が無いわ。」


 未だ背筋に寒気を覚えつつ、冗談混じりにそう言いながら、私は今度こそ一礼して立ち去る卜伝先生とその門下生ご一行を見送った。




「…御前様を不仕合せにする者は誰であろうと地獄を見せてやる…。」

「…?百?何か言った?」

「いえ、お気になさらず。」




 さて、私達夫婦の生活パターンの変化についてだが。

 お正月をもって名実共に大きく変化した。

 そう、『御屋形様』に『御前様』である。

 義元殿が駿府館の外に屋敷を構え、引き続き今川家全体を指導する『太守様』として尾張の経略に本腰を入れる一方で、五郎殿は今川の当主として、比較的重要性の低い政務に携わる事になった。

 よって現在の五郎殿のルーティーンは、去年まで義元殿が使っていた屋形――仮に『本館』としよう――に『出勤』し、寺社や所領からの訴えを処理したり、お公家様などのお客様を接待したりといった『業務』をこなしてから『帰宅』するという、超近距離通勤となっている。

 以前のようにお客様をお招きする事は、よほどの事でもない限り無くなってしまった。

 しかし、幸か不幸か、私が暇を持て余す事態に陥る事は無かった。従来の業務に加え、二つの務めが新たに加わったからである。

 一つは本館の奥向き(裏方)の管理。言わずもがな、義元殿が引っ越したためだが、このため私は定期的に本館の視察に向かい、女中達の働きに不足は無いか、消耗品の備蓄は十分かといったあれこれをチェックしている。

 もう一つは特殊なお客様の接待。特殊な、と言うのは、『将を射んとする者はまず馬を射よ』を地で行く人々だ。要するに、正規ルートで要求が通らなかった人が、五郎殿の妻である私に取り入って、今川家の公式決定を左右しようという訳だ。

 これらの変化に対応出来たのは、側付き侍女のみんなの支えによるところも大きいが、それにも増して寿桂様とその親族、家臣一同のバックアップがあった点を見過ごす訳にはいかない。彼ら、彼女らのアシストが無ければ、私は数か月で参っていただろう。断言出来る。

 私が御前様になった事で本来は終了するはずの、週に一度の『お稽古』が続いた事も、私にとって幸運だった。

 以前はお稽古のおまけに寿桂様とお茶会をするという感じだったのだが、今や比重は完全に逆転し、これまでに習った内容を軽くおさらいしてから、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、盤上遊戯をしたりしながら半日近くダラダラと過ごすのが、週に一度の息抜きとなっている。

 ともあれ、『若奥様』から『御前様』にランクアップした事で立場は安定したものの、それに伴って発生した『義務』は私にとってあまりにも煩雑だった。

 後にして思えば、それも私が『あの一件』を進んで引き受けた理由の一つだったのかも知れない。




弘治3年(西暦1557年)7月 駿府館


 真っ昼間から降りしきる雨音を聞きながら、私は本館の広間で開かれた会議の末席で、言い知れぬ不安に(さいな)まれていた。

 今川家の重臣一同と当主の五郎殿、そして寿桂様を睥睨(へいげい)するかのように、上座に鎮座するのは『太守様』、今川義元殿。

 そして義元殿の正面、最も襖に近い位置で平伏しているのは、我が家の――そして今や駿府館全体の専属医となった、臼川(うすかわ)越庵(こしあん)先生である。


「越庵よ、大儀であった。それにしても流行病(はやりやまい)とはのう。既に不作の兆しが見え始めておると申すに…。」


 義元殿の呟きに家臣団が唸り、私は拳を固く握りしめた。




 発端は、駿河水軍の水夫(かこ)が越庵先生の診療所に担ぎ込まれた事にある。

 下痢と嘔吐を繰り返した挙句、意識混濁に至った青年を診た越庵先生は、直ちに彼を別室に隔離し、港へと調査に向かった。

 やがて患者と飲食を共にしていた同僚も同様の症状を発症していた事実が明らかとなると、越庵先生は感染症が原因と断定。五郎殿に直談判して感染の拡大抑制を図ると同時に、感染ルートの特定にかかった。

