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#110 生涯仮免宣言

今回もよろしくお願い致します。

弘治2年(西暦1556年)末 駿府館 義元邸


 年の瀬も迫った冬晴れのある日、私は義元殿の屋敷の縁側で、困惑の只中にあった。

 目の前の中庭には、三人の男性が立っている。

 まずは私の夫、五郎殿。そしてその剣術指南役、塚原卜伝先生。この二人が、木刀を構えて向き合っている。そして二人の対角線上に、義元殿の側近が一名、立会人として立つ。

 そう、立会人。

 これは二人の最後の模擬戦であり、「始め」の合図と共に激しい剣撃が交わされているはずなのだが…。

 私は寒さに身を震わせながら、小声で呟いた。


「なぜ二人とも動かないの…?」




 事の発端は、「タイムリミット」の到来にある。

 と言っても、五郎殿の剣術の上達が遅くて卜伝先生に見限られたとか、卜伝先生が病に倒れたとか、そういう意味ではない。純粋にお家の都合によるものである。

 私が義元殿から受けた通達は以下の通り。

 年が明けると同時に、今川の家督を五郎殿に譲る。ただし、今川の政治、軍事全般は、引き続き義元殿が差配する。


「五郎殿に家督を譲ると仰せになりながら、(けん)を譲らないままにされるのはなにゆえにございましょう?」


 もしや、義元殿は五郎殿に実権を握らせる積もりが無いのではないか。

 そんな疑念を抱いたまま夜の寝室で尋ねると、五郎殿は一片の曇りも無い笑顔を返した。


「そう訝る事は無い。これは儂のため、ひいては今川のためを思っての仕置なのじゃ。」


 話の大きさについていけず固まっていると、五郎殿は更に詳しく解説してくれた。

 五郎殿も来年で(数えで)二十歳(はたち)、十五歳前後で大人と見なされるこの時代にあっては、家を継いでも不思議ではない年齢だ。持ち前の才能もあって、政治、軍事、教養や対外交渉についての知識も充分備わっている。

 だが、そんな五郎殿にも決定的に足りないものがある。それは経験だ。

 いくら机上や練兵場で優秀な成績を残したとしても、実際の領国統治や合戦、外交においては現実ならではの苦労がある。それゆえに、いくら才能があるからと言って、いきなり今川の全権を譲ってもらう訳にはいかないのだ。

 かと言って、義元殿が戦死または病死するまで何の経験も積ませない訳にはいかない。というのも、今川の家臣や国衆の大多数は、今川という「家」ではなく、義元殿という「個人」に忠誠を誓っているからだ。

 もしそんな状態で義元殿が急死でもすれば、今川家中が一気に不安定化してしまう。五郎殿がせっせと代替わり安堵状を書いている間に、織田と係争状態にある三河あたりの国衆が、雪崩を打って寝返るという事態さえ起こり得るのだ。

 そこで義元殿が打つ手が、家督を五郎殿に譲りつつ、実権は引き続き自身が掌握する、いわば「院政」という訳だ。

 義元殿は引き続き今川領全体の統治にあたる一方で、重要性が低い部門の管轄を順次五郎殿に移管していく。あえて現代風に例えるなら、年明けと同時に五郎殿は『今川グループ』の駿河本社社長に就任し、これを兼務していた義元殿は、『今川グループ』会長に専念する形となる。

 こうして段階的に権力移譲を進めて行けば、五郎殿が今川の全権を掌握する際、スムーズに事が運ぶという訳だ。


「ただ、年明けからは何もかも今まで通りとは参らぬであろうな。」


 一抹の寂しさを滲ませる五郎殿に、私は頷いた。

 いくら駿河が敵襲を受ける恐れのほとんどない地域だからといって、領国統治のために何もしなくて良い訳ではない。つまり、五郎殿の研修期間は終了し、本格的に実務に取り組む事になるのだ。これまでのように、各分野の専門家に教えを乞うて勉学に励む日々は終わりを告げる。