 やがて外交ルートで北条領内でも感染症が蔓延している事が判明。

 その結果、まず北条領内で感染した人々が発症する前に伊豆と駿河の国境(くにざかい)を越え、沼津に渡って吐瀉物(としゃぶつ)や排泄物をまき散らし、百姓町民に感染拡大。沼津の河東造船で軍船を受領した駿河水軍の水夫が感染し、駿府に戻ってから発症したという感染経路が特定された。


「三島から国境を越えた者共も、沼津から駿府に移った水夫も、なにゆえ流行病にかかってから幾日も経たねば分からぬのだ!愚図どもめ!」

「お言葉ではございますが、それがこの流行病の厄介な所にございます。」


 患者を口汚く罵る出席者に、越庵先生が冷静に反論した。


「流行病の正体は砂粒よりも小さく、卵を多く産む虫と睨んでおります。この虫…仮に腹荒らしと致しましょう、腹荒らしは人の腑の内に潜り込み、人が食したものの一部を拝借して卵を孕み、しかる後毒を出して人を苦しめ、吐く物、下す物に卵を紛れ込ませているものと見受けます。」

「その卵を誤って口に入れた者も、いずれ流行病にかかるという仕掛けか。」


 硬い表情で五郎殿が問い掛けると、越庵先生はゆっくりと頷いた。


「手立てはございます。まずは流行病にかかった者を人通りの多い場所より遠ざけ、腹荒らしの卵が広がる事を防ぐ事が肝要にございます。」

「病人が吐いた物や下した物に触れたり近付いたりした者はいかがする。」

「水…可能であれば熱湯で身を清めれば、卵が口に入る事を防げます。既に口に入った者は、ひと月ほど家に(こも)らせ、何事も無ければ務めに戻すがよろしいかと。」

「腹荒らしで死ぬ事は無いか。」

「この虫はより遠方に卵をまき散らすために、(あるじ)彼方此方(あちこち)を歩き回り、吐き散らし、下してもらわねばなりません。死んでもらっては腹荒らしも困るのです。」

「…されど、幾日も飲み食い出来ぬのであれば…。」

「ご明察にございます。ある程度暮らし向きに余裕があれば、具合が良くなるまで横になって水を飲み、塩や砂糖をなめて体を休め、腑の内の腹荒らしが死した後は粥を食する事も出来ましょう。されど、その日暮らしの町人などは…。」


 質疑応答が一段落した所で、私は深呼吸を繰り返しながら問題点を整理した。

 越庵先生の分析は、戦国時代という文明レベルにあって相当的確な部類に入る。前世、新型ウイルスのパンデミックが世界中で猛威を振るう中、連日のように専門家がテレビに出演して解説していたのだが、そこでも感染症には強毒性と弱毒性があると言われていた。

 強毒性の感染症は感染から発症、死亡に至るまでのスパンが短いため、被害は比較的狭い地域に集中する。

 しかし弱毒性の感染症は、感染から発症までの潜伏期間が長く、発症しても症状が軽いケースが多いため、感染者が遠方に移動して自覚無しにウイルスや病原菌をまき散らしてしまう…という説明で良かったと思う。

 よって対処法としては、越庵先生の見立て通り、感染者(疑いがある人も含む)を隔離して症状が落ち着くのを待つという事になる。発症した水夫と同じ軍船に乗っていた同僚が全員発症していないという事は、空気感染とかではないはずだから、看病する人が感染者の唾液や吐瀉物、便などに注意すれば、これ以上の感染拡大は防げるはずだ。