 そしてその『専門家』の中には、塚原卜伝先生も含まれる。要するに、五郎殿の新当流の稽古は強制終了と相成る訳だ。


「近く、父上の御前にて、卜伝先生と手合わせを披露する。その場で鹿島新当流の免許皆伝を授かる運びとなろう。」

「これも、五郎殿が毎日欠かさず稽古に励んで参られたからこそ。心よりお祝い申し上げます。」


 深々と頭を下げた私は、五郎殿の返事が無い事を訝しみながら顔を上げた。


「お主が喜んでくれる事、我が事のように嬉しい。されど…儂は免許皆伝を授かる訳には参らぬ。」

「え?」


 五郎殿はおよそ二年前、卜伝先生に再度剣術指南役をお願いしようと意気込んでいた時と同様の決意を表情にみなぎらせていた。


「儂とて、卜伝先生にご指南いただいている間、一時(ひととき)も無為に過ごす事無く鍛錬に励んで参った。されど、儂は今川の若殿。この二年間、日がな一日木刀を振るっていた訳ではない。それで鹿島新当流の真髄に至ろうなどと、片腹痛い。」


 まあ、確かに。

 スポーツに人生賭けてるアスリートと、趣味や健康維持のために運動してるアマチュア、同じ条件で勝負したら、勝つのはまず間違いなく前者だろう。

 二年前の手合わせで、五郎殿が卜伝先生相手に手も足も出ない事はこの目で嫌と言うほど見せつけられたし。

 しかし、大大名の若殿に二年『も』稽古を付けておいて、免許皆伝が無かったとなると、卜伝先生を始め、各方面に悪影響を及ぼすのではないだろうか。


「お主には気苦労をかけるのう。」

「…はっ⁉」

「言わずとも良い。儂が免許皆伝を受けぬとあらば、彼方此方(あちこち)に差し障りを生ずると案じておったのであろう。もっともじゃ。…されど、儂にも考えがある。」


 私の考えていた事を言い当てられて啞然としていると、五郎殿は私の肩を軽く叩き、微笑んだ。


「全ては父上の御前にて。儂の歩むべき道を…そこで明らかにする。」




 五郎殿の意味深な宣言から数日。二年前に卜伝先生が再訪した時と同様、義元殿の屋敷の中庭を借り切って、五郎殿と卜伝先生の模擬戦が始まろうとしている。

 いや、既に始まっている…はずだ。

 義元殿や私を含む少数の観客が見守る中、立会人が『始め!』の号令をかけて、五郎殿と卜伝先生が木刀を構えて…そこから状況が全く動いていない、ように見える。

 最初は超常現象か何かで、私以外の時間が止まったんじゃないかと焦ったりもしたが、その懸念は、同席する近習達のどよめきや、五郎殿の口から漏れる白い息によって否定された。

 つまり五郎殿も、そして卜伝先生も、あえて動いていない事になる。


「一体どういう事なのかしら…。」

「何かお困りにございましょうか?」


 独り言の積もりが誰かに反応されてしまい、私は絶叫を喉で押し留めるのに四苦八苦してから、声がした方を振り向いてドッキリの仕掛人を探した。


「申し訳ございません。白湯を替えに参りました所、若奥様の声が耳に入ってしまい…。」


 神妙な顔付きで頭を下げる侍女が百ちゃんである事を確認して、私は胸を撫で下ろした。

 いやあビックリした。五郎殿に集中していたせいか、全然気付かなかった。

 …ところで、今日の白湯担当は別の子じゃなかったっけ?


「いえ、私の事ではなくて…五郎殿も卜伝先生も一向に打ちかかろうとなさらないのは、なにゆえかと…。」

「わたくしの見立てでよろしければ。」


 小田原にいた頃、私や侍女の武芸師範を務めた百ちゃんの意見は参考になりそうだ。

 そう思った私は、続きを話すよう百ちゃんに促した。


「恐らく若殿と卜伝先生は、既に幾度となく剣を交えておられます。…各々(おのおの)の心中にて。」

「心中で?」


 実際に木刀を打ち交わすのではなく、イメージで戦っている、という事か。


「相手の太刀筋、踏み込み、体捌き…そうした癖は、本来幾度か打ち合って初めて分かるものにございます。しかし、お二方は稽古場にて、すでに幾度となく剣を交えておられます。それゆえに、現に木刀を振るわずとも、相手がどう打ちかかるか、どう防ぐかが分かるのではないか、と。」