 残る問題は二つ。

 現在進行形で沼津で蔓延している『腹荒らし』から、生活に余裕が無い農民や町人をいかに救済するかという内政問題。

 そしてより深刻な状況下にある北条に対し、支援を行うべきか否かという外交問題だ。

 これら二つの問題への対処法は、つまるところ次の一言に集約される。


「誰が太守様の名代として沼津に向かうべきか?」


 河東造船の興隆に伴って沼津は駿河第二の都市と言っても過言ではない程にまで発展、人口も増加したため、寿桂様の親類縁者が代官として治安維持を担っている。

 しかし降って湧いた流行病の問題は彼の手にあまり、加えて感染症の震源地である北条からも、支援を求める使者がやって来た。

 つまり、上記の内政問題と外交問題を解決するために、誰かが今川家の特命全権大使として沼津に行く必要があるのだ。

 あるのだ、が。


「越庵先生の仰る通り、流行病にかかった者を閉じ込めておけばいずれ収まりましょう。我らは織田との戦や領内の不作に専念すべきでは。」

「戦の助勢ならばまだしも、百姓町民の下の世話など…沼津の寺衆あたりに任せておけばよろしいかと。」


 上記の通り、評定の出席者はおしなべて消極的である。

 私もこの世界に転生して十年あまり、彼らの価値基準や思考パターンはある程度把握している。要するに、ノウハウが無い事と手柄にならない事に手出しをしたくないのだ。

 頭では理解しつつも内心で怒りを感じていると、越庵先生が腰を低くしたまま義元殿を見据えた。


「恐れながら、それがしは薬師にございます。病に苦しむ者あらば、どこへなりとも参りましょう。太守様におかれましては、それがしが沼津、三島へ向かう事を、どうかお許しいただきたく…。」


 その発言に、またも広間が騒がしくなる。収拾したのは、またしても義元殿の「静まれ。」の一言だった。


「さすがは越庵、見上げた心意気である。されど、お主は御前に召し抱えられておる身。主の許しも得ずに駿府を出る事は罷りならぬぞ。」


 その言葉に、大勢の視線が私に集中した。言うまでもなく、越庵先生が沼津に行く事を私が許すかどうか、それを気にしての事だ。

 当の私は、と言えば…突然注目された緊張と、胸の奥底でざわめく謎の高揚感で吐きそうになっていた。

 越庵先生が沼津に行くにも三島に行くにも、私に雇用されている現状、独断で動く事は出来ない。沼津に行くには私と五郎殿の許可が、国境を越えて三島に行くには最低でも沼津に来ている北条の使者との折衝が必要になる。

 つまり私と五郎殿の許しを得た上で、今川家の特命全権大使に同行して沼津に行くのが、越庵先生にとっての最適解となる、のだが…。

 無意識に上座へと視線を向けると、寿桂様が私を見ていた。首を横に振るでも、縦に振るでもなく。

 いつもの凛々しい顔付きで、ただじっと、私を見つめていた。


「太守様、御屋形様、お願いの儀がございます。」


 どこか熱に浮かされたような心地で、私は言った。


「…申してみよ。」


 相変わらず考えの読めないポーカースマイルと、どこか覚悟を決めたような夫の表情を順に見つめてから、私は続けて提案を口にした。


「越庵先生とそのご一門を連れて、沼津に参りたく存じます。…(あた)うれば、太守様の名代として。」

「な、なんと!御前様、それは危のうございます!」


 純粋に私の身を案ずるより、大事な『人質』が北条領のすぐそばに移動する事に危機感を覚えたのだろう、先ほどまで沼津に何ら感心を示そうとしなかった出席者が、にわかに騒ぎ出した。


「先程越庵先生が仰った通り、腹荒らしは支度を万端整え、かかった後も取り扱いを誤らなければ大事には至りません。その上、沼津に北条の使者がお越しとあれば、彼の地にゆかりのある私がお相手するのが最善にございましょう。何より、」


 たっぷりと溜めを作り、出席者を見渡すと、誰もが目を泳がせた。


「皆様、戦や年貢が気掛かりのご様子。沼津の事はどうぞ私どもにお任せを。」

「さすがは我が息子の妻よ、天晴な心がけである。申し出通り、余の名代として沼津に遣わそう。奥向きの事は義母上の手を借りるがよい。仕置については、沼津の代官、北条の使いとよくよく談合せよ。」

「太守様の仰せの通りに。屋敷を間借り出来るよう、代官に使いを出しましょう。駿府館の奥向き一切はわたくしが請け負います。」


 義元殿と寿桂様の全面的バックアップ宣言に、私は万感の思いを込めて深々と頭を下げた。

 自分の悪役令嬢ムーブを反芻して赤面したのは、評定を終えて屋敷に帰り、一息ついてからの事だった。




「ご多忙の所、申し訳ございません。御前様の決意を知り、お役に立つべく参上仕りました。」


 明日の出立に備え、急ピッチで旅支度を進める屋敷にやって来たのは、今や事実上の財テク顧問を担当してくれている友野屋当主、友野次郎殿だった。

 応接間で対応すると、次郎殿は三枚の書状を差し出した。


「これは…銭の譲り状に明王屋の手形と…目録ですか。」


 譲り状は我が家の蔵から一千貫文を、金融業者である明王屋の蔵に預けるという契約書。

 手形は一種のクレジットカードで、お買い物の際に相手に見せれば、支払いを明王屋が肩代わりする旨が明記されている。

 そして目録には、塩や砂糖といった希少な調味料や、新品の布、薪、それに米俵といった物品が盛り沢山に記載されていた。


「ご存知の通り、今や明王屋は駿河における銭の貸し借りを一手に引き受けております。沼津にも支店がございますれば、御前様が沼津にお持ちする荷を軽くする事が出来るかと。」

「助かります。ところで、この目録は?」

「沼津にて要り様になられるものと踏んで、彼方此方からかき集め、船に載せております。御前様が沼津に着く頃には間に合うかと。」


 私は次郎殿の手回しの良さに感心しつつ、違和感に首をひねった。


「目録に代金の記載がありませんが…。」

「これを機に御前様に恩を売っておこうかと。」


 真顔で言い放つ次郎殿に、私は一瞬呆気に取られてから、忍び笑いを片袖で隠した。


「むしろ弱みにつけ込んで、病人に薬を高値で売りつけた方が儲かるのでは?」

「この友野次郎、左様な手練手管を用いねばならぬほど窮してはおりませぬゆえ。…より真っ当に、末永く商いを続ける手立てをご教示下さった方もございますれば。」


 照れ隠しのように付け加える次郎殿を見ながら、心強い味方に巡り会えた幸運に、私は心から感謝した。




 翌朝、下品にならない程度に手早く朝食を済ませた私は、沼津に向かう輿(こし)に乗り込んだ。

 随行するのは独り身を中心に選抜した侍女十二名と、越庵先生とその弟子十名強、そして生活用品等を輸送する小荷駄二十名あまりに加えて、義元殿が手配してくれた護衛の侍およそ百名と、中々の大所帯である。

 ちなみに、残りの侍女や越庵一門の中でも腕利きのメンバーは、本来業務を維持するため引き続き屋敷に残る事になっている。


(ゆい)よ、出立前に聞かせてくれぬか。」


 玄関先まで見送りに出てくれていた五郎殿の問い掛けに、背筋が伸びる。


「今更行くなとは申さぬ。されど、なにゆえそこまでする。流行病に、何か強い思い入れでもあろうか。」

「…仰せの通りにございます。かつて北条氏親(あに)を病で(うしな)った折、私は非力な小娘にございました。されど、今や私の下には越庵先生がいらっしゃる。蓄えた銭もある。此度(こたび)こそは救える命があるやも知れぬと、そう思い立った次第にございます。」


 五郎殿への返答は、全てウソではないが百パーセント本音でもなかった。

 率直に言って、私は流行病というフレーズを耳にした瞬間から、前世において猛威を振るっていた「あの」感染症のパンデミックをフラッシュバックさせていた。この世界ではまだ影も形も無い、あのウイルスの事を。

 だから――これは私にとってリベンジマッチだ。

 明確なルールは存在しないし、相手は格下の、多分未来の専門誌では「○○の一種であると推測される」と書かれる程度の感染症だが、それでも構わない。吐いて下して飲み食いが出来ない「だけ」でも、生活に余裕が無い一般庶民には十分過ぎる脅威だ。

 だから、一人でも多く感染症から守る。今の私ならそれが出来る。

 今の私は低学歴の非正規労働者ではなく、良家に産まれて良家に嫁いだ、生粋の勝ち組なのだから。


「…お主の覚悟、(しか)(うけたまわ)った。されど…くれぐれも無理はせぬように。もしお主まで倒れる事があれば、馬を走らせて沼津より連れ帰るゆえ、その積もりでおれ。」


 私は素早く平伏すると、輿の(すだれ)を降ろして出発を促した。

 目尻に浮かんだ涙は、多分見られずに済んだと思う。

お読みいただきありがとうございました。

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