 お、おおおおお…。

 何それすごい。実際に打ち合わなくても結果が分かるとか、いかにも達人って感じじゃん。

 そう言われると、二年前はガムシャラに打ちかかっていた五郎殿が構えを維持して微動だにしないのも、格段に成長した証に見えてくる。

 て言うか、実際そうだろう。そうに違いない。

 あれ、でもそれじゃあ…。


(じか)に剣を交えないのであれば、どのようにして決着を着けるというの?」

「真に武芸の心得あらば、剣を交えずとも相手の力量を測り、数合打ち合っただけで彼我の勝敗に見当が付くものでございます。決着はそれほど遠くないかと…。」


 百ちゃんが言い終わるのとどちらが早かっただろう。五郎殿と卜伝先生は示し合わせたように構えを解き、木刀を腰帯に差した。

 そして、


「参りました。」


 腰を折り、頭を下げたのは、やはりと言うべきか、五郎殿の方だった。


「なんと、若殿が…。」

「一合も打ち合わぬ内から負けを認めるなど…。」

天晴(あっぱれ)にございます。」


 観客の間から漏れ聞こえる不満を一刀両断したのは、勝者であるはずの卜伝先生だった。


「敵を知り、己を知り…無益な殺生をする事無く、勝敗を決する。よくぞその境地にまで達せられた。」

「勿体無いお言葉…。」


 二人のやり取りを聞いていた聴衆の間から、ほう、だの、やはり、だのと呟きが漏れ聞こえて来る。

 いかにも最初から分かってましたみたいなツラしてるお前、さっき「一合も打ち合わぬ内から~」とか何とか言ってただろ。聞こえたからな。


「さすれば、この場にて鹿島新当流の免許皆伝を…。」

「それについて、卜伝先生にお願いしたき儀がございます。」


 卜伝先生の言葉を遮った五郎殿に、再度注目が集まる。

 五郎殿は玉砂利の上に正座すると、卜伝先生に真剣な眼差しを向けた。


「恐れながら、免許皆伝を辞退させていただきとう存じます。」


 日の本最高峰の剣豪から認定される名誉を、みすみす手放そうとする五郎殿の暴挙に、先ほどまでと比べ物にならないざわめきが中庭を埋め尽くす。


「静かにせよ。」


 たった一言、義元殿が発するだけで、誰もが口をつぐんだ。


「五郎よ、卜伝先生のご厚情を無に帰そうとは、いかなる了見か。」


 表面上にこやかに、義元殿が問いかける。

 しかし油断は出来ない。義元殿も日の本有数の大大名、本心を隠すなどお手の物だ。噂では不義理を働いた武士に切腹を申し付けた時も笑顔だったらしいし。

 つまり、五郎殿の軽挙妄動に、内心ブチギレている可能性も充分あるのだ。


「父上のお疑い、ごもっともにございます。されど、ここで鹿島新当流の免許皆伝を賜るは、正道に(もと)る行いと存じます。」

「…申してみよ。」


 促された五郎殿は、義元殿に向かって方向転換し、落ち着いた声色で語り始めた。


「人を殺生する事なく勝ちを収める、戦わずして勝つ…鹿島新当流の教えは素晴らしいものにございます。仕合に負けて頭を下げ、あるいは落命するは、武芸者としては申し分無い生き様にございましょう。されど、儂は武芸者にあらず…今川の跡継ぎにございます。仕合の勝敗は家名の浮沈に、戦の勝敗は家の存亡に関わります。見ての通り、儂はまだまだ未熟…勝つために策を弄し、負けても相手に礼を尽くさぬ事さえありましょう。左様な者が卜伝先生の弟子を名乗るは、筋の通らぬ事にございます。」


 五郎殿が一介の下級武士だったら、仕官先を辞して修業に専念する道もあったのだろうか。

 五郎殿の発言の端々に滲む無念を感じ取りながら、私は一瞬そう考えたが、それは意味のない仮定の話だとすぐに気付いた。私が五郎殿と夫婦になれたのも、五郎殿が卜伝先生の剣術指南を受けられたのも、五郎殿が今川の嫡男だったからだ。

 ともあれ、五郎殿の意思は示された。武芸者として一流を目指す事が出来ない以上、卜伝先生から免許皆伝を賜る事は出来ない、という事だ。

 …折角だからもらえるものはもらっておけば良いのに、と考えてしまうのは、私の志が低いからだろう、十中八九。


「…太守様のお見立ての通りにございましたな。」


 卜伝先生のその言葉に、五郎殿は一瞬眉をひそめると、驚いた様子で義元殿を見上げた。

 私も理解が追いつかないまま視線を追うと、義元殿は開いた扇子で口元を隠しながら、二度三度と深く頷いていた。


「五郎よ、よくぞ申した。(いにしえ)の折、唐土(もろこし)の大将は、剣術の稽古を一人二人を相手にするものと評して、万人を相手にする(すべ)…軍学をよく学び、長じて大軍を大いに破ったと聞く。今川の嫡男たる者、自ら剣を振るうより、将兵を操る術を身に付けねばな。」


 五郎殿の回答が義元殿のお眼鏡にかなった事に安堵していると、卜伝先生が五郎殿の横に移動し、玉砂利の上に正座した。気付いた五郎殿も、急いで卜伝先生と向かい合う。


「今川五郎氏真殿。貴殿ほど才覚と分別をお持ちの方に免許皆伝を授ける事が出来ないとは、何とも口惜しゅうございます。せめてこれよりは、政務の片手間でも構いませぬゆえ、この卜伝の弟子として稽古を続けて頂きたく…。」

「先生のお言葉、万金に値します。不肖の弟子なれど、先生の教えを胸に刻み、鹿島新当流の真髄を求めて鍛錬に励んで参ります。」


 図ったかのように同じタイミングで頭を下げ合う師弟の姿に、私は戦国時代に拍手という文化が無い事を、心から残念に思うのだった。




 今川義元の屋敷、その中庭で開かれた手合わせが終わり、侍女や女中が後片付けに奔走する最中。


「お主、(ゆい)の側付きであったな。少しよいか。」


 呼び止められた侍女――百が振り返ると、そこには主の夫、今川五郎氏真が立っていた。


「何か、不手際がございましたでしょうか。」


 素早く平伏する百に歩み寄ると、氏真は声を潜めた。


「頼みがあってのう…お主、かなりの手練(てだ)れであろう。」

「お戯れを。わたくしはしがない侍女にございます。」


 よどみなく返答する百に対し、氏真は小さく首を振った。


「卜伝先生の下で稽古を重ねる内に、儂も他人の力量を推し量る癖が身に付いた。お主も普段は目立たぬが、ふとした拍子に強者(つわもの)の気配を見せる。」

「…ご無礼の段、平にお許しを。(ゆえ)あって素性を隠してお仕えしております。若奥様をはじめ、ご承知の方も少なからずいらっしゃいますが…。」

「やはりそうであったか。奥がお主を頼りにするも、得心が行くのう。」

「それで、お頼みとは。もしやわたくしと手合わせをご所望にございますか。」


 剣吞な雰囲気をまとって見上げる百に、氏真は微笑みながらまたも首を振った。


「左様に無益な事はせぬ。ただ…年が明け、父上より家督を継げば、儂もおいそれとは屋敷に戻れなくなる。その間、奥を(しか)と守って欲しゅうてのう。」


 氏真の言葉に、百は再び平伏した。


「若殿の仰せのままに…もとよりこの身、若奥様に捧げましたからには、万難を排してお守りいたします。」

「…頼もしい事よ。片付けもあろう、下がってよい。」


 氏真の許しを得た百が後ずさって立ち上がり、一礼して去ると、氏真は腰の木刀を撫でながら呟いた。


(おご)るな、五郎氏真。お主の役目は強者と戦って剣の道を極める事にあらず。今川の当主として家を守り、盛り立てる事に他ならぬ。…戒めよ。固く戒めよ。」




 明けて弘治3年(西暦1557年)正月、氏真は父義元より今川の家督を継承する。

 剣術指南役、塚原卜伝が駿府を後にしたのは、それから数か月が経ってからの事だった。

お読みいただきありがとうございました。

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[一言] 剣豪大名:北畠具教とか剣豪将軍:足利義輝とか居ますな… 技術と立場がかみ合わないのは仕方ないけど 役目が疎かになるのはまた違うしなぁ 皆伝で箔はつくので後々の大名としての交渉に役立ちそうだ…
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